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豊田女子高生強盗殺人事件(追記あり)

       

プロローグ

2008年5月2日19時頃、下校途中の農道でその事件は起きた。4月に入学してひとつき足らずの出来事「感謝の気持ちを忘れず ひとの役にたつ仕事につきたい」という少女の夢と未来は無惨にも砕かれた。
この事件をある方と配信することになって、あらゆる記事を調べ、現地にも何度も足を運んだ。結果調べれば調べるほど凄惨な事件とわかり、これを無念のひとことで片づけるわけにはゆかず、なんともやりきれない気分になると同時に怒りや哀しみがこみ上げてもきた。
彼女の魂のためにせめて私たちにできることはこの事件を風化させることなく、犯人が逮捕されるその日まで決して諦めないこと。

事件当日、昼休みに被害者であるMさん(当時15歳)は不安とも予感めいたとも解釈できる呟きをのこしている

12:12  気持ち悪い 部活どうしよ

実際、体調が悪くてこういう呟きをした可能性もあるが、このあと起きることを考えあわせると矢張り何かの「気付き」のようなものがあったようににも思える。ひょっとすると、その気付きがもたらす危険信号から体調不良を引き起こしていたのやもしれない。
金沢スイミングインストラクター殺人事件の捜査を担当された元石川県警の西村虎男さんに伺ったはなしによると「これは不思議なことなのだれど…」と前置きされたうえで
西村「事件の直前には被害者も自分の身になにか悪いことがおきることを察するのか日記とかそういうものに変化の様なものがあらわれることがある」
そうだ。

7時間後、その不安は現実のものとなる

時系列

ここで大まかな時系列を書いてみる

2008年
4/23 19:00過ぎ
東郷町で同校生徒がマスク姿の男に襲われる(未遂事件)


5/1 7:05
起床直後?1度目の呟き
(なんであんな日に限って見ちゃったのかなあ…ほんともういや…)
17:00
部活中にこの日2度目の呟き
(気にしてるって思われたかなあ…)

この間に何かあったのだろうか?

19:00
帰宅直後に3度目の呟き
(なんかこわいんだけど お母さんおそいよお)
22:07
就寝前?4度目の呟き
(違うんだよね…?気のせいだよね?)

5/2 12:12
昼休み中に最後の呟き
(気持ち悪い 部活どうしよ)

18:30頃
現場付近を同校女子生徒が自転車で通過
(同時刻に現場東500m農道上?黒SUV目撃情報)

18:45頃
校門にて友人たちと別れ自転車で帰宅

19:00頃 
現場農道にて事件発生

19:20頃
同校女子生徒が現場近くを徒歩で通過

19:30頃 
帰宅しないことを不審に思った家族(母親)が
被害者携帯に架電するも不出
知人たちと自宅付近での捜索をはじめる
現場西500mにて白手袋マスク男目撃情報
(18:30or19:00頃との情報もあり)


5/3
未明に捜索願
警察も被害者携帯に架電するも不出
直後に呼び出し音も鳴らなくなったため
キャリアにGPS追跡を依頼した結果
豊田市生駒町付近と特定


5:30 生駒町切戸地内にて被害者遺体を捜索中の知人女性が発見

6:00 岡崎市稲熊町内小呂川土手にて散歩中の主婦により被害者のカバン発見される

5/6 密葬
一般参列者の為に献花台が設けられる

7/10
県北部在住当時24歳の男が逮捕される
4/23の同校生徒への未遂事件含め余罪30件
当件についても追及されるも関係なし

12/10
捜査特別報奨金の対象案件となる

2009
犯人のDNA(一部)検出情報公開

2018
5/2
不審車輌(黒SUV)目撃情報公開

7月~2021 某ブログによる告発

  以上が現在までの大まかな経緯である。

被害者について

被害者のMさんは当時15歳、愛知県の刈谷市にある国立愛知教育大付属高校にその年の4月に入学したばかり、団体職員(教育委員とも)の父と看護士の母そして兄(三人との報も)と共に豊田市駒場町で暮らしていた。
豊田市立前林中学校在学時には生徒会副会長や所属していた卓球部では副主将を務め高校も推薦での進学と成績も優秀で将来を嘱望される身であった。
日頃、尊敬する母のように看護士になりたいと周囲には語っていたようだが、卒業文集に「将来の夢 医者」とあるように才気煥発な一面も覗かせていた。それは日頃の生活態度にもあらわれていて、事件当日の彼女の通学カバンには連休前ということもあってか教科書とノート計22冊が収まっていたという。
当時の記事を読む限りでは特にこれといったトラブルもなかったそうで、同校男子生徒によると「部活の片付けや洗濯などなんでもテキパキとこなす子」であったと語っていた。
それ以外では現場に花を手向けた女子生徒の談話があったぐらいで同校生徒による証言は少ない。某匿名掲示板には被害者の中学時代の友人等の証言もあるにはあるのだが、ここでは割愛したい。
中学時代の後輩からは特に慕われており、当時の報道で嗚咽する女子生徒たちの映像をみたときの記憶は鮮明に私の脳裏に焼きついている。

現場について

現場は伊勢湾岸道の側道部分、豊田南ICの四日市方面入口の丁度真横にあたり、一方通行しかも左折進入しかできないT字路ほんの数十m入ったところ。

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現在はヤマト運輸の中部ゲートの外周を取り囲むフェンス部分となっていて、その一角になにかを避けるような凹みができている。ここで事件が起きたことを示す石碑を避けるように。


