私は思い出す、ために記録する(のか?)

以下は私の2021/12/11の日記であり、巡回展 「わたしは思い出す 10年間の育児日記を再読して」の記録・批評である。
注意:以下の文章は、2011/3/11の東日本大震災に関連します。直接の描写はないが、一応注意書き。*0


概要

2021/12/11、私はデザイン・クリエイティブセンター神戸(通称KIITO)で行われた展示とトークイベントに出かけた。
展示の概要をHPから以下、引用する。

展覧会概要:本巡回展は、2021年2月から実施された企画展『わたしは思い出す 10年間の子育てからさぐる震災のかたち』(主催:せんだい3.11メモリアル交流館、企画:AHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ])の展示内容に、新たな要素を加えて構成されたものです。
仙台での企画展を実施するにあたり、東北地方太平洋沖地震の前後に出産を経験した方を対象に、これまでの10年間を振り返るワークショップを実施しました。その参加者の1人がかおりさんでした。かおりさんは、第一子を出産した2010年6月11日から育児日記を綴り始めます。そしてその9ヵ月後、沿岸部の自宅にてあの地震に遭います。彼女はそのあとも日記を書き続けました。仙台での企画展では、育児日記の再読をとおして生まれたかおりさんの語りを企画者(AHA!)が文字に起こし、展示しました。ひとりの女性の育児の記録と記憶をとおして、あの地震からの10年を振り返る。そんな試みの成果を新しい要素も加えて神戸の地にて発表いたします。

私が見に行った展示の位置づけを説明する。*1

2021/2/11~2021/7/11に、宮城県仙台市のせんだい3.11メモリアル交流館にて、AHA!というグループの松本氏*2 が企画した企画展「わたしは思い出す 10年間の子育てからさぐる震災のかたち」が行われた。
「3.11」とも呼ばれる2011/3/11の東日本大震災から10年ということもあり、全国的に(特に新聞社やテレビ等のメディアでは)震災を振り返るような企画が組まれ、世間の関心も少なからずそちらに向いていた。
今、私たちの共通の話題が例の流行り病であるように、一つ前の私たちの共通のテーマは(公に話題にあげないとしても)震災だった。

展示も、当初は「震災から10周年で何か企画を」という依頼を受けてからのものだったようだ。そこからAHA!が立案した企画案は、沿岸部の小学校の小学3、4年生の保護者に協力をお願いして、育児記録の10年を震災記録の10年と重ね合わせることが出来ないか、というものだった。
仙台での企画展を実施するにあたり、津波被害に遭った沿岸部の複数の小学校の、10歳の子どもをもつ約600名の保護者に対してチラシを配布し、これまでの10年間を振り返るワークショップの参加者を募った。
そのワークショップの参加者のうちの一人が、「かおりさん(仮名)」であった。
かおりさんは2010/6/11の第一子出産日から10年以上日記をつけていたことから、その日記をかおりさんが再読して生まれた語りをAHA!がインタビューし聞き取り、文字に起こした。
その記録を基に、AHA!が展示作品を制作している。*3

つまり、企画立案→かおりさんの日記の再読と語り→AHA!による語りの聞き取り、文字起こし→AHA!による展示の作成(仙台・神戸)
というプロジェクトになっている。
私が見たのは展示(@神戸)である。

所感

私が見に行った神戸の展示は、
①文が書かれている展示構造物(木の柱?枠?のようなもの)と、
②展示構造物の文の記載と共に、かおりさんの語りが書き起こされた資料(ハンドアウト)計12枚(展示室の奥の低いテーブル?に積み置かれている)と、
③同じく奥に置かれている震災関連の新聞記事を抜粋したファイルと、
④展示室のモニターに映し出されるかおりさんとその娘さんの所有物の写真
(のスライドショー)で構成されていた。
(+私が見に行ったときには展示室内で写真を撮っているカメラマンがいた。)

