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Q&A. なぜ多くの人が〇〇チンを入れてしまうのか?

今日のポイント

多くの人がドクチンを打つ理由は
①支配されているから
②多数に従うことで生き残ってきたから
③人も生物もみなつながっているから

Q. どうして多くの人は〇〇チンを打つのが正しいと考えてしまうのでしょうか?打ってしまうのでしょうか?

 〇〇チンの危険性は日々明らかになっているのに、メディアは日々、御用ドクターの「〇〇チンしかない」の繰り返しです。政治家も「若者に〇〇チン」の大合唱です。
反対の声は抹殺、全く聞こえません。
田原総一朗、立花隆どこいったん?(追記:立花隆氏は4月30日に逝去)
自民党から共産党まで、一致団結して〇〇チン。
あきれます。
これまで正しいこともそうでないことも意見は沢山あったと思うのに、コ○ナは変な話、一致団結してます。
どうしてでしょうか?

A. 人口増減の波が自然の摂理だからです。

 日本でのドクチン注入者が5割を超えました。世界でも3割を超えました。

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 それにつれて様々な死因で多くの人が死亡しています。厚労省の人口動態調査では5月以降、昨年に比べ1ヶ月に1万人以上死者が増えています。これは東日本大震災レベルです。

(追記:👇統計的にさらに解析してくださった方が!)

 ドクチンの危険性を知り、打たない選択をしている方々は日々同調圧力に苦しめられているのが実情です。私をはじめドクチンの危険性を訴える人々の話を聞き、その逆効果性と危険性を知った人の中からでさえも打つ選択をする人々が出てきています。

 今日は、どうしてそうなるのか?を解説したいと思います。

①支配されているから

 『自由』という言葉があります。身体の自由、言論の自由、思想の自由、経済活動の自由...自由は日本国憲法で保証されています。
 にも関わらず、人は自由ではありません。

 『自由』とは『自らの理由』で行動できることです。

 現実には誰もが様々な支配を受け「他者の理由」で行動を制限されています。

 まず、人は物理法則に支配されています。
 地球の重力に逆らって空中浮遊できるのは、生身の人間ではドラゴンボールとかフィクションの世界だけです。

 同様に、人はお金にも支配されています。
 お金が儲かりそうなことには引きつけられ、お金を奪われる、収入を断たれるようなことは選択しにくくなります。
 ドクチン会社のスポンサーはビル・○イツをはじめ世界最大のお金持ちたちです。その背後には通貨発行権を持つロスチャ○ルドや中○共産党がいます。
 そのお金の力は圧倒的です。政治家を支配し、メディアを支配し、企業も支配し、殺し屋も支配し、それらを恐れる人々も支配します。

 さらに人は心理学的法則にも支配されています
 実は人間の脳は合理的に判断することはとても苦手です。誰しも常に『バイアス』に支配されています。私も含めて。
 バイアスとは、先入観、思い込み、偏見のことです。

 バイアスの例を挙げると

1 確証バイアス


 いったん信じたことに合うことは「正しい」、信じたことから外れることは「ウソ」と思い込んでしまうことです。

 最初にテレビで「〇〇チンは有効・安全」という情報を見て信じてしまうと、その後に「ドクチンは無効・危険」ということを示すどんな情報が入ってきても
「そんなわけない!」
「ウソだ!」

 と考えてしまうのです。そして「〇〇チンは有効・安全」という信念に合致する情報ばかり集めてしまうことでさらに信念を強化していきます。

 「ドクチンは危険」という信念にも確証バイアスは働きます。

 自分が確証バイアスにはまっていないか確認するには、

 自分の信念と反対の情報、どちらが現実とあっているか?

 と確かめることです。

 テレビなどの情報ではなく実際に

自分の周りにコ○ナで苦しんだ人はいるでしょうか?

では〇〇チンで苦しんだ人は?

〇〇チンが始まってからコ○ナ禍は終息に向かっているでしょうか?それとも拡大しているでしょうか?


