イヌイットになった日本人-大島育雄

日頃、日本人には半可通であろう北極海のグリーンランドを取り上げてみよう。
 
第二次世界大戦後の冷戦下で、北極海を隔ててソ連と相対する位置にあるところから戦略上の重要度が増し、デンマークがNATOに加盟したため、1951年にアメリカとデンマークの間でグリーンラド防衛協定が成立し、アメリカ軍が基地を設置している。
なお、1979年に自治政府が設置されたが、主権は依然としてデンマークが確保している。
 
2019年8月20日、アメリカのトランプ大統領がデンマークの自治領グリーンランドをアメリカが買収することに関心を持っていることを明らかにしたと報じた。さすがに不動産王、目の付け所がすごい、と驚いたが、果たしてその実現性は?
トランプ元大統領は「買収した際の資源や地政学的な利点について検討するよう側近に指示した」という。
地政学的な利点とは、言うまでもなくロシアに対する戦略的な好立地を言う。北極海を挟んでロシアを威圧できるからであろう。


トランプは再び、記者団に対し「戦略的に魅力的だし、関心はある。最重要課題ではないが、デンマーク政府と話をしてみる」と述べたが、デンマーク政府は「グリーンランドは売りに出ていない」という声明を出すなど、グリーンランドが買収されることを一貫して否定しており、ロシアやカナダ、NATO諸国は勿論反発するであろう、実現は難しいであろう。かつて、アメリカは1946年にも買収を持ちかけたが不成立だったという。
今回もデンマークのフレデリクソン首相は「ばかげている」と一蹴している。
現実離れした買収話のように見えるが、アメリカにとって、北米に親中国国家が誕生するかも知れないという危機感を持っているのだ。
というのは、元々グリーンランドにはデンマークからの独立の動きがあり、そこに来て近年の温暖化で氷が溶け資源開発がし易くなるという変化が生じている。
自治政府は中心の首都ヌークなどの飛行場の拡充などをデンマーク政府に働きかけたが、デンマーク政府はグリーンランド開発に消極的であるため、自治政府は中国に協力を求めた。
一方、中国は乗り気で投資を約束、慌てたデンマークも急きょ出資を決めたが自治政府の不信感は強まっており、中国との関係を深めている。
 
アメリカは島北部のチューレに基地を置き北極海を睨み、米本土に飛んでくる大陸間弾道ミサイルを検知するレーダーを装備して防衛拠点としているので、グリーンランドが仮に独立して親中国国家となったら大きな打撃となる。これが、今回のトランプのグリーランド買収発言の背景である。
 
 

グリーンランドは北米大陸の北東に南北に横たわる面積約217万平方キロの世界最大の島である。日本は約37.8万平方キロである。
ドイツは、35.8万平方キロ、グリーンランドの自治権を有するデンマークは僅か4.3万平方キロの面積である。日本は決して小国ではない。
 
グリーンランドはデンマーク王国の一部ではあるが、1979年に自治権を与えられ、2009年には自治法が制定された。
現在、グリーンランド人の多くは福音ルーテル派のキリスト教徒である。 1721年から1953年まではデンマークの植民地であった。
北極海に面しているが、80%が氷に覆われているため、島全体が低くなっているという。
 
地球儀はデスクに置いておくものだ、そして時々グルグルと回して地球
サイズの世界観を醸成して欲しいものである。
 

 グリーンランドの人口は5.8万人あるが、殆んどの人は南部の漁業中心の居住区に住む。
現在はデンマークの主権のもとに、自治政府が統治している。
 
先住民はカナダなどと同じイヌイットであったが、10世紀頃からスカンディナヴィア半島の西岸のフィヨルド(峡湾)を拠点としたヴァイキングアイスランドを経て移住し、酪農などを営なむようになっている。
 
