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皆勤賞の有効性?

 noteトップページのお勧めに何の因果か“皆勤賞”なるトピックが表示されていましたが、なぜそんなものをわたしにおすすめするんだいnoteくん。
 わたしはもらったことは無いけれど、小学校の頃、わたしの一番お気に入りの友達が皆勤賞を取ったことがありました。あまり喜んでいる風には見えなかったような記憶があります。本人からすれば当たり前のことで褒められて嬉しくても何ともなかったのかもしれません。
 わたし自身はどうかといえば、皆勤賞から最も縁遠い生徒でした。何かと体調を崩す子どもでした。学校に登校した日でも、休み時間にてんとう虫を眺めていて始業のベルが鳴ったことに気づかず、結果として授業をサボったことを思い出します。本で読んで知っていましたが、実際にてんとう虫がアブラムシを食べているところを見ることができて楽しかったことを覚えています。叱られたかどうかは覚えていません。今思えば、大人たちは扱いに困ったのではないでしょうか。常にぼんやりしていて叱っても聞いているのかいないのか。まったく、寛容な人々に囲まれて成長したわたしは幸せ者です。
 皆勤賞に話を戻せば、記事の多くが皆勤賞不要論に傾いているようです。もらったことも与えたこともないものについて、語るのはおこがましいかもしれませんが、わたしは大人にこそ皆勤賞が必要なのではないかと思います。しかしそれは人にもらうのではなくて、自分に自分で与えるものです。noteは連続で記事を公開すると、完了画面で褒めてくれます。ちゃんと日数も数えてくれています。第1日目が今日かと思いきや、すでに投稿された記事を編集し直しても、noteくんは新規記事と同じとみなして、数のうちに入れてくれるようです。優しいですね。そういうわけでこの記事は3日目になります。ずるいですね。誰にも損はさせていないので、よしとします。大人の皆勤賞365日連続投稿を目指します。

2024/05/01 乙丑


日光と水と土とあなたの100円で、花が咲くかもしれません。