私が見たのは主に①④で、②は展示の鑑賞後(帰ってから)読んだし、③はほぼ見なかった。

私の所感は、
・これコンセプト思いついた時、作家は嬉しかっただろうな
・いまいちピンとこなかったな(パワーのある作品ではなかったな)
だった。

以下、詳述する。

成功価値と受容価値

成功価値
「その芸術家は達成(もしくは失敗)という観点からみたときに何を遂行しているのか」*4
その作品のコンセプト*5がどれだけしっかりしているか、その作品の狙いがどのくらい上手くいっているのか、についての評価基準

受容価値
「作品から鑑賞者にもたらされる肯定的な経験」*6
その作品を見て受け手はどのような経験をしたのか、についての評価基準

コンセプト

私の評価傾向として、どうも作品のコンセプトを重視する(成功価値を重く見積もる)きらいがある。
が、私の偏りを除いても、震災関連の企画で作品作りを、となったときに、どういった視点で、切り込み方で行くかというのが重要になる。
なぜか。

現実世界に/生活にあまりにも近いテーマであればあるほど、それを(生活ではなく)作品として生み出す理由を問われる。
震災は現実の出来事であり、生活の体験である。一方で、(芸術)作品は生活から少し切り離された立ち位置にある。
ここでは、芸術作品の制作や鑑賞が生活においてどのようなポジションを占めるかという話は踏み込まないが、少なくとも、震災の現実の記録(まさに当時の時間・空間におけるそのものの記録*7)がある現状で、なぜ、(そのものではないがそれについての)作品を作るのかということが問われる。
それは美術において色彩の構成の良さを作品で提示したり、作家の内面世界を造形で具体化するようないわゆる芸術的価値を見出される作品とは、また違った立場で作品の価値を問われている。

「ノンフィクション作家」という一見矛盾する単語や「ドキュメンタリー」という単語のことを思う。
村上春樹の『アンダーグラウンド』、横山秀夫の『クライマーズ・ハイ』、あるいは武田泰淳の『ひかりごけ』か。
時間軸に沿って流れ続ける現実の生活に対比して、あらゆるニュース・報道は「切り取られた/作られたもの」である。ルポルタージュから題材・モチーフとして取り入れただけの作品まで、現実から離れていくにつれて、その作品の外枠ははっきりとしてくる。(最も作品としての外枠がはっきりしているのは、一冊のフィクション小説、一本のフィクション映画だ。)
同時に、作品が現実から離れていくにつれて、どう切り取るか、どこを事実にしてどこを創作にして(嫌な言い方だが「嘘をついて」*8)いるのかに、作家の手腕が試される。
つまり、現実の生活経験←→抽象・記号化された芸術作品、ノンフィクション←→フィクションの間のどこに作品が位置づけられるかによって、作品のジャンルが、作品の評価するべき観点が、変わってくる。

なぜ現実の生活ではなく、作品として作るのか」という作者に向けられる問いは、作品の/作家のポジションを問うものでもある。
そしてそれは、鑑賞者にとっては、「作品の外延がどこまでか」(作品を見る・読む・評価するとき、どこまでの情報・文脈に目を向ける必要があるのか)という問題と、「作品をどんな観点からみるべきか」にも関連するだろう。
本展示において、前述の①~④の構成部分から成ることを踏まえても、どこまでが「作品」を構成するのかということは重要である。
一つには、鑑賞者がどこまで見るべきか、という点で、
もう一つには、鑑賞者はどんな観点から評価するべきか、という点で。

前置きが長くなったが、
本展示の企画アイデアは、育児記録を通して震災を振り返る(育児記録を震災記録として読み替える)というもので、これは本当に良い思いつきだと思った。思いついている人はいるのかもしれないが、それを達成するのがすごい。
しかし、作品の/作家のポジショニング、スタンスはあまり見えてこなかった。
かおりさんに焦点を当てるため、あえて作家自身を強く前面に出さないようにしていたのかもしれない*9が、このポジショニングが見えてこないと、作品の評価がしづらいという難点がある。
このポジション取りの不明瞭さは、次に述べる私の鑑賞体験におけるピンと来なさにもつながる。

