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エホバの証人の教育体制

エホバの証人の日常の一幕として、普段の学習の様子をお伝えしたいと思います。結構いろんなプログラムがあるのと、あとは時間拘束は大きいです。改めて振り返ってみました。


■ 集会

エホバの証人では「教会」という言葉を使いません。集まる建物は「王国会館」という名前です。そして、皆で集まって学ぶ事は「集会」と呼ばれていました。30年くらい前の当時、週に3日集会がありました。今はもう少し日数が少ないみたい。そんな時間割を振り返ってみたいと思います。

まず、エホバの証人では、基本的な活動の単位が地域ごとに区切られていて、大体70から100人くらいの人とその居住地域で分割してその単位を「会衆」と呼びます。これが基本的な日常活動の単位となります。さらにそれを20人前後の人数で区切って「群れ」と呼んで、細かな活動は「群れ」で協力して実施していました。

週3回の集会は、基本的に全国(世界)でプログラムが統一されています。火曜にはそれぞれの群れのメンバーで集まることが可能な家に集まって、「書籍研究」という学習があります。これは1時間で、その時々の本を1章ずつ勉強していくというもの。木曜には会衆で集まって「神権宣教学校」と「奉仕会」というものがそれぞれ1時間ずつで2時間。こちらは主に会衆のメンバーが与えられたテーマに沿って話を作り、それを発表します。そして日曜に「公開講演」と「ものみの塔研究」これもそれぞれ1時間で2時間です。

最初と最後にお祈りをするのと、会衆で集まる場合には「賛美の歌」というものを歌います。この歌がオリジナルソングになっていて、一般的な「讃美歌」というものは全く知らないのです。伴奏の音楽を流して、合わせて会衆メンバーが一斉に歌うという感じで、歌はある程度上達するかも。あと、係りが色々あるのですけれど、音響の係りというのがあって、マイクの音出し、ミュート、音楽流しなどをやる人がいました。自分もやっていたことがあります。


■ 家での学習

集会での学習の時間は週で5時間ということになります。それぞれのプログラムは毎月あらかじめ決まっていて、火曜の「書籍研究」と日曜の「ものみの塔研究」は、一節ずつ代表の人が文を読み、それぞれに質問が用意されていて、それを討議しますので、予習が必要です。1時間くらいはかかるかな?

他にもいくつか。まず、「日々の聖句」という小冊子があり、日めくり松岡修造みたい(笑)に、365日分の聖書からの引用文と、それへの解説が載っているものがあります。これは毎朝家族で読むことが推奨されていました。あと、夜の時間に聖書を読みます。一日5~6ページ読んで、一年で読み終わるくらいのペースが推奨されていました。

あと、家族研究というものが推奨されていて、それをやっていた事もあったかな?週末に家で書物を読んで質疑応答する、火曜の集会のお家版という感じ。色々と学習の本があるのですが、「聖書物語」という子供向けの本から、「若い人は尋ねる」という思春期向けの本などあり、会衆で全般的に扱うよりは家で扱うのに適したテーマになっています。

集会は、今から思えば合理的で、毎週の日曜(地域の数会衆で同じ王国会館を使うので、時間をずらす。時々土曜日になることも)には公開の聖書の話をする講演会があります。それに向けて週の後半の木金あたりに他の人に聖書の話を伝えるトレーニングすることがメインの集会があって、火曜はテーマに沿って聖書を深掘りする学習をする、という形になっています。木の集会の「神権宣教学校」というものは、毎回四人くらいの人がテーマに沿って長短(5分~15分)それぞれの話を準備して皆の前で行います。これに僕は小1から加入していました。入ると専用の本がもらえて、トレーニングカリキュラムのようになっています。1章ごとに、「抑揚」とか「例えを用いる」とか「質問」とか、それぞれポイントやコツがまとめられています。それで、それをクリアするまで練習するという感じ。月に一度くらい自分の順番が回ってきて、お題に添って話を準備して発表します。「割り当て」と呼ばれていました。これの準備と練習をしないといけない感じです。