西暦980年代にアイスランドのヴァイキングは、欧州人として初めてグリーンランドを発見した。
これは「赤毛のエイリーク( Erik the Red」と呼ばれる人物によるものである。 
彼の父は人を殺したのでノルウェーの西南部からアイスランドに移住してきたが、エイリークもまた同じ理由でアイスランドを追放され、グリーンランドの東南海岸沿いに南下した。
そして、南端のフェアウェル岬を迂回して西海岸のエイリーク島でひと冬を過ごし、西南海岸のフィヨルドに入りその奥に上陸した。その地はグリーンランドで最も肥沃な土地であった。
エイリークはアイスランドに戻り、新しい土地を「緑の島」(アイスランド語でグリュンランド)という魅力的な名前で呼び、アイスランド(「氷の島」)の島民に移住を勧めた。
986年、25隻に男女が乗り組み、グリーンランドに向かったが、嵐に遭い、わずか14人が到着したにとどまった。
グリーンランドこそ“アイスランド”と言え、樹木など全くない。
この最初の入植地はプラッターリズ(急斜面というイミ)と名づけられ、「東植民地」の中心地となった。後に西海岸の北極圏近くに「西植民地」が設けられた。
グリーンランドに入植したのはノルウェー人であったが、14世紀にノルウェーがデンマークと同君王国(カルマル同盟)となってからは、デンマークが当時の強国であったのでその領土となった。
なお、カルマル同盟とは、1397年、デンマークのマルグレーテ女王が主導したデンマーク・スウェーデン・ノルウェーによる 同君連合である。
16~18世紀はデンマークによる探検、入植、キリスト教(ルター派プロテスタント)の布教が行われた。
ノルウェーの独立(1905年)後はグリーンランドの帰属問題が起こったが、第一次世界大戦後、国際連盟の調停でデンマーク領と確定したのが1933年である。
 
 
それでは、本テーマの“イヌイットになった大島育雄(1947生)”の生き様を探ってみよう。
 

 冒険家・植村直己は、1972年から1973年にかけ3ヶ月間エルズミア島(北極圏にあるカナダ最北部)遠征の調査目的でグリーンランドへ飛び立った。この村に滞在し、エスキモーと共同生活し狩猟や犬ぞり技術を習得した。
植村から半年遅れてこの村を訪れた大島育雄は、当地で定住して猟師などをして生活した。
大島は一度日本に戻ってきたものの、イヌイットと共に3ヶ月過ごした極地シオラパルクでの暮らしが忘れられず、運命に引き寄せられる様に当地に再度戻る。
 
大島は冒険よりも極地での生活に強く魅かれたのだ。2年後、村の女性と結婚した。狩猟を糧に家族を養う生活を続け、1男4女をもうけた。今は孫が5人もいる。
 
 

 時に、大島の長女の大島トク(猟師・漁師)の日本での近況報告があるので伝えよう;
大島育雄の長女として、グリーンランド北西部のシオラパルク村に生まれる。現在はカナック村に暮らし、狩猟・漁業を営むとともに毛皮を使った伝統工芸品の製作を行っている。
伝統的な犬ぞり猟や工芸を通じて、地元の子供たちにグリーンランドの文化を伝える活動を続けている。
また、科学者の研究・観測活動にも協力しており、研究者と共同で執筆した書籍「Meaning of Ice」が北極に関する優れた研究に贈られるノルウェーの「Mohn賞」を受賞している。
 
 
さて、大島育雄の定住地は、グリーンランド最北端の集落であるシオラパルクグリーンランド語西部方言:Siorapaluk)で、グリーンランド北部のアヴァンナータ自治体カーナーク地区にある。
先住民集落としては世界最北部である。
 

1989年版

まず、グリーンランドを鳥瞰しよう。
人口は約5万人(2020年1月)。
村民は極地イヌイットの言葉であるイヌクトゥン語(北部方言)とともにカラーリット語(西部方言)を使用する。
グリーンランド語では、イニューイ(エスキモー)、グリーンランド人を意味するカラーリが使われる。
 
村民の多くは、1880年頃にカナダ領の地域(現在のヌナブト準州)からスミス海峡(グリーンランドとカナダのエルズミーア島との間)を渡って来たカナダ・イヌイットの子孫である。
 
高度に発達した狩猟文化や極寒の地で生きるための様々な知恵と工
夫が必要であり、大変な仕事だけれど誰に命令されることもない猟師の仕事や、自分の責任において自由に生きられる生活である。
こうした魅力から、大島は登山家としてではなく、猟師として、イヌイットとして生きることを選んだのだ。


資源が限られた極北で生きるために、エスキモーは野生動物を食べ、
その毛皮を利用しブーツや衣服を作る。
それでも毛皮は余るので、それを必要な人たちに買ってもらい、ささやかな現金収入を得る。
その毛皮も今は諸々な制限がかけられ値段がどんどん下ってきているのが現状だという。
 
