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泉南郡熊取町における小学生女児に対する未成年者略取誘拐事件(現地取材)

事件概要

事件発生日時:平成15(西暦2003)年5月20日
被害者 吉川 友梨 (よしかわ ゆり) 
当時9歳 平成6年3月31日生
身体的特徴(当時) 身長135cm 右小鼻に1ミリ大のホクロ
右尻下部に1センチ大のあざ

失踪当時の服装
白色ブラウス+紺スカート(制服)
ピンクの靴下
アディダスの靴(オレンジ三本線)
黄色のデイバック

事件発生当時の航空写真

最新の時系列
5/20
14:30 社会科見学(大阪市立下水道科学館)解散後同級生女子3人と下校
14:57頃 七山交差点で同級生と別れ最終目撃地点及び自宅方向へ向かう
14:59頃 最終目撃地点で同級生男子とすれ違い挨拶を交わす(以降目撃情報なし)
17:00頃 家族が自宅付近を捜索するもみつからず
19:27 「娘が帰宅しない」と母親が通報
以前の時系列
15:20頃 商店前で作業中の職人が黄色のデイバックを背負い鼻歌を歌いながら下校する友梨ちゃんらしき少女をみかけたと証言
※現在大阪府警のサイトにこの情報は記載されていない
※以上から推察される失踪時刻は15時前後
※当日は通常より下校時刻は三十分程早かった
※数か月前同町で誘拐未遂事件が起きていた(別の小学校:6年生女子)

本命とされる不審車両
トヨタ クラウン(130系)
色:ホワイト
※1987~1999まで生産されたモデル
※ミラーは車体同色ではなく黒色

130系クラウン

現地へ

私が「今更」採りあげずとも公開情報含めご存じの方も多かろう。
正直、名の売れた事件である。当noteは世間の扱いが悪い云わば報われない魂と事件を採りあげることこそに重きを置くことにしているし、こういった児童・生徒の類ならまだしも、失踪である限り自発的失踪の可能性は常に付きまとう。発生時期によっては某国による拉致の可能性も出てくる。なにより16歳にでもなれば自活可能な年齢なのだ。何事にも抜け穴はあるし。結果のでていない以上、どうにでも考察できてしまうから失踪は得意ではない。従ってその扱いに困っていたが、何の因果か関西に長期滞在中の身。しかも熊取からそう遠くない土地に根城を構えている。ならば現場くらいはみておきたい…そんな気持ち。
「強いて」いうならば、20年経過という節目その重みが私を動かしたのである。熊取といえばもうひとつ不可解な未解決事件(七人連続怪死事件)もあるが、あれに至っては最早都市伝説の域に達している感があり、どうにも扱いにくい。だが、改めて調べてみると気になる点が幾つかでてきた。
「いってみるか」
だが「モロ日」が日曜日ということもあり、20日は避け、21日にすることにする。午前中のほうがよかろうということで早朝に現地入りした。

泉南郡熊取町は市制施行だの合併で南泉州市にすべきだのと賑やかしい
どうやら関空島における税収の一本化をめぐり利権が渦巻く様相を呈しているようだ。人口約40000人
あまり語られることがなかったが、実は友梨ちゃん造り酒屋の孫娘であり所謂「いいとこの」娘である。祖父の代まで吉川酒造という酒蔵を生業にしており自宅には今でもその名残が或る。「熊金時」という銘柄で大阪の地酒マニアには知られていたという。

以前の最終目撃地点は現在の最終目撃地点から更に100m先の商店前で塗装作業をしていた男性による「午後3時20分くらいに黄色のリュックを背負いピンク色の何かを身に着けた小学校三年生くらいの少女が鼻歌を歌いながら通り過ぎるのを目撃した」という証言によるものであった。以下はその付近の画像

