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少し孤独を体感し、やっと、世界が広がった。やっと謙虚になれた。(2)

続きです。

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なぜ、孤独と感じる状態になったか。
そこが重要だった。
大きく三つの大きな反省がある。

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①ネットという馬鹿デカイ世界への「緩い態度」

自分の武器(長期のビジョンとその技能(*技能といっても、自分が自信を持って言えるレベル)を用意せずに、広すぎる世界を相手にしたことが一つの理由だと思っている。

「クラウドファンディングを通じて資金調達をする」と決めてから、TWITTERで俗に言うインフルエンサーたちをフォローした。西野亮廣さんや落合陽一さん、家入一真さんから若手の起業家や編集長、デザイナーまで、幅広い層の意見を取り入れようとした。

その恩恵はすごかった。Newspicksの存在も知り勉強するようになる。世界は経済でできている事実も体感する。経済など無知だった自分にとって、知らない分野におけるツイートが走る。

領域は右往左往。方向性も様々。そんな圧倒的な量の情報と毎日、毎時間、毎秒のレベルで触れ合うことになった。

好奇心は強かった。ただ、自分のポジションがどこにあるかが揺れるに揺れる。

とうとう、自分の意見は世界のどこかへ流れていき、就職もしていない(=サラリーをもらって働いていない状態でなく、自分のエネルギーのアウトプット先を確保していていない状態)自分は路頭に迷うことになった。

さらには、多様性とは『皆違くて、皆正しいことを認めること』、という認識を自分の価値観にも取り込んでしまい、同世代や下の世代の偉業を見ては、「あ〜すごい人達いるな〜、皆素晴らしい。僕は皆に賛成する。ん、僕は何しているんだろう」とさらに悪いフローへと落ちていった。

自分のビジョン無きSNS参加は、泥沼へのワンステップとなった。

②「好き」という溝

既存の価値としては存在しない「好き」を思いつきで仕事にしようとし(ある程度、最初の期間はうまくいってしまっ)たため、中長期の達成度(具体的なビジョン)をうまく把握できず、自分の居場所がなくなってしまった。(そのビジョンを持続させる予算・資金への計画も不十分だった。)

個人的な人生の不可逆的矢印と、社会的な時間という不可逆的な矢印を、自分が今どちらで語っているのか、を意識できずに成果を出そうとしていた。独特な世界観重視の職人気質から生まれる作品としての立場なのか、プラットホームやシステムを開発するという立場なのか。個人単位では、好きなことをやりたいし、自分のこだわりをそのままの状態で表現していきたいと思う一方で、社会単位では、それをどう価値として還元していくかというビジョンがないと戦えない。

「好きを仕事にする」時代がやってきているものの、当たり前の話だが、それはその個人と社会をマッチングさせることがキーになっている。つまり、個人ベースの世界観をどう社会実装として「妥協」させるか、とも言えるだろう。「妥協」とは、あらゆる成果物のレベルを下げることでなく、成果物を地図上に放り出した上での観察とも言えるかもしれない。

「これ好きーーー!!」は素敵だし、それは直感的に、すぐ行動すべきだと思う。だが、すぐにその世界観は広まらないし、社会からの評価はまた別レイヤーで走り続けていることもたしかにある。長期にわたるビジョン・覚悟が必要なのだ。

僕はごっちゃになっていた。「好きーー!!」という官能的な部分を、「はい、これが自分の世界だよ。

「皆にはわからないでいいでしょ。わかる人だけわかって。」ではなく「これはXXXっていう感覚で、これはYYYって意味です。あー、それはですね、、、」というルールで、物事を進めたり、作品を作ったり、システムを実装したりすることが、個の価値観を社会に還元していくことだと気づいた。つまり、自分の価値観と愚直に向き合うということだ。(世のアーティストは「皆にはわからないでいいでしょ」と言いつつも、実はそれができている。素晴らしいアーティストにとっての「皆には〜」って発言は結果論であって、彼らはコンテンツや作品に対して、愚直な態度で向き合い、自分の世界観を伝えるべく自問をしている。)

③具体的なコミュニティに所属していなかったこと

これまでも①や②のような態度は自分の中にはあったけれど、うまく回っていた時期があった。それは、コミュニティに所属していた時期だ。会社だったり、サークルだったり、それはなんでもいい。

だけど、この当時、定期的に関わるプロジェクトもなければ、ましてやコミュニティに所属していなかった。

(実際にはオンラインサロンなどには入っていたが、A: 自分のコントロール値は0に近いこと、B: 自ら進んで参加を表明しなければならないこと、が理由で、自分にとってコミュニティとは感じれなかった)

①や②において、重要なビジョンも、コミュニティや仲間(定期的に鼓舞しあえる存在)がいることで、形成されていくだろうと思う。その点で、コミュニティの重要さは改めて確認した。

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少し余談になるが、

最近読んだ本に、前田裕二さんの『メモの魔力』がある。
この本は、メモを通じて、自分の体験したすべての時間に対して価値を見い出すための思考本だ。その中で、下記のようなモチベーション類型を紹介している。

・トップダウン:コンパス(価値観の軸)との関連によって重要度を決め、目標やゴールから逆算して行動をする。(例:西野亮廣・前田裕二)
・ボトムアップ:ワクワクするかによって重要度を決め、目の前の面白そうなことに飛びつくかを基準に行動する。(例:堀江貴文、箕輪厚介)

僕は確実に「ボトムアップ型」だろうと思う。だから、孤独にもなッタとも言える。「ボトムアップ型」がワクワクする体験をする機会を減らしたら、それは死を意味する。

「トップダウン型」という具体化という今年の目標を立てながら、再度「ボトムアップ型」の自分を再起させていきたい。

続く...

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