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建設当初は全てがアスファルトの下に消える予定であったが「なんとか石碑を遺してほしい」との要望に応えた結果、微かではあるが事件現場の面影をとどめることはできた。だが、今はもう情報提供を求める看板もそこにはなく時の流れというものの現実を否が応にも突きつけられもする。話を戻すと当時はそこに十字路が存在していて東は生駒町横山の交差点近くまで、そして西方向には生駒町大坪交差点近くのキングスコート横から入る農道方向へと繋がっていた。そしてそこは奇しくも東は低速走行する不審車輌、西は手袋マスク姿の不審人物が目撃された地点でもある。


通学路について

配信に向け、色々と調べてゆくうちに一つの疑問を抱くようになった。それは単純に「こんな街灯すらまばらの農道を本当に通学路としていたのか?」というものだった。実際に現場に行き、付近を見て回るうちに

①信号待ちせずに済むこと
②中学校から自転車通学だった
③遅い時間に走り慣れていた

ので合理的な選択ではあると理解はできたが

④緊急避難的に農道に逃げ込んだ

可能性も少なからずある

この場合、現場付近で犯人の運転する車両に追いつかれたということになり流石に目撃者が出るだろう。実際交通量がある程度見込める時間帯である。当時の記事に「連休前で交通量は少なかった」とあるが、これには疑問を呈したい。実際に犯行時間近くに現場付近を走行したがコロナ禍の昨今においても(土曜日夕刻)交通量は多く、歩道上を行き交う歩行者や自転車の量もそれなりにはあり、加えて嘗ての尾張三河を繋ぐ重要な交通の要所であることと生活渋滞含めピークというべき時間帯でもあることから決して少ない筈はないと推察する。

事件発生時と可能な限り同じ条件での現地取材を心がけているが、現場も現在はヤマト運輸の中部ゲートに姿を変えてしまっていて、かろうじて事件があったことを示す石碑だけが当時の面影を残しているが、道幅も大きく広がって深夜になっても関係者の車輌が忙しく出入りして長居できる雰囲気はない。完全に同じものではないが事件発生時と同じく日没三十分の農道を再現するために現場近くにて撮影した画像がこれ

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事件当日の天候は曇りだからこの画像より多少暗めだったろう。気温は19度で風は吹いていなかった。もし、こんな事件でさえ起こらなかったら彼女はこの農道を通り続けたのだろうか?

下校ルートとしては多少遠回りをすることにはなるが、人通りや街灯の数でいえば生駒町横山の交差点を右にいくのが理想的ではあるがそこを選ばない理由があるとしたら、おそらくではあるが、その先に待つ地下道がネックになったのではと考察する。ひょっとすると2000年に広島市中区の地下道で起きた刺殺事件あたりの影響もあったのやもしれない。

ルートを特定するにあたり、それ以上に私の頭を悩ませたのは当時の学校周辺の地理的条件についてである。

高校から表通りに出てすぐ左前にある交差点からトヨタ紡績高岡工場に抜ける道も未開通で、ミニストップもない。当初の考察の基になった通学ルートは見直さざるを得なくなったことだった。


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結果表通りを右に行ったすぐ先のT字路を入り、刈谷PA正面に出てあとは一本道をいくだけという結論に達したが、その結果に辿り着くまで国土地理院の画像検索に時間を費やすことになった。

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合流地点をA~Fと想定し現地にて実験走行を繰り返した結論としては、被害者の下校時に伊勢湾岸道に合流する地点はA付近の可能性が高いと推察する。理由はただ一点「合理性」なのだがこの通学ルート特定は犯人と被害者の接点を探す重要な作業である。19時には自宅に戻るのが日課であった彼女のことだ。それに加え公共交通機関を利用した移動手段を用いず、アルバイトは勿論、寄り道もせずの毎日。しかも、入学後僅かひと月足らずでの出来事である。従って外部との接触の機会をほとんどもたないのだからして、この片道20分程度の行程でなにが起こりうるのかその答えを探る為には実際に足を運ぶよりほかはない。
以下に事件発生と同時間帯に彼女の下校ルートを再現した動画のリンクを貼る。

これはあくまで犯人が彼女と日常ですれ違い以外の接点をもたない言わば外部の人間であることを仮定した場合であるが、もしかするとここかも知れないと目をつけた場所があった。
被害者の帰宅ルートにに関しても18:45に校門で友人(同級生・先輩)と別れたのを最後に目撃情報がないのだから推測の域をでないのだが、学校⇔現場の距離が約3kmで現場⇔自宅までが約1kmということから所謂ママチャリと呼ばれる自転車が普通に流したときの時速が約12kmであるので、現場にさしかかったのは19時~+5分程度と思われる。道中においてどの交差点或いは歩道橋をつかって反対側の歩道まで移動したのか、寄り道の有無含めそれも今もって不明であり、犯人との接点はどこにあったのかについても謎が残るが、犯人はどうしてここを現場に選んだのかについてはある程度説明はつく、当時の記事によれば警察の当初の見込みは「車両をつかった単独犯」であったことは明確な事実であり、それを基にすると下図のような位置関係になると思われる。

