連載 東京五輪 中止・廃止へ 批判の嵐・市民不在の聖火リレー 「それでも強行」をどう考えるか

神戸大学大学院教授 小笠原 博毅

 「〜ウォッシュ」という言い方がある。「ホワイト・ウォッシュ」といえば実態を隠した上辺だけという意味だし、そこから敷衍させて「グリーン・ウォッシュ」とか「SDGsウォッシュ」といえば、一見環境に優しいふりをしてその実、何もやっていないことの比喩として使われる。
 「スポーツ・ウォッシュ」もその亜流だ。フェア・プレーやひたむきさ、筋書きのないドラマ、はては「オリンピックが中止になったら努力してきたアスリートが可哀想」などという薄っぺらい同情論を動員し、スポーツの仮面をかぶせることで矛盾、不正、不都合を手つかずのままにしておくことだ。東京オリンピックはこの「スポーツ・ウォッシュ」の典型として機能している。
 さらに3月25日に福島のJヴィレッジを出発した「聖火」リレーは、森喜朗前オリンピック組織委会長の「口害」から始まり、続々と明らかになっていった組織側の旧体質への批判的注目を「ウォッシュ」することが期待されていたはずだ。
 東京大会のボロが出れば出るほど、「本来の」「理念通りの」オリンピックへの期待や、オリンピック運動の意義への回帰が強く叫ばれるようになる。「今」がだめなほど、理想的な「本当の姿」が強く逆射象される現象である。
 理念へ回帰するための小道具の一つが、「聖火」になるはずだった。しかしその「聖火」がいまや、文字通り火の車である。
 そもそも聖火リレーは、オリンピックの炎(flame)か松明(torch)リレーでしかないものに、「聖」を冠化して臭いものに蓋をするが如きものだ。ナチスドイツが1936年のベルリン大会で考案・実現させたものであることは、もはやよく知られている。
 著名人によるリレー・ランナーの辞退が相次ぐ中で、それでもスポンサーや周囲への忖度から走らざるをえないタレントや使命感を負わされたような顔の市民ばかりがメディアに取り上げられている。ランナーが走る横には、スポンサー企業であるコカコーラ・レッドに塗り固められた四㌧車が並走する。
 おまけに、パンデミック対策として市民は沿道に出ないよう当局から要請されている。この無理矢理な風景の創出を、どのように考えたらよいだろうか。予定されていたプログラムを進め、オリンピックを構成する既成事実をなんとかして積み上げ、早く「やったこと」にしなければいけない、そんな焦りがムンムンと漂ってくる。
 そしてコカコーラ・レッドのトラックを前にして、「復興」を祈る一般市民の姿はどこへ?なんのための「聖火」なのか?といった批判が、驚きと怒りのトーンを伴ってそこかしこで表明されている。
 だが、おかしな話だ。「聖火」もおかしいが、スポンサーまみれの「聖火」リレーに対して驚く姿勢自体が、「聖火」そのもの以上におかしな話なのだ。
 コカコーラ・レッドのトラックに驚くなど、ナイーヴにもほどがあるし、それこそ「聖火」になにか神聖な救いを求めている証拠ではないか。その背後には、どこかでオリンピックは「本来」意義のあるものだ、あってほしいという期待が隠れているのではないか。
 今目の前にあるオリンピックの現実こそ、100年以上かけてIOCが作り上げてきたオリンピックの姿、紛れもない真実の姿だ。それを必死に否定し、その事実を振り払おうとしていることにならないだろうか。グローバル・スポンサー企業の商業戦略の一部となることでしか、オリンピックは存続できなかったという真実を「ウォッシュ」しようというのだろうか。
 私たちは、2008年の北京大会の際に長野県内を走った「聖火」リレーの現場を何度も映像で見たはずである。開催国中国の国旗の赤よりも、そこかしこに設置されているコカコーラ社のテントと旗の赤色のほうが遥かに目立っていたことを、私たちはすでに目にしていたはずなのだ。
 それを今さら「驚き」の目で見てしまうのは、東京大会は「本来」のオリンピックに戻ってほしいという、虚しさを通り越して、「オリンピックという名の虚構」に幻惑させられてしまっていることを告白しているようなものである。
 それは例えば、2016年のリオ大会後の自治体の財政破綻や施設の放置による廃墟化を、「あれはブラジルだから。日本でやればあんなことにはならない」と言うたぐいの、根拠なき差別心と優越感も顕わな自民族中心主義と大差はない。
 「聖火」ウォッシュは失敗している。誰しもそれに気づいているのにやめられないのだから、もはやそれは「恐怖劇場」と呼ぶしかない。それを止めさせない限り、私たちもその「恐怖劇場」の一部であることに変わりはないのではないだろうか。

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