ケツの穴の小さい男の話〜病のメッセージの受け止め方〜
(お食事中の方、下ネタがダメな方は閲覧をご遠慮ください)
人は自分の人生を台無しにするような悪い習慣に、本当は気づいている。
だが、それを改めることは簡単ではない。
わかっているのに、無視することが習慣になっているのだ。
先日、酒の飲み過ぎで腹痛を起こした酔っ払いが救急搬送された。
「いてえいてえ」
とわめいて暴れるから
「自分で飲んだんだろ!」
と冷たく言う。
私は全ての患者に優しくすることなどできない、ケツの穴の小さい男である。
すると酔っ払いは、
「酒なんかいつも飲んでるよ!」(=だから酒のせいじゃない)
と怒鳴り返す。
ヒトとはそういう生き物なのだ。
かく言う自分自身も例外ではない。
尾篭(ビロウ)な話で申し訳ないが、私は昨年から、時々起こる肛門からの出血に悩んでいた。
いわゆるひとつの「切れ痔」である。
病院に行っても軟膏を出されるか(一時しのぎにはいい)、切り取られてますますケツの穴の小さい男にされるだけだと知っている。
病は心と体のメッセージである、といつも人に教えている。
私の肛門さまはなぜおキレになるのか?
肛門さまのお気持ちをおもんばかって、何かを改めねばならない。
(キムチを食べた後にキレているような気がする)
辛いものは痔の原因になる。
キムチをやめてみる。
出血がなくなった。
しかし、自転車レースの後、また出血した。
(サドルが薄すぎるのか?)
その頃、軽さを優先してクッションゼロのカーボンサドルにしていた。
痛いとは全く感じなかったのだが、助さん格さんのように両脇に立つ筋骨隆々なお尻と違って、奥の肛門さまはとてもデリケートだったのだ。
大変失礼いたしました、とクッションありのサドルに戻す。
出血がなくなった。
しかし、ジムでレッグプレスマシンの最重量195kgを40回上げた翌朝、また肛門さまはおキレあそばした。
「そんな無理な腹圧をかけて、余をなんと心得る⁉︎ 控え控えい!控えおろう!!」
そう叱られた気がした。
控えることにした。
筋トレは続けるが無理をせず、腹圧をかけすぎないように上げ方も工夫した。
また出血は止まった。
ところが先日、肛門さまは再びおキレになった。
しかも今回は痛かった。
「今度は何ごとでございますか、肛門さま?」
股の間から覗き込んで尋ねても、お答えはない。
肛門さまはいつも寡黙で多くを語ってはくださらない。(時々ブーとかスーとかおっしゃる…)
しかし、肛門さまの下された大きなお便りには、そのお答えがしっかりと記されていた。
昨夜、当直中のおやつに急いでワシづかみにしてバリバリ数回だけ噛んで飲み込んだナッツの破片が、お便りに満遍なく散りばめられていたのだ。
その大きくて鋭利な破片が消化されずそのまま出てきて、恐れ多くも肛門さまに手傷を負わせたのは明々白々であった。
「はは〜っっっ」
私は印籠を出された悪代官のように平服し、傷ついた肛門さまを紙で丁寧にお拭きして、お便りを流し、ズボンを上げた。
そしてそれからは、ナッツを食べる時は一粒ずつ持って、リスのようにカリカリと細かく噛み砕き、トロトロになるまで奥歯ですりつぶしてから飲み込むようになったことは言うまでもない。
自分は豪快にナッツを飲み込むことなどできない、思っていた以上にケツの穴の小さい男だと悟ったのだ。
それから肛門さまは毎朝ご機嫌に、黄金色のお便りを下されるようになったということじゃ。(めでたしめでたし)
このように、病のメッセージを受け止めることは、誰にとっても簡単なものではない。
メッセージが一つとは限らない。
すでに習慣になっているから、自分では気づきにくいことも多い。
そもそもそのメッセージが自分への報酬(快楽)を手放すことを要求する場合、人は無意識に目を閉じ、耳を塞ぐ。
人は将来のイメージが持てない時、不安になる。
そして不安になる程、変わることを何より恐れ、今まで通りでいようとするのだ。
しかし、本当は自分はどう生きたいのか?
もっと幸せな生き方があるとしたら?
より魅力的なプラスのイメージを明確に持つことができた時、はじめて人は変わる勇気を持てる。
そのプラスのイメージ、変わる勇気がメッセージを受け止める準備となる。
病のメッセージを受け止めて習慣を変えた時、あなたは治る。
医者が治すのではない。
病を治すのではない。
あなたが治るのだ。
治ることは、病を得る前のあなたにもどることではない。(それでは再び病を得るだけだ)
治ることは、より幸せなあなたになることなのである。
(偉そうに書いたが、実はこの時、私はまだ本当のメッセージは受け止めていなかった…つづく)
(Facebook2020年2月16日より)
(追記)お尻にお悩みの方はこちらもお聴きください👇
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