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神戸市北区女児ひき逃げ死体遺棄事件(現地取材)


事件概要

事件発生日時 平成13(2001)年6月4日未明
被害者:宮崎 早紀 (事件当時8歳)身長130cm
死因:頭蓋骨骨折による脳挫傷
※腰など複数個所を骨折していた
当日の服装:メガネ 緑色ブルゾン 黄色ワンピース 白色スニーカー

現場付近

遺体発見場所:唐櫃台駅北方2.5kmの有野川(神戸市北区有野)
※6月7日神鉄の車内から男性会社員が発見
※発見場所から250m上流にあたる切畑橋上で毛髪を採取
※切畑橋が遺体遺棄現場とされている

唐櫃台駅~遺棄現場

補足情報家族構成:母・姉(中一)
性格:明るく人懐っこい性格で礼儀正しく片付けなども手伝える確りした子
当日の時系列
6/3
午前中:市営住宅の大掃除を手伝う
22:00頃 母を迎えに自宅である市営住宅から500m先の唐櫃台駅へ向かう
23:00 改札口前で近隣女性に誘われるが「母を待つ」と断る。
6/4
0:30 唐櫃台駅に終電が到着。最終電車の乗客が交番の中で待つように伝え、早紀ちゃんは連れずに帰宅。
※これが最後の目撃情報となり以降の動向は不明
※カンガルーバーを装備した車高の高い車に轢かれた際、致命傷を受ける
※その後切畑橋上から遺棄された
※事故現場が何処かは不明
※事故現場から遺棄現場まで車で運ばれたと考えられている
14:00 母が通報
6/7
7:55 遺体発見
※以降、2006年に事故での公訴時効成立を受け容疑を殺人に切り替え
現在に至る。

奪われたorなくなっていたもの
①メガネ→流された可能性が高い
②緑のブルゾン→事故の痕跡が残ったため犯人が処分した可能性が高い
③靴→流された可能性が高い

事故なのか或いは誘拐か次章で検討する。

事故の場合

どこでおきたか
①交番付近
②唐櫃台駅から自宅である市営住宅までの間(交差点orカーブ)
③踏切~からとの湯までの間


こんなあたりか。いずれにせよ、深夜の0時過ぎに子供が独り歩きしていることを想定して運転するわけもなく認知・ブレーキ操作が遅れたからだろう。
まずは①。付近も街灯が少ないこともあり決して明るくはないし認知もしにくかろう。おまけに宅地方向からは下り坂でもある。スピードもおのずと上がる。深夜ということで気のゆるみはなかったか。踏切前では減速せざるをえなくても、交番付近ではどうだろうか。同時間帯の画像を付す。

交番前の横断歩道

②の様に仮に唐櫃台の住宅地内での事故だった場合、基本低速走行となる為、死亡に至るほどの事故が発生するかについては疑問も残るが、そこは小柄な小学生だ。転倒した際に頭などを打てばたちどころに絶命してしまう。
だが、肝心の事故の痕跡はみつかっていない。
そこで③当時は線路と並行していた有馬街道はどうだろう。実際、走行する車両も信号が少ないこともあってスピードはあがりがち、所謂「運転が荒い」ドライバーが多い。これは当時もそうだったろう。
だが、捜査陣も当初は事故より誘拐の可能性を本命視したろうし、雨の影響で三日後の遺体発見時には痕跡もすっかり流されていた筈で、ここでも不運の連鎖が起きている。ここで別の可能性にも触れてみようと思う。

誘拐の場合

年端のいかぬ子供が失踪したとあれば、まず誰もがこの可能性を考えるだろう。初動捜査もそれを想定してのものだったろうし、それは仕方ない。
実際、遺体は発見まで数百メートル流されているし電車の車窓から偶然、早紀ちゃんの変わり果てた姿が発見されなければ、ことによると完全犯罪が成立していたのかもしれない。交番以降の目撃情報はないが、流石に幾ら待ったところで今夜は母親が帰ってこないことを悟り、それを受け入れるしかなかったかもしれない。このときの早紀ちゃんの心中を思うと正直、辛い。さぞ心細かっただろうと。そこに声をかけてくれる人物が現れたとしたら、人懐っこい性格故、ついていくこともありうるのだろうか。寧ろ、声をかけられたとて、このまま待つときっぱり断りを入れるのではないか。実際誘いは断っているし、人懐っこい性格の半面しっかりとした意思のある子でもある。誘われるままというのはちょっと考えにくい。これが、あらかじめ母親が帰ってこないことを計算にいれての犯行ならまだしも。計画的・流しの犯行いずれのケースも偶然の要素が重ならないと起こりえないように感じるし。その場合、時間的な制約もないはずなので近場に遺棄することもなかったように思う。

