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十五年目(豊田女子高生強盗殺人事件)

十五年

論語によれば志学の年齢でもあるが、嘗ては殺人事件における時効の成立する年数でもあった。今年、その15年目を迎える(た)未解決事件は案外多い。例えば、先日現地取材した市原市で起きた姉崎高齢資産家男性連続殺人事件、或いは金沢久安独身男性殺人事件等
今回は時効撤廃における光と影それぞれについて強く感じたことを書く。

あらかじめ豊田署に今年の広報活動はいつ行うのか問い合わせてみると
「モロ日(事件当日)の2日ですね」とのことだった。
愛知県警はこの手の情報はオープンだ。
名古屋西区主婦刺殺事件の広報活動について問い合わせた時も実に丁寧な対応だった。それに引き換え神奈川の某署はなんだあれはの一言。頭が固すぎるのかわからぬが言葉ひとつで印象は大きく変わるものだ。記事にも書いたが、ある未解決事件で公開されているイラストについて「被害者」なのか「被害者と一緒にいた人物のひとり」なのか情報が割れているから、どちらが正解なのかと問い合わせたところ「強行犯(係)から連絡させます」とだけ。数日待たされた挙句に「捜査に関する情報は一切返答できない」のひとこと。では、広報活動の予定はないのかときくと同じ回答。正直呆れた。こんなの公開情報でも何でもない。こんなだから情報も寄せられることもないし、その結果が未解決なのだ。
逆に「タクシー強盗殺人事件」の件でチラシを求め、平塚署を訪ねたときは実に対応は丁寧だったし好感ももてたが、同じ神奈川なのにこうも違うものか。某署はこういった凶悪犯罪についてはからっきしなのであろう。重要なことなので繰り返すが、情報の切り分けやアップデートは必須なのである。こういうところで兵庫県警や愛知県警に水をあけられているとすれば、納得もいく。それだけにこの事件や豊明母子殺人放火事件も何とかその地道な努力が実を結び解決されることを祈らずにはいられない。

5/1 早朝

まずは石碑に一輪の花を手向けて合掌する。今年も良い報告はできなかった。

石碑に花を手向ける

現場を訪れるたびに風化の度合いは増す一方…

歩道拡張工事現場

実際、トヨタ紡績の移転に向けあちこちに人の手が入り始めている。

民家やビニールハウスも姿を消した

この先、こういった取材も難しくなるかもしれない。愛美さんの通学路であった農道もいつかアスファルトの下になる日が来る。そのときどれほどの記憶がこの地に残っているのだろう。

若林東町へ
昨年の取材において、この地の農道は少なくとも「変質者ロード」なる不名誉な異名をとった過去はないことは明らかにできた。ただ一つ、引っ掛かるとすれば、4/25に暴行未遂事件の発生した若林東町のほうである。二つの事件に共通項が全くないわけではない。小柄に見える愛美さんに激しく抵抗されていることからも体格差があまりなかったのでは?と思うフシもある。若林東町の犯人も小男だったとの情報もあるし、何しろその一週間後にという点も気にはなる。
情報を纏める。具体的な番地まではわからないが若林東町内。おそらくは豊田南高校付近の農道でおきであろうヘルメット姿の小柄な男による暴行未遂事件。
最寄り駅とされる若林駅からナビを頼りに豊田南高校へと向かう。駅から学校の間には農道はないが、裏手はまんま農耕地帯である。

この農道か

このあたりで間違いなかろう。
おまけに「犯罪多発地区」の為、防犯カメラ設置なんて看板まであった。

犯罪多発地区の看板

「変質者ロード」なるそのキャッチーなフレーズが事実だとすれば、或いはそうなのかもしれない。だが、その犯罪なるものが必ずしも性犯罪とは限らず「車上荒らし」である可能性も残るし、後述するが生駒町ではそういうことはないと幾つも証言を得ている。確証に至る証言が欲しかったが、人通りもほぼない。そんななか近隣住人の何人かには話も伺えはしたが、未遂事件であること含め当時のことを記憶している人はいなかった。それは仕方ない。時間がたちすぎているのだろう。これがまだ、数年後程度であれば具体的な情報も或いは得られたかもしれないが、これもまた現実である。この日は特に収穫はなかった。

