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少し孤独を体感し、やっと、世界が広がった。やっと謙虚になれた。(1)

最近になって、また活動を再開した。

活動とは、何かの具体的なプロジェクトではなくて、僕の人生ってところだろうか。ある時期を境に、いろいろなことがストップしていた。当時は自分がどんな状態か理解していなかったけれど、今振り返ってみると、ちゃんと孤独な期間を歩いていたと思う。

ただ、自分の中での葛藤や学びもあったし、孤独から脱した体験から得られる人生の本質があるからこそ、書き残しておこうと決めた。

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2017年6月7日、僕の妹Annが亡くなって、その1ヶ月後に「ある本」を作ると決めて、十人ほどのチームを作った。勢いで呼びかけて、勢いで作り始めた。

そんな本の資金集めは、好きな家入一真がやっているクラウドファンディングCampfireに挑戦した。クラウドファンディングでは、予想もしない大成功を納め、2018年6月頭に自費出版することになる。二冊を制作・出版した。皆が褒めてくれた。デザインやコンテンツに関して言うと、後悔がないと言えばNOだ。今は見返せないくらい反省しなければいけないものがたくさんある。だけど、一定の評価をもらい、「さすがJINだね」と皆が褒めてくれた。ニューヨークに支社がある、ある編集者から、「海外でも(英訳して)出しませんか」とお声をかけていただいた。

ただ、そこから僕は孤独になった。寂しさではなく、孤独を感じていた。毎日、朝には嫌気がさし、そんな中、大好きな親のハンバーグも味を感じなくなった。僕は、「元気を与える存在でありたい」がために、頑張って活動しているフリを続けていた。


なんだかんだストリートの先輩や大学の友人には恵まれていて、ご飯の誘いを受けたり、踊ったりもしていたし、収入に関しても本がある程度売れ続けたので心配はない。ただ、何を希望にしようか悩み続けた。そして、活動できていない自分が受け入れられず、人に会うことが億劫になり始める。

中高時代は生徒会長や級長、サッカー部の副主将を務めたり、大学ではゼミ長したり、その空間を明るくするキャラクターであるらしく、周りから「明るい良いやつ」というイメージだった僕だった。そんな自分が好きだった。

ゆえに、自分が一度決めたプロジェクトを楽しそうに続ける姿を見せてたし、(なんかうまくいかないなーと感じながらも)本の営業へ行ったり、イベントを企画しようと『頑張っていた』。


だからこそ、余計に憂鬱な5ヶ月が続いた。先が見えない。子どもの時から、父親に言われ続けた「行ってみよう、やってみよう」な精神は、自分の得意分野だったはずが、先が見えないという状況と、目まぐるしすぎるSNSの情報によって、駆逐された。デカすぎる世界に放り出され、(裸の僕に)「自由になにやってもいいよ」と社会は言ってきてるように思えたんだ。

こんな時期は、人生初めてだった。

続く...

https://www.instagram.com/ripple_room


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