やはり偶発的に起きた事故と考えるほうが有力なのではないか。

唐櫃台駅付近の位置関係

つかの間の幸福な日々

複雑な家庭環境にあったことは敢えて割愛する。要点だけいえば、父の連れ子が両親が離婚した際に血の繋がりのない母のほうについた。そして唐櫃台の市営住宅で新生活がスタートした。そういうことだ。母についてきたのは「母性」に飢えていたからだろう。やがて母の帰宅を待ちきれず、出迎えるために唐櫃台の改札前にたつようになった。ときに凍えるような冬の寒さの中でも鼻を真っ赤にしながら母を待つ早紀ちゃんの姿があったという。お菓子を買ってもらい手をつないで帰る。笑顔で母親に話しかける早紀ちゃんの姿、これが日常の風景となった。

市営住宅(現在は廃墟)

だが幸福な日々は長続きしなかった。この日も「お母さんを迎えに行ってくる」そう姉に言い残し市営住宅(当時)をあとにして二時間半。改札口で母の帰りを一人待ち続けた。だがこの日、母は電車での帰宅予定はなかった。職場が変わった。姉も早紀ちゃんもそのことを知らされてなかった。結果論で誰かを責めるつもりは毛頭ないが、少しずつ全ての歯車が狂い始めていた。22時でも充分深夜なのであるが、日付が変わっても未だひとり母の帰りを待ち続ける少女がそこにいた。そんな中、二時間半の間にたったふたりだけ「うちに来たら?」と声掛けした女性とそれでも母の帰りを待つという早紀ちゃんを交番へと連れていき「(お巡りさんがくるまで)ここで待っているように」と早紀ちゃんに伝えた後、帰宅した男性がいた。

交番前に設置された看板

男性の乗っていたのは終電だった。後になってではあるが、共にそのときの判断を悔やみ、女性のほうは「こんなことになるくらいなら半ば強引にでも預かるべきだったかも」と語り、男性は「もっと気をつけていれば」と口にしているという。結果論ではあるし、それでも母の帰りを待つことが早紀ちゃんの意志なのだからそれを無下にはできず、苦しい選択を迫られたことは容易に推察できる。それに加え、親切心が仇になることもあるから、せめてものことしかできないのも頷ける。その判断を誰が責められようか。結果論ならばなんとでもいえるし、それをもって誰かを叩くことは容易であるが、叩いたとて早紀ちゃんはもう戻ってこないのだ。寧ろこの悲劇を教訓にすることこそが供養に繋がると思うし、そのための新しい受け皿が必要となってきていることは言うまでもないだろう。

有馬署へ

発生時刻と同じくして調査するのが常になっているので、深夜の訪問になった。受付に数人署員がいた。活動内容を簡単に説明し「チラシを一部いただけますか?」と伝えると署員のひとりが無念そうな表情を浮かべながらチラシに目を落とした。手渡される際に「情報拡散、宜しくお願い致します」との言葉も頂いた。胸が熱くなった。

2022年度に作成されたチラシ

決して諦めない。現場の思いは痛いほど伝わってきた。その言葉に「頑張ります」と返し有馬署をあとにした。

唐櫃台へ

神鉄唐櫃台駅

22:30過ぎに駅前に到着、事件当日の早紀ちゃんとほぼ同じタイミング。人通りはなく付近の店舗も営業時間外。当時は違ったのだろうか。道を挟んで向かい側にベンチが設置されているが、早紀ちゃんも電車が来ては改札口前に立ち、諦めてはベンチに戻り腰掛けてを繰り返していたのかもしれない。

駅前のベンチ

駅から少し離れた地点に横付けし、乗降客のおおよその数をしらべてみる。この日は30人程度いたかいないか。時刻表に目をやれば、上下16本が到着。決して少なくはない。その都度、改札口を抜けそそくさと家族の車に乗り込む…そんな光景をいくつもみかけた。歩いて帰宅するひとは少ない。唐櫃台駅は無人駅ということもあるが、深夜にでもなれば、この住宅地以外の乗降客はおらず、加えてその住宅地から出る車も入ってくる車も皆無といってよい。宅地側には深夜営業のないスーパーが一軒だけ、コンビニすらないのだし往来がないのも当たり前か。
線路と並行する有馬街道も閑散としているがそれもその筈、交通の円滑化をはかるためトンネルができた結果、交通量がガタ落ちになった。
但し、事件当時の交通量はこんなものではなかった筈で、踏切を右方向に折れ暫く行った先の本道に合流後は、深夜であっても交通量は多い。
有馬方面に向かえば県内有数の物流拠点もあり、三田までいけば工業地域もあるし、巨大なベッドタウンもある。云わばそこと神戸をつなぐ動脈。
唐櫃台はその流れから切り離された空間となりつつある。
さながら事件が風化していくように。

