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『パレスチナ解放闘争史』出版の重信房子さんに聞く 民衆史としてのパレスチナ

2022年5月29日、元日本赤軍最高幹部の重信房子さんは22年という長い刑期を終え、出所した。
 出所後、京都の集会で、重信さんは「自民党を、社会を変えなければならない」と言い、今後、市民運動に参加していきたいと話した。獄中で書き続けたパレスチナ解放闘争の歴史と実情をまとめた『パレスチナ解放闘争史』は、イスラエル·パレスチナ問題への深い憂慮が産んだ一冊だ。同書の出版から1ヶ月が経った今、パレスチナの民衆を取り巻く状況や日本の女性たちの現状、仲間への思いをお聞きした。 (編集部)

・『パレスチナ解放闘争史』とパレスチナ情勢について

かなり長いので、見たい人がネットで見ればいいと思っていましたが、出所したときに、同時に書いていた『はたちの時代 60年代と私』とともに本にしたいと話がありました。『はたちの時代』を先に出してパレスチナ解放闘争史を準備中に、10月7日の事態(ハマースをはじめとするパレスチナ武装勢力による一斉攻撃)が発現したわけですね。それで急いで10万字を5万字に収め(出版し)ようと、正月もなく校正しました。
 本にする際、地名や人名を正確に(記)したり、事実確認が難しかったですね。どうしても厚くなるので、どこからでも読めるように、文章の調整もしました。結局3月に出版されましたが、4月に重版になりました。字が小さいという苦言もありますが、読んで頂けているのは大変嬉しいです。

編…執筆上の軸や視点は?

重信…世の中を良くしたい、世界を変えたいという初心の意志をふまえ、その中で築いてきた立場からでしょうか。向こう(パレスチナ)に行って最初に考えたのは、「自分を変えることなしに世界は変え得ない」という実感でした。一緒に闘った人々の歴史(下からの歴史と言ってもいいんですけど)に寄り添い、人民の解放の観点から書いています。

各国のイスラエル支援の理由は 帝国主義を自己否定できないこと

編 欧米各国の政府がイスラエルの責任を問わないのはなぜでしょうか?

重信…ナチスドイツのホロコーストに対する原罪意識が作用していますが、すが、それだけではないですね。
 一言で言って、「帝国主義が自己否定できない」ことですね。ヨーロッパ諸国は今も植民地支配をしている。アメリカ、オーストラリアも(過去においては)日本の満州国も同じです。国の成り立ちがヨーロッパと同じですよね。帝国主義植民者たちが、先住民を殺して殺して殺すことで国を作ってきました。
 そういう中で、こんな風にパレスチナ人が殺されているという現実を否定できない。素朴にちゃんと見れば、虐殺に過ぎない。でも欧米諸国はジェノサイドと認めない。「自衛」であるという勝手な論理ですよね。
 元々イスラエルとは、「パレスチナ問題」ではなく、「イスラエル問題」もしくは「ユダヤ人問題」なんですね。イスラエルの建国をシオニズムと帝国主義が作り出したことが発端で、パレスチナ人が被害者なんですね。
 本来はホロコーストを起こしたドイツをはじめとする人たちが、ユダヤ人に賠償·謝罪し、その地で共存する、そういう戦後新秩序が作られるべきでした。それを、歴史的な反ユダヤ主義やユダヤ人に出ていってほしいという意味で、植民地だったパレスチナにイスラエルを建国するシオニストを支援し、自国のユダヤ人を減らす。シオニズムと帝国主義支配が共存共栄してるわけです。シオニズムの登場からそれを利用し、ユダヤ資本という巨額な金をあてにして、アメリカも各国も戦争してきました。
 2007年にジョン·ミヤシャイマー教授(シカゴ大学)が、『イスラエル·ロビーとアメリカの外交政策』という本の中で、詳しいデータを駆使して、アメリカでイスラエル·ロビーを離れて議員になることは難しいことを示しました。
 ユダヤ系資本やAIPAC(アメリカイスラエル公共問題委員会)などのイスラエル·ロビーの支援を受けた議員は、イスラエルを擁護する。悪口を言ったら落選運動をされて落とされていく。
 戦略的にシオニストとイスラエル·ロビーが歴史的に作り上げてきたアメリカの政治構造を、この本は暴露しています。欧米各国の政財界がイスラエル·ロビー、ユダヤ系資本に影響を受けざるを得ない構造が作られているんですね。
 ですから、世界の構造を変えると同時にパレスチナ解放を進行させていかなければならないのです。難しいところがあると思います。

