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〖親孝行〗母とのさよなら

あれから、3ヵ月。

2024年4月2日 23:07
私の母は天国へ。

退院から、大きく変化はなかったから
記事にも出来ていなかったけど、
ヘルパーさんたちの大きな力をお借りしながら
仲良しこよしな夫婦ではなかった2人だけど、
父はお風呂に入れたり、毎晩決まった時間に点滴を交換し
食べられる食材の買い物をしてくれて
いつか一緒に温泉に行こうという家族の願いをかなえる為か
週に1度の点滴の針の交換まで出来るようになっていた。

発熱が続いていると聞いていた。
心配はしていたけど、訪問医療の先生から「膠原病の症状」と言われたらしいし、いつか落ち着くのかと思っていた。

3月28日父から 発熱と悪寒の繰り返しが続いていると連絡がきたから
週末顔を見に行くと伝え、
母とラインしをていると
トイレに行けず排便がオムツのなかで凄いことになるから・・
(おそらくそれを孫たちに見せたくない)ということで、
会いに行くことを断られてしまった。

3月31日今度は電話で父から 母の様子があまり良くないと連絡があり
その時、私は出先だったので、帰宅してから父に電話をかけると
「おかぁ今イスに座ってるよ(目の前にいるから具合が悪い話はできないよ)」という感じだったので、母と少し電話で話した。
その時が、母の声を聞いたのが最後か。
息子が「うさぎ組からきりん組になったよ」とかそんな話をした。

それから2日後の 夜。
後ろから救急車のサイレンが鳴っている、父からの電話。
もうなんて言葉だったかいまいち覚えていない。
とにかく、息が出来なくなっちゃったから今から病院へ行く、と。

すぐ兄に連絡をして。
ドキドキしながら、心の大半は「大丈夫だった」になると思っていた。
だから、慌てない慌てない。飛び出さない。連絡を待とう。と頭が駆け巡っていた。
横にいたパパは冷静で、車を出すイメージと子どもたちを車にどう運ぶか、のイメージをしていてくれたようで、

兄が父に連絡をして、
兄が私に連絡をくれて話したときは「いったん落ち着こう」ということになったのだけど
数分後には「パパごめん、行った方がいい気がする」と決断し
兄に「今から病院向かう」とラインを入れ
すっかり眠りについた子どもたちを毛布ごとくるんで車に乗せて
パパに運転してもらって、病院へ向かった。

父と兄と合流して、ほんの数分で看護師さんに呼ばれた。
まさかの「呼吸が弱いのでそばにいてあげてください」

え。




そこからしばらく先のことはしっかり覚えているけど
文章にするには、長くなりすぎるし
言葉を選びすぎちゃうので。割愛。

つまりは、家族で看取ることができました。
もう脳はダメと言われ
心臓は機械で動かされ
細く細く心音はあったけど、0になったり、30になったり
まだ微かに生かされていたけど
母はこのまま生かされ続けることを望まないのは容易に考えられたので
3人で決断をし、たくさん声を掛け
さようならをした。

がんばったね。
ありがとう。
大好きだよ。

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