「エモい」「エモ」から考える「アート」という言葉の意味

はじめましての人もいると思うので、ちょっと自己紹介。
じん と申します。
普段はジャグリングのことについてなどTwitterで呟いています。
最近、『ピンクの猫』に所属し始めました。「じん(ピンクの猫のほう)」で認識してもらえればと思います。

さて、今回は二部構成で、まず第一部は「エモい」の話をしたい。
現在よく使われている「エモい」/「エモ」という語の意味・用法が曖昧で不明確であるということもあり、語源から現在までの意味を確認し、用法を整理してから、僕の定義として「エモい」/「エモ」を再定義したい。
そしてそれを踏まえて第二部は「アート」の話をしたい。
そこでも「アート」という語のじんの定義をしたいと思う。
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(ジャグリングを含む)パフォーマンス・芸術一般において、「人の気持ちにとって強い意味を持つ」ということは、非常に大きな意義があると僕は思う。

さて、「エモい」「エモ」という語についての話をしよう。

「エモい」「エモ」の語源
「エモい」というのは「エモ」の形容詞形で、「エモ」というのが名詞として使われているようだが、「エモ」の起源は、元々は固有の一音楽ジャンルを指すものであったようだ。(※1)
「エモ」という音楽ジャンル(英語ではEmo(イーモウ))は、1980sのアメリカのハードコアから派生した「エモーショナル・ハードコア」「エモコア」と呼ばれる音楽ジャンルが起源とされているが、そのジャンルの境界は明確に定めることができないこと、現在では音楽においても「エモ」が単にemotionalな音楽という意味で使われることから、現代までに「エモ」の定義は拡張してきている。だが、まず、この1980sからの流れを継いだ固有の音楽ジャンルを、語源として、そして「エモ」の第一の意味として整理したい。

エモ;エモい
1.語源としての「エモ」
 固有の一音楽ジャンルを指す。
 1980sのアメリカのハードコアから派生した「エモーショナル・ハードコア」「エモコア」と呼ばれる音楽ジャンル。また、その流れを継ぐもの。

語源を踏まえた「エモい」の意味
この、1980sの音楽ジャンル「エモ」は、ハードコアに対するいわばアンチテーゼとして出てきたものであり、メロディアスで哀愁的な音楽性と切ない心情を吐露する歌詞が特徴的であるとされている。
バンドプレイヤーのナードNerd(暗くオタクっぽい)な外見から、マッチョなハードコア(「男性性」の強い)VSナードなエモ(「女々しい」「ナヨナヨした」男)という図式にも取られ、「エモい」というのは当初は若干の中傷、馬鹿にした感じも含まれていた。
ただそこから90s、00sと「エモ」の音楽ジャンルは確立され、様々なジャンルと融合され広がっていった。
日本では、1990sにその流れが伝わり、イースタン・ユース(Eastern Youth)などがエモに分類されると考えられている。初期のアジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)もその影響を受けているが、エモに分類されるかは不明である。マイナーコードで少し暗く、ときに激しめなインディーロックが「エモい」と評されることもあり、分類は難しい。
2000sには日本の音楽シーンで「エモ」「エモい」は日常的に使われていたようである。(※2)

「エモ」の音楽性について詳しくは述べないが、疾走感溢れ、激しい(基本はロックなので)中でも、どこか寂しい、感傷的(sentimental)な、切ない、哀愁漂わせる、メロディライン、心情を吐露する感情的な歌詞、歌声が含まれるものというのが一般的なイメージである。
このような固有の音楽ジャンルの曲を聞いて「エモい」と言うとき、それは特有のニュアンスをもった感情について語られているのであり、けっして一般的に感動した/感情的emotionalになったことを言っているのではない、と注意したい。その点においては、『emotionalでない音楽はない』のである。
ここで、語源としての「エモ」い音楽を聴いて、感想として発する「エモい」が意味するところの感情(の動き)を、第一義的な「エモい」の意味としたい。つまり、「どこか寂しい、感傷的(sentimental)な、切ない、哀愁を感じる」ような感情を指すと言える。
また、1990sに音楽ジャンルとしての「エモ」が、青春パンクとの区別が付きにくかったことや、歌詞に思春期の苦悩や煩悶が含まれる派生ジャンルエモ・ポップが登場したことから、「エモい」というのは「青春的」なものに対する感情を指しているとも考えられる。そして、多くの場合、青春時代を過ぎた大人が聴くことから、その感情は「(いまの)青春を謳歌する喜び」ではなく、「過ぎた青春を懐かしむ」あるいは「失った青春を寂しく思う」という感情である。
ここから、「エモい」の意味が「懐かしく思う」「失ったことを寂しく思う」というものを含むようになり、「郷愁」「懐古」「ノスタルジック(nostalgic)」(※3)という感情も含むものになった。
ここで再度、「エモい」の意味を整理したい。