編…今、ユダヤ人学生を中心に、イスラエルに反対するアメリカの大学生たちが、学内占拠やデモなどの活動を広げています。これらに注目していく必要があると思います。

重信…そうですね。パレスチナ連帯運動がここまで広がったのは、ジェノサイドに対する米政府のイスラエル支援への強い批判からです。その上、5月1日にはアメリカの下院で、反ユダヤ主義(antisemitism)啓発法案が米下院を通過しました。
 この法案が成立すれば、米国内ではイスラエルに対する発言や抗議が禁止され、米国全土の大学でのパレスチナ支持運動の取り締まりが、法案によって強化されようとしています。日本もそうですが、政治は市民の声を反映していません。
 パレスチナではいつも、何かあれば、世界人権宣言にある抵抗権をベースにして反論します。しかし今、欧米は「反ユダヤ主義」という名の言葉狩りや大学での辞任要求があって、民主主義の危機として、学生たちが立ち上がらざるを得ない状況になっているんですね。それらをもう一度とらえ返す必要があるんじゃないかな。
 ドイツで右派が伸びてきたのも、政府のイスラエル無条件擁護が反パレスチナ、アラブフォビアを産んでいるためでしょう。この間見ていて、ドイツ政府のイスラエル擁護はあまりに酷いと感じています。その分右翼を生んでいく下地がそこにあるんじゃないですかね。シオニズムとイスラエル·シンパシーの「親イスラエル」自身が、右翼を育てている気がします。

編…欧米先進国が、国際法国連決議を無視しているイスラエルを増長させていますね。パレスチナには不利と言われた1993年の「オスロ合意」も、履行していません。

重信…私はイスラエルとアラファトが秘密交渉した「オスロ合意」によって、アラブ側のこれまで主張してきた「包括的和平」(パレスチナ問題の解決なしにイスラエルと国交を結ばない)から、イスラエルが主張してきた「単独和平」(個別アラブ諸国と国交を開き、その後パレスチナ問題を解決する)に変わったと思います。
 アメリカの安保理拒否権行使と同時に、「オスロ合意」のネガティブな要素が、イスラエル国家の国連決議無視や占領に合法性を与えてきたと思ってるんです。
 それまで1970年代には、イスラエル国家を承認する国とPLOを承認する国の数では、五分五分よりイスラエルの方が少ないくらいだったんです。そういう70年代を経て、イスラエルは米国がレーガン政権のときに戦略的軍事同盟を結んで、ハイテク産業の基礎となる財政的、技術的なライセンスをもらいながら成長してきたわけです。
 「シオニズムは人種差別主義である」と、1975年に国連総会が決議したこともあったんです。ところが89年からソ連・東欧が崩れ、湾岸戦争後になると、米の提案でそのシオニズム規定の決議を撤回する決議が、91年に採択されました。
 今では、シオニズム批判と反ユダヤ主義が一緒にされてきています。ですから、イスラエルの経済活動にオスロ合意を経て合法性が与えられている分、「反ユダヤ主義」の定義の領域がどんどん広がってきてるんじゃないかと思うんです。
 シオニズムやイスラエル政策への当然の批判が、「反ユダヤ主義」と拡大解釈され、取り締まりの領域を拡大している。学生たちの抗議とパレスチナ連帯の弾圧もそうですね。

虐殺の背景に油田などの資源略奪 パレスチナの領土自体も略奪対象

編…イスラエルとパレスチナの資源的、経済的争点は?