2 多数派同調バイアス


 「みんな」が言っていることは正しい、と思い込んでしまうことです。
「お医者さんも『みんな』〇〇チン打った方がいいっていってるじゃない!」
 本来「皆」とは全員のことですが、人は自分の周りに多い方を「みんな」と考えてしまい、それと外れる人の存在は無かったことにしたがるのです。


 子供が物をねだって
「〇〇買ってよ〜。みんなもってるも〜ん」
「『みんな』って誰?」
「〇〇ちゃんとか〇〇君とか」
「2人じゃない。みんなは持ってないでしょ?」
「え〜、『みんな』だよ〜」
 という感じです。

 ドクチンも
「〇〇チン打てよ〜。みんな打ってるよ〜」
 と迫ってくることは常套手段です。
 特に日本人はこの多数派同調バイアスが強いので、これは②で別にとりあげます。

3 正常性バイアス


 自分の今までの常識から外れた異常なことには反応しない、さらには反応できなくなることです。


「テレビや政府が国民を騙してる?そんなわけない!」
「〇〇チン打った人は2年で死ぬ?そんなわけない!」
「地球人口削減が目的?そんなわけない!」

 と思ってしまうことです。

 一言で言えば「まさか」です。


「『まさか』うちに詐欺の電話が来るなんて思わなかった」
「『まさか』10mの津波が本当に来るなんて思わなかった」

 警告を無視して被害に遭った人は大抵そう言います

「『まさか』〇〇チンがそんなに危険なものだったなんて」

 と多くの人が思う日はいつ来るでしょうか?


 『まさか』と言う人を愚かと言うことは簡単ですが、これは人の脳の性質なのです。
 異常事態や恐怖に際して、人が自ら判断し行動できなくなってしまう現象『凍りつき症候群』と呼びます。
 日々メディアで「コ○ナは怖い」「今日の感染者は何人」という情報を刷り込まれていると、人は恐怖によって判断力も行動力も失い、ただ支配されるだけになってしまいやすいのです。

 だから、『まずはテレビを消すこと。感染源はテレビです。』

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 私はずっとそう言ってきました。

 以上はほんの数例ですが、人間は決して『自由』ではなく、自分の意志以外の様々な要因に支配されていることはおわかりいただけたかと思います。

 ではなぜ憲法は『自由』を保障しているのか?それは日本国憲法第12条に書いてあります。

 自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。


 重力や空気抵抗などの物理的障害に逆らって動くには、トレーニングという不断の努力が必要です。
 お金の支配に抗うには、少なくとも支配者からお金をもらわなくても生きていけるだけの経済力が必要です。
 様々なバイアスの支配にとらわれることなく事実を認識するには、情報力思考力が必要です。

 残念ながら、そうした不断の努力を続けて『ドクチンを打たない』選択をできる人はあまり多くないのが現実です。
 支配の力は全ての人に及んでいます。(もちろん私にも)
 それでも不断の努力によって支配に抗う力をつけた人は、その範囲で『自由』であることができるのです。

 例えば、普段から体を鍛えてきた人は津波が来た時にいち早く走って山に登ることができます。体力がない人は間に合わず波に飲まれてしまいやすくなります。
 重力は全ての人を支配していますが、体力がその範囲で自由をもたらすのです。経済力・思考力にも同じことが言えます。

 ドクチンを打ってしまう人が多い事実は、支配の力に抗い『自由』に動く力(体力・経済力・情報力・思考力)を持つ人が少ない現実を表しています。

②多数派に従うことで生き残ってきたから

 日本人で特に強い多数派同調バイアス「みんなは正しい」思い込みについて、もう少し解説します。
 バイアスは個人の性格ではなく、全ての人の脳にあらかじめ組み込まれた性質です。(私の脳にも)
 どうして人間の脳はバイアスを持ったのでしょうか?

 それはバイアスがあった方が生存に有利だったからと考えられます。

 歴史上の様々な困難に際し、多数派に従う人の方が生き残りやすかったのです。

 例えば大東亜戦争の時、戦争に反対した人は治安維持法によって殺されました
 戊辰戦争の時、旧幕府軍に着いた人は白虎隊のように死にやすかったでしょう。
 その少し前、安政の大獄の時代は逆に尊王攘夷を唱えた人が処刑されました
 連帯責任を負わせることで民衆がお互いに監視しあい密告し合う隣組・五人組などの制度も江戸時代から続いていました。
 農村社会では有力者・多数派に従わない者は「村八分」にされることで生活が立ち行かなくなりました。
 
 どちらかと言えば、日本なんてまだマシな方かもしれません。

 何百年も続いたヨーロッパの魔女狩り。

 ガリレオもかけられた異端審問

 近年では同じキリスト教徒同士でも宗派の違いでご近所さんと殺し合ったユーゴスラビア内戦など、

 多数派から外れれば生存が不可能であった歴史は、世界中で枚挙にいとまがないのです。

 私たちの多くはご先祖様が多数派に従ってきたからこそ、生まれてこれた可能性が高いのです。だから多数派に従いやすい遺伝子を持っているのです。(私もですよ!いやほんとに!)