以前の最終目撃地点付近

実際、友梨ちゃんの服装は黄色のリュック・ピンク色の靴下だから条件はあっている。

だが、七山交差点で友人と別れたのち男子児童とすれ違いざまに挨拶を交わしたのが午後3時頃であるのだから、この目撃情報が正しいとすれば20分程のラグが生じる。現在ではこの情報は違う児童のものと考えられているようで、チラシ・ポスターにも掲載されてはいない。
現地に足を運んだ印象としては思いのほか交通量は多い、おそらく抜け道的な性格なのだろうが、20分である。流石に何らかの目撃情報はでておかしくない。
当時、友梨ちゃんの自宅付近にはバス停もあり。おおよその犯行時刻前後にも停車中のバスがあったのだが

旧バス停付近

運転手含め乗客も誰ひとり友梨ちゃんをみたという証言をするものはなかった。
だけでなく公民館にいた近隣男性も同じく「みていない」と証言している。
ただ、以前の最終目撃地点での目撃情報も時間を勘違いしていた可能性は残るのであって、どちらを信じる或いはどちらも信じて考察するかは個々の判断に委ねるしかない。
だが、以前の情報を警察は重要視していない。
ひょっとするとそれはわたしのことではないかという名乗りでもあったのだろうか?謎は残る。

当時を知る地元の方にお話を伺えた。
曰く「何度か下校中の姿をみかけることはあった」そうだが
「挨拶をするような子やなかったね 人見知りいうかおとなしい子」
それ以外の印象は特になく、当日に不審人物や車両を目撃したということもなく
「ほかになにかといわれても…そういう事件があったということしか…」
20年経過したのだから当たり前といえばそうなのである。
豊田でもそうだったが時の重みと「風化」を痛いほど感じた。
特に収穫といえるものは得られなかった。
やはり誰かがいて何かが起こったとすれば最終目撃地点~商店までだろう。
当日の帰宅ルートが若干遠回りなのではないかと勘繰ってみたが、これも正規のもので、この日だけということもなかった。
余談として造り酒屋を営んでいたことには触れたが、それも友梨ちゃんが生まれるころには既に廃業していた。それを動機とした誘拐という線は消えた。

まず七山交差点

七山交差点

友梨ちゃんと三人の同級生はここで別れた。そしていつものように同級生たちは友梨ちゃんの姿が消えるまでその後姿を七山交差点から見送ったという。ここまではいつもの風景。
直後、すれ違いざまに挨拶を交わした同級生によって無事が確認されたがそれが最後の目撃情報となり現在に至る。
下画像で説明すると
同級生Aは当日は赤丸の看板付近まで友梨ちゃんの無事を確認、B、Cの二人はカーブでみえなくなる(橙丸)あたりまで見送るのが常だったので当日もそうだったと証言している。最終目撃地点はY字路を左にいった少し先(矢印方向)
このあとみんなで遊ぼうということになったが、友梨ちゃんは「(家族に聞かないと)わからない」と言葉を濁した。そして20年が経った。

最終目撃地点付近


実際に歩いてみることにした。
最終目撃地点はおそらくここである。

現在の最終目撃地点

ここまでは何事も起こらなかった。問題はこの先。最終目撃地点~以前の最終目撃地点とされた商店までは道幅は狭く車二台がやっとすれ違える程度で、駐車可能なポイントも限られる。

最終目撃地点~商店前を目指す

狭いうえにカーブに視界を遮られ気が抜けない。車ではあまり通りたくない道だ。おまけに小学生の下校時間と重なる犯行時刻あたりであれば飛び出し含め事故のリスクも上がる。可能性は低いながらも偶々大きな物音も発生せず痕跡も一切残らなかっただけで接触事故程度なら気づかれずに済んだのかもしれない。事故→連れ去りの例でいえば同じ大阪で起きた田畑作之介ちゃん轢き逃げ連れ去り事件(1978年)の例もある。だが、目撃された白クラウンに事故の痕跡がみてとれたという証言もない。
疑問も残るが、事故→連れ去りの線は現実的ではない。

