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非正規女性労働者の苦境を考える 増える自殺 変わらない差別

在野の哲学者・文筆業 栗田隆子

 私はそもそもずっと10年以上、いや、もはや20年くらい非正規労働と呼ばれる(この言葉は20年前はなかったが)仕事をしてきた。そしてその労働形態について考えてもきたし、人材派遣協会の前で抗議行動をしたり街中をデモで歩いたりということもやってきた。論考も複数書いた。しかし正直、一向に問題が解決した感がまるでない。
 今日(10/13)のニュースでは「大阪医科大の元アルバイト職員が待遇格差の是正を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁は13日、賞与を支払わないのは不合理だとして計約109万円の支給を命じた二審判決を見直し、このうちボーナス(賞与)分の請求を棄却」とある。
 同一価値労働同一賃金(同一労働同一賃金とは女性の労働運動では言わない。なぜなら女性のケアワークや事務労働はもともと〈価値が低い〉と社会でみなされているため、価値の部分まで問わなければ真の平等が実現しないと考えるためである)は遠い。どうしたらいいのかと逆に多くの人に教えを乞いたいくらいだ。まさに「忸怩たる思い」だが、この「忸怩」という言葉さえ私の中ではもはや陳腐だ。
 そんな中でコロナがやってきた。実はこの4月あるNPOの業務委託の仕事をしていたが、あっさり業務自体がコロナによってなくなり「雇い止め」となった。鬱でなければ何か抗議したかもしれないが、そもそも1時間以上の電車通勤を4月に続行しようとはとても思えなかった。私は生活保護を受け、さらに障害年金を受けることとなった。多くの非正規労働者が解雇や雇い止めされたことは、もはや統計上でも明らかになっている。
 しかも、今年の4月から女性や若者の自殺率が上がっており「2020年の9月の全国の自殺者は女性では27・5%増えており、さらに8月をみると、20歳未満の女性(40人)が前年同月(11人)と比べて4倍近くに増えている」となっている。以前なら自殺者が多い年齢層とみなされてなかった層で自殺が増えているのだ。
 女性は雇い止めに合うか、時短勤務にされる。パンデミックの中でも仕事をし続けねばならない職種(ケア労働やスーパーの仕事など)は、エッセンシャルワーカーと讃えられながら、何一つ待遇が変わらない。
 「パートは雇用の調整弁」なんて、すでに20年以上前から言われている。コロナ禍は、リーマンショック以上に非正規労働者の女性の生活にショックを与えた。それは単に仕事を失うだけではなく、潜在的にあった仕事の過酷さ、不条理さもまた浮き彫りになったのだ。
 私自身はこの20年(数カ月のブランクはあっても)パートタイムで働き続けてきたが、今回久しぶりに雇用関係の労働から離れている。それは、まずは鬱の問題があるからなのだが、今までのような事務の仕事を賃労働にして生きていくのが怖くなってきたからだ。
 とは言え私は身体が丈夫ではなく鬱もあり、接客業や肉体労働は難しい。「わがまま言ってるんじゃない」と言われそうだが、私はこのまま今までの働き方を続けてとても生きていけるとは思えなくなった。じゃあどうやって生きていく?と自問自答する日々。そんな不安を覚えているのは私だけとは思えない。

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