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事件当時、現場付近の駐停車可能なポイントはA〜Eの5つ側道のR部分への停車(A・B)の場合、急発進させれば後輪を縁石で打つし、バーストすることもありうる。何よりも目撃されるリスクはCDEのそれとの比ではない。Cもないわけではないがここに停車していたのであれば、少なくとも目撃情報のひとつもでるだろうし被害者に認知される可能性もDEよりは高い、ここでDかEの可能性が俄然高まる。被害者の血痕が農道に付着していたポイントがア・イ二つの情報が出回っているが事件発生直後の空撮画像からするとアの可能性が高く、だとすればDポイントが本命なのではないか。暗い農道で息をひそめることで側道からは認知されにくい上に、農道より多少は明るい歩道をくる被害者の様子を伺い、手前まで被害者がさしかかったらちょいと発進させて進行方向を塞げばいい。さすればドアの横に行き場を失った被害者が立ち往生しているという具合である。

しかし、被害者の自転車には車にぶつけられたような痕跡はなく、現場まで車で乗り付けていたのであれば、以下のような疑問も同時に生じる。

①何故、現場に遺留品を残し放題だったのか
②遺体や自転車も運べたのではないか
③現場の農道が抜け道として頻繁に利用されていたことを知らなかったのか

およそこの3点である

①については、実際に他の車両が進入してきて、目撃されたと早合点してとりもなおさず逃げ出したとも考えられなくもないし、②に関しては車両が貸与されたもの或いは家族がいる等時間的・距離的な制約があるからかもしれない。この場合、カバンをさほど遠くない(15km)岡崎市で遺棄した理由を補足するものにもなるが、山に遺棄するという選択肢はなかったものか。豊田にしろ岡崎にしろ山までの距離は案外すぐである。③に関してはこの農道のあちこちに抜け道として利用するなという看板が立てられていること自体認知していたのかどうか…犯人は被害者が19時前後にこの農道に側道から入るという経験則以外の情報例えば土地鑑や道路事情、この農道の抜け道としての性格に対する知識や経験といったものがあまりなかったのではないかという疑問がぬぐえきれずにいる。側道からも目と鼻の先程度の地点なので、結果として誰の目にもとまらなかっただけの話で失敗のリスクはかなり高かったと思われる。

ここで注目すべきは生駒町大坪の交差点近く、キングスコート脇の農道での不審人物目撃情報であろうか。

仮に18:30の目撃情報が正解だった場合は高岡公園に車を停めて現場には徒歩で目立たぬように農道を移動し、現場近くで身を潜めたと考えられるし、19:30の目撃情報が正しいとすれば、犯行後に何らかの理由で高岡公園に立ち寄ったのではないだろうか。


その理由とは…

①現場付近に駐車不可能なサイズの車に乗っていた
②単純に公園に車両を停めていた
③犯行後、水場を求めて公園に立ち寄った

こんなあたりか
19:30のほうが正確な情報なのであれば動画内でも指摘したが犯人は

①泥だらけのジャージ姿

②被害者のカバンを所持

していなければならず、①のみならばそれは共犯の存在を示唆するものになることは付け加えておきたい

果たして、複数犯や車両なしでの犯行はありうるのか
ここで遺留品についても触れるとする。

 

遺留品について


①25×25サイズの水色ハンドタオル…清須市にある外装(コーティング技術)メーカーが2005~2006年に名古屋市で開催された光触媒産業展に出展した際にノベルティとして製作・配布したもので光触媒コーティングされた繊維により高い殺菌力を誇る代物で「SunLight」は商標名。事件当時は約750枚が流通していた。その後市販され最終的には2400枚が流通したとされている

因みに某公共放送局は「白色」とドキュメンタリー番組内で説明していたが警察発表では「水色」である

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②幅3.8センチの黒ビニールテープ…メーカー(日東電工)の製品担当者に問い合わせたところ幅広のものは殆ど売れずシェア的にも1割にも満たないそうで、用途・職種はそれでこそ多種多様で「荷造りのテープとして使う人もいる」とのことであり幅広であることも決め手にはならず。

③結束バンド…長さ2mで販売されているもの。現場には20cm程度に短くされたものが未使用の状態で落ちていた。因みに留め具部分がプラスチックの為、脆く壊れやすいとのこと。

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因みにテープ・結束帯は現場近くのホームセンターで入手可能との情報もある。事件自体はそれなりに計画をたてたうえでの凶行であり、偶然或いは流しの犯行の可能性は低いと感じる。ただこの遺留品を見る限り計画自体の粗さが目立ちそれが被害者を死に至らしめる一因となったことは否めない。薄手の生地とはいえ大きめのハンドタオルを無理やり口に押し込み幅広のビニールテープでぐるぐる巻きにする。それだけで息ができそうにない。そんな状況で鼻を中心に執拗に殴打すれば、どんな結果が待っているかわかろうものなのだが…。
この粗さ雑さが外国人犯行説が囁かれる要因のひとつではあるし、実際に茨城で起きた女子大生殺しも当初は身内を疑う声が多かったものの蓋を開けてみれば外国人の犯行であった。当件でも、その線を疑う声が一部で根強いが一部でもDNAは検出されている点からしても警察からもその件についてなにか言及があってもおかしくないように思うのだが

ハンドタオルに関しては1/750の確率であるのだから決して低い数字ではないが、取引先においてきたやら自分で使ったり家族・知人にあげたなど大半が行先不明との理由から追うことができなかったとのことである。

