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豊田女子高生強盗殺人事件(現地取材)

小呂川へ

何度目の訪問になるだろうか
コロナ禍の影響で昨年は見合わせたが、纏まった休暇が取れたので今年こそはと心に誓った。前段階として、4/20に被害者のカバンが発見された岡崎市稲熊町に足を運んだ。
いつもの如く、アドリブで語りながらのキャスを始める。今回の収穫は情報提供を求める看板が設置されていることに「今更」気づけたこと。おそらくはここが遺棄された地点であろう。

桜並木で名高い伊賀川から小呂川への分岐点からすぐ、丁度マンションの駐車場の前あたり、カバンは法面から落ちることなく朝の散歩中の主婦により発見された。川に落ちなかったのであれば、あとから落とすことも可能だったはずでそこがもう一つスッキリとしない。
発見されることを意図したものであるから落とす必要がないのであれば偽装であるが、教科書・ノート22冊分の重みで転がらなかったとするならば偶然であり、それどころじゃなかったとすればそれは後ろめたさの表れである。犯人はこの後、どこに向かい日常へと戻っていったのか。

それにしても、だ。現場には証拠品を残し放題だったのに何故、カバンだけは持ち去ったのだろうか?無くなったとされるもの以外にどうしても取り返す或いは奪わなければならないものがあったのかもしれない。それがわかるときがくるまで犯人との闘いは続く。

5/1

早朝、現場に一輪の花を手向けにいく
文化の違いか神奈川や大阪では案外コンビニなどでも簡単に手に入る仏花も
ここ愛知ではそうはいかない。従ってこれは神奈川で用意したもの
しおれさせるわけにはいかないから、ペットボトルの天然水が花瓶替わり
現場近くは車の出入りが激しいので長居はできない。

みれば既に誰かがここを訪れブーケと見まがうような可憐な花束を置いていったようだ。そして、これはツツジだろうか何色にも咲きほころび実に色鮮やかである。正直、これらには少しだけ救われた気持ちになった。
前回訪問時に、早朝だし告知もしていないから誰も観に来ないだろうと軽い気持ちで自分自身への備忘録的な意味で録画を残すことにした。そのとき、件の民家が更地になっていて思わず声をあげてしまった。だけではなく刈谷あたりの道も工事が終わり様変わりをしていた。事件発生から14年が経とうとしているのだから仕方のないことかもしれないが、口惜しい。
気持ちだけが先走るが、時は待ってはくれない

空模様は生憎の雨、昼にかけて一層激しく降り続いた。
今年もよい報告はできなかった

5/2

先ずは豊田市駅を目指す
例年、豊田署のビラ配りが間違いなく行われる場所である。ここでの収穫がなければ豊田署に向かうつもりだった。以前、豊田署にビラを貰いがてらあることを確認にいったことがあるが、そのときは門前払い。今回は運が良ければ強行犯係の警官と直接話せるチャンスがある。エスカレーター横に見た目三十歳前後の私服警官が立っていた。私服姿ゆえに強行犯係の可能性は高そうである。目が合いビラを差し出してきたので受け取ると、すかさず「犯人たちを知っているというブログがあったのですが記事を削除したみたいですね」と突っ込んでみた。すると「そんなものがあるのですか?」と訊かれたので「いたずらにしては手が込んでいて一定の真実味があったし、この内容を豊田署に提供してくれとまで書かれていたんです」と畳みかけた「その手の情報でもみかけたら是非署まで連絡してください」とのことで真偽については明確な回答は得られなかったが、話せただけでも一歩前進である。

その後、制服警官とも話ができたが「車種の公開」を検討してくださいと要望を伝えるに留まった。2019年を最後に新情報の公開はない
だが、情報というものにもアップデートは必要なのではあるまいか。

所謂、平成の三大未解決事件「世田谷一家」「柴又女子大生」「ナンペイ」等は小出しではあるが、新情報は定期的に公開される。この事件でももう少し何とかならないものか、事件現場付近が姿を変え始め人々の記憶も薄れゆく中、正直ここが正念場だと思う。流れを変えるには今一時の気持ちが必要ではなかろうか。誰かの記憶を呼び起こす為には材料が不足しているように思えてならない。ビラが昨年末に捜査特別報奨金の延長が決定したことを受けて配られたものと同じものであったり、献花式も行われずこのまま進展なければ来年で15年経過となり嘗ては公訴時効が成立していた訳で、ひとつの節目となる。今一時の奮起を願わずにはいられない。