エモ;エモい
1.語源としての「エモ」
 固有の一音楽ジャンルを指す。
 1980sのアメリカのハードコアから派生した「エモーショナル・ハードコア」「エモコア」と呼ばれる音楽ジャンル。また、その流れを継ぐもの。

2.1の語源を踏まえた「エモい」
 (元々は1の音楽を聴いたときの感情の動き/そのとき感じた感情を指していたが、現在、使用は音楽に限らず、文章、写真、風景、全てに対して使用する。)
 「どこか寂しい、感傷的(sentimental)な、切ない、物悲しい、哀愁、また、郷愁、懐古、ノスタルジック(nostalgic)な感情」を抱くこと。また、そのような感情を抱かせるようなもの。

「エモ」の伝道師
2の意味の「エモい」に関して、僕が個人的に触れておきたい人達がいる。まず、「三秋縋」(※4)の存在である。

上のツイートで彼は「サマー・コンプレックス」という言葉(彼の造語)で表しているが、『自分は一度として”正しい夏”を送ったことがない』(※5)というコンプレックス(単に「劣等感」というだけでなく、複雑な感情)こそ、失った、あるいは過去に手に入れることの出来なかったものへの希求と喪失感、今となってはもう二度と手に入れることのできないことに対する憂鬱、そういった「エモい」感情を的確に描き出している。

次に、「卯月コウ」(※6)の存在である。
彼は配信内で度々「エモ」に関して言及しており、バーチャルYoutuber関係の「エモい」エピソードを話したり、「エモ」に関する企画の配信も行っている。(※7)
彼は、エモの語源が音楽ジャンルであることを踏まえたうえで「(適切な音楽が掘りにくくなるから)エモを雑に使ってほしくない」旨の発言をしており、また、2の意味で「エモい」という語を広く使用しているが、その用語法には一定の制約をかけているように思える。
例えば、この配信では、「儚さがエモであるなら桜はエモではないのか」という疑問に対して、否定的態度を示している。(「桜は、だってあいつら咲いてるときも認められてっからなぁ」「ポップっていうか」と発言(※7))
彼自身のキャラクターにも「陰キャ」やナードNerdの影が見え隠れすることを挙げておきたい。

拡大していく「エモい」の意味
さて、「エモい」という語が、音楽から、Nerdから、若者言葉として、そして一般社会へと拡がっていくにつれ、元々の特有のニュアンスは伝わらなくなり、「エモい」は単に感情的emotionalになっている、感動していることを指すのだと捉えられた。
例えば、2016年、三省堂の「今年の新語」の二位に「エモい」が選ばれた(※8)が、そこでは、
『 エモ・い 2 (形)〔emotionを形容詞化したものか〕 〔音楽などで〕接する人の心に、強く訴えかける働きを備えている様子だ。「彼女の新曲は何度聴いても━ね」』
とあり、選評にも、
『2位の「エモい」は、エモーショナル、つまり感情が高まった状態になっていることを表す形容詞です。2006年に出た『みんなで国語辞典!』(大修館書店)には〈感情的だったりテンションが高くなっている状態〉として報告されているので、遅くとも10年前には使われていたことが分かります。』
『「エモい」は、感動・寂しさ・懐かしさなど、漠然としたいろいろな感情表現に使われます。』
と、特にどのような感情であるかに関わらず、単に強く心動かされた場合に使用できるように読める。

