後編 | 柄谷行人『哲学の起源』/ 紀伊國屋じんぶん大賞を読む。

第三回紀伊國屋じんぶん大賞受賞作、柄谷行人『哲学の起源』を紹介いたします。※前編・後編に分かれています。今回は後編のソクラテス編です。


ソクラテスの哲学とはどのようなものだったのでしょうか。このことを考えるときに、本書で特権的に扱われるのが『ソクラテスの弁明』です。ソクラテスは何も書きませんでした。ソクラテスの考えは主にプラトンが書き残したものから遡行されたものです。そしてプラトンは、ソクラテスの名において、自分の哲学を語りました。しかしソクラテスの裁判に関しては、多くの市民がいたので、プラトンが勝手に創作することは許されなかった、とされます。

それでは、なぜソクラテスはアテネの人々から危険だと思われ、死刑を宣告されたのでしょうか。それは、彼がアテネにおいて、公人として生きることの価値を否定したからです。これは前代未聞の出来事でした。アテネでは、市民は公人として国事に参加するものであり、そのことは何よりも大切なことだとされていたからです。ただ、それは公的な政治や正義に関して無関心になる、ということではありません。ソクラテスは、本当に正義のために戦うことは、「公人」としてではなく、「私人」としてでなけばならないと考えました。そのことは、公人と私人の区別や、外国人、女性、奴隷などの身分制を否定することに繋がります。つまり政治的な「二重世界」を否定することです。それはイオニアのイソノミア、無支配を受け継ぐものでした。

それではソクラテスは、社会を変えるためにどのような方法をとったのでしょうか。それは、公的な民会に行くことではなく、公私の区別のないアゴラ、つまり広場に行き、いろんな人に話しかけ、問答に巻き込むことでした。そしてその問答は、聴衆全体に語るものではなく、一人一人への問いかけでした。

ここでソクラテスが示したのは、公人や私人、男や女、アテネ市民や外国人、自由民や奴隷といった、個人の属性を超えて存在する、「この私」としての個人の「徳」でした。それは外側から知識として教えられるものではなく、個人が内側から自発的に悟るものなので、一人一人へのその度ごとの問いかけでしか伝えられないものでした。一方で、それは放っておいて自然に生じるわけではないので、教えることが不可欠だとも言えます。
柄谷さんによれば、このソクラテスの対話は、フロイトの精神分析における分析医と患者の関係に似ています。しかしソクラテスが考えていたのは個人の救済ではく、あくまでポリスの問題、政治の問題でした。公人と私人の二重世界の廃棄は、個人の属性を超えた一人一人が固有名としての「この私」を自覚することによってしかありえない、と考えたのです。もちろんこの問答法は、失敗することもある偶然的なもので、結果としてソクラテスを死刑に追いやることになります。それはcriticalな、つまり危険であり批評的なものでした。

ソクラテスは問答法において、積極的なことは何も言いませんでした。相手の提示した命題に対して反対するのではなく、その命題を肯定した上で、そこから反対の命題が引き出せることを示すだけでした。
このような問答法は、パルメニデスやゼノンといったエレア派の論法を踏襲するものでした。そしてエレア派が否定したのが、ピタゴラスの二重世界論です。
エレア派はピタゴラスの二重世界論を否定するために、間接証明という技法を用います。
ピタゴラスは物質の根底に、数学でしか把握できないような「関係」が実在すると考えました。ここから、五感によって感じることができるような感性的な世界とは異なる、理性によってしか把握できない「真の世界」という観念が生まれました。それはまた、世界を静止的に、スタティックに見るものでした。運動に見えるものは仮象、つまり仮の像にすぎず、その根本には不動の世界があると考えたのです。

エレア派が否定したのは、このように世界を静止的に見る見方でした。
例えばエレア派のゼノンによる「飛ぶ矢は飛ばない」というパラドックスがあります。矢は飛んでいますが、ある瞬間、時間の幅が完全に0の時には、矢は止まっています。つまりある瞬間の矢の速度は0になります。そして、どの瞬間でもその時点では矢が止まっているなら、矢は止まっていて動かない、というパラドックスです。しかし現実には、矢は飛びます。ここからゼノンは「運動は存在しない」という命題を肯定すると矛盾が生じることを示すことで、「運動は存在する」ということを間接的に示しました。