5/2 広報活動

今回は宿泊地に「知立」を選んだ。現場へも豊田市の中心地である北部よりずっと近い。昨年と同じく「豊田市駅」を目指す。

豊田市駅

その北部といっていい場所だ。今年も捜査本部の刑事と話ができるだろうか。何しろ15年目の節目であり、今年は献花式くらいは行うのではという淡い期待もあった。チラシを受け取り「今年は献花式は行うのですか?」と話しかけたら「この事件は…どうだったかな。話は聞いていませんね」とのことであった。逆を言えばほかの事件では行うこともあるということかと邪推してみる。これもまた風化のひとつなのであろう。今回は心ばかりではあるが情報提供もさせて頂いた。詳細については差し控えさせて頂くが、それについて話をした捜査本部の担当刑事氏も「確かにおかしいね」と首をかしげるような内容であったことだけはご報告しておく。この情報が解決に繋がるとまでとはいいきれないだろうが、少しでも事件が動くきっかけになればと願ってのこと。今年のチラシには「ささいな」情報で構わないとある。
その際、この事件について記事を書いている旨を話したら「これからも是非ご協力願います」とチラシを一杯頂いた。

今年のチラシ

感無量だった。これからも少しでも情報拡散のお手伝いができたら幸いである。
事件が解決されるその日を信じ、ここからまた闘いの日々が始まった。

現場百回

献花式がないのであれば、現場付近をひたすら歩き、誰かがいれば話をきくその繰り返し。暑さも昨年ほどではないし現場百回というではないか、収穫ゼロのまま帰るわけにもいかない。
だが、事件そのものを知らないひともいたし、話かけたら外国からきた農業実習生だったり…なんてこともあった。当日は「仕事だったからあとで知った」というのも当たり前の話であって、昨年の取材の記事に「平日夕方に現場にいること自体が勤め人にはハードルが高い」と書いたことを思い出した。ご興味のある方は昨年の現地取材記事の考察部分を参照されたい。

工事は着々とすすむ

恥ずかしながら「TBロジスティクス」の「TB」が「トヨタ紡績」の略だと今更気づいたりもしたが、これには反省。まだまだ足りない。そんななか「最近は、警察がくることはなくなった。四年くらいはきてないんじゃないかな」とは当時を知る喫茶店のママの弁。高岡公園の駐車場にとめた車内に財布を忘れていることに気づくも「食べてからでいいよ」とのことで店には迷惑をかけたが、この場を借りて御礼申し上げさせて頂く。
大抵は「事件のことは覚えているが、その子がどんな子かもしらない。ただそういう事件があったとしかいえない」で終わってしまう。
映画「とら男」にもそんなシーンがあった。かや子による聞き込みそのままの光景。実にリアルでシビア。殺人事件における時効が撤廃されたこと自体は喜ぶべきことだがその裏で、事件発生当時の記憶は薄れ、やがて証言できるひともいなくなる。由々しきことではあるが、それもまた現実。人間の記憶にも旬があるし生命にも刻限というものがある。風化が進めどそれでも事件は解決しうるのか?寧ろ限られた時間だからこそ解決しうるものなのではないのかという疑問も残った。
現場近くの農家の方に話を伺う
「犯人も死んでるんじゃないか?そう思うことがある」と言う。
「どうしてそう思うのですか?」ときくと
「A社の社員が自殺したからその人がそうなん違うかというはなしがあったんよ。事件が起きた日は記者連中がタクシーで乗り付けるもんだから大渋滞が起きるくらいやったんが…それがもう…事件のこと話してくれいうてきたんも何年ぶりか…そんなんで犯人ももうこの世におらんから解決せんのかなと」
「警察もここ四年くらいきてないそうですね」
「事件が起きてしばらくしてSという刑事やったか『必ず解決してみせます』いうてたんよ。結局、それっきりやしそんなもんかもしれんが」
言葉が見つからなかった
「本当にこれだけこの事件だけなんよ それだけになんとかならんのかと」「変質者云々もないそうですね」
「昔はひともおらんかったし、ここは田んぼだけやで」
あの話はもういいだろう。変質者がらみの流しの犯行ではない。
「同じ集落の子が殺され、仇とってやりたいという気持ちはあるが、とはいうもののその子をみたこともなければ、そういう事件があったとしかいえないんよ。親のほうは何度かあったことがあるが、それ以上のことはわからん。変わったこともなかった。そんなやからあんたとか警察に頑張ってもらうしかない」
「直接逮捕はできない身ですが、追い詰めることはできると思っています」その一言しかない自分が恨めしかった。