しかし、イヌイットの暮らしも変わりつつあり、大島さんの息子ヒロシ君はいま「最後の猟師」と呼ばれている。孫のイサム君は9歳、イヌイットの世界ではそろそろ猟に出る年頃だ。
 1日中太陽の昇らない「極夜」。
暗闇の中でのアザラシ猟。
春の訪れを告げる「夜明け」への喜び。
ヒロシ君のカメラを通じ、冬から春にかけての一家の暮らしぶりを撮る。
 

海氷の上を軽快に走るそり犬たち。年々、海氷がとける時期が早まり、犬ぞりを使える期間が短くなっている。
グリーンランド北部のシオラパルク沖


 
小型船のキャビンで笑顔を見せる大島育雄さん
  
「アッチョ、アッチョ(右、右)」、8頭のエスキモー犬が引く犬ぞりが、ムチのうなる音とともに海氷上を駆け抜ける。
5月半ば、大島さんと長男の海(ヒロシ)君(28)の猟に出た。
白夜の北極圏。狙うのは、カナダ国境近くの海氷に生息するセイウチとシロクマだ。
住居のあるシオラパルクは、グリーンランド西海岸の最北部に位置する約20戸の集落である。
南極の昭和基地よりも高緯度で、一般住民が生活の場としている世界最北の地と言われる。
 
東京清瀬市出身の大島さんは1972(昭和47)年、日本大学山岳部OBして、極地の高峰に遠征する準備のため、村を訪れた。同じ頃、冒険家の故植村直己も滞在していた。
 
以前は、10月から7月まで海は一面の氷だった。
しかし、近年は、突然、濃紺の海が開く、この時期にこれほど村に近い場所まで氷が割れることはなかったのだ。
廃船を譲り受け、自分で修繕した。これで気温零下20度の氷縁まで何日もかけて遠征し、単発ライフル銃でシロクマやセイウチと渡り合う。
大島や村の狩人たちは大型ボートやスノーモービルを使わない。
代金や燃料代がかさむ分、動物たちを狩らねばならないからだ。
「地球最北の村」でさえ、90年代に発電施設ができて以降、次第にモノが増えた。
「買うと余計なことをしなくてはならず、自分の時間が消えていく。まるで何かに操られているようだ」と呟く。
ソリは、狩りの獲物を動力源である犬の「燃料」とし、温室効果とは無縁だ。船も最小限に小型化だ。
そんな生活をしている人たちが、モノのあふれる国が吐き出した温室効果ガスに追いつめられる。
海氷が突然割れ、猟師が犬ゾごと流されることが増えた。
船での猟は天候に左右されるため、より危険だ。
何よりも海氷がなければ、海獣の猟は難しいのだ。
 
商品経済の浸透で現金収入が重視され始めたことや、動物保護運動の盛り上がりも、何百年と続いてきた伝統的狩猟にとって脅威となっている。
海氷が減り、シロクマすら水死しているというニュースが村に伝えられた。
極北の狩猟民はシロクマと同じ運命をたどるだろう。
どちらも氷がなければ、生きていくことはできない。
日本の同世代は定年退職した。自分も、現役で猟を続けられるのは、あと2・3年・・・。そう大島は考えている。

大島育雄の語りを聞こう、
『 自然を畏れ敬い、自然を真に理解しているひとびとの言葉はシンプルで心に響く、猟師というのは尊い仕事だなあ。
煩悩にまみれた現代社会に生きる私は、このひとたちの存在を、言葉を、もっと知りたいと思う。
グリーンランドにある地球最北の村シオラパルクに私が足を踏み入れたのは、1972年、25歳のときだ。私はカナダの北端にある山に挑戦するために、このエスキモー(イヌイット)の村で植村直己さんと3ヶ月の共同生活を送った。その後縁があってこの地に帰化し妻を得て猟師として暮らすようになり、以来50年。日本を訪ねたのは、4度しかありません 』と。

