身の丈の感謝

先月15歳になったばかりの老犬が、極端な早起きさんになった。
今朝も04:17に、ソファで眠る私にドスッと突撃。
これを「わんこアタック」と呼んでいる。
そしてわんこアタックのあとは、
カリカリカリカリ……と前脚でシーツを引っかく引っかく。
ボロボロにされちゃたまらないから、仕方なく起床。
老犬に療養食とササミを食べさせ、薬を飲ませてから、
まだ薄暗い街の中を、ウトウトしながらゆっくり散歩。
昨日はミヤマクワガタにも遭遇。夏だね。いいねぇ。
あなたが私を起こすから、私は無理して早起きして、
動きたくないのに頑張って歩いてあなたにトイレをさせて、
ついでに自身の健康を維持している。
ともすれば終日座って原稿を書いている最凶に不健康な私が、
朝夕の涼しい時間帯に、合わせて4000歩近くのウォーキング。
なにもかも、あなたのおかげ。
歩かせてくれて、ありがとう。
私の愛しい老犬に感謝。

「次のお休み、ラーメン食べにいこ!」と、近所の友人からLINE。
次の休みというのは私ではなく、友人のパート業務のこと。
「生存確認」という名目で、たまにこうして誘ってくれる。
先日は焼肉へも行った。私の懐事情を熟知している彼女は、
決して「高級店がいい」とは言わない。
私がチェーン店の名を挙げても、不満顔ひとつせず付きあってくれる。
次の休みに行くラーメン店も、私が「今度はラーメン行きたい」と言ったから。
「無事? ちゃんと食べてる? たまには立って運動しなさいよ」
心配してくれて、ありがとう。
私の愛しいご近所さんに感謝。

「お母さん、元気やったよー」
互いの母が、同じサ高住にお世話になっている旧友からLINE。
私の母とも、よく言葉を交わしてくれるようでありがたい。
「あんたのお母さんな、いつも楽しそうやで。めっちゃかわいいなぁ」と、
母の状況を報せてくれる文面が愉快で楽しい。
旧友自身、治療の困難な病気を抱えているのに、誰に対しても常に明るい。
「あんた、これ好きやろ?」と毎年……もう十年は越えるかな、
美味しい乾麺を送り続けてくれている。
高校時代から続く唯一の友達。
ずっと仲良くしてくれて、ありがとう。
私の大切な旧友に感謝。

「距離感はわかってるから、いいよ」。
私の表も裏も仕事内容も私生活のゴタゴタも全部知っている、
気遣い無用の気楽な親友。
執筆中は心にフタをしてしまうこと、人に会いたくなくなること、
感情の起伏が失せること、逆に高低が激しくなること。
全部知ったうえで、最初の言葉を口にしてくれる。
執筆沼から浮上する際、私はいつも罪悪感にまみれてドロドロで、
生活不適合状態に、完璧に仕上がっている。……干上がっているとも言う。
そんなとき玄関に、そっとおやつを置いていってくれたりする。
豆腐やゴマ油のときもあったな……。
いまはご主人の転勤で大阪にいるけれど、数カ月に一度は東京でランチしている。
私が昼間、外へ出られない状態のときは、夜の家呑みにシフトする。
会えないときは、花火の動画や夏祭りの動画で楽しみをお裾分けしてくれる。
花火も祭りも旅行も行かない私が、世間の様子を垣間見られるのは彼女のおかげ。
遠くに行ってもそばにいてくれて、ありがとう。
互いを親友と言いあえる関係に、感謝。

来週は彼女の家へ、東京の友人たちが泊まりに行くそうな。
私は老犬がいるし、そもそも旅費が出せる状況ではなく、
仕事もあるし、いつものように「ごめん、パス」と。
せめて気持ちだけでも一緒に乾杯したくて、美味しいクラフトビールを贈った。
「私を思って(笑)みんなで呑んで」と。
無理せず、それぞれの状況を慮って楽しめる関係が、心地いい。

母を守ってくれている実家の兄や姪っ子たちには、美味しい梨をどっさりと。
「ありがとなー」「こっちこそー」と、感謝しあえる関係が嬉しい。
「お盆に行けなくて、ごめんな」と私が言えば、
「老犬おったら仕方ない。無理せんとな」と、いつも兄は優しい。
歳をとって、いろんな順番が近づいてきて、
改めて兄と妹という互いの関係を見つめれば、互いの存在に感謝するばかり。
支えてくれて、ありがとう。
兄という大きな存在に、感謝。

今日は8月6日。
日常があることに、こうして続いていることに、
明日からも平和と安全と無事と安心が続いてくれることを祈って、
心からの感謝と黙禱を。


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