精神的透明人間

私的(詩的)な文章を書きますね。
僕のためのメモとして、あるいは何か「幸せ」について考える人へのヒントとして。

精神的に透き通っているときの気持ちを思い出せるでしょうか。

例えば、
お風呂からあがって畳の上でぼんやり寝転んでいるとき
よく寝た翌朝、外の空気を吸いこんで朝陽を浴びたとき
長距離を走っているとき
水平線を眺めているとき

それは、何かを考えているわけではなく、かといって脳が寝ているわけでもなく、心が落ち着いている状態のこと。
そのときの状態を「透き通っている」とか「透明である」と言っているのだけれど、僕たちはいつも透明でいることは出来ない。

僕たちはさまざまな感情を持ち、時にそれらに支配されてしまう。
喜怒哀楽、嬉しい、愛おしい、憧れ、驚き、恥ずかしい、退屈、哀しい、辛い、憎い、悔しい、羨ましい、疲れ、などによって僕たちの心は色々な色に染まっていく。
それらの色は混ざりあったり、忙しく変化したりする。

逆に言えば、透明であれば、様々な色の感覚を、混じって分からなくなることなしにそのまま感じることができる。(それが心地よいものであっても、そうでないものであっても)
透明であることは、感度を高めることにもなるのです。

できるかぎり透明であろうとすることが、僕の心がけたいことの1つです。
透明であれば、誠実で繊細でいれると思うから。
非常に小さくかすかで、しかもとても重要である何かを見逃さないように。
静かな口調で話すたった1つの声に、耳をそばだてて聴き逃さないように。

透明でありたいと思い続けながら、透明と色彩の間を行ったり来たりすること、その往復こそが明滅、生きていくということかもしれない、と思ったり。

白、でもなく、透明。絵の具ではなく、水。
色彩にとらわれることなく、さむくてねむたい光の中で、ほのかにねむることができるように。
鮮やかな色彩のなかで、自分の求める色がはっきりと感じられるように。そして、いつか、その色を自分で生み出せるようになるために。


関係ないけど、東京事変の「透明人間」、Nona Reevesの「透明ガール」、NumberGirlの「透明少女」を聴け。

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