キルギス 7of 8

最後になるが、雌飛した女性たちを挙げてみよう。

●     杢尾(もくお)雪絵UNICEFキルギス共和国事務所代表

私は、このブログの中で、国際結婚して国連で働く日本女性たちに焦点を合わせてその飛翔(雌飛)ぶりを描いている。

私が中央アジアの名を耳にすると、必ずと言っていい程に、中央アジアのタジク人と結婚し、この地で奮闘する杢尾雪絵女史が彷彿されるのである。

 

もう一度、杢尾女史の略歴を述べてみよう。

1960年  東京都生まれ。日本女子大学家政学部住居学科卒業後、建築事務所の都市計画部門コンサルタントとなる

1987年~ 青年海外協力隊(JOCV)としてフィジー へ

1991年~ 米コーネル大学へ留学(都市地域計画学修士号取得)

     この頃ちょうど旧ソ連が崩壊して社会主義国家が市場経済に移行しようとする過渡期であった。修士論文はルーマニアの市場経済化についてだったが、格差をなくすための社会主義が現実には崩壊していった、そういう状況に強い興味を抱いた。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のUNV(国連ボランティア)で、湾岸戦争直後のトルコ南東部クルド人難民キャンプに赴任

1993年 国連食糧農業機関(FAO)でローマ本部インターン

1995年~ JPOとして(教育・保健プログラムオフィサー)UNICEFモンゴル事務所へ

1997年~ UNICEFコソボ事務所長

1999年~ コソボの戦況悪化のためマケドニアへ避難。UNICEFモンテネグロ事務所長

2001年~ UNICEFタジキスタン事務所代表

2008年~ 出産・育児のため休職

2009年~ UNICEFウクライナ事務所代表

2014年~ UNICEFキルギス事務所代表

 

タジキスタン転勤の前は、ユーゴ紛争の真っ只中のコソボにいた、そこでも難民救援の仕事で大変だったようだ。

そもそも湾岸戦争のときには志願して、緒方貞子さん率いる国連難民高等弁務官事務所.のもとでトルコに行き、イラクからきたクルド難民救援をしていたのだから、筋金入りの紛争地女である。

 

彼女は45歳で結婚し、幸運にも47歳で子どもを授かった。夫の協力のもと、出産経験を経て、今まで知らなかったことをたくさん学ばせてもらったという。

タジク人の夫の出身はパミール高原で、ドゥシャンベからさらに車で二日くらいかかるところで中国との国境付近で何もないところで、そこで仙人のような生活をすることが夫の夢なんだそうです。

因みに、夫はタジク語とロシア語とパミール語ができて、私は日本語と英語で仕事をしていて、夫婦の間ではロシア語と英語の半々で生活しているという。子どもがどんな言語体系で育つのか楽しみなような、不安なような…でもどこにいても、子どもが生まれたら日本語はきちんとできるように教育したいともいう。

 

彼女のキルギスでの活動状況を追ってみよう。

一、2018年3月、キルギス共和国は日本政府からの620万米ドルの資金協力を受けて、国連薬物・犯罪事務所(UNODC)により実施される薬物規制と、UNICEFにより実施される母子保健システム強化に関する2つのイニシアティブを開始した。

 

署名式は、キルギス共和国サパル・イサコフ首相が開会を宣して始まり、山村嘉宏駐キルギス共和国日本大使、杢尾雪絵UNICEFキルギス共和国事務所代表と、アシータ・ミッタル国連薬物・犯罪事務所(UNODC)中央アジア地域事務所代表の間で合意文書が署名され取り交わされた。

この資金協力によりUNICEFを通じて実施される母子保健システム強化事業では、キルギス共和国の92万4千人を超える5歳未満児が支援の恩恵を受けるほか、プライマリー・レベルでの医療従事者の能力向上を通して、15万人を超える妊婦に支援が届きます。UNICEFと保健省はさらに、18の病院での水道、温水、暖房および下水システムを再建または修繕し、救命機器と物資を調達する。この事業ではまた、コミュニティや家族の参加を強化することにより、優先すべき保健ニーズを特定し、女性やケア提供者に対して育児方法を改善したり、必要な時に医療ケアを求めるための行動様式の変容促進を行う。

 