想起するという行為

コンセプトの着眼点はとても良いと感じたが、それが作品を通して私の鑑賞体験までくると、いまいちピンとこなかった、という感想になってしまった。
展示構造物を見て、私自身に特に想起がなかったというのは、致命的だったように思う。

育児記録を通して震災を振り返るというアイデアが、作者の手で「作品」として具現化される方法として、『わたしは思い出す』という言葉から始まる文を柱の一本一本に記して、鑑賞者が展示構造物(構成部分①)を見ていくことでリフレインを構成するという形をとっている。
(また、展示のアンケートには「あなたが思い出したことについて書いてください」という項目があった。)
「私は思い出す」の「私」とは、育児日記を再読するかおりさんのことであり、その語りを聞く作者のことであり、作者の作品を鑑賞する鑑賞者自身のことでもあるだろう。「私は思い出す」という言葉がなぞられる度に、その””は転々とする。
作品を受けて、鑑賞者が自分自身の紐づく何か(記憶)を思い出すという鑑賞体験を作者が狙いとしているのは明らかである。
それが私の鑑賞体験に関しては、上手くいかなかった。
なぜだろう。

「思い出す」(Remember;想起)という行為のことについて、少し考えてみたい。
思い出す、想起という行為は何とも独特なもので、振る舞いとしては何をしているでもない風だ。外から見て、あの人は思い出しているな、思い出していないな、とかが分からない。
また、私の経験した記憶を探り、そこにあるものを引き出してきて、脳内で再現するという一人で完結した行為だ。

同じようなものとして、思い浮かべる(Image;想像)という行為を考えてみる。
想像することも、外から見て振る舞いが何かある行為ではないし、脳内で完結する。
想起と想像の違いは、思い出す対象は私自身が現実に経験したことの記憶であるのに対し、思い浮かべる対象は私が経験していないことでもいいし、現実でなくて夢・架空のものでもいいし、経験でなくてもいい(例えば「『ぽやぽや』をイメージしてください」と言われれば、「ぽやぽや」の像が各々に思い浮かぶかもしれないが、「ぽやぽや」は経験ではないので思い出すことはできないだろう)ということだ。

芸術作品は生活経験から切り離されたいわば記号なので、イメージの力をよく利用する。
絵において描かれた犬は、現実の犬を想像させ、また経験がある者には想起させる(あのとき経験したあの犬の手触りや匂いを)。
描かれた赤い丸は、関連するもの(太陽、リンゴ、赤い花、だるま、標識・信号、血の雫)を想像させる。描かれた架空の怪物は、現実にそんなものに出会った経験はないのに、なんだか恐ろしい感じがしてくる。
この、記号が現実に(鑑賞者に)”感じ”を呼び起こすというのが、イメージの力である。

私が想起できる範囲には、「私が現実に経験したもの」という限界がある。
私が想像できる範囲は、もう少し広い。
想起は想像に含まれる一部である、と言っていいかもしれない。
自身に現実の経験がなく、思い出すことが出来ないのであれば、想像するしかない

私自身の背景(私に子はおらず育児経験はなく、震災当時は岐阜で揺れを多少感じたものの「被害」と言えるものは特になかった)からして、かおりさんの経験と私の経験の共通性のなさから、日記文から想起できる私自身の記憶はほとんどないことが私の鑑賞体験がうまくいかなかった一つの理由と言えるかもしれない。
しかし、そもそも同じ記憶を持つ者は二人といないのである。

記憶は私だけのもの

「同じ記憶を持つ者は二人といない」ということは、同じ経験を持つ者はいないということとも違う。
たとえ同じ時同じ場所で同じ出来事を経験したとしても(一緒の思い出となる出来事があっても)、その経験のうちの何を覚えているか、それをどのように覚えているか、ということは違うことが有り得る。一緒に行った出来事でも、時を経て「あんなことがあった、あれが印象的だった」と話題に挙げれば「そんなことあったっけ?」あるいは「いや、そうじゃなくてこうだった」という記憶部分の差異や、記憶違いが有り得る。
記憶は共有することができないために、思い出すという行為は、個々に完結したものである。

