キルギス 6of 8

ここで、首都のビシュケク(Bishkek)の市内外の見どころを活写してみよう。

観光客にとって首都ビシュケクはキルギス旅行の出発点であり、ここからスタートするからである。

首都であるから政治、文化、経済などの中心地であり、人口は約87万人。標高800mと面積124平方キロメートルに位置する。

1991年までの旧名はフルンゼ(露語、司令官の名)で、独立後のビシュケクという都市名は、キルギスの国民酒である馬乳酒を作る時の撹拌器の名前に由来するという。

なお、攪拌するとは、数千回、時には1万回もかきまぜるのだという。

 

ソ連時代につくられた典型的な町で道路は南北と東西に走り、コンクリートの5階建ての建物が多い。

ビシュケクは、2018年に140周年記念を祝ったばかりでまだ若い都市であるが、近代的なビル、銀行、大学、病院などのようなインフラが整備されている。

 

旧ソ連諸国はソビエト時代に作られた地下鉄を持つ国が多い中、キルギスはモンゴル同様に地下鉄が敷設されてないのが特徴。首都のビシュケクではあちこちで「マルシュルートカ」と呼ばれる乗合バスが走っており、値段も安く便利。ルートと値段が予め決められており、市内を巡回している。

 

 

・キルギス国立歴史博物館

ビシュケクの真ん中にあるアラ・トー広場に国の歴史を描写する品々が展示されている中央博物館がある。

「1階」は「ロビー」になっており、「2階」が「ソビエト連邦時代の展示」で、「3階」が「キルギスの歴史と民俗に関する展示」となっている

中にはキルギス遊牧民に関するフェルトの移動式住宅(ユルタ)、羊毛で作った絨毯、伝統楽器、国内で発掘されたサカ族時代の青銅器、ソグド人の遺跡からの出土品、石人、社会主義時代やレーニン革命に関わる像が並んでいる。

 

・マナス王像(Monument to Manas the Great)

歴史博物館の正面に聳え立っている像はマナス像。

前編で記述した様に、マナスはキルギス人が千年前から語り継いだ英雄叙事詩のヒーローでキルギスの象徴。

ここで、英雄マナス王について少し説明しておこう。

 キルギス民族には世界最長の民族叙事詩といわれるマナス王の物語がある。

タラス市(北西部に位置)にはマナス王の廟と言われる遺跡がある。

草原の民キルギスを少年マナスが統一していく物語で、『オデッセイア』や『ラーマーヤナ』をしのぐ世界一の長さを持つ叙事詩である。

マナスから始まり、その子セメテイ、孫セイテクと続く、計8代の事跡を謳い、クタイ(中華系)人とカルマク(オイラト族)人との戦いが叙事詩の主要なテーマになっている。

 

・キルギス美術館

一階には現代画家の展会場と土産店があり、二階にはロシアの有名な画家レーピンとキルギス画家の展示室がある。

他に、キルギス展示場では工芸品やキルギス自然を代表とする山、草原での生活、放牧している馬と羊群れの絵画や彫刻などがある。

 

・オシュ・バザール( Osh Bazaar )

その土地のことを知りたいなら、まず市場に行くのがベストであろう。

「アラ・トー広場」から市内を東西に走るメインストリート「チュイ大通り」を西へ3kmほOど進み、南へ1ブロック入った「キエフスカヤ通り」沿いにある。

ビシュケク最大のバザールで街の西側は衣類、東側は果物、野菜、肉などの食品が販売されている。値段が一番安い市場という。

乳製品販売の特別な店に馬乳酒も売られている。このバザールはいつも人々で賑っている市場である。

バザールには中国製の商品が溢れていて、品質的には問題があっても、安いために低所得のキルギス人は、よく買っている。

また、中国はキルギス国内の道路建設を援助して、超大型トラックで圧倒的な量の商品を送り込んでおり、更に、道路の傍に中国企業によるカジノを建設する計画もあるという。

 

ビシュケクの周辺を見てみよう、

・アラ・アルチャ自然公園(Ala-Archa N.P.)

