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コロナ禍の世界 新年対談後編 エッセンシャルワーク・マイノリティ 労働を差別する資本主義をなくすために 社会学者・菊地夏野さん×酒井隆史さん

 フェミニズムと反資本主義の結合を訴える『99%のためのフェミニズム宣言』。これに解説を寄せた菊地夏野さんと、デヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ』を翻訳した酒井隆史さんの新年対談。前号は社会変革の言論や運動をラディカルな次元に戻す必要性を語って頂いた。今号は、金融や軍事や煩雑な事務などの『ブルシットジョブ』(不要な労働)が牛耳る今の世界から、必要な労働=社会的再生産労働が真に重視される世界への転換について聞いた。(編集部)

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気候変動難民8割は女性
編…気候変動やコロナ被害は資本主義が根源的な問題だと日本でも語られ始めています。一方フェミニズムの観点から語られることが少ないと思います。しかしコロナのケア労働(家事・育児・介護・医療など)の負担や失業被害は、資本主義による女性差別も露わにしたと思いますが…。
菊地:ネオリベラリズムの特徴は、ケア労働/社会的再生産労働の「私企業化」です。家庭のケア労働を個人に押し付けるとともに「商品化」し、エリート層はお金で再生産サービスを購入するようになりました。その結果、人々は賃労働に駆り立てられています。その中で女性は労働と消費の両方に動員されています。賃金労働も家事育児労働も、女性の負担は増える一方です。そしてコロナで決定的な打撃を受けました。コロナ禍で最も被害を受けた飲食・観光などサービス産業は社会的再生産セクターの一翼であり、女性労働者が主力だからです。また、一斉休校による子どものケアは、ひとえに女性の肩に掛かりました。


 「家事労働に賃金を」という運動が70年代に欧州で盛り上がりました。女性が「愛の労働」として、無償労働を国家と資本から強制されていることへの異議申し立てです。08年金融危機などネオリベラリズムの部分破綻状況の中で、この声が再び大きくなりました。
 ネオリべラリズムは、それ自体への抵抗やカウンターカルチャーをも吸収してゆがめていく特性があります。そこで『99%のためのフェミニズム宣言』は、フェミニズムを資本主義体制内での女性の活躍へとゆがめていくことを批判していますし、改めて環境問題の重要性を主張しています。自然は社会的再生産の基盤なのです。気候変動で難民化した人の8割が女性であり、自然災害で女性が亡くなる割合が男性より14倍も高いように、自然破壊の被害は女性と子ども、マイノリティにより重くのしかかります。したがって、フェミニズムの視点が欠かせません。

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 日本では80年代以降、自然環境の問題がフェミニズムと切り離して認識されがちです。当時、有名な「エコフェミ論争」で、上野千鶴子さんが「自然と女性を結びつけるのは保守主義だ」と図式的に批判したことが影響しています。
 それまで環境運動は女性が中心で、チェルノブイリ原発事故の時も女性が汚染を計測しました。こうした実践とフェミニズムが切り離され、「自然のことなんか言う古い人たち」というイメージさえ生まれました。その損失は大きく、前回述べた福島原発事故の放射能問題などに知識人やフェミニストが対応しきれていないことにつながります。コロナを機に振り返り、変えなければいけません。
編…在宅ワークの普及で、自分の仕事を再考する人が増えたように、「エッセンシャルワーク」の言葉の普及で、社会的再生産労働が自分の生活を支えていたことに気付かされた人も多いのではないでしょうか?
酒井:「エッセンシャルワーク」という言葉が普及したことと、私たちが翻訳にかかわった『ブルシット・ジョブ』が予想をはるかに超えて反響を呼んだことはつながっているでしょう。ネオリベラリズムの枠からは見えてこなかった労働状況が浮き彫りになったのです。


 まずパンデミックのもとで、「経済」が停止しても不可欠な仕事が「エッセンシャルワーク」というかたちで可視化した。それが逆に、「不要な仕事」の存在を浮き彫りにした。そのことで、現代社会では効率性をうたいながら、実は「不要な仕事」、すなわち「ブルシットジョブ」を増殖させているという議論を説得力のあるものにしました。
 さらに、たとえば労働そのものを道徳にするような価値観、「労働至上主義」のような価値観も自分で納得させきれていないという実感と共鳴したのではないか、と思います。つまり、なんでこんなことまでして働かなければならないのか? こんな仕事必要なのか? なぜこんな説教聞かなければならないのか?なぜこんなに会議は長いのか? なぜこんな書類作成にここまで労力を割かねばならないのか? などです。それに対し、「エッセンシャルワーク」の実質は人命に不可欠な「ケア労働」でした。
菊地:在宅ワークに移行できた人の多くは、安定した雇用に就けている男性正社員です。在宅ワークの世論調査をみると、男性と比べて女性は家事時間が増え、ストレスが増えていると答える人が多いです。
 ケア労働の価値は常に言われてきましたが、安く使われる構造は変わりません。コロナが収まったら、もとの資本主義的価値観に戻ってしまう危険性があります。「ケアは素晴らしい」「医療従事者に感謝しよう」といった言説の消費だけで終わらせてはなりません。