 実は、これは人間だけではありません。

 イワシの群れを見てみましょう。サメやカツオなどの中型の魚は、群れの中にいる個体より、群れから少し外れた個体を狙います

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 ヌーの群れでは群れから外れた個体がライオンなどの肉食獣の標的になりやすくなります。

 大きな群れから外れることは、生存にとって致命的に不利である場合が多いのです。

 今、ドクチンを打つことは権力者が強く推奨し、打つことが正義、打たないことは悪、という共同幻想が作られつつあります。  


 マスクについては「着けるのが正義」という共同幻想がコ○ナ騒動が始まってから1年で半ば確立してしまったかのようです。そこに「マスクはウイルスを防がない」「呼吸やコミュニケーションを阻害する」「免疫力を低下させ肺炎の発症を増やす」といった科学的事実は関係ありません。

 共同幻想は宗教の教義のようなものです。

 マスク信者にはマスクしているかどうかだけが問題なのです。
 そうなってしまうと、その教義に従わない者は悪、異端、悪魔として、どんな制裁を加えることも「正義」と考えてしまう人が増えます
 人はそうした「悪」に制裁を加えることに快感を覚えます。それをシャーデンフロイデと呼びます。

 シャーデンフロイデもバイアス同様、進化の結果として人の脳に組み込まれた仕組みです。
 ストレスが増えるほどにシャーデンフロイデは発動しやすくなります。社会的にストレスが高まるほど「いじめ」「ネット制裁」にのめり込む人が増えます
 その快感に囚われるとホテルマンは客をもてなすことよりマスクをさせることが自分の仕事と思い込み、その標的となることを恐れる母親は子どもと笑顔を交わすことよりマスクを着けることを優先してしまいます。

 そうして多くの人が共同幻想に従う結果ますます共同幻想が強まり、それから外れる人は生きづらくなっていくのです。

 ですから多数派同調バイアスはどんどん強まり、ドクチンを打つ人が増えていくのです。その流れが破綻するまで

 多数派が生き残ってきたんだから、多数派に従うのは正しいじゃないか?自分がいじめられたくなければ、いじめる側に回るのは当然でしょ?

 だからドクチンも打った方がいいでしょ?

 そうでしょうか?
 面白いことに、必ずしも多数派が生き残るとは限りません


 ○✖️クイズなど、大人数での2択クイズを思い出してください。

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 大勢の回答者が、○のマスか✖️のマスに別れて移動するクイズです。簡単な問題では、多数が正解するので多数派に従うことで正解しやすくなります。しかし難しい問題や引っ掛け問題では、むしろ多数派が間違えて一度に消えることが多くなります。

 生物界でもそうです。

 イワシが中型の魚に狙われた時は、確かに群れの中にいる方が食べられにくい。しかし巨大なクジラのように群れを丸呑みするような捕食者が相手の時は、群れの中央にいる個体ほど逃げることができずに飲み込まれてしまうしかなくなります。

 東日本大震災の津波で多くの大人たちは「今まで津波が来たことはないから」「みんな大丈夫だと言ってるから」というバイアスで判断して多数犠牲となりました。
 バイアスに囚われず津波のリスクを学んだ子供たちが大人たちを説得して避難させ、生き残りました

 今回、このコ○ナ戦争はとても難しい引っ掛け問題です。
 そしてどんな人も経験の範囲で対応できない未曾有の事態です。

 これまでのご先祖様たちは科学的に考えるより多数派に従うことで私たち子孫に命を繋いでくれました。
 例えるなら○✖️クイズで多数派に従うことでここまで残ってきたようなものです。
 どうも、今回はそう簡単にはいかないようです。

 そして多数派の多くが脱落すれば、生き残ったそれまでの少数派が次の多数派になります。


③人も生物もみなつながっているから

 これまで説明してきた支配と同調圧力だけで、多くの人がドクチンを打ってしまう理由を説明できるでしょうか?