徹底的に「交通事故」の可能性を探る

①駅前…事件当日、早紀ちゃんが一番長くの時間をこの地点付近で過ごした筈ではあるが、ここは想定しにくい。踏切を渡るには一度は停止せねばなららないし、直前にある横断歩道上も減速しきった状態でしか通過することがないので、まずはないと断言してよかろう。

駅前

②交番前の横断歩道付近…踏切方向からくる車両、踏切方向に向かう車両いずれにせよ横断者がいなければ、加速状態でこのポイントにさしかかる可能性が高い。

交番前の横断歩道

認識できていれば結果も違っただろうが、深夜に子供がいることなど想定すらせずに突っ込んできた可能性はある。

住宅地方向から交番前を見る

最終目撃地点もこの交番だし、帰宅しようと飛び出したところを…というケースも起こりうる。ただし、この仮説は衝突音があったという証言がないことがネックとなるが、皆が寝静まったあとならば、ありうるかもしれない。宅地側での事故ならばここの可能性が一番高いと感じた。

③駅から市営住宅の間
早紀ちゃんの帰宅ルートがわからないのでなんともいえないが、改札口前の道をいったとすると、しばらくは直線が続きその終点辺りが左急カーブとなっている。例えば、歩道上ではなく車道上を早紀ちゃんが歩いていたとする。そこに車両が後ろからぶつかる。誰もいないはずの時間に小さな子供が歩いていることを想定しているはずもなく、インベタでカーブを曲がった結果の事故。これならばありえそうである。急カーブに加え街灯もないポイント―まさに死角といってよい場所ではある。

問題のカーブ

当時、早紀ちゃんの自宅のあった市営住宅側へは必ずどこかを横断する必要があるから、そのときにということも考えられる。

右に市営住宅

ただし、この場合も衝突音の報告がないうえ、一旦は減速しているはず。余程当たり所が悪かったか、転倒した際に激しく頭部を打ちつけたかしない限り死亡事故には発展しないだろう。旧市営住宅付近のカーブ及び交差点共に可能性がなくはない程度のポイントと考えられる。

④踏切~からとの湯付近
今まで、線路の内側にある宅地側の事故を想定してそれが起こりうるポイントを幾つか回ってみた。所謂「抜け道」的なルートも宅地内を走るが深夜の出来事でその可能性は低い。線路外に出たとすれば一縷の望みに賭け、母の嘗ての勤め先であった「からとの湯」の辺りまで様子をみにいった際に…というのが一番可能性が高いように感じる。からとの湯までの歩道も狭いとの指摘もあるし、車道におりてしまうことも充分考えられる。

線路を渡り、有馬街道へ出る

線路と川を挟んだ外部での事故。それならば衝突音がしたという証言が出なくても不思議はない。スピードは宅地とは段違い。致命傷を一撃で与えたことも認知及び減速が間に合わなかったからで説明もつく。早紀ちゃんがふらついた 飛び出した 転んだ 様々なケースが考えられるが、すべて事故に直結する。おそらく本命はここだろう。

遺棄現場へ

遺棄現場は唐櫃台駅からそう遠くない。有馬街道を三田方面へ。二駅先と三駅先、五社駅と岡場駅の中間くらい、右手にレンタルボックスがありその交差点を入るとすぐに小さな橋がある。ここが遺棄現場である切畑橋だ。

遺体遺棄現場

現在は橋の手前も当時とは変わり、雑木林からログハウス住宅の展示場へと姿を変えていてそこが現場であるという事実が醸し出す雰囲気も幾分かは違ったものへと変貌しているかもしれない。

右が住宅展示場 奥に有馬街道が見える

22年前、ここから少女を深淵へと落とした鬼畜が橋梁にいた
合掌し黙祷を捧げその無念を肌で感じた。報われることのなかった魂の冥福を心から祈り
「おっちゃんが 仇とったるからな」そう誓った。

夜、水面は見えない

川面まで13メートルその高さに怒りも沸々と沸く。
仮に流されなかったとしたら、発見も或いはもっと早かったかもしれない。散歩ついでに橋の下を覗き込むひとは少なくないからだ。
実際の遺体発見現場に流れ着くまで犯人は時間稼ぎに成功しただろう
だが、逃げ得は絶対にさせない。
次章で何故有馬街道から50m程しか入らないここだったのかについて考察する。

橋から遺棄したのは何故か?

