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〖親孝行〗悲しいけど辛すぎないのは、母が残した優しさかと。

病気をしていたし、去年末に体調を壊したときに
もうすぐ死んじゃうんじゃないかなんて予測もしていた。

私は有難いことに?物心ついてから、人の死に向き合ったことがなく
大切な人の死がどういうものなのか想像が付かず、
もちろん喪服も持っていなかった。

母を亡くす、とは
想像を絶する深い闇の底へ突き落されて、
目玉をパンパンに腫らして人に会うこともできず
精神崩壊していくのかと思っていた。笑

私はなぜココまで、割と平気なのか。

もちろん病気をしていたから、遅かれ早かれその日がくることを
想像させられていたことは大きい。

伯父(母の兄)の提案で
誰も住んでいない伯父の家にひとりで住まわせてもらっていた
2年弱が、最後の悪あがきのような期間だったけど
母にとってはのんびり、誰にも気を遣わず
辛い時は何もせず休み
元気なときは外出した。
私は、最低月に1回泊りがけで会いに行っていた。
大きな買い物は車を出してあげられたし、車で10分くらいの大きな公園2ヵ所も数回遊びに行くことが出来た。

病気が悪化し、一人で生活できなくなった時に
もともと父と住んでいた家に連れ戻されることになるんだけど
弱々しくなった母に父はとても優しかった。

伯父の家に行く前の二人は、
とても仲良いと言える二人ではなかったから
あの 別居2年 を経たことが功を奏したと私は思ってる。

葬式前に父と兄と私 3人で実家で過ごしている中で
「最後可愛かったんだよ。結婚してすぐお前(兄)が産まれて2人で過ごしてる期間短かっただろ。新婚生活してるみたいな感じで・・」といい
父はわんわん泣いた。

本当は伯父の家で、一人息を引き取っていたかも知れない。
そんなさよならの仕方をしたら、きっとみんな後悔していたかも知れない。
辛いと言わない母は、
買っているうさぎのお世話がままならなくて、と自分のことより
うさぎのことを気にかけ、私たちに助けを求めたんだ。

実家に連れ戻して、数か月
父に 母への今までの苦労を労う時間をくれたんだ。。
スーパー介護ヘルパーのようになった父は、母のためになんでもやった。
全く嫌じゃなかったらしい。

そして、父が介護疲れする前に
母はタイミングを見て、さよならを選んだように思える。

私もピッタリそばにいたわけじゃないから
話したのはあれが最後
会ったのはあの日が最後
あそこにも行きたかった、
これから子どもたちのあんなことそんなこと話せないじゃん・・
なんて思うこともあるけど
きっと、私が話したいことや想いは伝わってる気がするし
病気と付き合ってた母に、私が一番寄り添ってた自負もある!

寂しいはもちろんあるけど
母は母で、たくさんがんばっていたから。
そろそろ楽になりたかったよね、と思うと
すごくみんなのことを想ったタイミングでさよならをさせてくれた
気がしている。

最後までおかぁらしいな。


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