このような物質と運動は切り離せない、という考え方はイオニア自然哲学の最も重要な点です。柄谷によれば、現代の量子力学は物質と運動が切り離せないというイオニア自然哲学の考えを継承しています。量子は粒子という物質であると同時に、波動という運動の性質を同時に持つからです。
プラトンは、ピタゴラスの考え方を受け継ぎ、運動する物質という考え方を否定しました。そして、魂が運動の原因であり、物質を支配する、という二重世界論を構築しました。そしてプラトンは、それをソクラテスの名において行ったのでした。

さて、エレア派が示したのは、「矢が飛ばない世界」、ピタゴラスが考えるような静止的な「真の世界」の否定です。これは仮象ですが、重要なのは、理性がもたらす仮象である、ということです。世界は神によって作られた、というような感覚的・空想的な仮象は理性によって退けることができます。しかしエレア派は、理性そのものがもたらす仮象がある、と考えました。それが「真の世界」です。それは理性によって訂正することができず、相反する命題が矛盾することを示すことによって「批判」することしかできません。
エレア派の間接証明について、柄谷さんはカントと比較して考察します。カントは「物自体」と「現象」と「仮象」を区別しました。私たちは「物自体」は認識することができず、認識できるのは主観によって構成された「現象」である、とされます。現象とは科学的な認識のことであり、この点で迷信や神話のような仮象と区別されます。通常、仮象は理性によって取り除くことができるのですが、仮象のなかには理性によって取り除けない、理性によって構成されるものがあり、それを「超越論的仮象」といいます。
カントの「現象」と「物自体」について、これは感覚的な仮象の世界と理性的な真の世界という対立だと誤解されます。しかし、カントが批判したのは、理性によって生み出される「真の世界」という超越論的仮象でした。しかしそのことが理解されず、「物自体」とは「真の世界」である、と理解されてしまいます。カントによれば、それは「物自体」を積極的に示してしまったために生じた誤解であり、物自体と現象を区別しないと矛盾が生じるということを示すことで、物自体があることを最初に間接的に証明すればよかった、と語っています。
ソクラテスの問答法についても同じことがいえます。ソクラテスはあなたがあなたであること、「徳」について、積極的に教えるのではなく、問答の失敗によって間接的に示した、ということになります。

それでは、なにがソクラテスをそのような行動に駆り立てたのでしょうか。それはダイモン、つまり精霊の声でした。ダイモンはソクラテスが公人として活動することを否定し、私人として活動するように命令しました。『ソクラテスの弁明』から引用します。

「これはわたしには、子供の時から始まったもので、一種の声としてあらわれるのでして、それがあらわれる時は、いつでも、わたしが何かをしようとしている時に、それをわたしにさし止めるのでして、何かをなせとすすめることは、どんな場合にもないのです。そしてまさにこのものが、わたしに対して、国家社会(ポリス)のことをするのに、反対しているわけなのです。」

なぜこのようなダイモンの声が到来するのか、ソクラテスにはわかりませんでした。しかし、ソクラテスは、その声に従うことを選びました。柄谷さんによれば、これはフロイトのいう「抑圧されたものの回帰」であり、そこで抑圧されたものこそ、イオニアにあったイソノミア、あるいは交換様式Dです。


以上で『哲学の起源』の内容の紹介を終わります。これ以前に柄谷さんがソクラテス以前の哲学者に言及した著作として『探究Ⅱ』があります。ここで柄谷さんはオルテガの『哲学の起源』を参照しつつ、「思想家」と「預言者」の類似性について論じています。より実証的な「哲学の起源」については、柄谷さんの批判者でもある納富信留の「始まりを問う哲学史」をネットで読むことができます。また、ゲンロンカフェで私と批評家の仲山ひふみさんが対談したときの「2014年の柄谷行人、あるいは回帰する「政治と文学」」という動画をニコニコ動画で見ることができます。ここで私は主に柄谷さんとデモについて話しました。また、いまや若手を代表する批評家であるひふみさんの柄谷行人論がたっぷり聞ける、とても貴重な内容ではないかと思います。ついでに、ゲンロンカフェを運営されている東浩紀さんは『存在論的、郵便的』というデリダ論で、プラトンが後ろに立ち、その指示のもとでソクラテスがペンを握っている絵が書かれた葉書を参照します。ここでデリダは、ソクラテスをイロニーへと駆り立てたダイモンの声を、幽霊の声として解釈しています。ここでは哲学の起源とは誤配であることが論じられていますが、まさにそのようなタイトルの書籍が『哲学の誤配』です。

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