ジャグリングの文体style論 その1(たつるつりー)
二年近くサボっているテーマで、隙を見て端り書く。
ボールでP山さんあたりから、と思っていたが、たつるつりー氏にする。
ジャグリングの文体styleとは?
まず、文体って何よ、という話だが、一般的に文体 literary styleとは、「ある文章がどういう特徴を持つか」という話で、これが「文章の様式」という意味にも「著者の個性」という意味にも取れるのですが、
まず前者を「スタイル1」と置く。文章の様式、これは客観的なものとして共有され、一般的に確立されているもの。
後者を「スタイル2」と置く。個人的特徴、この「スタイル2」を持つ者は個性的な表現者と呼ばれる。 (※追記へ)
スタイル1とスタイル2の境界は曖昧だ。スタイル2として生じてきた「彼だけの言葉」が、継承者の手によりスタイル1にまで格上げされることがある。ある突出した個性(スタイル2)の作家の文体が、それに続く作家の存在により~~派や~~主義、または一つのジャンルとなることがある。彼だけの言葉だったものが、理解され共有され、語彙となり、他の人も(真似て)使うことのできる言葉になるのだ。
それで、この文体の話を言語表現からジャグリングに適用する。著者/話者の言語表現における文体から、作者/演者のジャグリング表現における文体へ。
(言語の「語り」から、ジャグリングの「語り」へとスライドさせる、僕がよくやるやつ。)
ジャグリングで「スタイル1」がどこまで確立されているのかは若干不明だが、例えば、ボールの「トス」と「コンタクト」は、「スタイル1」の例となりうるだろうし、道具の違いに由来するmani-techの違いも挙げられるだろう(シガーとポイは恐らく違うスタイルのジャグリングになるので)。
また、ジャグリングの「スタイル2」において、個人的特徴として身体を挙げなければならないだろう。あなたの身体は常にoriginalである故に、その身体を素材とするジャグリング運動も、他者が完全には真似できないことがある。
あと、指摘しておくべきこととして、単なる「ジャグリングの文体」と「作品におけるジャグリングの文体」と「作品の文体」は異なるかもしれない、ということがある。
「ジャグリングの文体」と「作品におけるジャグリングの文体」については、作品外でジャグリングすることがあり、作品内と外でのスタイルが違う人とかが居そうなので。
あと、作品は形式、構造をいやでも持ってしまうので。
「作品の文体」は、構成の話を超えて、演出(衣装、音楽)の話が含まれそう。
たつるつりー氏の文体style
たつるつりー氏って誰?という人のために。
Twitterのアカウント貼っていいのかな。
こういうのの書き方は二つあって、一つは、標準の型にはめて見て、それを書くこと。
「文体を構成する要素とは」といったことを定義し、そのそれぞれの要素を見て、どうなっているのかを記述する。そしてその記述から何か言えないか(「標準」との差異=たつる氏の個性)を見つける、というやり方。比較法。
この方法の難点は、
・「文体を構成する要素とは」といった型が既に定義されていないと何を見たらいいか分からんよね、ということ
(ジャグリングの文体論がそもそも無いから仕方ない。それを作るのも僕の宿題なのだが)
・「標準」ってどこで取ったらいいのかが分からんよね、ということ
(ジャグリングの標準?シガー(道具)の標準?トス(mani-tech)の標準?シークエンス主義の標準?)
例えば、
・使用道具object:シガー 主に3つ
(ボールも投げるし、最近はパソコンや木枠を用いることも)
・mani-tech(操り方):挟む、積む、投げる、バランスなど、様々。
・pattern技というよりはシークエンス主義っぽい。一連のシークエンスに複数のtricksを入れてくる。同一patternを長時間やらない。
・時間:素早いジャグリングではない。どちらかといえばゆっくり
・空間-構図:技でいえば、シークエンスなので図的にはアシンメトリーになる、のかな。後から「画(え)」の話は述べる。
(本人的には、「足元」に何かしらの思想的執着?)
・空間-場所:移動はあるが、多くはないし、大きく動くわけでもない。
・空間-身体:身体において特に用いるのは手だが(ジャグラーは基本そう)、腕、頭でのバランス、足、ボディースローも多用する。
・エネルギー:道具数が少ない、大きく/早く動かないので、動的エネルギーが小さい。
上記の記述と「標準」との差異をみて、何か言えないか。
過去のnoteから、僕がたつるつりーについて書いたものをちょっと引用しよう。
https://note.mu/jin00_seiron/n/n51d6b5c7a386より
〈たつるつりー〉 「電車、滑り落ちる、ヘッドフォン」(2015年)、その他
関東 アーロンチルドレン(イナバ・ユウ・アキタ)とも比較して
・新しい基底状態
シガーの伝統的なスタイル froggy style とは違って、例えば「電車、」では3シガー横並びという基底状態のときがほぼラストしかない
これはシガーボックスにも「画(え)」、軌道の視点を持ち込む(持ち込まれた)ことになる
・新しいmani-tech
シガーのトス、バランスの多用。
https://note.mu/jin00_seiron/n/n7c7af93e40b3より
「たつるスタイル」に関しては、ここの〈たつるつりー〉の部分で少し触れているが、シガーのトス、バランスといったmani-techを多用して、新しい基底状態をつくり、シガーにも「画」(え)、軌道の視点を持ち込んだジャグリングをしている。(推測だが、彼がカメラで写真を撮るのが趣味なのは「画」に対する感性が高いためでは?)