 つまり、打ってしまう人は支配に抗う力がなく、同調圧力に屈してしまうからドクチンを打つのだと。

 そう考えてもいいのですが、私は違った見方もしています。

 ここまでも多少難しい話だったかもしれませんが、ここからはさらに難しくなります。

 誤解を恐れずに言えば、 

『ドクチンを打つ人々は、打たない人が生き残るために自ら死ぬ選択をしてくれている』

 のです。

 そんなわけない、ちょっと何言ってるかわからない、そう思われるのは当然でしょう。

 以前、イスラム教と乾燥気候の話を紹介しました。

 イスラム教の教義は食糧生産が難しい土地で人口増加を抑えるために合理的であり、それはコ○ナ政策に通じるという話でした。

 その際少し触れましたが、生物は皆、個体数を調節する仕組みを持っています減りすぎてももちろん、増えすぎても絶滅してしまうからです。

 簡単な例では、小さな島に鹿だけを放った時、鹿は増えて島の植物を食べ尽くし絶滅してしまいます。ところが狼などの肉食獣がちょうどよく放たれると鹿の数は一定に落ち着き、絶滅を免れるのです。

 壮大な例では、生物の歴史で幾度かの大絶滅は、光合成生物が増えすぎたことによって温室効果ガスが減り、気温が下がりすぎて地球全体が凍りついてしまったことによって起こりました。(スノーボールアース

 酸素を吸って温室効果ガスを吐く動物が現れたことによって地球は氷の世界から解き放たれました。

 イナゴ(バッタ)の群れは、密度が増えて隣のイナゴと脚が擦れ合う頻度が上がると飛行力と攻撃性が増した変異体となり、集団で大移動して農作物を食い荒らす蝗害(こうがい)をもたらします。これはイナゴにとって、一定の範囲にいるイナゴの数を減らす効果があります。

 レミングは食欲旺盛で繁殖力が強いネズミの仲間です。爆発的に増えると、大きな群れで大移動を開始します。移動の最中には集団で崖や海に飛び込んで死んでしまうこともあります。集団自殺か?移動中の事故か?レミングの気持ちはわかりませんが、確かなことは大移動によって個体数が調節されるということです。

 同じように、ヒトという霊長類の動物は人口が増加すると戦争や大虐殺を始めます。(イナゴやレミングと行動的な収斂進化と呼べるかもしれません。収斂進化とはイルカと魚、鳥とコウモリのように、系統が違う生物が進化によって似た性質を獲得することです)
 自国の食糧が足りなくなったり、隣にもっと豊かな国があったりすると、ヒトの群れは隣国に攻め込んで殺し合います。
 あるいは「暴君」と呼ばれるリーダーを立て、その名の下に「圧政」や「粛清」「虐殺」を行なって自分の群れの中で殺し合います。

 人口が減りすぎると、農業などの人手が必要な食糧生産が難しくなります。
 そこである程度人口が減ると今度は「名君」「英雄」を立てて殺し合いをやめ、秩序を持って協力しあい「善政」によって人口を増加させます。

朱元璋のように、英雄と暴君を一人でやってしまう者もいます。

 
 ある程度人口が増えてくるとしだいに秩序は乱れ、汚職や権力闘争が激しくなっていき、ついには再び圧政・戦争・虐殺などの人口減少イベントが繰り返されることになります。

 これは人類の歴史上、少なくとも人口を大きく増加させることを可能にした農業の発明以降、どこの国や地域でも繰り返されてきたことです。(日本は世界的には殺し合いはマシな方ですが、それは代わりに地震・津波・噴火・冷害などの天変地異が人口を調節する役割を果たしてくれたからと考えられます)

 食糧生産力が上がり、寿命が伸び、さらに人口ミルクが開発されて1人の女性が毎年子供を産めるようになると、ヒトの繁殖力は爆発的に上がりました
(本来、霊長類は授乳期間は妊娠できなかったので数年に1度しか妊娠しなかった)