また、選評には、
『古代には、これとほとんど同じ用法を持った「あはれ」ということばがありました。「いとあはれ」と言っていた昔の宮廷人は、今の時代に生まれたら、さしずめ「超エモい」と表現するはずです。』
との記述がある。(※8)
「エモい」を古語の「あはれ(あわれ)」と同視する解釈は他にも見受けられる。(※9)

メディアアーティストの「落合陽一」も、少なくともTwitterで2016年4月12日時点で「エモ」という語を呟いており(※9)、2017年8月14日には『本居宣長的エモ』という語によって、「エモ」と「(本居宣長の)もののあはれ」を関連付けている。
また、「あはれ」とよく似た古語である「をかし」(おかし)と「エモ」を類似したものとする解釈も散見される。(※10)

「あはれ」も「をかし」もどちらも多義的な意味を持つ古語であり、また歴史にしたがって微妙に意味も変化してきた語である。以下にそれぞれの意味を書き出してみたい。

「あはれ」 原義:思わず「ああ」と嘆声をもらすようなしみじみとした感動を表す
・感動詞  ああ
・形容動詞 しみじみと心を動かされる。しみじみとした情趣がある、美しい。さびしい、悲しい、つらい。かわいそうだ、ふびんだ、気の毒だ。かわいい、いとしい、懐かしい。情が深い、愛情がゆたかだ。尊い、すぐれている、見事だ。
・名詞 しみじみとした感動。悲哀、哀愁、さびしさ。愛情、人情、好意。

「をかし」 原義:招き寄せたい感じがするさまを表す
・形容詞 おもしろい、趣がある、風情がある。賞すべきである、すばらしい、すぐれている。かわいらしい、愛らしい。滑稽だ、おかしい。
 (※11)

特に「あはれ」は、さびしい、懐かしいなど、「エモい」の2の意味と重なる部分もあるが、あまりに意味が多義的で広範にわたり、また、強く感情が動かされた、感情が高まりこみ上げる、というところに主眼を置いていると考えられることから、これを第三の「エモい」の意味としたい。
この第三の意味では、感動すれば、心動かされれば即ちなんでも「エモ」だ、ということになる。

エモ;エモい
1.語源としての「エモ」
 固有の一音楽ジャンルを指す。
 1980sのアメリカのハードコアから派生した「エモーショナル・ハードコア」「エモコア」と呼ばれる音楽ジャンル。また、その流れを継ぐもの。

2.1の語源を踏まえた「エモい」
 (元々は1の音楽を聴いたときの感情の動き/そのとき感じた感情を指していたが、現在、使用は音楽に限らず、文章、写真、風景、全てに対して使用する。)
 「どこか寂しい、感傷的(sentimental)な、切ない、物悲しい、哀愁、また、郷愁、懐古、ノスタルジック(nostalgic)な感情」を抱くこと。また、そのような感情を抱かせるようなもの。

3.emotional一般の「エモい」
 (古語の「あはれ」や「をかし」の多義性とも関連して)
 英語のemotionalをそのまま日本語にした意味。
 対象がものの場合、「感動的な、心動かされる(causing people to feel strong emotions(love,hate,anger,jealousy,sorrow,fear,despair,hapinessなどの総称))」
 対象が人の場合、「感動/感激している、心揺さぶられている、感情的である(having strong feelings)」

さて、語源から現在まで歴史を下るとともに、「エモい」「エモ」の意味がどんどん拡大/拡張されてきたというのを確認し、意味を整理した。
3の意味の「エモい」によれば、感情が動かされればすなわち「エモ」、となってしまい、初めの音楽の例で言えば『emotionalでない音楽はない』のであるから、音楽は全て「エモ」になる。初めの語源からは遠く離れてしまった。
そのような「エモ」「エモい」の用法に、果たして意味はあるのか?
何でもかんでも「エモい」になってしまうのなら、「エモい」は「私は感情を感じました」としか言っておらず、おいおい「私はロボットではありません」じゃないだぞ、と思ってしまうのも分からなくない。
現に、3の意味の「エモい」の用法に対して、「ヤバイ」と同様な若者言葉とみて、「若者の国語力の低下」だという意見もある。
これはある意味で一理ある。

