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視力をおとしつづけてめがねを必需品としてしまった生活


はじめに

 仮性近視と医師から診断されたのが中学2年。それ以来、じわじわと近視にすすむ。大学にはいる頃にはつねにめがねをかけつづけるようにいわれた。

それ以来、裸眼でよく見えたことはない。めがねを必要とする生活について。

かけつづけなくても

 中学2年のころ。席がえで教室のいちばんうしろに。すると黒板の字がかすんで見える。つかっているチョークがかわったのかなぐらいに思っていた。授業が終わり日直で黒板の文字を消しに行く。するとはっきりとみえる。

すこしはなれるとぼやけてくる。おかしいなあと帰宅してから親に伝えた。すると数日おかずして眼科へ。

仮性近視とのこと。その頃でいずれも0.5~0.7ぐらい。教室のいちばんうしろでなければとくにこまるほどでないけれど、念のためにめがねをつくった。見えなければかけなさいと医者のことば。

中学、高校とかけたりはずしたり。つねにめがねを持ち歩く生活に。そのようにしつづけて大学入試まではそれでよかった。だいじなときだけめがねでおぎなう。それほど視力は落ちなかった。それであんしんしてしまった。

乱視がはいる

 大学にはいり階段教室でのこと。200人ほどの大きな講義室でうしろ半分の席では裸眼で見えないのでめがねをかける。ところがどうもよくない。まんなかに移動しても、あかるいひだりはしのほうでもダメ。

数か月まえの健康診断で視力はさほど変わらないが見えにくいかんじ。そこで眼科へ。すると目に異常はないが乱視があるらしい。めがねをつくりなおしたほうがいいとアドバイスをもらう。

それまで乱視についてはよく知らなかったので気にとめてなかった。図書館でしらべる。どうやら医師のいうとおりめがねで補正する以外ない。しかたなくめがね屋にむかう。

するとあきらかに見えやすくなった。おそらく念いりにはかったせいか視力もすこしおちていた。この時点の視力で乱視にくわえて0.4ぐらい。たいして見えていないのに慣れですごしてしまっていた。

わかいころの生活

 大学院に進むころにはつねにめがねをすつけていた。風呂などめがねをしていないと自分の幅の感覚と通路などが合わずにうでをぶつけたりつまずいたりがめだっていた。夜の家庭教師にむかう自転車もめがねは必需品。

どうも周辺部の感覚が実際と合っていないようす。視力が落ちてきたのを実感する。ここまでくると乱視とともに視力の低下がすすみなかなかからだの感覚が追いついていかないらしい。

なにしろ文字を追う生活。朝の新聞にはじまって、大学院では論文をよみ、おわると家庭教師でテキストをみつめる。目を休めることがない。

視力はすこしずつおちていて両眼とも0.1をきっていた。看護師さんが視力表のどこをさしているかすらわからない。ここまでくるとあちらこちらにぶつかる理由になっとくできる。

おわりに

 その状態で推移している。見えなくなりかねませんよと医師はいう。たしかにこれ以上の低下は避けたい。目をだいじにしなかったせい。維持するにはしっかりめがねをかけつづけていてください、と医師から。めがねをつくりに行くとつぎは合わせるレンズがないらしい。たしかにめがねは医療器具。

目を酷使しているのはたしかにそう。ちかくばかり見つづけている。たまにはとおくの山や海をながめに行こう。せっかくそんな場所にすんでいるのに活かせていない。

 身のまわりのきらめくようすがいとおしい。このところさかんにカメラに撮ろうとするのもその反映かも。タイトルの写真はムラサキシキブの実。

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