杢尾雪絵UNICEF代表は次のように述べている。

「日本政府とのパートナーシップにより、UNICEFの保健事業を拡大させ、より多くの子どもたちの命を救えるようになります。わたしたちは、キルギス共和国の全ての子どもに支援を届けようとする日本政府の継続的なコミットメントに感謝いたします。この事業では保健省の取り組みを支援し、子どもの死亡率のさらなる低下とユニバーサル・ヘルス・カバレッジの達成に近づくことを目指します。」と。

 

一、2015年10月、杢尾雪絵キルギス事務所代表が10月30日に都内で開かれた活動報告会でこう語った。

「キルギスでは年々、中東のイスラム色が濃くなっている。経済や教育、民族対立などさまざまな要因がそこには絡み合っている」と。

イスラム武装勢力に入る若者が増える最大の要因は、大きな産業がないことだ。キルギスの1人当たり国内総生産(GDP)は1299ドル(約16万円、2014年)で、パキスタンと同じぐらい。

GDPの約3割を海外出稼ぎ労働者からの送金に依存しているのが特徴だ。

学校を卒業しても、富裕層やコネをもつ者以外は国内で就職することは厳しい。

就職難に、「やりがいのあることがしたい」「自分の力を試したい」といった思いが加わって、若者はイスラム武装勢力に入隊する。

杢尾女史は「正確な数字は出ていないが、一部の調査では200~300人といわれる」と指摘する。

 

UNICEFは若者の武装化を阻止するために、キルギスの情勢を安定させたい考えだ。

経済や教育、他民族理解など複数の分野を支援する「平和構築事業」を手がける。

主なターゲットは青少年と幼い子どもたちだ。

教育分野では「青少年センター」を設置する。

このセンターでは、コンピュータや英語、ロシア語などのスキルのほか、平和や他民族との共存をどうやって実現できるかなどについても学ぶ。

「若いときから教養を身につけ、平和を考えることで、社会で活躍できる人材を育てられる。ひいては国の情勢安定にもつながる」と杢尾氏は効果を強調した。

また、UNICEFはかねて、平和構築事業の一環として、コミュニティを基盤とする幼稚園を設置してきた。

物件探しや家具作りなどを地域住民と一緒に進めることで、その地域が一体となる。

すでに64の幼稚園を立ち上げた。

地域の安定につなげる狙いがある。

 

キルギスの情勢を悪化させる潜在的な要因のひとつになっているのが民族対立だ。

キルギスは、人口の7割を占めるキルギス人のほか、ウズベク人、カザフ人などが暮らす民族複合国家。民族対立が起こることも少なくない。

2010年にはキルギス人とウズベク人の間で大きな暴動が発生。

470人が死亡、40万人が避難を余儀なくされた。

平和構築事業には、民族対立を防ぎ、政情安定を目的とする「複合言語教育」がある。

少数民族も、国語であるキルギス語、公用語であるロシア語を学び、加えて自らの言語も維持できるプログラムだ。

それぞれの少数民族がアイデンティティを保ち、ともに学ぶことで異なる民族同士の対話が生まれることを目指す。

 

UNDPキルギスでは法の支配・ガバナンス支援の中で、2016年に未成年者の結婚を禁ずる法律の起草を支援した。

この支援の中では、国会(議員)のみならず、教育科学省などの政府機関、地方自治体、市民社会団体、宗教指導者など全国で多くの啓蒙事業を実施した。

 

 

さらに国連関係では、次の人たちがいる。

知花くらら;国連WFP日本大使

国連WFP(World Food Programme、国連世界食糧計画)は、食糧欠乏国への食糧援助と天災などの被災国に対して緊急援助を施し、経済・社会の開発を促進する国際連合の機関である

 

知花くららさんは2007 年より WFP オフィシャルサポーターを務め、2013 年 12 月に国連WFP 日本大使に就任している。

2015年11月、JICA「なんとかしなきゃ!プロジェクト」(国際協力や途上国への関心を高め、自分にできることを見つけてもらうための活動)の一環として、中央アジアの国、キルギスも訪問している。

ここで、ビシュケクから車で東へ6時間、キルギス第4の都市、カラコルを訪れる。

訪問先では、女性を中心とした組合を作り、工芸品や加工食品の生産・販売を通して人々の生活向上や地域活性化につなげる取り組み、一村一品プロジェクトの現場を体験している。

 

