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ミャンマー 軍部クーデター再び  ロヒンギャ虐殺 追訴回避が目的か?

マウン・ザーニ、『デモクラシー・ナウ』2月3日

 軍がミャンマーと改名したビルマで軍事クーデターが起こった。軍部とアウンサンスーチー政権の両者から迫害された、ロヒンギャ族の亡命学者で人権活動家のマウン・ザーニ氏が米・「デモクラシーナウ」のインタビューに応えた。一部訳出する。      (訳者)

 国軍はアウンサンスーチーと民主主義ゲームをやってきたが、選挙で民衆から軽視され、多くの点でペテンにかけられたように感じたのでやめた。民政復帰の時軍部は25%の議席確保特権の約束があったが、民衆は軍に投票しなかった。またスーチーは選挙で自党の国民民主主義党候補にコーコージーなどの民主化活動家を排除したり、首相でもないのに「私がすべてを決定する」と宣言するなど、権威主義的傾向が目立って、かなり確執があった。
 またミンアウンフライン総司令官は、ロヒンギャ虐殺に関して人道に対する犯罪者という容疑があった。軍は米国議事堂乱入事件や中国やロシアの人民弾圧など、右傾化傾向を見て決心をしたようだ。
 バイデンはビルマの制裁を示唆したが、米国の援助は大した額ではない。それよりこの状況は米国にも責任がある。2010年に軍部が西洋民主主義の受け入れを決心した時、米国は民間人の民主主義に対して軍部は摂政役を担えばよいという、限定的民主主義形態を進めた。そのためその後10年間、スーチー氏が舵取りをする嘘の民主化が続いた。その嘘を軍自身が潰したのだ。
 昔スーチーが自宅軟禁されていた頃、私は彼女を自由にする運動を行った。米国で軍政ビルマをボイコット・脱投資する運動を展開した。しかし、民政復帰で、事実上ビルマの統治者の位置についたスーチーは、ICCでロヒンギャ虐殺の事実を否定し、軍部をかばう証言をした。人権活動家、民主化運動家から、軍部擁護者・スポークスパーソンに変身するスーチーを見て、私の心は痛んだ。
 スーチーの理由は二つ。一つは、父が75年前に設立した国軍を懐柔し、将軍たちを兄弟と呼べば、軍部は自分に協力し、やがて兵舎に戻るだろうと計算したこと。だが、軍は民主化や民主主義理念に関心など持っていない。二つは、スーチー自身が反ムスリムの人種差別者であること。軍部や一般国民と同じように、ロヒンギャをビルマ国民と認めないのだ。
 軍が国政を握ったことで、我々ロヒンギャへの抑圧はいっそう苛酷になるだろう。軍のロヒンギャ虐殺は70年代から始まった。今やビルマ国内より国外に散っているロヒンギャの数の方が多い。野外刑務所のような難民キャンプ、強制収容所、密林に隠れて暮らし、その他バングラデシュで難民生活をしている人々。軍がその人々の帰国を歓迎するはずはないし、誰もアウシュビッツに戻る人はいないだろう。 (翻訳…脇浜義明)

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