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新型コロナと「ニューノーマル」の実相 循環的な地域づくりへ転換を

編集部 山田 洋一

 コロナ禍で「ニューノーマル」が日常語になりつつある。9月の論説委員会は、この事象を論じた。 この言葉自体はリーマンショックを経て、「新たな常態・常識」が生じているという認識に立った表現として登場。世界金融危機を経て、経済関係者の間で流行語になった。そして今、新型コロナウイルスによる新しい生活様式の変化を指して再び注目を集めている言葉だ。
 これを打ち出した(株)電通は、「ニューノーマル」に関して、「未来予測カレンダー」を提案。彼らの現状認識と未来予想を提起している。それは次のようなものだ。
 ①「接触しない」社会=マイナンバーの普及促進も含め、紙・捺印に代表される事務作業のデジタル化を官民で加速度的に進める、②旅、イベント、スポーツの価値が再認識される、③接触確認アプリなど、安心して「接触」するためのテクノロジー開発が進む、④社会の多重化(多拠点志向や居住エリアの嗜好の変化、働き方改革)が進展する。
 そのうえで、「5G/IoT関連を中心にDX(デジタルトランスフォーメーション:データとデジタル技術を活用し、製品やサービスなどを変革する取組)はおよそ5年早まり、25年以降だと思われていた全てがつながる社会は早く来る」と予想している。実際、在宅ワークは、猛烈な勢いで浸透しつつあり、ヤフーや富士通などは、大々的にテレワークにシフト。大都市圏では過半数の企業が、日本全体でも3割の企業が在宅勤務へ移行したとされる。
 しかし一方で電通は、「全国20~70代の男女2000人を対象に行った調査結果」を示し、「自然に触れ合うことは人間にとって大切である」、「家族・友人との暮らしを大切にしたい」といった人間本来の欲求に忠実な「人間性の回帰」が求められる、とも結論付けていることに注目したい。
 大きな厄災の中では、日常が奪われると同時に、隠れていた社会や人間の本質が露呈する。それは、自然環境を破壊し、気候危機を生みだした資本主義の矛盾や、デジタル化の進展の中で身体性を失ったコミュニケーションが人間に何をもたらすのか?という問いにもつながっている。
 大量生産・大量消費・大量廃棄を「豊かさ」と強弁するグローバルな生産システムの脆弱性と矛盾は明らかになりつつある。ニューノーマルは、そうした「豊かさ」や「利便性」を根本的に問い直し、「競争による効率化」という呪縛から解放されることでなければならないだろう。
 それは、共生・自治を基本理念とするコンパクトで循環的な地域づくりと呼ぶべき未来像かもしれない。
 コロナ禍をとおして「自然に触れ合うこと」、「親しい友人や家族との時間」を重視したいと考えている人は、多数派になりつつある。根本的には、自然からの問いかけに耳を傾けることが肝要だ。さらに深くその声を聴くためには、「自分を空っぽにする」ことが必要だ。人類は、肥大化した欲求の実像を自覚し「自分を空っぽにする」ことができるのかが問われている。  

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