ここで不審人物・不審車両をおさらいしたい

不審人物:黒ジャージ・瘦せ型・若い男・手袋・マスク姿

ということで特に季節外れの手袋というのがひとつの手掛かりになりそうではあるが、マラソンなどでおなじみの「ランニンググローブ」というものがあり、していたからそれ即ち犯人であるとは限らず、目撃地点も公園近くなのでその点は考慮したい。実際、農道を散歩したりジョギングする近隣住民の姿は決して珍しくはない。深夜に犬の散歩をしている方まで見かけた。これもあくまで可能性のひとつでしかなく、決め手を欠く。例えばこの目撃情報が19時半頃に高岡公園手前の農道で泥まみれのジャージ姿の若い男を目撃したなどという内容ならば、犯人の犯行後の行動を知る由にもなりうるのだが。

不審車両:現場東500mの農道上を低速走行(農道上に停車との情報もあり)していたSUV(車種発表なし)黒色

現場付近は拡張され嘗ての面影は殆どないが、それ以外はあまり開発の手は入らず、事件当時のままである。不振車両については、正直軽(ジムニー等)や初期のRAV4なら通れなくもないが、パジェロ・ランクルの類で飛ばせば脱輪しかねない道幅である。従って低速走行になるのも仕方なく、抜け道として利用されていること含め割引いて考えたほうがよさそうである。寧ろ18:30位から19:00頃に駐停車をしていたという話なら可能性はぐっと上がるのだが。

ここで事件の約10日前に起きた二件の未遂事件について説明しておきたい

4/23 19:00頃 愛知県東郷町で発生

自転車で下校途中の愛教大高の女子生徒が目出し帽(目の部分に穴の開いた黒覆面)姿の男に自転車ごと倒され「騒ぐと殺す」と脅されていたところに悲鳴をききつけた通行人が駆けつけ、犯人は白トラックに乗って逃走した。だが、この目撃情報が後の逮捕につながる。

4/25 愛知県豊田市若林東町で発生

自転車で下校途中の豊田南高校の女子生徒に原動機付自転車にまたがった黒ヘルメット姿の小柄な若い男が「豊田高校はどこですか?」としつこく尋ね後をついてきた。しびれを切らした生徒が振り返るといきなり押し倒されたが悲鳴をあげると犯人はすぐに逃走。

以上が経緯ではあるが、前者は愛教大付属高校でも把握されていたが氷山の一角であり大半は報告に至らず、実際は前年から相当数の事件が発生していたらしい。事件発生直後の記者会見で記者の問いに対し、学校側は防犯カメラの数を増やした矢先の出来事で大変ショックと少々的の外れた回答となったのはこういった背景があってのことかもしれない。強化すべきは通学路におけるセキュリティ面にあった筈である。

事件発生当初の警察発表で「なくなったものからして」捜査方針が変質者一択であったことは否めずそれが2018年当時の捜査本部長の「可能性を見直す」発言へとつながっていくのだが

余談だが、実際捜査当局が所謂ローラー作戦に入ったのも地元掲示板によれば事件発生10日後の5/12のことらしい。投稿者の友人の勤務先が現場近くにあり、そこにも捜査員が訪れて色々とききまわったそうだが、いくらなんでも今からでは流石に遅すぎるのでは?と疑問の声もあがっていたそうだ。

捜査方針が「変質者」に重きをおいていたのにはそれなりの根拠があり、未解決事件にありがちの「怪しすぎた容疑者」はこの事件にも存在していた。

怪しすぎた男と変質者ロードというパワーワード(編集)

事件から2ヶ月後、愛知県警は当時、愛知県北部在住で(過去に豊田市にも住んでいた)豊田市の建築資材会社に勤務していた当時24歳の男逮捕した。余罪はおよそ30件といわれ、前述のとおり4/23の東郷町での未遂事件や前年11月に長久手町で起きた強制わいせつ事件での目撃情報(黒覆面の男が白トラックで逃走)が決め手となり逮捕に至った。

この報せに世間は「豊田の事件もこれで解決」と色めきたったが、結論は「当件と関係なし」つまりシロだったということである。

だが豊田の事件における目撃情報含め数多くの共通点が存在し、疑われる下地は確かにあったと言わざるを得ない。

①不審人物の目撃情報によれば痩せ型の若い男→長身痩躯であった
②豊田市の地理に明るい→転居前には豊田市の中部(北部とも)在住だった
③犯行時間帯が19時前後であること→帰宅時(19時以降)に犯行
④ターゲットが自転車で帰宅中の若い女性であったこと→説明不要
⑤犯行時は顔を隠す→目撃情報の男は目出し帽ではなくマスク姿ではあるが
⑥仕事柄手袋着用→被害者の制服ブレザーに手袋痕あり

そして…

⑦遺留品の光触媒タオルを仕事柄入手可能だった→この男の仕事も外壁関係であり、その1/750を所持していたとしてもなんの不思議もない

もしその光触媒タオルを所持していたはずが紛失したということならば、十二分に決定打になりうる条件でもある。現場からそう遠くない目立つ場所にカバンを遺棄せざるを得なかったのも、この男にはその「時間的・距離的に制約になりうるもの(家庭)」がある。