なお、知花くららの略歴は、沖縄県那覇市出身、上智大学文学部教育学科卒業。

2006 ミス・ユニバース世界大会で第2位に輝き、現在はテレビやラジオ、雑誌、CM に多数出演し、国内外に活躍の場を広げている。

これまでにザンビア(2008 年)、フィリピン(2009年)、スリランカ(2010 年)、東日本大震災の被災地(2011 年)、タンザニア(2012 年)、エチオピア(2013 年)、ヨルダン(2014 年)、キルギス(2015年)を訪問し、国連 WFP の支援活動を視察した。マスコミやイベントなどを通じ、現地の声や国連 WFP の活動を伝える活動を積極的に行っている。

 

ここで、日本の著名人(芸能関係)で国連機関に関わっている方々を整理してみよう。

 

竹下景子

俳優の竹下景子さんは、国連の食糧支援機関のWFP 国連世界食糧計画(以下WFP)の公式支援窓口である認定NPO法人 国連WFP協会 (神奈川県横浜市・会長 安藤宏基)に初めての「親善大使」に任命されている。

蛇足だが、会長の安藤宏基君はは私の大学クラスメートである。

 

三浦雄一郎

プロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さんは、2015年を同協会初の男性親善大使として任命されている。

 

黒柳徹子

黒柳徹子さんは、国連機関のUNICEF親善大使として1984年の就任以来、世界の子どもたちのためのアドボカシーに尽力している。

 

アグネス・チャン

アグネス・チャンさんは初代の「財団法人日本ユニセフ協会大使」であるが、ここは

港区高輪に本部を置く日本の公益財団法人である(国連機関ではない)。英語名は the Japan Committee for UNICEF。別名としてユニセフ日本委員会を用いるがどうも紛らわしい。

 

千玄室大宗匠

・大正12年生まれの裏千家の第15代家元、千玄室大宗匠は、2005年に初めて日本・国連親善大使に任命されている。

 

 

JICA x MUJI共同プロジェクト(一村一品プロジェクト)による支援活動

なお、MUJIとは無印良品のことである。

 

良品計画と国際協力機構(JICA)は10月4日、都内で開催された「グローバルフェスタJAPAN2014」のサブステージ・プログラム「『MUJI』と『一村一品』inキルギス ~キルギスに行ってみてやってみて、感じたこと~」で、キルギス・イシククリ州で共同実施中の一村一品プロジェクトについての報告会を開いた。

JICAの一村一品プロジェクトとは、地元の資源を活用した商品づくりによって、地域活性化を支援する取り組みのこと。

両団体は2011年から、イシククリ州のボステリ村やタムチ村などでペンケース(1000円)やパスケース(800円)など7種類のフェルト製品の生産をサポートしてきた。

作り手は村の女性たち。その数は13年を例にとると174人に上る。

フェルト製品の生産規模は11~13年の3年間で4万6504個。

11年は単年で1万1350個だったが、13年は2万1654個と倍増した。

青年海外協力隊員としてイシククリ県で生産活動を支援していた五十嵐早矢加さんは

「このプロジェクトを通じて、女性たちがほかの村へ出かけるようになり、 人々の交流が活性化した。以前は情報共有を拒んで個人でしか活動しなかったが、次第に共同で展示会を開いたり、分担して大型注文に対応したりするようになった」

と変わりようを語る。

五十嵐さんによると、フェルト製品を作る女性たちの6~9月の4カ月分の収入は平均1万7072ソム(約3万4000円)。国際労働機関(ILO)の統計ではキルギスの製造業に携わる労働者は同3万9199ソム(約7万8000円)だから、その半分を稼ぐ計算になる。村で仕事がない“フェルト女性”の多くにとって、この現金収入がもつ意味は大きい。

フェルト製品のデザインには協力隊員の力も欠かせない。

13年には、イシククリ州都のカラコルで活動していた河田優紀さんがデザインしたロバとヒツジのフェルトマスコットが新発売された。

これらのマスコットは年内に、世界10カ国以上で売られる予定。

日本では11月27日から店頭に並ぶ。値段は1200円。

 

このプロジェクトは、2010年末に無印良品がクリスマス商品の企画で協力できないかとJICAに打診を行ったことがきっかけで始まった。

打診を受けたJICAが全世界の事務所に呼びかけたところ、80を超えるアイデアが寄せられたが、その中で最終的に選ばれたのがケニアとキルギスの一村一品プロジェクトからの提案があった。

無印良品は、この取組みで開発する商品について、それぞれの村の人達の努力とJICAによる生産管理体制づくりや品質管理体制づくり等の支援によって商品化が可能になった。