また、Juggling Unit ピントクルが発行する雑誌、「秘密基地マガジン『アトチ』 秘密基地vol.7号」より、
ヲサガリ氏 『エモいっていう言葉ってめちゃくちゃ怠惰やなと思うんですよ。何かよくわからへんけどいいみたいな。感傷的である、すごい、なんかわからへんけどめっちゃええやんこれ、っていうのを、だいたいエモいって言ってしまうっていう。』

これらの言説は、お前らもっと日本語頑張れ、ということだけを言っているのだろうか?

ここで、僕は「エモい」「エモ」の4つめの意味を定義したい。

じんによる「エモい」の第四の定義
ところで、「エモ」の語源に関する俗説として、「えもいわれぬ」(得も言われぬ)から来ているのだ、というものがある。「何とも言い表せない、形状し難い」感情を指して「エモ」と言うのだと。
もちろん、今までに語源を見てきて分かるように、これは全くの創作なのだが、これをきっかけに、新しい定義を説明したい。

第四の意味は、「エモ」とは、「名付けられていない(言葉にできない、説明できない)」感情を指す、という定義である。

自分の感じた感情が、自分の中で名付けられている、既知のものであるとき、それはその名前で呼ぶことができ、それについて語ることができる。
例えば「寂しい」とか、「好き」だとか、「怒っている」といった名前で。

しかし、自分の感じた感情が、自分が初めて感じる種類のものであったとき、自分の中でその感情を指し示す言葉がない、名付けられていないとき、「語りえぬものについては沈黙しなければならない」ように、それについて語ることはできない。
ただ、そこで「エモ」「エモい」という語を使用すれば、いまだ名付けられていない感情の領域について、少なくともその存在を、語ることができるようになる。
名付けによって初めて存在が確認される、という点からすれば、これは、とてつもない一歩ではないか。

もっとも、「エモ」による名付けには問題もある。その問題とは、「その感情が永遠にきちんと名付けられることがないまま終わってしまう」ことにあるのだと思う。「エモい」と取りあえず名付けられた感情が、その後に振り返られることなくきちんと言語化されないままになるとすれば、名付けられていない感情をすべて包括的に「エモ」という語で呼ぶことは、名付けられていない感情の領域をそのままにしてしまうこととなる。

第四の意味の「エモ」は、「『これ』じゃないもの」という否定形の定義である。(※12)
名付けられた(ことによって既知のものとなっている)感情の領域の、どれでもないということから、その感情は未だ名付けられていない感情の領域、すなわち「エモ」だということになる。
例えば、名付けられた感情の領域が「喜怒哀楽」しかない人がいて、ある感情を感じたとしよう。それは「喜怒哀楽」では言えないみたいだ。怒っている、とも似ているが違う、哀しい、とも少し違う、楽しい・嬉しい、では決してない。
さて、実はこの感情の名前の正解は「悔しい」なのだが、本人にとっては未だその感情に名付けられていない場合に当たるので、「喜」でも「怒」でも「哀」でも「楽」でもどれでもない、「『これ』じゃないもの」だから、「エモ」だ。ということになる。
「エモ」という語の使用によって、「喜怒哀楽」以外にも感情はあって、それを今回感じたんだ、ということを自分と、そして周りの人にも伝えることができる。
ただその後、「エモ」という暫定的な名付けによる(逆説的な)名付けられなさの問題がでてくる。
これは、「エモ」という包括的な否定形の名付けによりその感情を呼んでしまったがゆえに、その感情の名付けがそのままになり、またさらに他の「エモい」感情、例えば「くすぐったい」という感情がでてきたとき、「くすぐったい」と「悔しい」という感情が、同じ「エモ」という語で呼ばれてしまう、という問題である。
すると、感情そのものとしては異なっているのに、その異なりが(周りは、そしてもしかすると自分も)理解できないのである。これは問題ではないか?

