レポート・京都駅東南部エリアから① 誰もがありのままの自分らしく ともに生きる社会に向けて ~NPO法人 京都コリアン生活センター エルファ(京都市南区東九条)

くじょう 葱

 京都駅の東南部には、歴史的に差別的な扱いを受けてきた、同和地区および在日コリアンの集住地区が並存する。長年、開発から取り残されてきたエリアだが、状況が大きく変わろうとしている。京都市はこのエリアを「文化芸術と若者を基軸」として活性化する再開発計画を策定。2年後には、この地区への京都芸術大学の移転が予定されており、ホテルや大型文化施設の建設計画も相次ぐ。この街はこれからどうなっていくのか。最近、このエリアの近隣に住み始めた、くじょう葱がレポートする。

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▲NPO法人 京都コリアン生活センターエルファ外観

 「エルファ」は韓国語で、喜びの感情を表す感嘆詞。同事業所は2000年、在日コリアン高齢者の訪問介護からスタートし、デイサービス、障害者向け作業所、子育て支援など、幅広く展開してきた。
 東南部エリアにおける福祉ネットワークの一大拠点である同事業所のあゆみについて、副理事長の南 珣賢(ナム・スンヒョン)さんにお話をうかがった。
 「このプロジェクトを絶対に成功させたい。『チョーセン』と蔑まれながらも、必死で働きながら私たちを守り育ててきてくれた1世たちに、恩返しがしたい」。
 始まりは、在日コリアン2世の女性たちの熱い想いだった。
 97年、介護保険法が国会で成立(2000年4月施行)。事業を立ち上げるきっかけとなった。介護保険は、要介護認定を受けた被保険者が、デイサービスや訪問介護などのサービスを、原則1割負担で利用できる(その後「一部2、3割」と法改正)制度で、日本に居住する外国籍住民も対象となる。
 戦前から日本に居住していた在日コリアン1世の多くは、すでに65歳を超えており、受給資格があったが、日本語の読み書きにハンデがあるため、自力での申請は難しい。その子世代である2世たちは、1世が要介護になった時に制度をうまく使いこなせるか、懸念があった。
 「自分たちでなんとかするしかない」と彼女たちが始めた勉強会が、エルファの前身である。
 01年にNPO法人として正式に認定されると、「制度を一人でも多くの人に」と、制度の周知および申請のサポートに本腰を入れ始めた。


 ところが、長年、社会保障制度から締め出されていた1世の高齢者たちは、いくら説明しても「うちらが使えるわけがない」と聞く耳を持たない。そんな一人一人を丁寧に説得して、申請窓口へとつなぎ、翻訳・通訳をこなすのは、根気のいる作業だった。
 同年、在日コリアン高齢者向けのデイサービス事業もスタートする。それまで、当事者たちは通名を使って、出自を隠して一般のデイサービスに通っていたが、他の利用者との文化的・歴史的背景の違いから、場に馴染めない人が多かった。「在日とバレたら、バカにされるから」と一言も話さず、「失語症」と誤認されていた人もいる。職員たちの悪気ない「無知」が、当事者たちを孤立に追いやっていた。
 「日本で生まれ育ったとはいえ、多少なりとも朝鮮の言葉や文化を知っている自分たちは、日本社会と在日コリアン社会のかけはしになる存在だ」──その一心で事業に邁進してきた。
 活動を進めるうち、高齢者だけでなく、身体や精神に障害のある在日コリアン当事者とも縁がつながるようになった。
 乳幼児期に罹患した病気がもとで聴覚に障害が残ってしまった人や、脳梗塞によって半身不随になった人、障害をもった子どもの養育で悩んでいる人…彼らは、在日コリアンであることと、障害があることの二重の差別に苦しんできた。
 「障害があっても生き生きと働ける場を!」──06年、彼らと協力して「エルファ共同作業所」を開設した。
 同作業所では「身体障害」「精神障害」などの障害名で利用者を「分ける」ことをしない。
 多くの作業所では、障害種別ごとに利用者を分類した上で、それぞれに「適した」作業を割り当てるが、「在日だから」と差別されてきた自分たちは、障害名で人を分け隔てすることだけはしたくなかった。小さくても「いろんな人がいて当たり前」という社会を実現したかった。
 聴覚障害のある利用者にも対応するため、手話講座を開いて、スタッフ全員が手話をマスターした。日本語、韓国語、そして手話が飛び交う作業所の光景は、「多様性」そのものだ。


 その貴重な事例から学びを得ようと、専門家や学生など、年間1000人ほどの見学者がエルファを訪れるという。
 エルファがこれほど「オープン」な施設になったのには、理由がある。
 開所してすぐ、02年に、北朝鮮による日本人の拉致問題が大きく取り沙汰された。そのことで、なんの罪もない在日コリアンの人々がいわれなきバッシングに晒された。
 エルファを取り巻く空気もピリピリと緊張する中、「こんな時だからこそ、若い人たちに在日1世の生の声を届けてほしい」との依頼があった。はじめはスタッフへの負担を懸念して二の足を踏んでいたが、利用者らの「下を向かんでもいい、堂々としていればいい」という前向きな姿勢にも後押しされて、見学者の受け入れを決めた。
 「利用者のストレスになるのでは」などの心配は無用だった。学生たちがやって来ると、利用者たちは、まるで自分の孫に接するかのように、満面の笑顔で「よう来てくれたな!」と歓待する。
 引っ込み思案な学生たちも、彼らの底抜けの明るさとやさしさに触れると、心の蓋が自然に開いて、不思議と笑顔になってしまう。一種の「魔力」だ。「みんな仲良うせなあかんよ」という言葉にも、その人生の重みがにじみ出る。
 教科書で読む「在日コリアン」と、今目の前にいる、この魅力あふれる人たちが心の中でリンクする。「この、肚にズンと響くような体験は、教室での授業より何よりも、マイノリティについて考える大きなきっかけになるはず。外部の人たちとのふれあいは、利用者が自身の経験や思いを語ることをひとつの『役割』として捉えてくれる最高のレクリエーションです」と南さん。
 今、「多文化共生」という言葉があちこちで聞かれる。少子高齢化で人手不足に悩む日本の産業を外国人労働者たちが支える光景は、在日コリアン1世たちが身を粉にして働き、日本の復興を支えた時代を思い出させる。
 南さんは「エルファが培ってきた経験やノウハウを広く共有して、多様な人々がともに幸せに暮らす社会を実現するお手伝いができれば」と力を込めた。

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