 仮に1人の女性が25歳までに4人の子を産み全員が育った場合、単純計算で出生数は25年で2倍、50年で4倍、75年で8倍、100年で16倍になります。

 ヒトの繁殖力と人口が爆発的に増加すると、それと並行するように兵器や権力もより巨大化し、人口を減らす方法も発展しました。

 弓矢、銃、大砲、爆撃機、核兵器…そしてドクチン…。

 後の人は歴史上の人口減少期のリーダーを「暴君」「独裁者」などと罵る傾向がありますが、虐殺も戦争もリーダー個人の資質というよりも、食糧と人口のバランスから群れが要求するものと考えられます。

 だからこそ、群れは「暴君」「独裁者」を立て、その指示に従うのです。

 イナゴやレミングにリーダーはいないようです。トノサマバッタという種はいますが、その中でどれが「殿様」なのかは判別できません

 リーダーがいなくてもちゃんと集団を作って大移動し、通ったところの植物を食べ尽くし、そして死んでいきます。

 そのパターンはイナゴやレミング自身だけではなく、同じ生態系に生きるあらゆる生き物に影響します。

 イワシの群れは大量に発生するプランクトンを食べて数を増やしクジラが待ち構える海域を泳いで大量に食べられて数を減らします。(旧ソ連のゴルバチョフ書記長は日本人はイワシの群れと言ったそうですが、今、鯨(クジラ)ならぬ鯨(ゲイ)ツの口に集団で飛び込もうとしているのかもしれません)

 空を見上げて、大きな鳥の群れが一つの生き物のように動いているのをみたことはありませんか?鳥の群れにもリーダーはいません。たまたまその時前を飛んでいる個体が率いているように見えるだけです。

 ヒトも同様なのかもしれません。国王、皇帝、国民…リーダー(主権者)が実は形式だけ、ということは歴史上珍しくありませんね。
 身近なスケールでは、ツールドフランスなど自転車ロードレースの集団を観ると、群れの動きを視覚的に理解しやすいかと思います。

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 選手たちは空気抵抗を減らすために集団で走行します。ロードレースで集団の先頭を走っている選手は必ずしも最も有力な選手ではありません

『かもめ⭐︎チャンス』第5巻にはその辺のことがとてもよく描かれています。)

 集団で走るのは空気抵抗を減らすためで、大集団にいるほど楽ができますが、集団落車に巻き込まれるリスクもあります。

 大集団から抜けて先を走ることを「逃げ」、大集団から遅れた選手たちが形成する小さな集団を「グルペット」と言います。どちらにしても、単独や少人数で走ることは大きな空気抵抗を受けるので体力を使いますが、集団落車のリスクは避けることができます。

 コ○ナ戦争においても、大衆に迎合せずにマスクやドクチンを打たないことは大きな体力や精神力を使いますが、マスクの害やドクチンによる大虐殺に巻き込まれるのを避けることができます。

 群れ全体を動かす力がどこから来ているのか?それは現代の科学ではまだ証明されていません。
 武田邦彦先生はその力を『絡合』と呼ばれています。

 20世紀、地球の人口は19世紀に10億人になり、20世紀に60億人に、21世紀に入って20年で78億人まで増えました


 その急速な増加を考えれば、その後には急速な減少をもたらす事態が起こることはその『絡合』による自然の摂理と考えられます。

 地球人口を5億人まで下げようとする人々が現れたこと、そうした人たちが世界の富と権力のほとんどを握ったこと、世界中の政府・メディアその他がそれに従うこと…そして多くの人が毒チンを打つ選択をすること。 
 それは生態系全体を支配する『絡合』による必然なのかもしれません。

 ドクチンが始まると、高齢者を中心に多くの人が徹夜覚悟で並びました。


 今はコ○ナに全くリスクのない若い人も多くが毒チンを打たねばならない気になっています。(『感染を予防する効果は分かってない』って書いてあるのに

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 それは毒チンの殺傷力に気づいた人から見ればとても愚かに見えます

 しかし人口削減がこのコ○ナ戦争の目的であり、人口が一定の数に下がるまで終わらないのだとしたら、毒チンを打って死ぬことを選択した人々は、生き残る人々(あなた)のために、未来への席を譲ってくれたのだ、と言うことができます。