大島は、またこうも語る。
『 毎日毎朝決まった時間に家を出て電車に乗って会社に行ってタイムカードを押してそれなりの時間を費やして労働を提供して、毎月決まったときに決まった金額が給与として支給されて、そう、安定した生活と言えようか。
もっとも、毎月決まった日には住宅ローンや家賃や借金の返済や諸々の支払い期限がカクジツにやってきて、毎月ごとに決められた期限までに支払わなければならない(と強迫的に感じる)ことを考えるには、毎月ごとに支払いの原資となる給与が毎月決まって支給されると、なんとなく流れが確定して滞りなく流れているような安心感なるものがあるのか(少なくともぼくにはどうやらそう思う)。
ところで、サラリーマン(給与所得者)とは、考えれば考えるほどにフシギな在り方をしている。
たとえば、年俸とか年収という考え方があって、出来高に応じて(雇用契約ではなく業務委託契約に基づく)報酬として支給を受ける方法も僕にはなじみがある(かつて20代後半をそうして過ごしてきた)のだが、まぁ、会社が利潤を追求するものであり、会社が企業体としての組織を構成して維持するには、それなりのコストを必要とするのだけれども、直接的な収益力を有しないホワイトカラー(僕もココに含まれる)がゴロゴロいながらも機能している 』と。

 

グリーンランドは、人間が生きるのに楽な土地ではない。
しかし、イヌイットの祖先達は、約4000年から5000年前に、生きるためにこの土地へやってきた。
そして、生き残るために知恵を使い、その土地で獲れるアザラシを食べて生きる狩猟文化を生み出した。
したがって、かつてのイヌイットの男にとっては、偉大なハンターになることが唯一にして最高の人生であった。
そして、女たちは男たちハンターの妻となり、子供を育てることが生きることのすべてだった。
 
しかし、ここ50年程の急激な近代化の波で、伝統的な狩猟文化は変化を余儀なくされてきている。
北極圏に位置する世界最大の島グリーンランドも、世界の様々な潮流と無関係ではない。
 
例えば、1950年代に入ってきたアルコールは瞬く間に広がり、飲酒の習慣のなかったイヌイット文化は、アルコールに起因する諸問題に初めて遭遇することになった。
1980年代に起こった動物愛護運動の影響で、アザラシの毛皮の値段が暴落し、ハンターは狩 猟で現金収入を得て生活していくことが難しくなり、漁業、その他の副業にも携わるようになった。
 
また、地球環境の変化で、ここ数年は海の氷の張りが悪く、主に狩猟で生計を立てている東グリーンランドと最北地域は、このまま温暖化が続くと、ますます厳しい状況に立たされる。  
 
ここに、アルコール中毒や虐待、育児放棄、近親者の自殺などで、心身に深い傷を負った子供達が親元から離れて暮らす施設がある。
西部のウマナックという町に4才から19才までの、30人ほどの子供たちが暮らす、このウマナックの「子供たちの家」が行っているのがIce Schoolという独自の活動だ。
10年前に始まったこのプロジェクトは、海が凍る犬ぞりの季節(2月から5 月)に、地元の ハンターたちと一緒に、犬ぞりで狩猟の旅にでかける。
 
ハンターたちと密着して過ごす旅の中で、子供たちは、伝統的な漁猟の技術、氷上で生きる知恵を学びながら、様々な経験を通して、自分自身の人間として誇りを取り戻していく。
いったん負った心の傷が消えることは難しくても、その傷を乗り越えていける「生きる力」を養うためには、千の理屈よりも、生きた経験が役に立つに違いないとIce Schoolは信じている。
Ice Schoolを覗くと、仕留めたばかりのアザラシのしっとり濡れた毛皮のなま暖かさ、犬ぞりの上にゴロンと置かれ、ソリが揺れるたびに落ちそうになるのを必死で抱えながら、アザラシのヒゲの感触、肉体の生々しさを味わう。そしてそのアザラシが鮮やかに解体されていくとき、白い氷の上を染めた真っ赤な血、そしてその場で食べ た生の肝臓の新鮮さを体得する。
人間はこうやって生きてきたのだという素直な感動がある。
一方、過剰なまでの便利さ、物質的豊饒さの中に舞い戻って、余りにも用意された環境の中にいると、自分の創造力、そして想像力を働かせる余地がない。これは、とても淋しいことなのだ。
 
こうして、冒険家たちは、ときどき、グリーンランドの凍った海がたまらなく恋しくなるため、広大な氷原を犬ゾリで駆け、精神の自由お解放を叫ぶのであろう。
犬たちの息づかいを聞きながら、 冷たい安らぎに包まれると、命の奥から、ふつふつと静かな興奮が沸き上がってくるのだろう。
グリーンランドは冷たい氷に覆われている、一年の大半は寒い冬に支配される。
けれど、その寒さの中で感じる、人々のぬくもりは計り知れない。
氷った海の上で感じる、人間の存在のあたたかさ。
そこに人がいてくれることが、心をあたためてくれるのだろう。
 