つまり、私はかおりさんの記憶を思い出すことはできない
私が出来ることは、
A・私がかおりさんの経験を想像すること
B・私が私自身の経験を想起すること
の二つである。

〈366 わたしは思い出す、赤い靴を。〉
〈1827 わたしは思い出す、サーティーワンのストロベリー味のアイスケーキを。〉
〈2223 わたしは思い出す、「そうじゃなくて」を。〉

作品の文における思い出す対象は、非常に短い一単語のものもあれば、詳しく行った出来事をあらわしているものもあり、また、固有名(名字や地名)が出てくるものもあった。
上記のうちの二つ(366と2223)は、非常に短いものの例であり、想像の余地が広く、かおりさんの経験した個別的な出来事はわかりにくい。ただ反対に、私自身の記憶に引っかかるものは多くなる。(検索ワードが短いほど多くヒットするのと同じ。)
例えば「赤い靴」について、
Aだと、誰の(かおりさん/娘さんの?)どんな靴なのか、それをどうしたのか(日記に書くほどの印象的な何があったのだろう、プレゼントしたのか、壊れてしまったのか?)、というように、かおりさんのことを想像する。
Bだと、鑑賞者自身の「赤い靴」にまつわる記憶を想起することになる。(私は赤い靴を持っていないし、特に記憶を思い出すこともなかったが。)

〈3837 わたしは思い出す、そばを食べさせた後の一週間は何気にソワソワしていたことを。〉

鑑賞者は、娘の食物アレルギーを恐れるかおりさんのことを想像し、共感することがあるかもしれない。
ただ、この作品の狙いは、鑑賞者がかおりさんのことを想像し、いかに共感できるか/できないかに置いているのではないだろう。
Bの鑑賞者が自身の経験を想起することに主眼を置いているはずだ。
だが、私が私自身の記憶を思い出すとき、かおりさんはどこにいるのか。



〈427 わたしは思い出す、ベランダから見た三井アウトレットの花火を。〉
〈1066 わたしは思い出す、福田パンの焼きそばパンを。〉

「ベランダから見た三井アウトレットの花火」や「福田パンの焼きそばパン」を私は経験していないから、私自身の記憶として想起できない。
だが、私は「花火」を経験したことがあるし、「焼きそばパン」を経験したことがある。

私は、他者であるかおりさんの記憶を思い出すことはできない。
この断絶に絶望することなく、私の記憶(B・私が私自身の経験を想起すること)を手掛かりに、A・私がかおりさんの経験を想像することはできる。

私が「冬の温泉街で見た花火」の記憶から、かおりさんの「ベランダから見た三井アウトレットの花火」を想像するとき、私たちは記憶を共有するのではなく、何かを「共-有」している。(この「共-有」については後述したい。)


①の構造物に書かれた言葉ではなく、②のハンドアウト資料のように言葉を尽くせば尽くすほど、その経験の描写は個別的になり、私とは異なる「誰か」をかたどっていく。その「誰か」の一人称の語りが個別的になればなるほど、その「誰か」が私と同じく〈私〉をつくり上げる生を引き受けているように感じる。
情報であるはずの記号から、他者がみえてくるというのはそういうことだ。

A’ 私(鑑賞者)が、(経験ではない、情報・記号としての)「震災」という対象を想像するとき、
または、
B’ 私が、私の(震災に関する)経験を想起するとき、
私は、私とは別の「個別性のかたまり」、すなわち他者に触れることはない。
だが、この作品がやろうとしている(と私が願う)ことは、A’でもB’でもなく、私と他者を結びつけるような想起という在り方が何かあるのではないか、という狙いからの探求、そしてそのための場の創造である。


