「松井元哉 第113回医師国家試験 不合格発表閲覧之地」に関する一考察⑶

 前々回そして前回と、「松井さんがなぜ一関で不合格発表を閲覧したのか」を考えてきた。
 今回から2回にわたり、「なぜ松井さんは石碑を建てる手段に至ったのか」という問いに移りたい。

 なぜ、よりによって石碑を建てたのか。これについては⑴の記事の中で、一つの仮説を提示している。
 それは、「何らかの理由で、松井さんにこの石碑を建てる機会があった」というものだった。

 何らかの理由で石碑を建てる機会があって、「じゃあ不合格の記憶でも残すか」と思いつき、実行した。という線であれば、考えようもあるだろう。
 対して、松井さんが不合格を知った際に「このことを石碑に残さねば」とすでに思いついていたのであれば、それまでになってしまう。
 そして、松井さん以外の誰かが建てたのであれば、もはや考察の余地はない。したがって、このような仮説に至ったというわけだ。
 いったい何が、松井さんに「石碑を建てる」という手段を選ばせたのか。考えていきたい。

もう一度石碑を観察しよう

 以下に例を示すように、一口に石碑といっても様々だ。
 自然石に文字を手彫りしたものから、切り出した石材へ工業的に文字を彫り込んだものまである。石材業界には明るくないが、後者はしばしば銘板とも呼ばれるようだ。

自然石・手彫りの石碑
https://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/h27/photo/ph062.html
工業的に掘った石碑
https://www.thr.mlit.go.jp/shinsaidensho/facility/iwate-2-017.html


 ではここで、例の石碑をもう一度確認してみよう。

 石の模様から見るに材質は、お墓などにもよく用いられる御影石だろう。それが薄い板状に切り出された、シンプルな造り。文字も九分九厘、工業的に彫られたものだろう。
 そして、この画像では見づらいが、台座にも注目したい。これは石ではなく、コンクリート製だ。コンクリートの台座に石碑を埋め込み、地面に穴を掘って設置したと見える。
 おそらく、台座まで石造りにするよりも、こっちのほうがコストがかからないのではないだろうか。沓石と呼ばれる石製の台座を置くとなると、熟練した職人技が必要となる。
 沓石に関する詳しいことは、以下のブログを参照されたい。愛知県で営業している石材店が、分かりやすく解説している。

 神社の石碑ができるまで~沓石(土台石)加工~ : 石灯篭(とうろう)庭園造園・神社寺院用石製品 墓石の老舗石屋㈱杉田石材店 (livedoor.jp)

 実物を見る限り、石碑としては簡素かつリーズナブルな造りをしているようだ。ともすれば、石材業界に明るい方なら「これは石碑ではなく銘板だ」と判断するかもしれない。ここではわかりやすく、石碑という表現のまま続けさせてほしい。

 リーズナブルだろうとはいえ、建てるためにいくらかかったのか、相場を知るのは難しい。一点ものである石碑は、施主の要望次第で値段が大きく変わるからだ。
 色々な石材店のホームページをざっと調べてみた限り、石碑自体の値段はたいてい10万円を超えてくる。建てるには、よほどの踏ん切りがいるはずだ。
 ただ、その金額を松井さんがどうやって捻出したのかは、今回考察しないこととする。お金回りは完全に個人の問題で、知りようがない。ただ一つ言えるのは、「どれだけお金がかかったかはともかく、松井さんは支払った」という事実だけだ。

石材店はなぜ、注文に応じたのか?

 石碑があるということは、松井さんがどこかの石材店に作成を発注したということだ。となると、次に浮かぶ疑問は、「なぜ石材店はそんな注文を受けたのか?」だ。
 しかし、おおよその答えはすぐに出る。単に、「注文があったから」だろう。内容が公序良俗に反するものでない限り、たいていの石碑は作ってくれるはずだ。
 そもそも、パッと見ただけでは何を意味するのかはわからないが、意味を知れば納得する石碑というのは、日本に数多くある。以下に挙げるのはその例だ。

https://toyo-2.jp/archives/post-115362.html

 これは、大阪府に実在する石碑だ。「電話」とだけ彫られた石碑で、これだけではなんなのかわからない。
 だがリンクに示したブログによるとその正体は、電話線がこの地下に埋まっているとを知らせるためとのこと。ちゃんと役割があるのだ。
 もう一例、静岡県に実在する石碑を挙げたい。

https://www.todaart.jp/17356.html

「あ」の一文字。一見しただけでは、「電話」以上に謎だ。
 これは、知育絵本の第一人者・戸田幸四郎氏が手がけた、「戸田幸四郎絵本美術館」にある石碑だ。
 なぜ「あ」なのか。これも、リンク先のブログからわかる。
 戸田氏は知育絵本の原点と称される、ひらがなを覚えるための絵本「あいうえおえほん」を制作した人物だった。
 「あいうえおえほん」で検索してもらえれば、きっと誰しも見覚えがあると思う。五十音と、その文字から始まる単語を載せた絵本という形態は、たしかに知育の原点だろう。
 そのため、この石碑を建てた人には、最初のひらがな「あ」の一文字のみで十分に戸田氏を顕彰できるという思いがあるのだろう。