重信…中東地域には資源がたくさんあって、私が行った70年代は発見されていなかったけれど、80年代になって、シリアなど油田が発見された場所もあります。日本では知られていないかもしれませんが、トルコ国境近くのシリア油田をいまだに米軍が占拠して、石油を盗んでイラク経由で運んでいます。
 オスロ合意では、95年に資源の活用を話し合ったこともあります。イスラエルがパレスチナに22%のパレスチナ領土を統治させる自治原則を決めた後です。アラファトは、そこからパレスチナ国家を作ると宣言していましたが、イスラエルは「国は作らせない。自治のみ」と言い、合意自体は双方が違う思惑のままでした。
 その占領下22%の土地の境界上のパレスチナ側に、90年代に発見されたすごい埋蔵量の油田があって、パレスチナ側はラス・アル・アインと呼んでいる地域ですけれども、イスラエル側がメゲブ・ファイブと呼んでいる油田探査地で、それらの調査をやっていたところなんですね。
 アラファトが生きているときに、この土地を開発することをイスラエルも同意したんですよね。オスロ合意に基づく経済関係、国際的な協力で、パレスチナの財政的支援をやっていたグループを含め、そこに国際コンソーシアム(世界各国から専門家などを呼んで共同研究や売買を行う拠点)みたいなものを招請して発掘すれば、パレスチナの経済的な自立ができるという話だったんです。
 ところが、イスラエルのラビン首相が95年に暗殺されたことで、どんどんオスロ合意が後退していく過程で、リクード党(シャロンやネタニヤフ)が権力を取っていきます。 そうするとシャロンの政策で分離壁を作っていきますね。占領されたパレスチナ領土だったものをイスラエル側の壁の内側に取り込んでしまって、パレスチナのものだった油田を全部奪って、パレスチナ側には何の恩恵もないんですね。

 もう一つは、ガザ·マリーンと言われるガザの沖合の36㎞に、99年に発見された天然ガス·油田です。国連貿易国際会議でも、数千億ドルの富を生みパレスチナ経済を潤すことができると言われてきましたが、これもイスラエルの妨害で開発がされずにきました。
 去年になり、ネタニヤフが仮許可をだし、去年中に開発計画の調印が語られていました。その点でも、ガザのハマース政府を排除することをネタニヤフ政権は考えていたでしょう。
 その他の経済的な資源的争点は、根本的に領土ですよね。土地を奪うこと自体がまず経済的争点。パレスチナの水源にわざわざ入植地を作って、それを取り囲んで戦略的拠点に入植地をどんどん作っていくんですね。そのことによって、パレスチナ側は農地に水が来ないし、使えないとか、そういう形で戦略的拠点を全部奪うことによって、パレスチナ側の農業とか経済発展が、イスラエルに依存しなければできない構造にされていく。そういう意味で経済的資源の争点といえば根本的には占領地、土地ですね。それがまず前提としてあります。

女性として、活動家として

編…重信さんが活動されていた60年代の運動体と、今の運動体で、女性の状況の変化は感じますか?

重信…変わっているところはたくさんあります。去年の憲法記念日に有明で集会があったんですが、発言者に男性がほとんどいなかったんです。メインスピーカーも女性でしたし、共産党は志位さんがスピーチしましたが、あとは社民党も立憲民主党も、みんな女性だったんです。私はそれにすごく感動しました。
 私のいた60年代に壇上に女性がいたことはほとんどないんです。全学連の執行部も、ほぼすべての〇〇実行委員会も男性だし。そういう風景しか見てこなかったので、女性が発言しているというだけで非常に感動的にびっくりして嬉しかったんですね。
 ただ、発言者たちはすごく自立した女性たちですけど、他の分野は変わっていないんですよね。安倍首相がクリントン夫人を呼んで、女性参画ということで何かやってましたけど、男性の補助としての女性という形でしか問題設定されていないのが見え見えでした。
 オリンピックなどのイベントでも、森(元首相)が出てきて、橋本聖子が出てきてみたいな。全部男性社会が作り出す女性なんですよね。
 海外での「自分で考え、自分で行動し」、結果として女性がトップに立ったり、結果として男性だったりという考え方と、随分日本はかけ離れている。
 60年代からジャンプして、日本の市民社会に50年以上経って戻ってきた身としては、まだまだ海外のようにはなっていない、昔の家父長的社会の核は変わってないなと実感していますね。

編…パレスチナでメイさんを産み育てながらの闘争の中で、母親としての葛藤はありましたか?