 『宣言』の意義は、家族制度は支配的な価値観、性別二元論と異性愛主義を再生産する装置だということを明言しているところです。男性中心のカップルで構成され、男性に賃労働至上主義を、女性に再生産を押し付ける家族制度は差別的で、性的マイノリティを排除しています。
 しかし、左翼は家族制度への批判的認識が弱いのです。資本主義は批判するけれど、「家族は解放区だ」という認識の人もいる。家族は抑圧装置でもあり、特に日本の場合ナショナリズムの源泉であることを踏まえるべきです。それはネオリべラリズムへの真の批判になります。また、白人や「先進国」の家庭が、有色人種や第三世界の「家政婦」を雇って搾取することを批判する、「植民地主義」批判の観点を取り戻すことになります。


 つまり、ネオリベラリズム資本主義のケア労働軽視は、「マイノリティの労働」の軽視を意味しているのです。労働の内容だけでなく、「誰がやるか」で差別することが本質なのです。
 また、世界銀行やIMFはコロナで苦しむ医療体制の弱い貧困国を対象に緊急ローン対策を発表し、医療を民営化させ、さらなる社会的再生産の私企業化を企てています。結局最も被害を受けるのが、マイノリティ女性なのです。


編…ケア労働の重視や差別撤廃を、掛け声で終わらせないためには?
菊池…まず、ケア労働者の待遇改善を求めた裁判を、ヘルパーの伊藤みどりさんたちが起こしました。転換のきっかけになればいいと思います。
 また、日本政府のコロナ政策は、世界各国の中でも際立ってジェンダー差別に基づいています。当初、低収入階層の世帯主の減収分だけを補償し、パートナーの女性の分は全く考慮しないという案を提出しました。批判により取り下げられましたが、次に給付金の申し込みは世帯単位なので、DV被害者の元に届かないことが問題になりました。支援団体の動きで受給できるルートが作られましたが、世帯単位の申し込みは変わりませんでした。


 しかも休園休校となった保護者向けの支援金を、接待業や風俗で働いてる人には支給しないという差別的な政策を出し、批判を受けて是正しています。貧困女性やセクシャルマイノリティが多く働いている「夜の街」をバッシングし、時短や休業要請で働けないようにしてしまう。それで対策を取ったことにする。現在は飲食店への時短が強制されていますが、これも社会的再生産軽視の政策です。
 その中で昨年9月、セックスワーカーの持続化給付金対象からの除外は違法だと、当事者が裁判を起こしました。女性・マイノリティ差別の政治への批判という意味で、裁判への支援と注目が必要です。
 セックスワーク運動の主張は、自己決定の尊重で、職業で差別されるのはおかしいというものです。しかし、それだけで終わってしまうと、背後にある資本主義や性差別全体の問題に届きません。セックスワークへの差別は、資本主義や家族制度で女性を分断することにつながっています。社会的再生産の軽視や差別が、資本主義の構造的な問題であることを見抜いてほしいです。ケアやセックスワークの当事者運動は、世界的には目を見張るほど発展しているのです。


酒井…私には予想外だったのが、近年ネオリベラリズム批判が日本でも遅ればせながら始まったと思ったら、「ネオリベラリズム」だけの批判にとどまりました。それがナショナリズムや保守主義を通して、日本の戦後保守体制を懐古的に肯定するといくという空気に変容してしまいました。
 ところが支配層は違います。前号で述べたように、中止になった昨年のダボス会議のテーマが「グレートリセット」でした。この会議の基調レポートを読むならば、支配層の危機感の深さがわかります。彼らは、現在の危機が数百年にわたる「資本主義システム」そのものの根本的危機ということを、よく認識しています。
 ところが日本語圏での批判的潮流は、こうした危機感の高まりの中で、内閉化していったように思います。かつてはカッコに括られて疑問視された事象から、カッコが外されていきました。「国民」や「民主主義」が典型的です。カッコにくくる態度は、現在ほとんど自滅的です。
 『人民新聞』で以前述べましたが、社会運動が長い文章で批判的に振り返られることが少なく、それをめぐる論争も生まれなくなり、その分SNSでの罵倒が目立つようになりました。気の滅入る光景でした。安倍政権がひとり、その強権的態度において敵視される傾向がありますが、日本全体が同じ気質に染め上げられた印象を、この10年は抱いていました。


 しかし世界に目を向ければ、数年前に『ニューレフトレビュー』誌が感嘆したように、ウェブ文化の普及を活用しながら左派の言説空間はめざましく活性化しました。もちろん、#BLMなどに代表される「ミレニアル・レフト」世代の台頭と軌を一にしています。
菊地:英語圏だと、そうした左派言説空間の中に常にフェミニストやクィアがいます。日本だと左派系メディアがフェミニストを入れるのはフェミニズム特集ぐらいで、それも本当に減りました。海外の小説では、ポストフェミニズムという言葉が普通にサスペンス小説で語られたりしており、存在感が全然違います。


酒井…そうした感性の変化は、小説や音楽、テレビドラマ等々を通して伝達され、共鳴をみせているようにも思います。福島第一原発事故から始まり、安倍長期政権で彩られた日本の「暗い時代」も、気候変動への意識の変化などで変化を始めているようにみえます。その変化をどこに向けるのか、これは「エリート」の仕事ではなく、それこそ「人民」の仕事だと思います。(終わり)

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