また、シークエンス作成能力は抜群であり、彼のつくり出すシークエンスはとても良く、端的に言うと”chillなFlowがめちゃ良い”と言える。
”アツい””アガる””すごい””ヤバい”といった「温度感の上がる/高い」ジャグリングをする人たちはたくさんいる。
反対に、「温度感の下がる/低い」ジャグリングをする人はどのくらいいるだろう。それも、コンタクトのような静的さStaticではなく、落ち着いた、リラックスした(chill)という意味で、心地よいFlowを構築することによってそれを行う人は。
静けさある音楽(環境音か?忘れた)も彼のスタイルにあっていて(彼のスタイルに含まれているのかも)、それに対してジャグリングのFlowが乗る心地良さよ。
「シガー」、「シガーの主流なmani-tech」の標準、という点で言えば、氏はよく投げる方である。バランスもシガーで行う人は少ない。
挟む、というmani-techばかりを使わないということは、3シガー横並びという基底状態に常にならないということにもなる。
手に持っている(から自由に動かせる)、一つ浮いている、様々な構図を作ることが可能になり、投げることで様々な軌道を作ることが可能になり、シガージャグリングでも「画」づくりができることを証明している。
「画」づくり、つまり「ジャグリング(運動)を「動く美術」kinetic art として捉える」という視点を持っているジャグラーは、(2019の今となっては多いが)希少である。
(「動く美術」作品の展示の前で拍手する鑑賞者を考えよ。翻って、ジャグリングと拍手との密接な関係を考えよ(最近は変化しているが)。)
氏の動的エネルギーの小ささも指摘しておく。私は「温度感の低い」と表したが、
氏が比較的ゆっくり動くこと、
バランスで静止する瞬間があること、
ボールナンバーズのトスジャグリングと異なって上方向へ志向せず、むしろ足、地面を使うことから、下方向への志向性が見られること、
あとシガージャグリングにしては音がしない(普通、挟むときカンカンと音がする)ことも、エネルギーの小ささを思わせる。
温度感が低い、あるいは静か、悪く言えば、変化に乏しい。もっとも、通常ならば変化に乏しく退屈だとなるところを、氏の画の変化・多様さ、新奇さ、ボディースローなどでの身体の使用、単純に技の手数の多さなどによってカバーしている。
うつくしい画を生み出す魅力的な軌道は、彼のジャグリング技術に基づいている。ここでいうジャグリング技術とは、「技を失敗しない」といったものではなく、「技の進行において身体にズレがない」といった部分をも含む。彼のジャグリング(技を含む身体も)が自然なのだ。彼の身体は居るべき場所に居るようであり、彼のシガーもそう見える。
彼の確かなジャグリング技術、四角いシガーの形状、そしてゆっくりな動きは、安定感を感じさせる。
温度感が低い、静か、安定している、自然、こういった感覚は、私たち鑑賞者に落ち着いた、リラックスした(chill)状態の鑑賞を提供する。
静止、静寂が気まずくならない関係を演者と鑑賞者が結ぶことは、パフォーマンスにおいては難しい事のように思うが、彼のジャグリングがまとう空気感はそれを可能にする。
今すごい適当なこと書いてる自信があるな。
こういうののもう一つの書き方は、たつるつりー氏のジャグリングをとにかく見まくって、直観的に感じたことを書き留めることだ。予見法。
非常に感覚的で、独断的になりかねないが、うまく行けば、芯を捉えた言葉になる。
頭を空っぽに、精神的透明人間になって、氏のジャグリングを見て、浮かぶ言葉をためらわず書く、という作業をしなければならないが、またいずれ。
めも
https://twitter.com/rijin1230609/status/1140957418366459906
https://twitter.com/rijin1230609/status/1140965042533224448
「記憶」と「かたち」
果たして文体論その2はあるのか。
※追記
文中で「スタイル1」「スタイル2」に分けたところは『芸術としての身体 舞踊美学の前線』収録のサーリッジとアーミラゴスの論文「舞踊の内と外」(訳:尼ヶ崎紀久子)を参考にしている。
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