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蒲郡市神ノ郷町女性殺人事件

豊田の取材後、宿舎で痛飲してしまった。事件について調べると色々やられるという感覚は、私にもあって普段は飲まない酒を飲まざるを得なくなるのだ。例えば平塚タクシー強殺とか多摩マンホール等の現場なら一種のエアポケットの様な「非日常的」とか「そこだけ空気の違う」異常性みたいなものがそこはかとなく感じられる場所ではあるのだが、大半は「何故、ここで?」という疑問から始まり、運命の悪戯という言葉では済まされない「やるせなさ」だけが胸に残ってしまう。先日の取材でも「ただの田舎道」で起きた事件であり、さわやかな川風の吹くのどかな田園風景の中での出来事と考えるとやっぱりやりきれない気分になる。痛飲も仕方ないことかもしれない。この事件も通称「オレンジロード」と呼ばれるのどかな農村で起きた事件である。
今回の記事は短編

事件概要
発生日:2016年3月9日から10日にかけて
被害者:蒲郡市神ノ郷町兼京在住の73歳の女性
死因:絞殺
凶器:携帯の充電器コード
発見場所:被害者宅1F仏間

①被害者宅(母屋)は息子宅と渡り廊下で連結されていた
②評判のミカン農家であった
③前日(3月9日)朝、九州に旅行に行く息子嫁・午前中(夕方との報道もあり)に近隣住人によって無事が確認されている
④3月10日連絡がつかないことを嫁が息子に相談。息子は22時10分出張先(中国から急遽帰国との報道もあり)から帰宅、被害者宅仏間で遺体を発見し通報
⑤隣室である居間から仏間に遺体を引きずったような跡(血痕)
⑥耳から出血 首に二重にまかれたコード 頭にビニール袋が被されていた
⑦防御創なし 打撲創は不明 目立つ外傷なし 服装はセーター・ズボン
⑧居間の窓ガラス鍵付近にこぶし大の穴 居間の窓ガラスは開いたまま
⑨玄関の鍵は施錠されていたが普段鍵のかかっていない母屋勝手口も施錠
⑩同じく普段は鍵のかかっていない渡り廊下は前日施錠されてたことを嫁が確認
⑪物色した形跡なし
⑫発見当時、室内の一部は灯りが点いていた

これをどうみるか…以下私が気になる点

①居間から仏間に遺体を移動した理由
②防御創がなかったこと
③窓ガラスの穴は偽装か
④勝手口を施錠したのは被害者か犯人か
⑤被害者の服装からわかること
⑥物取りと鉢合わせしたのではなさげ
⑦充電コード

①から説明しよう。犯人は小柄に見える高齢女性の遺体を引きずっていることから体力はそうない筈で態々遺体を仏間に移動させたのも信心深さからきたものの可能性を感じる。ここをもって犯人自身も年齢がいっているかひょっとするだが体力的に女性の可能性も視野に入れた考察が必要な印象を受けた。考えすぎかもしれないが、仏のいる場所につれていったという意味が込められているのだろうか?
②つまり、居間で普通に会話などしていたときの出来事なのではないか
③寧ろ殺害後に物取りの犯行にみせかけようとした可能性を感じる
④この家のルールを知らない人物が犯人だった可能性を示しているのではないか
⑤服装からして就寝中を襲われた可能性は低い(犯人が着せたのでなければ)
⑥だとしたら農作業着姿であったはず
⑦これが被害者か家族のものか或いは外から持ち込まれたものか、ビニール袋とあわせ居間にあったものなのかその点は気になる
最大の疑問はビニール袋が被害者の死後に被せられたものか、犯行時に被害者の苦しむさまをみてとっさに被せたのかそこである。

このビニール袋が
犯行時に被せられたのであれば
①強い殺意
②苦しむさまを正視できなかった
あたりか
犯行後であれば
③よく知る仲なので正視できなかった

ということになるのではないか、着色されたものであれば、②③の可能性はより高くなるが、透明のものであれば①の線が濃くなる。
いずれにせよ物取りの犯行ではなさそうに思うのだが…

実は豊田の取材を終えた翌日、現場である被害者宅を訪れた。
印象としては、まず交通量が案外多く被害者宅も幹線道路に面していてはいるものの、付近は昔ながらの住宅地で一歩入れば車一台がやっと通れるくらいの道幅であり、車を停める場所を探すだけでも一苦労する。
つまり、外部の人間の犯行であれば被害者宅から少し離れた場所に車を停めるしかなく、移動中に人目につく可能性は高そうであるが、特に目撃情報もないところから犯人は被害者の生活エリアの事情に熟知していたのではないかと思う。

現場付近を歩きながら、ひょっとすると夕方以降に被害者宅を勝手口から訪問したのではないか?と思った。そして居間に通され、何かをきっかけに殺害に至り再び勝手口からいったん外に出る。その際、習慣からつい施錠してしまい(発見を遅らせる意図もあったかもしれないが)。居間の窓から舞い戻って鍵は置き場所或いは被害者の懐に返し、再び窓から逃走したと考えられそうである。但し、鍵の情報が全くないのでなくなっていない場合の話ではある。

実は動画を撮影したにはしたのだが、被害者宅には今もご遺族が住んでおられるし、下調べもそこそこの手探りの状態での現地訪問であった。撮影しながら、先に記事を書いておくなりある程度実績が必要だったではないかとの結論に至り動画も削除し公開も中止した。こんな経緯があった。

近いうちに再び現場を訪れ、周辺情報も集める予定であるので暫しお待ちいただきたい。


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