「一緒の思い出」ではなく、「一緒の思い出し」

一緒の思い出があっても記憶は異なるということは既に述べたが、そもそも、出会わずに一生を終えるような他者とは一緒の思い出を作ることはない。

・時(過去、未来)を違える場合
私は私が生まれるまでに死んだ者(歴史上の偉人や、私の祖父や、手塚治虫(1989没))と一緒の思い出を作ることは有り得ない。
・場所を違える場合
私は私が一生行かないだろう場所にいる誰かと、一緒の思い出は作らない。
ネパールのカトマンズの路上、カナダのウエストマウント、これは物理的な距離が隔絶している場所の話でもあるし、社会的地位・貧富の階層によって分けられた場所の話でもある。(持てる者と持たざる者はどこで出会うのか)

かおりさんと私とは、(私に育児経験はなく、震災「被害」と言えるものは特になかったとしても)日本人であるとか、震災の時刻を共に生きていた、といった共通点は見つけられる。
ただ、時や場所を違えた、そのような共通点の見つからない他者については、前述した「ベランダから見た三井アウトレットの花火」の例のように、私の経験から誰かの記憶を想像するというやり方にも限界がきてしまう。

経験(と不完全な記録である記憶)を同じくしない他者と、”同じく”想起するということがあり得るだろうか?

一緒の思い出のない私と他者とが行う、一緒の思い出しとは?

? 他者の思い出しが、私にとって、ピタゴラスイッチのような「スイッチ」(誘発装置)となること

そのような「一緒の思い出し」において、共通点の見つからない他者と私は、何かを「共-有」できるのではないか。

あるいは、私がかおりさんの日記を読んだり、手塚治虫の漫画を読んだりすることによって何かを「共-有」できるのではないか。
または、私が祖父の写真を見たり・墓参りをすることによって何かを「共-有」できるのではないか。
それらは、通常の対話や、存在の同時・同場所性といった「一緒の思い出」によってではなく、私と他者とを結びつける試みである。

本作では、私とかおりさんとを関連づける試みを行っているのだ。
そして、「私」と「他者」を結びつける、ということは、非常に意義のあることであると私は考える。


ことばの抽象度

経験の描写の個別性の話は、作品材料である"ことば"の抽象度の話として捉えられる。
経験と、その不完全な記録である記憶と、その再現である想起は、個別性のかたまりである「私」にひもづいており、そこから離れるにつれて、共通性/類似性が見えてくる。

短歌や俳句は、その文字数の少なさから、言葉を尽くして、説明的に経験を描写することはできない形式の作品となっている。
その一方で、かえってその制限のために、誰もが共通・共感する詩情をうたうことができる。明確にされていない解釈の空白(ブランク)に、自分の個別的な経験を当てはめることができるからだ。

現実の生活経験←→抽象・記号化された芸術作品の間の位置付けは、作品材料である言葉をどこまで〈私〉から離して、抽象化するのかという論点にも関係する。
本作品では、①の構造物においては「受け手を信頼している 多くを委ねている 抽象的」という所感を持ったが、それを突き詰めれば、あるいは本作品が①の構成部分のみから出来ているとしたら、言葉遊びにも捉えられる抽象的な「詩」(“芸術的”作品)になっただろう。

これは、言葉そのものの抽象度、解釈の多様性の話でもある。
例えば、「ゆれる」という言葉は、本作品の文脈では「地面が揺れる」と解釈できる(震災と関連付けられる)が、
私がフラットに「ゆれる」という言葉だけを受け取るとき、私が思い出すのは、①EVISBEATS feat. 田我流の『ゆれる』という曲、(関連して、心震わす瞬間のこと、身体を音に委ねることを思う。)

あるいは、②ゆれるブランコ、(空中ブランコであればサーカスの文脈、または公園の遊具。めまいの遊び、曖昧になる自分の感覚、宙の中で何もできなくなる時間のことを思う。)