 どんなに説得しても毒チンを打つという親・家族・友人…そうした人々にかける言葉は「バカヤロウ」ではなく「ありがとう」なのかもしれません。

 多くの人がドクチンを打つ選択をしてしまう根本理由、それは地球の生態系において、全てのヒトもその他の生命も繋がっているからなのです。


日本という国の特殊性

 ここまで、多くの人がドクチンを打つ理由を説明しました。

 私は以前『地球人口削減は必要か?』という文章で、「動物は地球を温めるために生まれてきた。最も進化した草食動物ウシがメタンガスのゲップをするように、ヒトは温室効果ガスを効率的に排出することで氷期の到来による大絶滅を防ぐという生態系における役割がある」という持論を展開しました。

 それと今回の話は矛盾するのか?
 そうではありません。
 氷期の到来は、数千年〜数万年単位の話です。人口の増減は数十年単位。人口は成長株の株価のように、上がったり下がったりの波を繰り返しながら、長期的には増加してきたと考えられます。

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 世界の3割の人が毒チンを打ってしまった今、これから2〜3年で人口がいったん大暴落するのは避けられないでしょう。
 その後、人口が再び増えるかどうかは、どのような人々が生き残り、どのような社会を築くかにかかっています。(さらに地球の公転軌道や太陽活動の変化による地球の気温・水温の変動が絡合に影響すると考えられます)

 また日本というのは不思議な国で、世界の流れとは逆にコ○ナ戦争以前から人口を減らしていました
 総人口は2010年にピークを迎え、2020年までに223万人減少しました。

 コ○ナ戦争などなくても2100年には7400万人まで約5千万人減少すると予想されているのです。

特に19歳以下の日本人は1000万人しかいません

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 2020年の出生数は前年より2万人以上減少しており、このまま減少が続けばもはや絶滅が危惧されるレベルです。

 日本人が減ったのは、高齢者に資源を使うようになった影響なのか?女性の社会進出と晩婚化の結果なのか?日光を浴びなくなってビタミンDが低下したからか?あるいはこれまで打たれてきた多くの〇〇チンによる不妊化の成果なのか?それとも男性が〇〇チンを無駄に独りで使ってしまうからか?はたまた空気を読むことに長けた日本人は生態系でのバランスを無意識に察知したのか?

 それはわかりませんが、少なくとも日本の子育て世代以下に関しては、遺伝子ドクチンで減らす必要は全くありません。(それなのに多くの人が同調圧力で打ってしまっています)

 日本人の文化・技術・伝統的思想というのは、ヒトが自然の中で持続的に共生して生きることに長けています。それはこのコ○ナ戦争・ドクチン戦争で人口が急激に減った後、人口を回復させる新たな社会で多くのヒトと生き物が共生することに貢献するでしょう。

 ですから、まだ間に合う人々はどうか早まることなく、その命をコ○ナ戦争後に社会を立て直すことに使ってほしいと私は願います。

 それは決して楽な道ではありません。

 同調圧力に逆らってマスクやドクチンを拒否して生きることも、ドクチンで周りの人がたくさん死んでいく中で社会を支えることも、ドクチン攻撃の後に待っているかもしれない他国による軍事攻撃や占領政策をしのぐことも、その後の新しい社会を生き抜くことも、おそらく簡単ではありません。

 ドクチンを打ってさっさと死んでしまう方が、よっぽど楽でしょう

 戦時中に空襲に怯え、飢えをしのぎ、戦後を生き抜いた人々は、あるいは戦地で亡くなった兵士より辛かったかもしれません。
 
 それでも、ご先祖様が生き抜いてくれたからこそ、私たちは今生きています。

 そして同時に、ご先祖様が死んでくれたからこそ、私たちは今生きているのです。

 先の戦争で亡くなったご先祖様は英霊と呼ばれます。英霊は遺された家族のために死んでいきました。

 同じように、このコ○ナ戦争で人類史上最多の人が亡くなるのも、残った人々が生き抜くためです。

 あなたがどちらの役割を選択するのか、それは今あなたが群れのどこにいるかですでにほぼ決まっているのかもしれません。
(自転車ロードレースで集団落車が起こった時、転んだ選手のすぐ後ろにいる選手や集団の真ん中にいる選手に逃げ場はありません)

 それでもこの文章に出会えたあなたに、もしまだ選択肢があるのなら、生き抜く道を選択してくれることを私は願っています。

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