ビシュケク市から約30km(40分)離れている自然公園である。

1976年に政府の法令で創られ、面積1万9400ヘクタールもある。

標高1,500から最高地点は4,895mに達し、ハイキングやスキー、登山に人気です。
野生の山羊やマーモット、鹿、希少なユキヒョウの生息地であり、数多くの高山植物を観察することもできます

川に沿った道で登っていくと雪に覆われているきれいな山が見えてくる。

公園入口海抜は1300m、ここから13キロほど歩いて行ったところに登山者の拠点がある。

自然公園には植物800種以上、動物130種、鳥150種以上があってフロラ(植物相)とファウナ(動物相)が豊かな公園。

代表する動物はオオカミ、イノシシ、マルコポーロのヤギ、ワシなど。

山好きな人にはハイキング、トレッキング、カローナ峰(4692m)コースがある。

 

・イシク・アタ温泉保養地 (Issik-Ata)

ビシュケク南東45kmにはイシク・アタ渓谷があり、こちらのイシク・アタ温泉もよく知られている。

1891年に温泉治療地として創られ、温泉利用の主な目的は病気治療で治療薬としての水をもとに建てられた保養地。宿泊も可能。

サナトリウム(療養施設)も兼ねており、個室の温泉と大きな温水プールのような温泉がある。

個室は建物の中にあり、狭い部屋の中で小さなバスタブに浸かるかたちだ。

看護師や医師らしきスタッフもおり、本当に病院で療養するような感がある。

客は年配の方が多い印象だ。

入り口を過ぎてすぐ左に曲がって突き進めば温水プールの温泉がある。

水温はそれほど高くない温泉だ。

こちらは25mプール程度の広さがあり、数十人は同時に浸かることができるが、水着着用。

雄大な山々に囲まれての入浴は実に気持ちがいいであろう。

 

・(岩絵)野外博物館

ビシュケク首都から270km(3時間半)、イシククリ湖のチョルポン・アタ町の北西の外れにある。

「イシク・クリ湖北岸」及び「クンゲイ・アラトー山脈の麓」に位置する約4,000年前に「イラン系民族カサ族」によって山の斜面に石に描かれたいろいろな動物の絵で、狩りをしている

人、野生のヤギ、飼いならされたユキヒョウなどの岩絵が「約900個」も広い敷地に点在してある。英語の解説看板もある。

整備を行えば「世界遺産」にも指定されるほどの遺跡だそうだが「予算」がなく「未整備」となっているそうだ。

野外博物館の広さが全部で42ヘクタール。

 

・ケレメットスー温泉

イシク・クリ湖の北岸に位置して、ツアー中に車の中で体が疲れた時にでも、温泉に入って、天山山脈を眺めると最高。クトゥルガという村にある。

キルギス人の中で温泉に入る習慣があまりないが最近ここの温泉が人気になっていて、行く人が増えてきている。

 

・カラコル街(キルギス語:Kapakon、英: Karakol)

カラコルはイシク・クリ地域において、最大の都市と行政の中心地でテルスケィ・アラトー山脈のふもとにあり、イシク・クリ湖の東岸に位置し、標高1,720mである。

カラコル湖という大きな湖もある

キルギス第4の町で、街の規模はそれほど大きくはないがイシククル州の州都である。

天山山脈の登山の基点でもあり、最高峰のポベタ(7439m)への登山口としても知られている。

旧名称はプレジバルシキーで1991年にソ連から独立後、カラコルに改名された。

1869年に帝政ロシアの軍隊により、要塞地として適当なところと選ばれ、そのあとロシア人とウクライナ人たちが町を築き、様々な民族が暮らしている文化の豊かな都市になった。

ここは要塞の町として地域の中心地だけでなく天山山脈への探検旅行、プレジバルシキーという19世紀のロシア探検家のロシア探検旅行のベースキャンプであった。

プレジバルシキー探検家は中央アジアを探検して、イシク・クリ地域だけでなく中央アジアの発展にも大きく貢献をした人として有名。

彼によって発見された品々が展示されている博物館がある。

 