本作品は、②のハンドアウト資料のみにして、もっと言葉の抽象度を下げる(言葉を尽くして経験の描写をする)こともできたし、そうすればドキュメンタリーとして私は作品を見ただろう。
①の構造物のみにして、もっと言葉の抽象度を上げることもできたし、そうすれば詩として私は作品を見ただろう。そこにおいては、作家の言葉の取り上げ方を批評できる。
本作品が、そのどちらとも取れない/どちらとも取れる位置にあったことは、私と関係ない誰か(かおりさん)の記憶の語りでもなく、作家の詩を私の経験から私が解釈するのでもなく、私と他者を結びつけるような想起という在り方を探るためのどっち付かなさであったのかもしれない。

そうだとしても、作品構成として「うつくしくない」という指摘はできるだろう。
また、作者が自身の「編集行為」に観客をきちんと向き合わせていないとも感じた。*10


〈私〉が語ることの意味

「私は思い出す」の「私」とは、育児日記を再読するかおりさんのことであり、その語りを聞く作者のことであり、作者の作品を鑑賞する鑑賞者自身のことでもあるだろう。「私は思い出す」という言葉がなぞられる度に、その””は転々とする。

本作品は、転々とした〈私〉の語りの、そのずれ(ずらし)を見ることもできる。語られる度に、その意味は少しずつ違っている。

本作までの語りの流れを書くとすれば、
①語る かおりさんの娘 (振る舞いで、命・存在で
②聞く かおりさん (育児で
③語る かおりさん (育児記録(一部は半強制的に)で
④聞く かおりさん (育児記録再読
⑤語る かおりさん (松本氏に対して再読後の語り
⑥聞く 松本氏 (かおりさんの再読後の語りを
⑦語る 松本氏 (編集、再構成し、作品展示として
 ⇒ 本作品
⑧聞く 私 (作品展示という松本氏の語りを
⑨語る 私 (作品批評

③でかおりさんが当時、育児記録を付けた意味と、⑤で松本氏に語った意味とがすでに違っているだろうが、さらに、かおりさんから作者の松本氏に語る主体が移るとき、⑦で作者は自分が語る意味についてどう考えていたのだろうか。それが作品自体からは分からなかった。
それゆえ、出会ったことのない、共通点の無い他者であるかおりさんと私との間を作者である松本氏が入ることでつなぐという方法も私は取れずにいた。

アーカイブの活動をしているAHA!さんであれば、語りを保存する(語り継ぐ)とき、それが誰の言葉か、という問題を考えたことはあるのだと思うが、松本氏が自身の言葉で語るときの意味(それは普通「しなくてもいい」ことであるアーカイブという行為をする意味付けでもある)こそが、本作品のコンセプトを松本氏が形にすることの意味だと思うので、そこも私は期待していた。(本作において、松本氏は活動家であると同時にアーティストであるので。)
だが、その部分は焦点から外されるばかりか、意図的に隠されているようだった。


総括

総括すると、
私の鑑賞において受容価値は高く評価できなかった。
なので、成功価値に目を向けたが、
着眼点は良いものの、コンセプトを深く掘ると、その具体化の段階において指摘できる点はいくつか出てくる。
それを踏まえても、活動全体の達成としては高く評価したい、といったところか。

この作品が達成しようと狙っていることは(あるいは私が達成してほしいと願っていることは)、
一緒の思い出を思い出すことでもなく、
個別の思い出しの共通性を拾い集めることでもなく、
一緒の思い出し(の場)をつくるということだと思っている。

私も、他者と何を「共-有」できるかというテーマを追っている一人であるから、氏の今後の活動にも期待したい。


”Can you play me a memory?”