これだけ条件が揃えば、思考が凝り固まって抜けられなくなりそうなものだが、結論は「シロ」であり動かしえない事実である。

それにしても…だ。

Twitterにおいてもこの件について触れさせていただいたが、「豊田女子高生強盗殺人事件」において事件の発生した豊田市生駒町地内の農道が通称「変質者ロード」と呼ばれているという情報について私が調査した限りですが、お話させていただく。今年五月二日に現地取材をした際、地元の方々に「変質者ロード」という呼称について訊ねたところ「只の田舎道」「今も人がおらんが事件当時はもっとおらん」否定的な回答ばかりでしたので、より詳しくソースを追いかけてみた。結局、以下の記事に以外には見つからずこれ以外のソースなしとの判断に至った。
以下、参照・引用


5月10日13時21分配信 産経新聞
「なんか、こわい」。愛知県豊田市で5月3日、自宅まであと1キロの通学路上で無残な他殺体となって発見された少女は生前、プロフにそう書き残していた。「変質者ロード」とも呼ばれていた現場周辺だが、少女の遺留品からはジャージが持ち去られていた。高校に入学したばかりだった少女。GWを間近に控え、何に怯えていたのだろうか。 (中略)
■現場は「変質者ロード」 性犯罪も多発 豊田市は言わずと知れた世界屈指の自動車メーカー「トヨタ自動車」の企業城下町。だが、工場だけでなく、田園地帯もまだまだ多く残っている。現場は国道から1本入った農道で周囲には広大な田畑が広がる。街灯もポツンポツンとある程度で薄暗いうえ、最も近い民家でも数十メートル離れている。直近には伊勢湾岸自動車道が通り、「事件が起きたらどんなに叫んで助けを呼んでも誰にも聞こえない」(近くの住人)。  そう聞くだけで薄気味悪くなるが、現場付近では4月以降、女性が被害にあう犯罪が相次いでいた。  4月23日夕には、現場から約8キロ離れた東郷町でMさんと同じ高校に通う女子高生が若い男に自転車ごと押し倒された。  25日にも現場から約3キロの農道で、自転車に乗った女子高生がバイクの男に押し倒された。男は高校の場所を尋ねて近づいてきたという。この事件が起きたのはMさんの事件と同じ農道。街灯もなく手口にも共通点が多い。  「農道は露出狂などの変質者も多く、女性が体を触られるなどの被害はこれまでもあった」(地元の住民)  《なんかこわい》  《気持ち悪い》  Mさんがプロフに書き込んだ不安。こうした被害に遭遇してしまったのだろうか。 (以下省略)

以上の通りで、序文は兎も角、本文中には「変質者ロード」という呼称は見出し以外のどこにも見当たらないし、「が多い」というくだりはあってもそう呼んでいるという事実は一切記されていない。これは怪しい。おそらくは編集作業の過程でついたものではないか。結果、そのキャッチーな見出しが独り歩きをしたものと考えるのが自然というもので繰り返すが、そう呼ばれているという証言があったわけではなさそうだ。紛らわしいのが「この事件が起きたのはMさんの事件と同じ農道」という一節で、これもミスリードを意図したものではないだろうと信じたいが、少々問題があるのではないか。25日の事件は若林東町で起きた未遂事件で、強殺事件が発生したのは生駒町であってこれではごっちゃにされかねない。
加えていうと若林東町の未遂事件は流しの犯行の線が濃いが、当強盗殺人事件は犯人が持ち込んだものからして被害者をターゲットとした計画的犯行の可能性が高いわけで、完全に手口が同じという訳ではなく自転車で下校中の女子高生が農道で襲われたという事実が一致しているに過ぎない。執拗な暴行があったこと含め事件の本質は大きく異なっている
とはいうものの、23日の事件の犯人は当件でも重要参考人とされたわけであるが「当件とは関係なし」とのことで一応の決着はついている。だが、25日の若林東町における未遂事件―黒ヘルメット・小柄・原付バイクの男が当件にも関与していた疑いは未だに残る
そういう意味でこの情報自体がもつ重要性そのものに疑問を呈しているわけではないことを記しておく。だが、西那須野女子大生殺害事件でも、産経だけがソースという情報が存在しているのだが、あれもどうなのだろうかという疑問は残った。話を戻すと他にも同時期に犯行を重ね後に、警官となっても過ちを繰り返した岡崎の男も疑う声はあったがそれも又、当件とは関係ないとされている。こういった類のモヤモヤがこの事件にも数多く存在しているが、そのひとつに犯人が何故暴走したのかということも挙げられる。当時の新聞記事にあった内容に触れるが、非常に凄惨な状況であった。正直、辛いがここをストレートにお伝えしなければ彼女の痛み・悲しみ・苦しみそして無念を含めこの事件の本質を理解することには繋がらないと考える。

事件の本質について

彼女と犯人とのファーストコンタクトは

①自転車ごと田んぼに突き落とされた

②自転車ごと農道に倒され右顔面を押し付けられた

との2つに見解が分かれている。そして彼女が右手人差し指に裂傷を負ったのことについても

①犯人に刃物で傷つけられた

②自転車から落ちた際にどこかで切った

との見解であり、初期の警察発表にも「犯人はナイフ所持していた可能性」とあったがのちに落ちた拍子に切る場合もあると訂正されている。

いずれにせよ。農道上で彼女は犯人に右側頭部を力任せに押し付けられた際、大きな擦り傷を負っている。そこからの激しい出血に加え目や鼻を中心に顔が変色するほど執拗に殴打され、その状態で口にタオルを押し込まれ、幅広のビニールテープを7重に巻かれた結果、気泡化した鼻出血が気道を塞ぎ窒息死に至った。血痕は大きなものとしては現場南の農道上三箇所、遺体の顔付近の土壌からも血液反応が出ている。