重信…活動というか仕事というか、それが第一だから、メイには申し訳なかったなという思いがあります。私はメイが生まれてすぐ活動に走り回らないといけなかったので。
 メイが3才位の頃、私がカバンを持たないで出かけようとするとくっついて来るんだけど、大きいカバンを持つと「行ってらっしゃい」って言うんですよね。それはもう連れて行ってもらえないからっていうね。本当にいろんな場面で(メイには)我慢を強いてきた。
 今やってあげられることはほとんどないんです。やってもらうことばかり。あの時代に、もっと一緒に生活できる条件があれば良かったなという意味での反省はあります。
 けど、当時は闘いに最善を尽くし、自分のことは後でしたから、ほとんど会うことはなかった。私が一緒にいたら、彼女を危険にしてしまうという保安·防衛上の観点から、別にいる方がいいと思っていたし。
 私たち親子やドイツ赤軍の親子を扱ったドキュメンタリー映画「革命のこどもたち」の中で、メイが、「物理的に母親と一緒にいる時間は少なかったけど、関係としてはとても良かった」と言ってくれて、ありがたく嬉しいです。
 彼女が7才くらいのとき、私たちが赤軍というグループでパレスチナ解放のために闘っていると話したら、「あら、随分前から知ってたけど、あなたたちが知らせたたくないみたいだったので、知らないフリしてただけよ」って言われて(笑)。
 「大人を守らなくちゃ、この人たちはちょっとアラブ社会には疎いので」という感じで、なんか非常に助けてくれる娘でしたね。随分助けられたなというのが実感です。

好奇心、楽観的、使命感と正義感 どこにいても自分らしく生きる事

編…パレスチナで30年間も闘ってこれたのはなぜでしょうか?

重信…育ち方というか、性格というか、まず好奇心が強いんですね。子どものときから、どこに行っても楽しいことを探すという風で、きっとそのときは大変だし、辛いと思ってると思うんですけど、振り返るといいことしか思い出さない。まあ楽観的なんでしょうね。
 父の影響もあったし(重信さんの父親は、重信さんの活動を最後まで支援し続けた)。当時の学生たちはみんな使命感·正義感があったと思うんですよね。ベトナムに平和を実現しなければと立ち上がった人たちもそうです。それは私も持っていたし。
 闘った人たち、遠山さん(連合赤軍リンチ事件で亡くなった重信さんの友人)への義理や、リッダ(闘争)で先に闘って亡くなった奥平さん、安田さんとかが切り開くことを夢見ていたものを、私が引き受けてやっていかなきゃという思いもありました。だから「べき論」もないし、いいことはいい、悪いことは悪い。間違っていたら反省して謝ればいいという、意外と自然体でしてきたことが良かったんだと思います。
 だから獄中でも、ルールの中で改善を求めることに生きがいを見い出したり、書き物をしたり。
 人が好きなんですね。きっと。人間は必ず通じる回路があるはずだという思いがあって、上手くいかないとしたらどうやったらいいのかなって考えるとか。「人との活動は革命だな」と思っていたことも、へこたれないというか、私としては当たり前の生き方としてありました。今もそうですけどね。
 あるとき父が手紙で、「禅の言葉だが」と言って「いつも『随所に主となる』を心がけなさい。『随所に主となる』というと、お前はどこにいてもリーダーシップを取ると思うかもしれないが、そうではない。どこにいても自分らしく生きること。これが『随所に主となる』ということだ」って書いてきたことがありました。
 意識せずに、自分らしく自分にできる範囲でという感じでやってきた。無理しないから、負荷もかからずに元気にやれたのかなと思います。

編…これからを生きる若い活動家たちへメッセージをお願いします。

重信…メッセージを言える立場にあるとは思えないんですけど(笑)。思った通りにやって、一歩踏み出して失敗したら、またそこから学ぶことができる。日本では、失敗したら「敗者復活」がないんですよね。けど、それをやってのけた人もいる。だから、敗れてももう1回復活できる社会を作っていかないといけない。 『はたちの時代』にも書きましたけど、「賢者は歴史から、愚者は経験から学ぶ」っていう言葉があるんですけど、私は経験こそ大事だと思うんですね。自分の生活圏から出て、新しい経験をすること、新しいことにチャレンジすること。新しい人に出会うこと。経験を広げることで自分を対象化する領域が広がるし、対象化できないと過ちをより多く作ってしまう可能性がある。私の反省から言えば、「唯一これが正しいんだ」じゃなくて、正しさは色々ある。自分を対象化することで確信を深める。そういう闘い方が必要なんじゃないかな。
 昔は、「我々」と言いながらぞろぞろっと一団になって闘うことができたけど、今は「私は」の時代ですよね。だから、ひとりから出発して、主体性を持って闘うことに難しさはあると思う。
 でも、それは間違ったら変えたらいいという自由度だと思います。社会の同調圧力や目線を気にせず、自分らしくやっていけばいいという風に、気軽に考えてやっていってほしいなと思います。

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