カラコルは、ロシア人がキルギスに初めて攻めてきた土地だと言われており、9世紀の初め頃は、この街の人口の60%はロシア人であった。

ロシア人とウクライナ人によって街が造られてきたが、1910年、中国から中国系イスラムの回族であるドゥンガン人が来たため、ドゥンガン人とウイグル人が移り住む多民族都市である。

そのため、20世紀の初めに世界でも珍しい木製のモスクで、釘や金具を使わずに木材だけで建てられたドウンガン・モスクを中国系ムスリムのドゥンガン人の建築家によって創建された。また、ロシア人に建てられた木造建設のロシア正教の聖三位一体教会がある。

ここにはキルギスでの唯一の動物園もあり、毎週日曜日には世界2番目の規模の動物市場が開かれます。

 

・ジェテイ・オグズ奇岩(Jeti-Ögüz)

カラコルから25キロほどの西、海抜2,200mの所に温泉地ジェテイ・オグズがある。

それの近くに7つに分かれた形の面白い赤い岩肌の7頭の牛という意味のジェテイ・オグズ山が並んであり、これが7頭の牛に似ていることからジェテイ・オグズの地名が付いた。

ジェテ‘イ・オグズ川に沿って、南のほうに登るときれいなコック・ジャイクという草地に出れ、花のいろいろな種類が咲く行楽地。

 

・オシ(オシュ)街(Osh) 

ビシュケクから約10時間離れている所、キルギスの南部に位置。キルギスの二番目に大きい都市である。

キルギスに二つしかない州と同格の特別市の一つ。

同国南部のフェルガナ盆地に位置する国内第二の都市で、しばしば「南部の首都」と形容される。市街には3,000年の歴史があり、1990年と2010年にキルギス人とウズベク人の対立によって生じたオシ暴動の現場でもある。

2010年、キルギス南部で発生した民族衝突で、同国のローザ・オトゥンバエワ(Roza Otunbayeva)暫定大統領は18日、死者数が保健省の推計を大幅に上回り、2000人に上る可能性があるとの見解を示した。

国連(UN)によれば、キルギスの民族衝突により100万人が影響を受けた恐れがあると報告。

ウズベキスタンに近いから南部の全人口の5割くらいがウズベク人だからキルギスの北部で住んでいるキルギス人とは方言や伝統や習慣などが異なる。

 

先に説明した様に、オシ街のどこから見ても真ん中に世界遺産の聖山スライマン-トーオ(Sulaiman-Too Sacred Mountain)という神聖な山が見えている。

都市はシルクロードとして知られていた古代の取引ルート沿いの交差点に位置していて、重要な植民地として知られた。

実際に都市はアレキサンダーまたソロモン大王に創立されたという都市起源について様々な説がある。

有名なスライマン預言者がその山の下部に埋められたので、その時から山が神聖だと考えられて多くの信者の巡礼するところになった。

 

・オズゲン・ミナレット

オシ町から北東に約68km(1時間)、ウズゲンという町に位置。ウズゲン町は古代都市で

シルク・ロードの中継地であった。

11世紀のミナレットはカラハーン朝により建てられた赤い煉瓦でつくられた塔で高さは27.5m、下の部分の直径は8.5mある。

 

キルギス北部のトクマク(昔のベラサグン)と南部のオズゲン(昔のウズゲン)の二つの首都を持っていたトルコ系民族のオグズ、チギル、ヤーマ、ウズ、アズラルが暮らしていたカラハン朝(イスラム教を承認した最初のトルコ系王朝)の地域であった。

雪が積もった天山山脈と、緑のチュイ谷の自然美を、まるで装飾しているようなブラナの塔が存在する地域で行われた考古学的な発掘作業では、石の粉ひき、農業で使用する石器が発見されたことで知られている。

 

このミナレットがある地域では、レンガから作られた巨大な霊廟も見ることができる。

隣接する3つの部屋とひとつの入り口があるこの霊廟は、カラハン朝時代の君主、親族、名士のものと見られている。

ここで行われた発掘作業では1000年前の60体近くの遺体が発見されたと記録されている。

 

以上

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