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【コンテクストリサーチ:2】天気予報をテレビで見ること、と手紙

#情報としての天気予報

たまたまテレビのニュースを見ていたら、明日の天気予報が気になった。いつもはスマートフォンでサクッと調べるが、この時はテレビで天気予報が流れるまで待とうと思いCMを見つめる。天気予報という情報=実用的な価値を求めるのならばスピーディでイージーなスマホを使うかれど、天気予報士による、予報の振る舞いそのものに身を委ねたくなった。このときの天気予報は情報消費ではなく、情報体験として文脈を紡ぐものだった。「明日は最高気温28℃最低20℃、晴れ時々曇り」のように、実用のための消費される情報は、限りなく一義性を帯びたものでイージーに吸収でき、個人の文脈は伴わない。天気予報士の語りや佇まいなど、体験としての情報は、受け手には(情報自体を入り込みやすいかも含めて)多義的な意味を与え個人の文脈を紡ぐ。

#浮かび上がるメディア体験  〜手紙〜

どの媒体=メディアを使うかによって、情報体験の複雑性はある程度決まってくる。今回は、テレビゆえに、となりに母親がいてCMの時間を嫌々待ちながらも(誰かはよく知らない)天気予報士が天気を予報してくれることを待つ。その雑な受け手とのコミュニケーションこそがテレビだ。「明日の天気」を聞くためにCMをまたいだのに、実は聞きそびれてしまったので、スマホで天気予報を調べ直した。もはや、「明日の天気」という情報自体にテレビの価値はない。

私は年賀状を毎年200枚〜300枚ほど書いては送るのだけれど、これもメール、そしてSNSの出現で意味が変わってきた。紙というメディアは折れてしまうし、匂いもつく。ペンのインクが切れてしまう瞬間もある。従来それらは障害(弱み)であったものの、実用的な情報を便利で簡単にコミュニケーションできるようになり、この弱みが強みへに変わっていく。テレビの雑な受け手という条件も弱みだが、ある意味、テレビの強さである。そこには人の価値観が反映されるゆえに、万人に共通する弱み→強みのデザインはほとんどない。脆弱なメディアでさえも弱みが強みに変わる瞬間があると思えば、視野もアイデアが広がる。

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