もし「エモ」という語で名付けなかったら、を考えたとき、語りえないものとして沈黙するという選択肢以外に、「自分の言葉でなんとか名前を付ける」という選択肢もあることが指摘されうる。
例えば、先ほどの例では、「悔しい」という名付けがされていないとしても、「怒哀しい(おこかなしい)」という語で名付け、「半分「怒」で半分「哀」の感情」というように自分の言葉でできる限り説明する、ということが考えられる。
または、「くすぐったい」という感情の名付けがされてなくても、「もにょもにゃする」という語で名付け、「もにゃもにょして結果的に「喜」のような状態になる」というように説明することが考えられる。

先ほどの「日本語を頑張れ」「言葉の解像度を上げろ」「怠惰であるな」という言説は、このような、「あなたの頑張りによって『〈あなた〉の言葉』を獲得せよ」という意味であると思う。

「怒哀しい(おこかなしい)」「もにょもにゃする」という、ある種の詩的な(「私的」な)言葉であっても、周りの人たちは、その両者の異なりを認識することができる。

ただし、「言葉」の獲得(〈私〉の言葉の獲得)には、非常に大きな頑張り、労力が必要となる。誰もが皆、そのコストが支払えるわけではない。
だから、沈黙に、無いものになってしまうよりかは、小さいコストで少しでも、未だ名付けられていない感情の領域が存在すること、それをいま感じたということだけでも、言葉にしていくことを大事にしよう。
そのような思想のもとに、「エモ」の第四の意味を新しく定義する。
自分がまた頑張れるようになったら、あるいは、後で他の人の力を借りて、「エモ」と仮に名付けておいた感情を、言葉にしていけばいい。そうすることで、感情は豊かになる。他方で、「エモ」の領域は次第に狭くなっていく。

エモ;エモい
1.語源としての「エモ」
 固有の一音楽ジャンルを指す。
 1980sのアメリカのハードコアから派生した「エモーショナル・ハードコア」「エモコア」と呼ばれる音楽ジャンル。また、その流れを継ぐもの。

2.1の語源を踏まえた「エモい」
 (元々は1の音楽を聴いたときの感情の動き/そのとき感じた感情を指していたが、現在、使用は音楽に限らず、文章、写真、風景、全てに対して使用する。)
 「どこか寂しい、感傷的(sentimental)な、切ない、物悲しい、哀愁、また、郷愁、懐古、ノスタルジック(nostalgic)な感情」を抱くこと。また、そのような感情を抱かせるようなもの。

3.emotional一般の「エモい」
 (古語の「あはれ」や「をかし」の多義性とも関連して)
 英語のemotionalをそのまま日本語にした意味。
 対象がものの場合、「感動的な、心動かされる(causing people to feel strong emotions(love,hate,anger,jealousy,sorrow,fear,despair,hapinessなどの総称))」
 対象が人の場合、「感動/感激している、心揺さぶられている、感情的である(having strong feelings)」

4.じん定義の「エモ」/「エモい」
 「いまだ名付けられていない(言葉にできない、説明できない)感情の領域」のこと。
 名付けられているかどうかは、「『これ』じゃない」という判断方法による。


さて、ここまでが第一部、「エモい」/「エモ」の話だ。

以上を踏まえて、次は第二部、「アート」という語の話をしたい。
大丈夫、たぶん手短に済む。

「アート」という語も、「エモ」に負けず劣らず多様な意味があり、様々な用法で使われていると思う。
今回は「アート」の多義的な意味定義や用法の整理には踏み込まず、「アート」という語のじんによる新定義をして、話を終わりにしたい。

「エモ」と「アート」の共通性
「エモ」の話をどこへ持っていきたいかというと、「アート」と呼ばれる作品の分野、そしてひいてはジャグリング価値軸の話である。が、今回はジャグリングにおける「アート」までは踏み込まずにおく。