 二つの例を挙げたが要するに、すぐに意味がわからなくても、それぞれの石碑には作った人の意図が込められている。石碑を作る石材店はあくまで、その思いを要望どおり形にするだけ。といったところではないだろうか。
 さらに石碑に限らず、「個性的なお墓」でネット検索していただければ、さらにオリジナリティあふれる墓石が多く見つかる。石材店にとっては、ある程度突飛な注文でも、どんどん受けたいのかもしれない。
 もっとも、松井さんがどんな思いで不合格を石碑に残したかは、本人のみぞ知るところではあるが……。 

石碑という手段に至ったのは、必然?

 最後に残された、「なぜ松井さんは石碑を建てるという手段を思いついたのか?」という問い。次回予告もかねて、情報を提示しておこう。

 前述したように、石碑を作成し建てるのは石材店の仕事だ。そして、例の石碑を手がけたのは、一関市周辺の石材店だろう。
 なぜかというと、たとえ松井さんが岩手県外に住む方だったとしても、地元をよく知る石材店を差し置いて、そうでない業者にわざわざ頼むというのは考えにくいからだ。

 さらにもう一つ、偶然にも一関市には、とある特殊な事情がある。
 それは、一関市が岩手県きっての石の産地だということだ。

国道沿いにある、石の産地をアピールする石碑 (google map)
道の駅も、同様に大きな石碑でアピール (google map)

 一関市と宮城県の境に位置する室根地区は、「室根石」と呼ばれる石が採れる。それだけに多くの石材店があるうえ、採石業者が町の有力企業として稼働している地域なのだ。
 上記の画像のとおり、ここは地域を挙げて石の町であるとアピールしている。
 なお、室根石はいわばブランド名であり、材質としては御影石だ。例の石碑も同じ材質ではあるが、室根石でできているとは言い切れない。町の石材店も、室根石以外の御影石だけ扱っているわけではないだろう。
 いずれにしろ、この地区は石の生産と販売が盛んというわけだ。

 なぜここまで石が名産であるとアピールしているのか。これは自分の考えでしかないが、2005年までこの地区は「東磐井郡室根村」という自治体だったからだと思う。

合併前の一関市

 上記の画像は、2005年の「平成の大合併」で一関市となった自治体の内訳だ。このとおり、かつて室根村はいたって小さな村だった。
 その村において、一番の名産は石材だった。それをアピールする流れが、合併した今日まで続いているのだろう。
 なお、室根地域はこのほかにも、霊峰・室根山というスポットもある自然豊かな土地だ。立ち寄った際は、ぜひとも自然に目を向けてほしい。 

 最後に、前回の結論をもう一度思い返してみてほしい。
 松井さんが岩手にゆかりのない人間だったとしても、例の石碑の場所を通るに足る理由。それを、以下のとおりとした。

「松井さんは卒業旅行で平泉を見物。その後は震災に近い時期だったこともあり、さらに沿岸部を目指した。その最中、スマホ等で合格発表を見る。そして不合格を知った瞬間に、この地点を通っていた」 

 例の石碑がある一関市川崎地区(旧・川崎村)と室根地区(旧・室根村)は、国道で結ばれている地域だ。
 平泉と沿岸部を見物するとなれば、よほど寄り道しない限りこの国道を使う。ゆえに、松井さんが石碑の場所を通っているとなれば、室根地区を通っているはず。(下記画像)
 石材の町をアピールする室根地域を見て、松井さんに多少なりとも思うところがあったのではと、思わずにいられない。その点は、次回にもう少し詳しく考察しよう。

ピンを刺した場所が、例の石碑(旧・川崎村)

 もう一度示しておくが、松井さんが石碑を建てる理由を完全に特定することはできない。そもそもの真実は、松井さんのみぞ知るところだ。
 それでも、石碑を建てるに至った要因を挙げて、考察の一助にはなるはずという試みで、この記事を書いてきた。
 次回でそれらをまとめ、ひとまずの結論としたい。

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