取り敢えずではあるが、目的は達成できたので現場へと向かう
以前から犯人との接点があるとしたらここではないかと目をつけていた
高岡公園に車を置き、まずは色々と見て回ることにした。
農道へと繋がる階段そしてサッカーグラウンド

犯人は決定的な目撃情報もなく姿を消したことから
現場農道の十字路あたりに車を停め、車内から生駒町大坪方向からくる被害者を待ち受けていたという考察が主流ではあるが、後の実験にて明らかになる様に現場から高岡公園まで徒歩で5~6分程度しかかからず、短時間での移動は可能であるから、一番自然なかたちで車を停めておくのであれば、いつ何時他の車が進入してきたり、すれ違うことのできるポイントの少ない農道よりも公園内の駐車場に駐車しておくほうが不審車輌として認知されたり通報されるリスクは少ないといえる。現場付近の農道での不審人物の目撃情報は公開されてはいないが、誰かの目にとまりそうになると歩道側に移動するなりしてやり過ごしていたのではないか。実際、夕方以降に現場付近にいってみると思いのほか歩道上も明るくはない。全くと言ってよいほど灯りのない農道よりは幾らかはましな程度である。街灯も少ないし、伊勢湾岸道に設置されたものも歩道側を照らすものではない。犯人が目をつけたのも朝、農道から歩道に出てくる被害者の姿ではなかったのか。この農道を通学・下校ルートとして利用していることを知るもの以外が歩道から数十メートル程度しか離れていないポイントを犯行現場に選ぶとしたらそれが理由だったように感じる。以前に動画内でも話したが、歩道が一番外側を通っていることから車道からは歩道上の様子は見えにくいので、通勤中の車内からみかけてという線は薄いように感じる。従って犯人が被害者に目をつけたのは定点観察が可能なポイントからという可能性が高いように思う。中でも高岡公園は恰好の場所といえる。公園付近で不審人物が目撃されたのも決して無関係ではないだろうし、すべての始まりはこの公園ではなかったのか。因みに中学時代の被害者の通学ルートは手前の生駒町大坪の交差点までで公園前を通過することはない。中学生時代三年間と高校入学後事件までの僅かひと月で大きく変わったことのひとつでもある。私が通学・下校ルート特定に時間をかけたのはこれが理由だった。
続いて彼女が下校時に公園内のサッカーグラウンドで試合に興ずる声に惹かれキングスコート手前から農道内に入ることもあったのではないかという仮説の検証をすることにしたが、野球のそれとは違いナイター設備のないことを確認したのでその線は消えた。

つまり、彼女が歩道から農道へと入るのは現場に向かうT字路しか考えられないし、当日も九分九厘そうだったろう。
想定外のことがおきて現場である十字路の延長線上にある不審人物の目撃地点から緊急避難的に農道に逃げ込んだ可能性を除いては。
この場合想定されるのは生駒町大坪の交差点を南下した際、車に乗った犯人から声をかけられたとか、或いは付きまとわれたかといった状況であるが、
流石にこれは目撃情報が出るだろう。生駒町大坪の交差点は長いときは100m程度の渋滞が起きる(地元情報)しキングスコートのベランダもこちらを向いているわといった具合で声かけもやりにくかろう。それよりは現場付近で身を潜めていた可能性が高く、偶然の出来事ではなかったように考える所以である。

ここをもって、前日に彼女が「なんか怖いんだけど」と触れた出来事も通学・下校時におきたことではないようにも思えてくる。そうだとしたら下校ルートを変える或いは家族に相談してどこかで落ち合うことも可能だったはずであり、その為の携帯電話である。前日夜、彼女はそのことを家族の誰かに打ち明けられたのだろうか。余談だが、生駒町横山の交差点を彼女の自宅方向へと向かった先にある駒場町向金の交差点にある地下道まで足を運んでみたところ、

