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視野が狭くなってきたので、視野を広げるために考えました、「そもそも論」

こんにちは!

ジャイガフェス以来、頭でっかちになりそうなときは、マキシマムザホルモンの「恋のスペルマ」動画を見るようになりました。

遊び心を120%解放してこんな感じで生きていけたら最高ですねィ!

と、そんなことをいいつつ、精神的にはドラえもんくらい頭でっかちなこの私。油断するとほんとすぐに遊び心を忘れて視野が狭くなっちゃうので、今日は視野を広げるために、この場をお借りして頭の体操をさせてください。

これまでブログで書いたことも多々含まれていますが、「大丈夫だよ、何度でも聞くよ」と、お金ももらっていないのに子どもたちにプレゼントを渡し歩く、12月24日の赤い服に包まれたおじさんくらい優しいみなさまに、今日は甘えます。

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そもそも。

人生というのは「壮大な暇つぶし」だとぼくは思っています。

それぞれ死ぬまでの「時間」という資産を与えられ、どのように生きようが個人の自由。選択肢は無限大。何をやってもいいし、なにもやらなくたっていい。

時間をどう使おうが、自分の自由です。

で、なるべくならこの時間を豊かなものにしたいな、とぼくは思います。

ここで理解しておきたいのは、「そもそもお前がそれだけ自由な選択肢を持てるのはとんでもねぇラッキーなんだぜ」ってことで、「感謝の心をぜったいに忘れちゃダメだぜ」ってことです。

「現代」の「日本」という国に生まれることができたのは超絶ミラクルラッキーなんですよね。

100年も年月を遡れば、やりたくもない戦争に巻き込まれ、大事な人を亡くし、やりたいことをやるなんてのは夢のまた夢、みたいな時代だったと思います。

恋愛だって、昔は「位」という壁に阻まれ、どれだけ両思いであっても結ばれずに涙を流した人たちが大勢いたはず。

磐之媛命(いわのひめのみこと)は、万葉集の中でこのようにうたっています。(ググったことをさも知っていたかのようにドヤ顔で紹介しています)

ありつつも君をば待たむうち靡(なび)く
わが黒髪に霜の置くまでに
<訳>
このまま私は恋しいあなたを待ちましょう。
私の黒髪に霜がおりるまで、白髪になるまでも。

さらに現代においても、日本以外の国では今日も飲み水や食べるものに困っている人がたくさんいて、なんと毎日800人もの子どもたちが命を落としているといわれているそうです。

単純な比較は失礼な気がしますが、事実として、これまでの世界史を振り返っても、現代の日本はかなり恵まれた環境であることはまず間違いないと思います。

もちろん、いじめとか、仕事がうまくいかなかったりでたいへんな思いをされている人はたくさんいると思うんですけどね。

サウナだっていけるし、ハイボールだって飲めますもの。

【ここまでのまとめ】
・人生は、壮大な暇つぶし
・どんなふうに時間を使ってもいい
・ただ、その状況は当たり前のものではないから、感謝の心は忘れちゃダメ

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では、どうすれば人生を豊かな時間にすることができるのか。

これをシンプルに言語化するのはかなり難しくて、というのもいろいろな要素が絡んでくるんですね。

たとえばぼくでしたら、すごく大切に思える友達がいるとか、無我夢中になれることをやるとか、好きな本を読んだり映画を見る、新しいことにチャレンジする、サウナに行ったりハイボールを飲んだりするなど、カテゴリーの違うたくさんの「豊か」という要素があります。

で、サウナが好きだから24時間365日サウナに入っていると幸せ、というわけでもなく、バランスも大切です。

さらに、なるべくしんどいことを避けた方がいいかというと、そうでもないわけでして・・・。

たとえば、「はじめの一歩」というボクシング漫画を読む限り、ボクサーは試合まで減量やトレーニングで死ぬほど苦しい思いをして、勝った時のファイトマネーも最初はちょこっとしかもらえないけど、試合に勝つ喜びはとんでもないものがあるらしいんですね。

ぼく自身の経験でいえば、フルマラソンとかも同じようなものといえるかもしれません。

すごくしんどい環境下にあっても、それが自分の成し遂げたいことへの道中であるなら、しんどい思いをする価値はあるといえて、それが「さらに豊かな人生の構成要素」になりえます。

このように、「人生を豊かに」といっても、人によって豊かさの定義は異なるし、シンプル化するのはかんたんではなかったりするのですが、それでもあえてシンプル化するなら、「死と向き合う」っていうのはけっこう効果的かもしれません。

たとえば、自分の寿命が1年後の今日、つまり2023年8月2日というのが予めわかっていたとします。その日に絶対に死んでしまう。

となると、ある程度時間の過ごし方が明確になると思うんですね。

実際にやれるかどうかは置いといて、死ぬまでの1年間、仕事をやめて旅に出る人もいれば、ひたすらに絵を描く人もいると思います。新しく音楽を始めたり、人を助けるために時間を使う人もいるかもしれません。

これはあくまで仮定の話ですが、人である以上いずれ死ぬことは確定しています。ただ時期がわからないだけ。

1年だと貯金額によっては、まったく働かずとも生きていけたりして、実感が湧かなかったりするので、常に「余命3年」ぐらいの感覚で生きていけると、「豊かな時間」が実現しやすくなる気がしますね。

3年経って生きていたら、「ラッキー!もう余命3年!」みたいに、3年スパンで区切るといいかも。

【ここまでのまとめ】
・「豊かな時間」は構成要素やバランスが多岐に渡る
・ヒントとして、「死と向き合う」といいかも
・「余命3年」をリアルに思い描き、その3年後に本当に死んでも後悔しないように時間を過ごすのがよさそう。

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続きはまた明日。

P.S.
みーんなでいい夢見て、ぽかーんと口を開けて幸せに眠れますように。

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