2012年も引き続き、この活動を現地とJICAと共にプロジェクトを続けている。

このようにJICAがイシク・クル湖の周辺の村々に一村一品を指導しており、ジャムや手作り製品なども売っている。

村おこしのマラソン大会も行われているそうだ。

 

このプロジェクトの対象地域であるイシク・クリ州では、人口の約半数が貧困層となっているほか、若者が職を求めて国外に流出している。

JICAは、このような問題を解決するため、観光産業や農業など最も開発のポテンシャルが高い産業に注目し、一村一品運動をベースとした活動を行っており、発展から取り残された内陸部や農村部等を対象に、農産物の付加価値を高めて農民の収入向上を図ること等を通じ、産業振興、コミュニティの活性化を支援している。

 

具体的には、一村一品の対象となる可能性のある製品を発掘し、共同で製品を生産するための

コミュニティ組織の立ち上げ、製品の改善、販売等を支援することである。

さらに、製品を売ってその結果を生産者にフィードバックする仕組みや、ブランド認定の仕組みにより官民の支援によって生産者のモチベーションを上げる仕組み作りである。

 

要約すれば、次の4つが狙いとする、

・女性に職が、家庭にお金が。

・ストップ! 若者の海外流出。

・ものづくりにおける良好な関係。

・コミュニティ間の活性化。

 

例えば、フェルト商品のできるまでの過程を説明してみよう(手作りで丁寧に作らせているという)。

1.フェルトの準備(汚れ落とし、洗浄、乾燥:1週間)

2.形作り(約1.4倍のフェルトの型を準備して、縦と横にそれぞれ各2回のせて、石けん水でぬらして抑える)

3.形作り(2の手順を両面とも3回ずつ、毛を乗せて作業を行い、形を作る:1時間)

4.サイズの調整(フェルトの縮絨(しゅくじゅう)大きさが1.4倍の大きさから指定のサイズに手でひたすらこすって、毛を絡ませて縮ませる工程:3時間)

5.毛羽落とし(サイズが揃ったら毛羽を丁寧に取る。)

6.天日干し

7.模様の刺繍/ボタン付け

 

しかし、JICAのボランティア派遣員の任期は最長2年間である。

派遣員には、ロシア語、キルギス語などのコトバでの意思疎通が最も大きな課題であろう。

無免許運転で高速道路を走るようなものだ。

以心伝心できる頃には帰国だ。どうもお役所的な規則優先である。

‘派遣’のための‘派遣’と揶揄されよう。

現地化を狙うKOICA(韓国のJICA版)を見習うべきだ。

事前に2ヶ月間の語学研修があるが、世界最悪と称される語学音痴の日本人が抱える大問題で、期待する効果が実際に発現されているのであろうか?

国民の税金である。甘くなるのだ。逆に派遣員に遊ばれてはいないだろうか?

次々と2年毎に派遣員が入れ替わるのだ。現地では日本人の名前さえ覚えきれないだろう。

日本女性が例のスマイルで誤魔化そうとすれば、キルギスでは誘拐されてしまう

毎年、入れ代わり立ち代わり数人のJICAボランティアが村民と身振り手振りで協働作業しながら、指導しているが、察するに余りある。

ボランティア制度を柔軟な発想で見直すべきでろう。

もとより、海外恐怖症の現代の日本人だ、JICAに依存するしか仕方がないのだ。

悲喜劇だ。

 

ましてや、例えば、「世界の村で発見 こんなところに日本人」というタイトルで2年間の

JICAのボランティア派遣員をいかにも喜劇的、ないし娯楽的に日本のお茶の間に放映している

TV局という日本のメディアとは一体どうなっているのか、世も末だ。

日本の大衆を茶化しているのだ。

 

「中央アジアの秘境 キルギス 3,000m級の山々に囲まれた村に住むたった一人の日本人女性」を探す旅に出た・・・

 

JICAからのボランティア派遣員(税金で)を‘世界の果てにて“大発見”したかのように放映し

大衆の視聴(率)を煽って、スポンサー側に媚びを売っている。

目を醒ましてほしい! これが日本のメディアの現実だ!

日本人のメディアへの信頼率72%、英は13%であり、そして米は23%だ。

TVばかり観ていると1億総白痴化が促されると揶揄されて久しいが・・・。

日本のメディアには国際競争力がないことことに起因している。

堕ちきったときはもう遅い。

生きよ! 堕ちよ!、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。堕ちる道を堕ちきることによって自分自身を発見し、救わなければならない」と誰かが書き残している。

 

以上

8 of 8に続く、

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