クラウン目撃現場へ

まずはこの図をみていただきたい
以前の最終目撃地点あたりのほうが路駐はしやすそうだが、ここを選んだ理由が見えてきた。
要は商店前には作業をする人物がいたからやめた。その一点だろう。
犯人はバス停付近、或いは商店近くの寺院の方向からきたと推測される。

目撃地点と位置関係

緑枠が目撃者の車両 黒丸が目撃者(女性)
白枠が件のクラウン 青丸が運転席の吊り目の中年男 赤丸が助手席にいた小学生くらいの女の子
橙枠が目撃者の車をやりすごそうと停車中の対向車

助手席の少女はうつむいていたそうだが、白い服を着ていたこと含めまず友梨ちゃんであったと考えて間違いなかろう。
ポイントを整理する
①クラウンの進行方向は左方向ならば国道170号線 前方ならば七山交差点方向である。
②この地点は七山交差点~バス停間における駐車可能ポイントの一つ
③従って先回りした可能性含め友梨ちゃんを待ち伏せしていと推察される
④自宅寄りの地点であることから登下校ルートを知っていた可能性がある
⑤いつもより早く帰宅することも計算に入っていたか

七山交差点方向に向けて停められるポイントを選んだのは友梨ちゃんと相対することを想定してと思われる。おそらく運転席から声をかけたと思われる。脅されて助手席に押し込められたのでなければ、自らの意思或いは勧められるがままにそこに座ったことになる。ここをもって逃げられることなくおとなしく助手席に座らせることのできた人物による犯行の可能性が俄然強くなってくる。だが、一般的にではあるが警戒心のあるなしに限らず、子供というものは後部座席に座るのではなかろうか。見ず知らずの男から声をかけられて素直に助手席に座ったとすれば、そこに違和感を覚える。
やはり友梨ちゃんと犯人の間に何らかの接点があったのではないか。
例えば社会科見学 早めの下校時刻 登下校ルート 死角といえるポイントこの全てを把握することのできた「吊り目の中年男」そんな人物は身近にいなかったか。犯人が唯一恐れていたものがあるとすれば、それはやはり同級生或いは家族のではなかったのか。当然、その姿がみえなくなるまで同級生たちが見送ることも承知していただろうし、おとなしい子であることもすべて計算に入っていたのかもしれぬ。最終目撃地点からクラウンの停車していたポイントまではこの登下校ルート最大の死角というべき区間である。それも計算ずくだったか。犯人が恐れていただろう目撃情報は件の女性によるもの含め三件あるというが見覚えのある人物だったという証言はない。
従って学区内に居住していた人物ではない可能性もあるが、一般論として近隣住人の全てに目を配りその存在を把握しているのは稀なのであって、見落しはある。むしろ社会科見学により友梨ちゃんの学年の児童だけが早めに帰宅し、同時間帯に下校する児童もいつもより少ないことを計算に入れることのできた人物だったからこそ、ここしかないこのタイミングでの犯行だったと考えたほうが自然に思える。
案外、犯人は近くにいたのかもしれない。
その答えは犯人が検挙されるまでは闇の中であるが、果たして真実は如何なるものであったのか。

府警の威信

現場をあとにして、泉佐野署を訪れた。受付でチラシを一枚希望したのだが、強行犯の2m近い長身の若い警官が対応してくれた。住所は勿論、目的や職業含め大学名まできかれた。こんな大事になるくらいなら「モロ日」に難波での広報活動に行けばよかったなとも思ったがそれもそのはず。
受け取ってみるとA3サイズのポスターである。
難波で配られたチラシとはあきらかに違い紙質もよい上に
情報量も申し分ない―まさに「血の一滴」というべき一枚だった。

「悪用はしないでくださいね」と釘をさされたが「せめて情報拡散のお手伝いはさせて戴きます」そう返した。
二十年という節目はあったにせよ 渾身の一枚である。
この一枚により呼び覚まされる記憶があることを祈らずにはいられない
そして友梨ちゃんが帰る その日が来ることを

情報提供先:大阪府警泉佐野署 072-464-1234 FAX 072-462-0854


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