山崎哲秀、荻田泰永、角幡唯介などの日本人の次の世代がグリーンランドの極寒に挑んでいるのはこのためだろう。
 
 
ここで、一人山崎哲秀を次にピックアップしてみよう。
 
 極寒の観測に生きがい 北極に感じた温暖化 植村直己に魅せられて 

カナダ・レゾリュート沖の海氷上で氷の厚さを測る山崎哲秀
 氷点下40度。凜(りん)とした空気の中、13頭の犬たちが一斉に走り始めると、そりはゆっくりと海氷上を滑りだした。「アッチョ、アッチョ(右へ、右へ)」。掛け声とムチで一つの方向へと進める。北極圏のカナダ・レゾリュート。 山崎哲秀(やまざき・てつひで) (45)の鼻先には鼻水のつららができ、長いまつげには氷が張り付いていた。
 北極海は昨年、氷の面積が観測史上最小を記録した。四半世紀にわたり北極の変化を見つめてきた山崎には、北極の声なき声が聞こえる。
 ▽原点
 高校3年の冬、父に初めて思い切りぶたれた。「将来、外国の山や海を探検したい」。京都市の進学校に在籍、当然大学に進むと思っていた父は山崎の夢を頑として認めなかった。泣きながら部屋を飛び出した。
 原子力発電所の技術者として働く父の後ろ姿を見て育った。米国から原発技術を日本に持ち帰り、昼夜を問わずに働き続ける父。厳しかった。
 福井県の美しい海の近くで暮らした。高校1年の時、冒険家植村直己(うえむら・なおみ)の遭難をニュースで知る。手に取った植村の「青春を山に賭けて」を読んで衝撃が走った。人生が変わった。
 卒業後に上京し、アルバイトで資金をためては海外へ。19歳の時、初めて挑んだアマゾン川はいかだが転覆し失敗したが、翌年、44日間で5千キロを下った。「冒険は知らないから行ける。知れば知るほど怖くなるから」
 ▽凍傷
 探検家を夢見た青年は2013年2月、北極の海氷上に犬と共にテントを張っていた。北緯74度。気温は冷凍庫よりさらに20度も低い氷点下41度。寒さで目覚めるとテントの内側は霜でびっしりだ。体から放出された水分が霜となった。寝袋も凍って箱のように硬い。
 「結構冷え込んだな。これで風が吹くと凍傷にやられてしまう」
 昨夜は、地吹雪でテントがバタバタと揺れ、外では犬が何度もほえていた。「シロクマが来ると犬がほえる。油断できない」。これまで何度も遭遇した山崎は、寝袋の脇に必ず猟銃を置く。
 こんろに火を付け鍋に氷を入れる。乾いたコメとステーキ大の肉2枚を入れて沸騰させ、一気にかき込む。「いっぱい食べないと体が冷えてしまう」。使い終わったスプーンは1分足らずで冷えて手に張り付いた。
 外では犬たちも腹をすかせていた。犬ぞりの技術はグリーンランドでイヌイットと長年生活している大島育雄(おおしま・いくお) (65)の所に通い詰めて教わった。
 犬ぞりは、人類で初めて北極点を制した冒険家ピアリーや、南極点を制したアムンゼン、そして憧れの植村も使った。
 イヌイットの間でも近年、スノーモービルが普及しているが、故障したら終わりだ。「犬ぞりなら故障しないし、遠くまで行くことができる」
 テントの中からドリルを持ち出すと氷に穴を開け始めた。氷の厚さを測る。118センチ。「今年は随分と薄いな」。例年ならこの海域は2メートル近くあるという。年々薄くなっている気がする。
 他にも気温、雪の温度、風速など15項目の観測を終え、その場でノートに記録した。急がなければ凍傷になる。「日本の研究者にデータを送っています。温暖化や気候変動の研究に役に立ててもらいたくてね」
 ▽勲章
 観測に興味を持ったきっかけは南極だった。04~06年、政府が派遣する南極観測隊に参加。国家事業として行われる大規模な観測の現場を目にした。「冒険だけじゃなく、観測も面白そうだな」
 帰国後、北極に飛んだ。犬ぞりチームをつくり自分で観測を始めた。やがて研究者から氷や雪に関するデータの依頼が寄せられるようになる。
 北極や南極の気候変動や生物の調査をする国立極地研究所(東京都)。北極観測センター長の榎本浩之 (55)は、山崎のデータを毎回心待ちにしている。「衛星写真では分からない実際の氷の状況が分かる。貴重なデータです」
 07年1月、海氷上を犬ぞりで走っていた時に突然、氷が割れた。とっさに陸地に飛び移ったが、犬たちを乗せた氷は沖に流された。大切なパートナーを全て失った。「真冬にあそこで氷が割れるなんて考えられない。北極に異変が起きている」
 現在のリーダー犬「陸」は、流された犬の子どもだ。山崎にも昨年、長男が生まれた。妻も元南極観測隊員。大阪府で大学職員をしながら夫を支えている。
 1年の半分を北極に単身赴任し、残りの半年は日本で講演をして費用を集める生活。最近は研究者の観測をサポートすることで給料をもらうこともある。「自分にしかできないことがある。なすべき仕事がはっきり見えてきた」。顔にいくつも残る凍傷の跡は、探検家の勲章だ。
 