■ 神権宣教学校

今から思うと、この練習が苦痛でした。話を作る方がまだ好きでした。最初にやるのは、聖書の一部が指定されていて、大体読むと2分半くらいになる。その前後に、最初の掴み→朗読→どこかを強調してそれに関する話→結論、みたいなもので5分の話を作る、みたいなものでした。今思うと結構難易度高い(笑)。もう少し成長してくると、書籍の記事などの一部が指定してあるところから話を作るようになっていきます。

集会場(王国会館)には、前にステージのような所があって「演台」と呼んでいました。そこで、まあ説教というか、前から話すみたいな形で話をするのは基本的に男性です。女性は教えてはいけないと、聖書に書いてあるんですね。

「女は、よく従う心をもって静かに学びなさい。私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。むしろ、静かにしていなさい」
テモテへの手紙2章11節

という箇所です。

福音書の後の方の新約聖書部分で、書いたのはパウロという人。最初迫害者として反キリスト的な人だったものが、奇跡を見て改心したと有名で、教会組織を作るのに秀でていたと言われています。「目から鱗が落ちる」ということわざの元になった人で、キリストの姿を見て目が見えなくなり、数日して改心して目が見えるようになった時に、「目から鱗のようなものが落ちた」と記述が残っているところから来ています。

エホバの証人では、基本的に聖書に書かれている事は神様の導きによって書かれていると信じています(ここは他のキリスト教でも一緒かな?)。それで、どこまでがメタファーだったり、当時の一時的な教えなのか、もっと幅広い意図があるのかというところに解釈の違いがあると思うのですが、神様が関わって教えとして後に残す以上、意味があると基本的に考えて、それを重視しているのですね。

このパウロの残した教えに厳密に従うので、皆の前で話をするようなことは男性の仕事でした。代表して祈りを捧げるのも男性です。その集団に女性しかおらず、女性がそのような役割を担う場合、頭を覆うことで教えへの敬意を示すことになっていました(これも聖書の言葉からきています)。母などは、スカーフのようなものを三角巾みたいにして頭にまいていました。一抹の淋しさみたいなものは当時感じた記憶があります。知識も能力もあるのにね。

そう、それで神権宣教学校では、女性は前で話すということはないのです。代わりに、シーンが設定される中で相手の人に聖書のことを説明する、というような割り当てが設定されていました。そのことにそれほど当時不満の声みたいなものは聞いたことはありませんでしたが。


■ 大会

それと、大きな集まりとして「大会」というものがありました。郊外にいくつか大会のための大きな会館があって、大体2000人くらい人が入ります。そこに、15~20くらいの会衆が集まって、1日~2日のプログラムを受ける、という感じです。これが春と秋に「特別1日大会」と「巡回大会」という名前でした。この15~20くらいの会衆が集まる地域を「巡回区」と呼んでいて、そこにそれぞれ「巡回監督」という人が任命されています。巡回監督は、半年に一度くらい会衆にやってきて、集会や布教活動に一緒に参加したり、演壇で講演をしたりします。その巡回区単位の大会で、こちらは大体2日間でした。

巡回区が複数で集まる最大の会が「地域大会」というもので、夏休みシーズンに開催されます。こちらは3日~4日という大規模なもので、埼玉スーパーアリーナとか、東京ドームとか、幕張メッセなどを借りて実施していました。3万人~4万人くらい集まっていたと思います。ここでは、海外のメンバーが来て話をしたり、新しくリリースされた書籍などが発表されたり、組織体制が変わったり、などの大きな発表はここでされていました。会場で食事が準備されたり(事前に注文を集めてチケットを購入しておく)、割引のある宿泊施設が準備されたりしたこともあった気がします。

普段の集会でもそれなりに飽きたり眠くなったりしますが、大会だと丸一日なので、もっとキツイですね。巡回大会などは会場が専用に作られていますが、地域大会などはパイプ椅子などの事もあり、完全にエコノミークラス症候群です。座布団持っていくのは必須でした。

僕も大会の会場で話をしたことがあります。地域大会で一度インタビューを受けたのですが、これだけ人がいると遠すぎてよく見えないんですね。なのでそれ程緊張しなかったように思います。ステージ上でマイクなどの取り回しを間違えないかにドキドキした記憶があります。


■ まとめ

こうして振り返ると、学習時間だけで毎日1~2時間くらいはかかりますね。学校の勉強は別でする必要がありますけれど、必然的に国語や漢字(特に読み)は強くなりました。

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