事件を調べていると、ときには思っていた以上に凄惨な現場であったとの事実と向き合わねばならないときがあって、まさにこの瞬間がそうだった。事件系配信者の方がよく未解決事件を扱ったあとに必ず陰鬱な気分になると仰っているが同感である。この事件の詳細を知れば誰もが被害者の魂に少しでも報いたいと思い解決を願うのではないだろうか。

己の欲望に任せてというよりも、力付くで制圧することにのみ集中し、力を誇示するために生命を弄んだだけじゃないのかと疑ってもみたくもなる。例えば、彼女の腕には打撲創がなくほぼ無抵抗な状態で殴り続けられたと考えられ、殴られつつも、生きるための精一杯の抵抗としてのたうちまわりながらもテープを何とかずり落としたがそこで力尽きた結果「激しく争った痕跡」が現場に残ったと考えるほうが正しいようにも思える
以上の状況を鑑みて私はこの事件を単なる性犯罪の延長線上の凶行と考えることがどうしてもできなくなっている。ことによると性犯罪の仮面を被った凶悪な暴行致死事件であったかもしれないという方向での考察と情報収集をこれからも続けていく所存である。

世間でこの事件の扱いがいまひとつ悪い理由のひとつに1週間後、今度は「舞鶴」で同じく高1女子が殺害される。発見された遺体が凄惨を極める状態であったことや早い時期から被害者の横を自転車を押しながら歩く不審人物の映像も公開された。そういうこともあって世間の関心はそちらに移ってしまい。当件に関する報道も日を追うごとに減っていった。こんな経緯から当件に関しては少々被害者に肩入れしすぎているのかもしれない。だが別の角度からの可能性を追うものがいなければ、それもまた事件の本質を見失うことに繋がるのでは?とも考える。可能性はできるだけ多くの選択肢をもちなるべく広い観点からの考察を心掛けたいと思う。事件が解決するその日まで。

改めて決意表明をさせていただいたので以降は、角度を変えて考察してみた内容について書かせていただこうかと思う。

持ち去られたものについて

ジャージと下着を持ち去っているから=変質者と公式化するのは危険と考えるのは、カバンの遺棄場所含め偽装の可能性も充分にあり得そうだからだ。
泥だらけでは目立つので、犯人が着た可能性も十分あると考える。因みにジャージはadidasの市販品ネービー地に水色ラインで上はMで下はS


財布に関しては、当時の新聞記事に「自宅に忘れていた」との記載が後に出ていること、なくなっていれば警察発表の内容に含まれる筈なので自宅に忘れたものとして話を進めたいのだが、ならばそれを理由に部活を休むことも出来た筈なので、正直引っかかってはいる。加えて前日のプロフの内容が誰かに尾行でもされたことを示すのであれば、ある程度現金はもっていたいと思うのでなかろうかとも考えるのだ。特に気になるのは、岡崎市稲熊町の小呂川で発見された彼女の通学カバンについてだ。小呂川というのは非常に狭い地域の、しかも住宅地の中の生活排水の流れ込む…といった性格の川であり


桜並木で知られ目と鼻の先にある伊賀川のほうに目は行くし、そちらでもよかろうと思うのだが、それでは何か犯人にとって都合が悪いことでもあったのだろうか。寧ろ小呂川まで足を運んだのならそこから山もそうは遠くないので、そちらを選ぶだろう。これが矢作川或いは乙川であったのなら納得がいくのだが

思うに

①移動手段が自転車くらいしかなく距離的にも岡崎辺りまでが限界だった

②捜査撹乱のため逆の岡崎方向を目指し、目立つようにカバンを遺棄した

このいずれかだと考えている。
前者の場合、犯人は被害者と同世代を想定し、後者は車を所持している年代の犯行と考えた場合にそういう選択肢をとったのではと

因みに遺棄現場近くには岡崎学園等学校が数多く点在し、奇しくも愛教大付属岡崎小学校まであり

広義の学校関係者が犯行に関わっていた場合、咄嗟にこの辺りに遺棄することを考えたとしても不思議はないと感じるが、それにしても何故という疑問は残る。


深夜に現地を訪れてみたが人目にはつきにくいだろうという印象くらいで、特にここでなければいけないという理由はみつからなかった。寧ろ、教科書・ノート計22冊が入ったまま処分されることがなかった点に着目しているのだが、重量的にも5㎏~10㎏あってもおかしくなく、にもかかわらずそれだけのものを一旦現場から態々持ち出す必要が犯人にはあったということになる。


つまり、その中身にこそ真の目的があった

という可能性を捨てきれずにいるが当然、目的はジャージなどではなく、犯人の運命を左右しかねないなにかであったのならば合点もゆく

例えば、手紙・脅迫文の類であれば

「とら男」の眼は(追記)