自転車を降りて通行しろと書いてあったり、暗いし狭いわで正直気味も悪い。確かにここは避けたくなるだろうと感じたことを付け加えておく。

公園での調査を一旦終え、不審人物が目撃された地点付近を歩いてみる。
付近は田植え一色、あちらこちらで草刈りをするチップソーの刃音やトラクターのエンジン音が聞こえてくるがこれが実に心地よい。

草の匂いと共にのどかな農村の風景がそこにある。皐月晴れもあって汗ばんできたので上着は脱いで距離感と所要時間を肌で感じるべく現場まで歩いてみた。


気になっていたことがあった。現場から最も近いとされた民家が取り壊されただけではなく、その一帯の農地に人の手が入っていないように感じたからである。結論から先に言うとその悪い予感は当たっていたが後述する。

現場まで歩きだとしても5~6分程度であり、これは意外だった。

不審人物が目撃されたという情報は18時半と19時半と二つあり、
正直どちらが正しいのかそれとも両方とも正しいのかについては未だハッキリしない。仮に後者が正しいとすれば、19時から19時25分がおおよその犯行時刻となり、事件当日19時20分頃に現場近くを徒歩で下校中だった被害者と同じ高校に通う女子生徒に何らかの異変を感じ取られた筈であるが、その女子生徒によれば「特に」気になったことはないし誰もみていないとのことで10分程度のラグが生じる。こちらの時刻が正解ならば、目撃された際の黒っぽいジャージとは泥だらけになった犯人が農道上である程度カバン内を物色し試しに被害者のものを着てみたら入ったからと解釈はできないだろうか?実際に持ち去られたとされるジャージはネイビー地であり暗い夜道では黒っぽいと感じたとしてもおかしくはないだろう。加えて目撃された不審人物もやはり「瘦せ型」の若い男であり、下はSサイズで丈的には不自然であっても上はMサイズなので問題はなさそうである。犯人は農道を西方向に逃走した可能性は非常に高いと感じるが、それも通常の農道より一段低い用水路脇を通り、その過程で咄嗟にジャージに着替えたのではなかろうか?

この考察が正しければ、犯人は犯行時もジャージ姿だったとは限らないといえる。
現場で再び黙祷をささげつつ、ふと思ったのがこれである。


みれば献花は昨日と同じもの同じ数。それにしても遅い、今年はまさか献花式を実施しないのか?とそのときは思っていた。

現場をあとにして、民家の跡地を目指す。ここを訪れるようになり以来ずっとあったものが初めて消えてしまった。当たり前にそこに存在していたものにこうやって実際に消えられてしまうと、たとえそれがここ数年のことであっても受け入れがたい現実である。