Billy Joelの「Piano Man」という曲に、以下の一節がある。

“they're sharing a drink they call loneliness , but it's better than drinking alone”


以上、じんでした。

*0 批評とネタバレの話じゃないけど、こういうのもどこまで書くかって分からんわ。

*1 トークイベントで聞いた内容も交じっているので、記憶違いの不正確な記述があるかもしれない。(もし訂正すべき点があれば指摘してほしい)

*2 AHA!の松本氏の名前は展示内では明らかにされていないが、企画立案とかおりさんへのインタビューとその編集を行ったようである。展示の制作のどこまで松本氏が担当していたかは明確ではないが、本記事内では、神戸での展示の作者を松本氏1人と置いている。

*3 仙台の展示のときはインタビューが並行して行われ、展示内容が随時追加されるというものだったようで、その仙台の展示と今回の神戸の展示は内容が少し違うらしいのだが、私は仙台の方を見に行っていないので神戸の展示がどう変わっているのかは不明である。

*4 ノエル・キャロル(訳:森功次)『批評について:芸術批評の哲学』p74

*5 「コンセプト」というカタカナ語を断りなしに使っているので、説明しておく。
conceptは「概念・観念・構想・考え」といった意味の英単語だが、芸術作品の鑑賞の文脈では、作者の制作(物質を作品として具体化する段階)前のアイデア・構想を指したり、鑑賞者に及ぼす観念的影響・達成を指したりする。(まさにそれこそが「作品」の中核であるとする立場がある。cf.「コンセプチュアル・アート」)

*6 ノエル・キャロル(訳:森功次)『批評について:芸術批評の哲学』p76

*7 例えば、私が最近見たのは、下記の動画だ。
https://www.youtube.com/watch?v=sM0voN702fo
https://www.youtube.com/watch?v=xvJnC_Rvbcs

*8 補足するが、事実であることが作品の価値を高めるとは必ずしも言えない。作者は素晴らしい事実の切り取り方をしているのか、素晴らしい嘘のつき方をしているのか、という観点をみることが、作品ジャンルによっては評価に関わってくるという話だ。

*9 トークイベント終わりに松本氏とお話しさせてもらったときにそのようなことを言われていたような記憶がある。記憶が定かではないが。

*10 ここで、作者が自身の編集行為に対する立ち位置を明言せず、隠しているように私が感じたのは、例えば次の箇所からだ。

〈2741 わたしは思い出す、忘れてしまうということを。〉

この文は、2017/12/11の日記の分であり、再読時のインタビューの記録(ハンドアウト資料)には、
『11日は、特に何も書いていませんでした。写真も撮っていませんでした。手帳の前後の記録を読み返してみてもこの日のことは何も思い出せません。』というかおりさんの言葉がある。
2741の文を創ったのは、他でもない作者であるのだ。しかし、これがかおりさんではなく作者の言葉であるということは、さらりと流されている(触れられていない)。


資料

・2021/12/28 神戸新聞NEXT

・山本唯人(@tadahitoy)氏の批評

・来場者アンケートの一部公開

・高嶋慈氏の批評 (artscapeレビュー 2022年01月15日号)

・以下のようなツイートを、松本氏の作った作品に含まれると言うこともできる。


トークイベント内容に関して

私が2021/12/11に参加したトークイベントの内容に関して、私からコメントをしておきたいと思ったが、書いているうちに展示終了から日にちが経ってしまい、早めに批評の方を公開することを優先して、ここは割愛する。

めも 公開時以降、都度編集する。あるいは別noteで書く。


・清水さんが語る意味
①聞く 宮城の人々 (年長者から、代々伝え聞いて?
②語る 宮城の人々 (小野さんに対して
③聞く 小野さん ほか、みやぎ民話の会 (採訪
④語る 小野さん (レコーダー書き起こし、本にまとめる
⑤聞く 清水さん (小野さんから本を受け取る
⑥語る 清水さん (編集し、出版本として再構成「あいたくてききたくて旅に出る」

・メキシコの「死者の日」をモチーフにした『リメンバー・ミー』。
忘れられてしまうと、死者の国からも消える。




執筆BGM
https://www.youtube.com/watch?v=WQm2a0_RYHY

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