西村虎男氏と当件について話した際、氏は
西村「事件において大切なことなのだけれど素直な気持ちでみてみるとおかしなものが浮いてくるものでね。神宮前さんの話を聞いてみて一番ひっかかったのは犯人がカバンを捨てに行ったこと」これは氏が担当した「金沢スイミングインストラクター殺人事件」における「何故、死体を乗せたまま職員駐車場に被害者の車を戻す必要性があったか」という最大の謎とも重なる。
神宮前「そうなんです。同じ川でも矢作川とか大きな川に遺棄したのならわかるんですが、岡崎の住宅地内の生活排水が流れこむ川の土手、しかも法面が急なので走行中に窓から落としたのならば転がって川まで落ちる筈です。それが僅か60㎝程度の幅の土手部分にちょこんと置いてあった訳で犯人が態々置いた様に感じました」
西村「これは偽装だね。そのためにカバンをおいたということで、おそらく反対方向に犯人はいる筈」
つまり、現場からみると西方向に犯人はいて、陽動目的で東方向である岡崎にカバンを遺棄したとの見立てであり、当初の愛知県警による「カバン発見場所と現場を結ぶ線上に犯人はいる」とした推論を真っ向否定するものを見解として述べられたが、その理由として
西村「カバンであれば間違いなく彼女の持ち物とわかるから、それをあからさまに目立つ場所に捨てたということだね」
長年の事件捜査に携わったとら男さんの元刑事としての見立ては以上の結論であった旨追記しておく。

ここである事件の容疑者だった男にも焦点を当ててみようと思う


類似事件とストーカー説について

①事件発生は1997年
②容疑者が存命ならは2008年に57歳
③ターゲットは同じ
④手口も同じ
⑤必ず戦利品を持ち帰る癖あり

近隣で発生した女子高生失踪事件であるが、容疑者の車内から証拠品が数多く発見され、何かと接触したような傷もあった。にも関わらず現在でも未解決、警察の初動ミスと詰めの甘さを指摘される事件でもある。
共通点が多いが、④について補足すると自転車に体当たりをかましたり、或いは故意に接触などして犯行に至っていたとのことで特に⑤は引っ掛かる
あと、これは共通点ではないのだが
現場がその男が移動につかうであろう「伊勢湾岸道」の出入り口付近であることと、現場作業員などで刈谷・豊田に滞在していたことがあれば土地勘もあるだろうし、10年経過したのも頃合いともとれる。流石にもう地元では悪さはできないからの遠征…と、あくまでも共通点が多いだけのはなしではあるのだが、近隣でもこんな類似事件があったことは記憶にとどめておきたい。
類似事件ついでに話すが、大阪で中学生二人を殺害した人物が犯人で根拠は黒い軽バンに乗っていたことと結束帯をつかったことからもそうだ。という考察について、これは調べればわかることなのだが、まずもって当件の発生当時、その男は収監中であり犯行自体が不可能だ。車両の目撃情報についても黒のSUVであってバンではない。加えて当件では結束帯は使われずじまいで現場に放置されたに過ぎない。この考察は明らかに間違いである旨追記しておく。

ではこの事件が「ストーカーによる犯行」と考えた場合、どのタイプに属するのか。例えば、拒絶型或いは補食型のストーカーであった可能性について考えてみたい。

前者は元々非常に親しい間柄だったが関係途絶えてなお、一方的に思いを断ちがたい側がストーカー化したものを指す
この場合、被害者がなんらかの形で周囲に迷惑行為についてそれとなく話していることが多い為、捜査線上にその存在が上がったとて不思議はないのであるが、これが捕食型によるストーキングだった場合、実生活において全く接点のない人物である可能性も含めねばならず、実に厄介な話となる。

当事件の場合、被害者が外部との接点(アルバイト等)があまりないタイプなので流し含めた変質者以外では近隣住人或いは学校関係者や現場近くの企業関係者を候補とした考察が主流といってよい。
この場合は怨恨タイプによるストーキングも想定されるし、加えて事件直前のプロフでの呟きが、なんとなくだが近しい存在とのトラブルであるが故に対応に苦慮しているとも読み取れる内容になっていることから、日常生活において何らかの接点のある人物とのトラブルが起きたのではないかという仮説は割とスタンダードな考察であり、説得力もそれなりにはある。
表にこそ出てはいないが、時系列から察するに被害者が家族に相談していたからこそ、早めの対応をとれている様な印象も受けないでもないので、前日のプロフの内容から察するに知らない誰かにつけられたかも等と家族に相談はしていた可能性はあると思うが、その仮説が正しいとすれば、被害者はその存在を知らない或いは忘れていて同じ地域・学校に属してはいるが接点がなかった人物。だが逆に犯人は彼女になにかのきっかけで興味をもちスケジュール等まで調べつくした上で、待ち伏せを敢行した可能性は決して少なくないと考える。捕食型であったとすればだが。

この事件の考察で最も多く犯人像としてとりあげられる変態説については、警察も捜査対象に関してはしらみつぶしに調べ尽くした筈で、それを踏まえたうえで、黒SUVの情報を公開した背景にはこういった一般人の仮面を被った狂気の人物を炙り出そうとしているのではなかろうか。
この考えは、ある事件系配信者の方と補食型のストーカーについて話したことがきっかけとなりそれ以降、その可能性を視野に入れる必要性を強く感じるようになったことを付け加えておく。