こうやって事件の面影がまたひとつ姿を変えていった。ご遺族のお気持ちは如何ばかりかそれを思うと胸が痛んだ。

貴重な証言

午前中はここが頃合いかと公園に向かうとする。胸は痛んでも、のどは渇くし腹も鳴る。自分の食い意地が恨めしく思えてくる。すると今来たばかりの軽トラックの荷台から丸鋸を下ろそうとしている高齢男性が目の前にいた。
おそらくは農家の方であろう。この機会を逃す手はないと声をかけてみた。田んぼ畑論争に幕を下ろしたかったからだ。「ここは二毛作とかやらんのですか?」と尋ねる。すると「うちは田んぼだけ」と返してきた。そして訝しそうに私の顔を覗き込みながら「お兄さん、なんの人?」と訊かれた、正直に「事件について調べています」と告げた。すると緊張はたちまち解け「ああ、あの高校生の娘の…そういえば今日やったか」「そうです14年前の5月2日…今日と同じ日です」
そしてその日のことについて語り始めてくれた「あの日は朝からヘリコプターが6、7機は飛んどったな 現場のあたりを映すためホバリングいうんかその音が一日中ずっとしとった 暫くはその音が耳を離れんでな…いまでもヘリコプターの音をきくとあの日のことを思い出すよ」続けて「3日の朝から中継車輌のでかいのが何台もきてそのあたりは大渋滞よ」ここで「当時の報道ではアイシン(トヨタの変速機を製作する子会社)が休みで交通量が少なかったとありましたがそうなのですか?」と尋ねてみた「休みやいうてもここは知立と結ぶ道が通っているから連休だから少ないということはないな夕方はそれなりに多いよ。この辺りまで渋滞の列が続くこともある」と「夜には検問もあったそうですね」「そんなんで1日大変やった…そこにあった家にもしばらくは記者が何度も来て同じことをきかれて大変やったそうだ」そして「当時はこんなに人もおらんかったし、車もずっと少なかった ここら全部田んぼしかなかった」これで論争にはケリをつけられる「なんでもここらを変質者ロードと揶揄する報道が当時あったそうですが、それは本当のことで?」と少々ききにくい問いに対しても「こんな田舎道やし変質者だのそんなはなし聞いたこともない」と一笑に付された「でしょうね おそらくワイドショーあたりが盛った話だと私も思っていました ソースもみつかりませんし」酷い話だ どうせ地方を見下した創作なのだろう「あのキングスコートのあたりで不審人物…マスク姿の若い男の目撃情報があったそうなのですが」と尋ねると「その話は確かに聞いたことある」とこちらの情報は裏が取れた ふと「こっちの農地は手が入っていないようにみえるのですが」ときくと「ああ、なんでも工場ができるらしい」悪い予感は的中していたようだった それ以外にも彼女にまつわる話もいくつか聞けた 最後に「当時、地元では犯人についてなにか情報はあったのですか?」と尋ねた「〇〇にいた〇〇がそうなのではないかと噂にはなっていたよ あちこちで悪さをしてな あの家も被害者さ」詳細は書けないがこれは表にはなっていない 初めて聞いた話だった 「事件からしばらくしてどこかにいったという話さ」「確かにここにはいられないでしょうね」貴重な話がきけた なにかお礼がしたかったが「いらん それより犯人をつかまえられるように 頑張ってくれ このままだとあまりにも可哀相で仕方ない」「逮捕することはできませんが、助太刀はできます これからも犯人を追い詰めたいと思っています 貴重なお話を聞けたこと感謝いたします」と頭を下げその場を後にすることにした。

昼に評判の町中華にいった。テレビではニュースでこの事件について少し触れただけでワイドショーではあの事件にばかり時間を割いている。
少し腹が立った「今日だろう」というか「今日ぐらいは」と心から思う
平等を謳いながらマスコミは特別扱いを止めようとはしない
公を謳うならば猶更なのではないか 少し嫌な気分になったが
料理は旨かった。

再び公園へと戻る。
そろそろ警察が献花式を行うかもしれないと現場に足を運ぶが
その気配はない。来年は15年で節目ではあるしビラの件もある。
新情報の公開もなさそうである。
ならば、足で少しでも多くの情報を稼いでおくだけの話。
今度は、不審車輌の目撃地点を目指す。

大体、このあたりであろうという推測であるが当時は農道であったはずの場所は企業の敷地となっていて立ち入ることはできない。ただ繰り返すがSUVと一口に言っても大きさも様々。某匿名掲示板には「〇ンクル」なんて書いてあったりするが流石にそれはないだろう。というのも農道の殆どが精々車一台+人一人がやっと通れる道幅だし存在そのものが場違い。だからこそ目立ったのかもしれないがコンパクトカーでも正直狭いと感じる。つまり「低速走行」していたからそれ則ち不審車輌とは言い難いのではないだろうか。

一本道

事件当時からあったはずの生駒町のコンビニで飲み物を買い、件の地下通路まできて、彼女が3年と1か月登下校の際走り続けた農道を自分の足で踏みしめてみたくなった。Y字路を進み、

155線の下を潜ればあとは一本道である。

この真っ直ぐというのが彼女のイメージと相まってそれだけで切ない。
農作業の合間に談笑するお母さん方の姿や夫婦で庭仕事をしていたり
あるべき姿がそこにはあった「昼間にくることなんてなかったからな」
この取材まだまだ至らないところが腐るほどあると改めて思う。

見落としはなかったか やりのこしたことはないか 気づきはないか
そんなことを考えながら歩きつづけていたら
初夏の日差しに火照った肌に川風が実に心地よく、いつまでも
ここにいたいような気持ちになり長年の謎がまた一つ解けた気がした
…そうか。「だから彼女は、この路を通学路に選んでいたのか」と
そのことに初めて気づけたら熱いものがこみあげてきた。