単純な理由だ。当日の犯人には時間的制約があった
犯人が日常的に有馬街道を利用しているのは間違いないと思う。そこから大きく逸れず、尚且つ暗く人目につきにくい場所がこの橋だった。事故は目的地に急いでいた道中で起き、これ以上は時間のロスのできない事情もあったと考えられる。そうでなければこんな国道からすぐのポイントは選ぶまい。根拠として六甲山は目と鼻の先であるし、三田や宝塚あたりも遠くはないのだから時間さえあればそっちを選ぶだろう。実際、その三田の湖で身元不明の遺体が発見された(三田市千丈寺湖における男性死体遺棄事件)こともある。ことによると遺体を長時間、車内に隠せない事情もあったのかもしれない。いずれにせよ、ここで全てを終わらせておく必要が犯人にはあったと考える。
例えば、夜勤或いは急患が出たとか一刻を争う状況にあったと推察する。
時間があれば、それこそ近くに六甲山もあれば丹波に行くこともできた筈。
時間的制約から切畑橋で遺棄せざるを得なかったと考えるのが一番しっくりくる。
日常的に抜け道として利用などしていた可能性も高いと感じるし、
職業柄この付近へ出入りすることもあったかもしれない。
つまり、遺棄現場周辺の土地鑑は間違いなくある
地理的にみて、ここに抜けたのちある場所を目指したのでは?
というポイントがある。画像だけ公開する。これが第一の匕首

ここから左方向に犯人は向かったと推測される

次に私の推察する犯人像についても言及しようと思う。

地理的条件から推察する犯人像

性別:男性
職業:医師(勤務医) 物流・運送業 工員 飲食等 
当日は夜勤或いは急患従って出勤途中或いは配送中での事故と推察する。
居住エリア及び勤務地:神戸市北部在住 三田か有馬に勤務地
(逆に三田・有馬在住で神戸勤務もあり)日常的に有馬街道を利用
車種:「カンガルーバー」装着の日産・三菱・ホンダ車のいずれかで
車高の高いワンボックス或いはRV車

カンガルーバー装着車の一例

他県ナンバーの為捜査対象車両から漏れた可能性あり。
不自然な理由で直後に手放した可能性あり。
※事故を報告しなかったのは、それだけで職を失う可能性があったから
※早紀ちゃんのブルゾンがみつからなかったのは犯人がそれで車内に付着した血液をふき取り、遺棄或いは焼却処分したから
こんなあたりか
最後に犯人が最終的にどこを目指していたか
私が本命視するのはここだ。
付近の画像を公開しておく。これが犯人ののど元に突きつける
第二の匕首だ。

推測される犯人のいかねばならなかった場所

情報提供は兵庫県警有馬署へ 078-981-0110

あとがき

今迄、客観的事実から間違いなく云えることのみ記事内で展開させて頂くことにして、大胆な考察は控えてきた。考察というのは諸刃の刃であって、それそのものを否定するわけではないが、結果として犯人像を固定してしまうことにも繋がりかねない。主たる目的は情報拡散なのだからフラットに思考する為の材料を提供するのが使命でもある。だが、今回敢えてそうしたのは、私なりに少しでも犯人にプレッシャーを与えたい。それに尽きる。この事件、遺体発見の翌日にかの池田小事件が発生した影響で、いまひとつ影が薄い。それは仕方ないが、犯人の「人外」という他ない所業含め、もっと世間に認知されるべき事件と考える。唐櫃台という地域含めなにか時代に取り残され、風化の一途を辿ってしまっている印象を受けるが、それでは早紀ちゃんという少女の生きた証そのものが消えてしまう。せめてその流れに抗ってみたいという気持ちからこの事件を採りあげた。
実のところ、犯人像に関してはもっと具体的なイメージを持ち合わせているし、それなりに根拠もある。だがそこは素人の浅知恵かもしれぬから、この記事を読んでくださった皆さんそれぞれのお考えと照らし合わせ、こんな考察もあるのだなとどうかご容赦いただきたい。
記事にするならばこれが限界、そのギリギリまで攻めた心算。
早紀ちゃんの卒業証書を受け取った父は実現しなかった娘の未来に思いをはせ「中学で楽しい経験をたくさんできたと思うと辛くて仕方なかった。悲しみは一生消えず のうのうと生きている犯人が許せない」と語ったそうだ。
そのことばをきき、未来を奪った犯人はどう思っているのだろうか。
それにしてもやり口が外道すぎる 到底許せぬ

事件から22年が経過し本日は早紀ちゃんの23回忌にあたる
そんな日に書き上げられたことで少しだけ早紀ちゃんの魂に報えた気がする。
兵庫県警も執念の捜査は続く、今年も広報活動は行われるのだろうか
願わくば一昨年の同じ北区の高校生刺殺事件に続き、犯人逮捕の報を心待ちにしたい。
私も諦めず情報拡散という形ではあれ助太刀をさせて戴きたいと思う。
最後にこの記事を宮崎 早紀ちゃんの魂に捧げる
                   2023年6月4日 神宮前 二郎 



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