現場近くに新たにたてられた看板

事件の風化に抗うように情報提供を求める真新しい看板がたてられていた
殺人事件に時効はないから終わりもない犯人は必ずいる
終わらせるために何をすればいいか我々が「諦めない」ことは勿論のこと
ここで「とら男」の舞台挨拶での中谷内先生の言葉が脳裏をかすめる
「犯人は自白するしか終わらせることはできない」
そろそろボロを出してもおかしくはないのだが

再考

ここでもう一回事件をおさらいする
警察の見立ては車両で逃走したということだし、
現場付近に駐車も可能ではあるが、ならば
「なぜ証拠品を現場に残し放題だったのか?」
「車なら遺体や自転車も運べたのではないか?」

という疑問、逃走手段は
①徒歩
②自転車・原付・バイク
③車

という選択肢になる。私の考察は高岡公園に駐車後、徒歩で現場に向かい待ち伏せた可能性が高いと考えているが、

高岡公園駐車場跡

勿論その他の選択肢を完全には排除できるものではない。

不審人物目撃地点詳細

仮に若林東町の未遂事件の犯人が、そうだったとしよう。前週の失敗を受け場所を変えて再犯に臨んだとすれば、逃走手段は②の原付になる。そうであるならば、上記のif(どうして証拠を回収できなかったのかor遺体や自転車を運べなかったか)に対する回答になる上に「決定的な目撃情報もなく現場をあとにした」ことへの説明もつく。だが、本質という部分ではどうだろう?少なくとも未遂事件では「執拗に殴打を繰り返した」事実はない。その辺がどうも腑に落ちず、異質の事件であるように思えてならないのだ。
加えて生駒町の現場近くに被害者の通学していた高校があるわけでもないから、要は「見出しだけが酷似した」事件。
そして「なぜ鞄だけはきっちりと持ち去ったのか」という疑問にぶちあたるのである。原付にまたがりジャージ姿でアディダスのスポーツバッグを背負った小男の姿も相当に奇異な印象は受けるし目撃情報が出てもおかしくない。財布は被害者宅にあったとの情報もあるし、ジャージも犯行後に犯人が着たものとしよう。泥だらけだった筈なのでそれが一番合理的であるが、現場に灯りの類がないこと含め、何かを明るいところで確認する必要があったので持ち去る必要性があったのではと思われる。加えて教科書+ノート22冊分の重みに耐えるだけの理由や犯人にとっての価値は必ずある。
おそらく手紙・脅迫文の類を回収したか、携帯が現場に落ちていることに気づかなかったか、そのどちらか或いは両方ではないか。
岡崎で遺棄した理由に関しては
「陽動目的 逆方向に犯人はいる」という西村虎男元石川県警警部の見立て通りと私も思うが、更に東に逃亡した可能性もありうるかもしれない。
犯人は
愛美さんのタイムスケジュールをある程度把握でき
登下校ルートを知っていて
19時には事件現場にいることができる

人物の可能性が極めて高いが、この事件が動くとすれば、当時の彼女が発した「さりげない」ひとことをどうか思い出してほしい。或いはインターネットでの人間関係などに苦慮はしていなかったかとか、登下校ルートにまつわる噂話そんな類でも構わない。要は今まで発言・証言を控えていた「サイレントマジョリティーによる告発」だけが頼りといってもよい時期にさしかかってきている。この一年で更に風化が進んできている印象を強く受けたからこそのお願い。どうかこの記事を読んで当時のことを思い出した方がいれば、是非豊田署まで情報提供を。

誓う

これからも事件現場には足を運び、現地情報も諦めずに集めたいが違う角度からの考察も当然必要になってくるだろう。ここでなにか一つ起爆剤が欲しい。新情報の追加はあるのだろうか。
15年という節目を迎え、嘗て金沢スイミングコーチ殺人事件を担当した
「とら男」さんはどういう気持ちでこの日を迎えたのだろうかとふと思う。
この事件もそろそろ終わりにさせなければと誓った。

来年は愛美さんの十七回忌にあたる
去り際に、献花式にと用意した花束を手向けながら
来年こそは良い報告をと心から願った。


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