見出し画像

とある新興宗教と僕のおいたち

僕は小さい時にとある新興宗教を信じる家庭に育ちました。そのことを少し書いてみたいと思います。


■ どんな宗教?

その宗教はエホバの証人といい、積極的に布教活動をすることで有名なので、皆さんもご存知かも知れません。英語だとJW(Jehovas witness=エホバの証人)と略します。「ものみの塔」と「目ざめよ」という雑誌を家々や駅などで配っていて、そちらの名前も有名かも知れません(「ものみの塔」は主に聖書の教えについて、「目ざめよ」は科学や政治トピックへの聖書的見方についてをメインで書かれています)。集まる施設を「王国会館」といって、郊外に建てられる事が多いので、こちらもご近所にあれば知っている方もいるかも知れませんね。

エホバの証人はキリスト教系の新興宗教で、元々はアメリカで設立されました。聖書の教えを良く言えば純粋に、悪く言えば原理主義的に信じて守っているという特徴があります。


■ 母が宗教活動を始める

ちょうど僕が生まれた頃、母親がエホバの証人の勉強と活動を始めました。僕は妹が二人いる三兄妹の長男です。実は僕の前にもう一人お兄ちゃんがいたみたいなのだけど、流産してしまったそうです。小さい頃、物心ついた頃にはその教えの元で育ちました。真面目に信じて活動(一部不真面目に)していましたが、20代で宗教を脱退しました。

脱退した時も紆余曲折ありましたが、親は今も宗教を続けていて、それでも今も交流があります。妹は家出するみたいにして出て行ったので、しばらく親とは交流がありませんでした。だけど、何とか繋がりを切らずに保つことができています。結局子ども達は全てエホバの証人を離れたことになります。

僕が幼い頃、父親は信仰に反対していました。だからいつも両親は大喧嘩していて、怒鳴り合いの喧嘩もするし、皿は投げる、本は破くで大変でした。今でも僕は、感情を表に出したり怒鳴るような人は苦手です。小学生くらいの頃は両親が機嫌が悪いとトイレで神様に「機嫌が良くなりますように」とお祈りしていた記憶があります。何故トイレ?と思いますが、1人になれるからでしょうか。

それで、小学1年生の頃に父親を何とか宗教の勉強会のようなものに引っ張り込んで、僕が10歳の時に、一緒に宗教に入信をしました。僕は後に行くのをやめてしまうのですが、父親は今も信仰を続けています。苦労をしたつもりはないのですが、なんというか、ずっと頑張っていた気がするし、珍しい体験をしたのだろうなと感じます。そこでどういう経緯で、どんな風に話して家族がそのようになっていったか、そして僕がどう変わっていったのかを振り返ってみたいと思っています。


■ 宗教を抜ける

20代初めに宗教を脱退したのは、皮肉なことに、真面目に聖書を勉強しようと思ってからのことでした。脱退といっても、公式なものではなくて、僕はもういかないよと宣言して行かなくなったというだけ。宗教から籍を正式に抜く、などとなると、排斥と言って内部の人と付き合いが禁じられてしまいます。最低限以外のやり取りをするな、食事も一緒に食べてはダメ、というものなので、両親とやり取りできなくなってしまいます。それで、ソフトランディングすることにしました。

当時(今もかな?)、エホバの証人では聖書を一年で通読することが推奨されていました。聖書というのは英語でBIBLEと言います。ラテン語でbiblioが「本」を指しますから、語源は単に本のことを言います。聖書は色々な時代に書かれた本が集積されていて、66冊の著がまとめられたものです。それを、一応すべて神様からの手紙なんだ、という形にして聖書としているわけです。一年で読もうとすると、一日大体5~6ページ読むと読み終わる、という量になります。これを当時10倍量読んで、一カ月弱で読み終えたのでした。

一般の教会でも、入り口の所に週一くらいで標語を変えて聖書の引用が載せられている所があります。「神の国は近い」とか「主はすべての命を見守っておられる」とか、そういうやつ。どの学習もそうですが、順序だててはいるものの、細切れでそれらの知識や概念が頭に徐々に入ってきます。それを一気に俯瞰してみることで、相互のつながりがどうなっているのか、そしてどんな所が矛盾しているのか。それが見えてしまったわけでした。

その日、「ああ、神様はいないんだ」と思った時のことは今も覚えています。気持ちは軽く乾いてカラッとしている、だけど目の前に誰もいない、そんな気持ちでした。空中に浮かんでいた大きなお城が逆さまに湖に落っこちて、その水面に1人で立っている、ような。

今までの人生で積み上げたものと根こそぎ全く違う方へ行く。そんな経験は大なり小なり誰もがするのだと思います。新しい進路に進む時は、期待に胸が膨らむと言いながら、いつだって少し淋しさみたいなものがある。ただ、少し困ったのは、全く新しく社会と自分の関係をどう考えようかということ。どう生きようかな、と思った記憶があります。


■ 文章にするということ

脱退の時に考えたこと、小さい頃のことなど、少しずつ文にしていきたいなと思っています。妹たちも、多くの脱退した人もそうですが、神様はいるかも知れないけれど、自分はエホバの証人で教えられるようには生きられない、と思っている人が多いのです。だから、やめても本当には自由になれていない。それと、よく「信じていて幸せならそれでいいんじゃない?」と言われることがあります。その事も考えたい。

新渡戸稲造が「武士道」を書いたのは、アメリカの弁護士に、神様を信じないなら君たちはどうやって子供に道徳を教えるんだ?と聞かれたのがきっかけでした。僕は5年程前から主催している読書会で武士道も皆で読みました。そこでは日本で慣習的に教えられ、大事にしている事が述べられていたけれど、根拠があるとまでは言えなかったのかなと思っています。僕も、自分が考えている事、思っている事しか書けないのだけれど、支えにしていることを書いてみたいと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?