SNS黎明期という背景

2008年頃といえばSNSのいわば黎明期で、他人と他人との距離が飛躍的に近いものとなったがそれ故に、ルールづくりが追い付かず、トラブルも増加していた時期でもある。因みに規制が入るのは翌年のこと。同時期に立て続けに起こった「豊田」と「舞鶴」での高1女子殺害事件。奇しくも両事件の被害者共に「前略プロフ(SNSサイトのはしり」というサイトを利用していたこともあり、結果として翌年以降の規制のきっかけのひとつになったと考えられる。
この事件を調べ始めたときに、引っかかって仕方のないことがひとつあった。それはGWによる大型連休の前日に起きた事件であるということ。
被害者も年頃であったし、その年齢なりの苦労や悩みもあった筈、例えばネットを通じて誰かに相談などを繰り返しているうちに他者には把握されにくい関係になり、この大型連休を機に彼女との距離を一方的に縮めたいとの思いを抱かれるも、彼女がそれを拒絶したがために相手が暴走したという仮説も成り立つ。連休中も部活動はあった筈で、それをサボってまで誰かと会うようなタイプには思えず、寧ろ年齢の割に確りとした目的意識をもっているように見受けられるので、誘われたとてきっぱりとことわるのではなかろうか。
犯人の中でなにかが変わったとすれば、一方通行の思いを拒絶されたために、その怒りから執拗に暴行を加えた結果、彼女を死に至らしめ、慌ててその場から逃げ出したたような印象も受ける。

ずっと引っかかっていることがある。仮に帰宅の途中で「なんかこわい」思いをしたのであれば、ルートを変えることも当然できただろうし、携帯を持っているのだから家族に迎えに来てもらうことも可能だった筈だ。ひょっとするとその責任感の強さから言い出せずにいた可能性はあるだろうし、場合によっては部活動を辞めざるを得なくなるからということもあったかもしれないが、これが全く別の場所での出来事をさしてのことかもしれず真相は未だ藪の中である

これはひとつの仮説にすぎないが、現場の農道を訪れてみて、ひょっとすると彼女はあえて自分の意思で人目につきにくい暗い農道を選んでいたのかもしれず、例えば誰かと一緒のときに、家までの短い時間であっても誰の目にもとまることなく過ごしたいという気持ちからこの農道を通っており、そしてその日、何かが起きたということもありうるのではないかと、ふと思ったりもしたことをつけ加えておく。
地方都市は人間関係的に非常に限られたコミュニティだし、人目を気にしてという可能性にも目を配る必要性はあるかもしれない。

最後に今年7月に記事が削除された告発ブログについて、実は私たちの間では早い時期から話題に上がっていて、犯人グループの人数構成含め一定の真実味を帯びており、関係者犯行説や複数犯説については裏付けにもなりうるものとして、その動向を見守っていた。その後の経緯を見るにガセだった可能性か高いといわざるを得ないが、悪戯にしては手が込んでいた上に、名誉棄損含めリスクある行為であり、3年の長きにわたりブログ自体が削除されることもなかったのでひょっとしたらを期待していただけに残念としか言い様はない。
そんな中、某知恵袋にて本件について片言の日本語で書かれたアレは未だその不気味さが際立つものの、ここではその内容には触れないことにする。因みにこちらは未だに閲覧可能

実際、事件から13年が経過し被害者も生きていれば来年で30回目の誕生日を迎えることになる、2021年は数多くの未解決事件が解決した。そしてこの事件もまた一日も早く解決してくれることを祈らずにはいられない。

忘れない限り解決への希望の灯が消えることはない

そう信じて。

エピローグ(追記)

この記事を書きあげてから半年が経ち、改めてみなおしてみるとそのときには気づけなかった細かいミスが幾つもあったり、プロローグはあれどエピローグはなしという実にお恥ずかしいはなしではあるが、その校正も兼ての作業。その後、数回現場には足を運んでいるがその辺りは現地取材編をお読みいただければ幸いです。人の縁とは不思議なもので金沢スイミングインストラクター殺人事件を原点とする未解決事件の本質にどこまで迫れるかというテーマでの活動も一つの区切りを与えて頂く機会に恵まれ、そのご縁により新たな知見を得ることにもつながった。それらを追記することで、より一層この事件の本質に近づけたのではないかと自負している。
金沢の事件は時効が成立しているが、この事件にそれはない。とはいうものの、その「15」年という時間の経過を来年迎ることになり、特に新情報の公開もなく、傍からみてても捜査が行き詰まりを見せていることは間違いないと思うし、現場から彼女の自宅方向に向かう農道もいよいよ人の手が入り大きく姿を変えることも決まっている。それを知っているからこそ、「とら男」のラストシーンは私の心に沁みた。ひょんなことからご縁のできた西村虎男元石川県警警部によれば「初動捜査のミス」とそれを認めない警察組織の頭の硬さが「簡単なものを難しくしてしまっている」要因であると伺った。この事件も金沢と同じく見当違いの人物を見込み捜査してしまったことが解決を遅らせているのならば、どうか来年を節目として県警も本気で原点回帰してもらえないものだろうか?それこそ「とら男」における「かや子」の様にだ。かや子が一途に化石となったスイミングコーチ殺人事件生を吹き込もうと挑んだ結果、化石になりかけたとら男の心を動かしたのだ。冒頭にも書いた様にそのときにはわからなくても時を経て初めて気づくこともあるだろうし、ひとの記憶もときとともに薄れゆくものだが、未だまだ完全には消えていない。三十苅の教場も現場も姿を消してしまったが、当事件の場合、まだ愛美さんの無念を伝える石碑が遺されているではないか。この事件もまだ生きている。時効の壁のない今、豊田女子高生強盗殺人事件を知る全てのひとの心の中にかや子が宿ってくれたらと願わずにはいられない。

                   神宮前 二郎



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