感傷に浸る間も今は惜しい。
全てが形を変えてしまう前に…。

また一台の軽トラックが停まり荷台から何かを下ろし、田んぼに入れてはを
繰り返している「今から田植えですか?」ときくと「そうだよ」との答え
折角なのでここでもお話を伺うことにした。
「二毛作とかはされないのですか?」と聞くと「麦はやったりするね」との答え やっぱり畑ではない。「水入れは大体この時期に?」「そうだね知立で5月の3日に大きい祭りがあるでその頃いうことだね」…ひょっとすると5月の2日の犯行も水入れ前にと考えれば合点がいくが…「この辺りは工場になってしまうそうですね」「ここ10年ぐらいか、国や県からこの辺りの土地を売ってくれとしきりに人が来てたんよ…もう6件くらいいなくなったかな 最初はみんなで反対やいうてたんやけどね それは仕方ない この辺りはトヨタ紡績の本社が移転やいうことであの辺りからずっと工場やら駐車場…公園もつくるとかいうてたな そんなんで変わってしまういうはなしだ」結構いい値段で土地は買収されたそうだが、それでも「トヨタとしたらウハウハなんちがうか?宅地の半分ぐらいの値で手に入ったわけやから」とのことだった。つまり、現場付近は今よりずっと当時の面影が消えてしまう…というより完全に姿を変えることが決まっている。この農道含め。「ここは本当に良い風が吹きますね…実に気持ちの良い」「気持ち良いよね それが田舎いうかここの良さやし、どうなるんかね…」
訊けることは全て訊いた
立ち話に付き合っていただいた礼を伝え農道をあとにすることにした。
そして献花式の終わった後に手向けようと現地にきてから別に用意しておいた花束を現場である石碑の上に捧げもう一度合掌する。

来年こそ良い報告ができることを願わずにはいられなかった。

始まりがそこにあるならば

公園に戻る。
今回最後の確認作業が残っていた。高岡公園横を流れ、この心地よい風の源でもある逢妻女川である。

季節的なものか多少干上がっているところもあるが川幅的には十分、遺棄するだけならこの川で済んだはずであり岡崎くんだりまで行く必要もない。そもそも車なら山を目指すだろうし、それこそ伊勢湾岸道から名港めがけ投げ込むこともできた筈。
ここにこの事件を解くカギがある。
偽装ならば犯人は名古屋~伊勢方向、或いは岡崎以東に逃亡している筈であり、後者はついでに遺棄をすればよいだけの話で両者ともカバン毎持ち帰れない理由がある筈で目的のブツを回収するまでは手元に置いておく必要があったのは間違いないと思う。移動手段として車を所有していない或いは年齢的に免許取得不可で距離的な制約から小呂川土手を選んだということも可能性は低いながら一考してみる必要はあるだろう。

最近気づいたことなのだが、例えば犯人が4月30日に契約満了にて退社、
その日のうちに退寮して実家なりに帰る体で寮をあとにし、5月1日は彼女の下校時間の目安を知るために高岡公園に身を潜め5月2日に犯行に至ったとすれば退社済ということであり捜査の手が及ぶまで十分に時間稼ぎができたろう。犯人は「18時半から19時くらいまでには確実にそこ(現場)にいることのできた人物」で、所謂勤め人には中々ハードルが高い条件でもある。ひょっとすると彼女が通学する時間帯は把握できていたとしても下校時間の目安が解からず5月1日までそれをしることができなかったからこその5月2日の犯行ではなかったのだろうか。
そう思ったことを最後に付け加えておく。
そして、現場付近の住人の方の優しさにもふれることができ改めて感謝その一言しかない。

去り際にもう一度だけ現場に黙祷を捧げにいくと、ひと際大きな花束がおかれていた。ひょっとするとご遺族がいらっしゃったのかもしれないし、
彼女のことを未だに強く想う誰かが捧げたものかもしれない。
美しい華もやがては朽ち、次の世代への栄養となりそして土へと還る。
その繰り返しだ。
犯人との闘いは風化との闘いでもある。
闘いは遺されたものに託されている

闘いの1年がまた始まった。


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