 
グローバル化の波の中で、危機に瀕しているグリーンランドの狩猟文化について考えるとき、自分のおかれている文化にも思いを巡らさずにはいられない。
長い間、我々の祖先がどうやって生きてきたか?
そしてこれから、どうやって生きていくのか?
人は、そこに生きている人間の在り方そのものが文化であろう。
 
果たして私たちは、豊かな文化の顔をしているだろうか?
世界に誇れる顔をしているだろうか?  
 
グリーンランド最北の村シオラパルクに暮らす大島育雄は、グリーンランドに暮らして50年。グリーンランドで最高の毛皮は、大島の手によるものだという。
大島は最高のハンターとして、グリーンランドの人々の尊敬を集めていた。
世界にはいろんな生き方があって、望めば誰でもグリーンランドでハンターにだってなれる。
シオラパルクには発電所がある。上下水道システムはなく、飲用水は夏季には小川から、冬季には氷を溶かして得られる。
ゴミはゴミ捨て場に集積され、定期的に燃やされるが、ゴミやし尿の処理は大きな問題である。
 
テレ・グリーンランド (TELE Greenland A/S) が有線の電信電話サービスを提供している。また、ラジオやテレビの衛星放送が視聴可能である。
集落の店舗と郵便局は同じ建物に同居している。集落には集落事務所 (settlement office) 、看護ステーション (nursing station)や、集会場としても使用されるサービスハウス (service house) 、共同シャワー施設、共同ランドリーなどもある。
集落には公的な宿泊施設は存在しないが、民家に宿泊したり、テントを張ることが可能である。
 
2006年に集落には学校 Evap Atuarfia が設立された。学校は、礼拝堂および小さな図書館と同じ建物に入居している。医療施設はないが、定期的に内科医と歯科医が巡回に来る。
 
集落の北にシオラパルク・ヘリポートがあり、エア・グリーンランドが通年運営している。チューレ空軍基地経由でカーナーク空港とサヴィッシヴィク・ヘリポート便を運航している。
週2便の運航で、グリーンランド政府から補助金を受けている。空軍基地の乗り換えでは、デンマーク外務省からアクセス制限がかけられることがある。
冬季には、犬ゾりやスノーモービルが輸送手段に加わる。
7月から9月にかけては船が集落に接近できるが、集落には港湾施設がないため、浜で荷卸しや荷積みが行われる。
 
近年では、2006年に93人と最大の人口を擁したが、その後減少を続けている。住民(永住者)の数が今後数年間の内に増えることは予想されておらず、行政は再開発・建て替えによる集落の維持を図っている。
 
シオラパルク一帯は狩猟に適しており、集落周辺の断崖はヒメウミスズメハシブトウミガラスの繁殖地として機能している。ホッキョクギツネホッキョクウサギ、それに多くのアザラシセイウチも棲息する。

シオラパルクは北緯78度。昭和南極基地(南緯69度)よりもさらに極点に近い地球最北の村だからだ。
 しかし、いわゆる温暖化のため、チューレ基地の少し先のサビシビックまですら、年に一週間程度しか氷が安定しない。ましてウパナビックの方では海面は流氷のままで、とても犬ゾリで行くことはできない。
 2008年にはシオラパルクからカナックまでの間ですら氷が割れたりして、真冬でも犬ぞりで行くことができない事態になったことがあるという。

SDGs(持続可能な開発目標)は、2015年9月25日に国連総会で採択された、持続可能な開発のための17の国際目標である。その下に、169の達成基準と232の指標が決められている。
 
以上
(長くなりましたが)


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