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8月31日の夜に

※2018年8月31日にある場所に書いた文章を少しだけ手を加えて転載。気に入ってるらしい。


#8月31日の夜に  というタグがあって。
色々な方の言葉が読めて(著名人も一般人も)フムフムと思っている。
わたしなんかには暗闇の奥にいる方の気持ちをすくい上げることなんてできっこないし、思いつく言葉もないけれど、糸井さんの「今日のダーリン」に書かれていたコラムはスーッと心に沁み入った。

わたしまた入院してまして。
あ、いや。期間が決まった入院加療で、もうまもなく退院します。ただ寝てただけの10日間。
退屈に飼い殺され、ひたすらナンプレ上級者コースを解き続けた10日間。 

診断がついてから丸4年。
仕事休んで手術して、なんとか復帰して、それでも前みたいには働けなくて、じぶんのやりたいこと優先するために(じぶんの人生の先に当たり前にあると思っていた)結婚や出産も後回しにした。
そして今年ついに、だいすきな仕事も、手放した。
それなのにまた病院のベッドの上!!
なんでやねん、と思う事が人生にはたくさんある。

病気になった当時、「病気を理由に、あれもできない、これもできない。もっと大変なひとだっているのに!」と叱られた事があった。

でもね、違うんだ。
わたしは、わたしなりに、その時のじぶんにできることを探してた。
人生はいつも選択だから。
たくさんのものをいっぺんに手に入れる事ができるひとも中にはいるかもしれないけど(もちろん血の滲むような努力だってたくさんしているんだろう)
残念ながらわたしはそういったタイプの人間ではない。

たしかに、やってもみないで「できない」と切り捨てるのはかっこ悪いことかもしれない。
まわりの期待や自分自身の期待が、大きな力になって不可能を可能に変えてくれるような場面も人生にはあるのかもしれない。
(今年のイーサンハントも、それはもうたくさんのインポッシブルを全部ポッシブルに変えてたよ)

じぶんの人生の色々を決めるのに、わたしは選択肢がたくさんなくたっていいと思っている。

いまそれを選んだからといって、選ばなかったものを捨てることにはならない。
またそれを選ぶタイミングがやってきてくれるかもしれない。(来ないかもしれないけどそれはまたそれだ)

ただなるべくなら「じぶんで選ぶ」ということを大切にしたい。

じぶんに期待しすぎるのをやめよう。
できなくたって大丈夫。
いまできないだけで、いつのまにか出来るようになってるかもしれないし、なってないかもしれない。

それもまた人生だ。
だれのものでもない、わたしの人生。

これからわたしどうなっちゃうの??と不安な時も、できることをイメージする。
なるべく手に届く範囲の可能性を。

いまのわたしは数日後のお昼にスシローに行くイメージがばっちりあります。
帰ったら家で待ってる猫を、これでもかってくらいにギュッギュッします。
そして夜ご飯は焼肉です。
でもきっとはしゃぎすぎて疲れてしまってどこにも行けず、また落ち込んでいると思います。

暑くて暑くてたまらなかった今年の夏。
そのぶん、ちょっとした風に秋の訪れを感じてうれしくなったり。
人生ってきっと、そういうものですよね。


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あれから3年。はしゃぐってなんやろ…どうやるんやったっけ??って、忘れてしまいそうになるくらい大人しく過ごす毎日です。

その時その時、おもったことや考えていたことを、ちゃんと残すって大事なことだな、と改めて。

消えてしまいたいと何度もおもいながら生きてきたけど、文章が書けてよかったなあとおもう。

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