「エモ」という語が担う、いまだ名付けられていないもの(=感情)を暫定的に名付けるという役割、そして、それによる(逆説的な)名付けられなさの問題、というのは、「アート」という語でも言えるのではないか。
「アート」という語が指すものはなんなのか、というのは、詳しくは学問としてやることなのだろうが、ただ、「アート」(※ここではじん定義の「アート」を考えており、芸術artの翻訳ではない)というものは、いまだ名付けられていないもの(=『良さ』、価値軸)を暫定的に名付けるためにあるのではないか、とふと考えた。

例えば絵画において、ある特徴を持ち、ある新しい『良さ』を持っている作品に対して、名前(「○○主義」とか「○○派」とか)が付けば、その、新しい『良さ』について語り、共有することができる。
『良さ』に対する名付け(言葉による価値軸の名付け)は他にも、例えば作者名で「▲▲っぽい」と言ったり、作品名で言ったりすることによっても可能である。(あまり適切とは言えないが。)(「マグリットっぽい良さあるよね」とか、)

作品が生み出される→新しい『良さ』(価値軸)を見出される→その『良さ』に言葉で名前が名付けられる という流れ。

これは反対から言うと、新しい『良さ』は、言葉による名付けによって生み出され発見されるのではなく、その絵画が生まれることによって、つまり、作品という形で暫定的に(言葉で名付けられるまで)名付けておくことによって、発見されると言える。
いまだ名付けられていない『良さ』領域は、その絵画が作品という形で暫定的に名付けるまでは、認識されえず、世界に存在しなかった、と言える。
絵画(でなくてもいいが、作品)が、ある特有の種類の『良さ』を、価値を、生み出したのだと。
このような、「いまだ名付けられていない『良さ』領域に、作品という形で暫定的に名前を与え、それにより新しい価値を生み出す作品群」を、じんの定義による「アート」と呼ぼう。

「アート」は、新しい価値を生み出すものだ。それはアートがその社会的役割を負うべきとかではなく、じん定義によれば”定義上”そうなのだ。
気持ちいいと感じる、新しい感覚のツボを増やすのだ。
気持ちいいと感じる新しい感覚のツボ」と書いたが、これは「美」というツボに限られない。
今日では、いわゆる「現代アート」は「美しい」ものに限らない。あるいは気持ちよくないと感じる新しい感覚のツボにまで、拡張されている。
なぜならそれは、「美」と言葉による名前がついてしまったから、じん定義による「アート」の領域から「美しい」ものが除外されたからだ、と考えられる。
それはまるで、「エモ」の話において、言葉によって名付けられた感情領域は「エモ」の領域から外れるのと同じようにみることができる。

じん定義による「アート」を生み出す者=「アーティスト」は、「『これ』じゃないもの」を生み出す者である。つまり、言葉による名付けによって切り狭められる未知の(いまだ名付けられていない)『良さ』領域を広げ続ける者であり、言葉(批評者)の手から逃げ続ける者である。

オリジナリティーが「アート」では求められること
オリジナリティーoriginalityは必要だ、というのは、大きくは、おそらく「アート」の文脈で言われていることなのだと思う。
「アート」の目的が、新しい快楽のツボを見つけること(その快楽のツボにはまだ名前が名付けられてない)であるなら、オリジナリティーが全くない作品は、もう既にある快楽のツボを刺激する(もう既知の『良さ』領域の『良さ』を作品として具現化する)ものであり、じん定義の「アート」たりえない。
「もうある」、「もう見た」、となってしまうのは、「もう既に名付けられている」という意味だ。
ただし、もう既にある『良さ』領域における作品だからといって、オリジナリティーがないものが直ちに『良い』ものでない、ということにはならない。
例えば、オリジナルの創作料理である必要はなくて、「肉に塩振って焼けばいいんだよ!旨いだろうが!」という主張は正しくて、それは、「アート」ではない『良い』料理の話、ということなのだ。
料理が「アート」であるべきかどうかは、個々人の政治的立場で意見が異なるだろうが、僕の個人的意見としては、「「アート」であってもいい。むしろ「アート」であるべきだ」と言いたい。
既にあるもので救われる者はそれで救われればいい。まだ救われていない者のために「アート」はある。今あるもので快楽を感じられない(救われない)者のために、新しい快楽のツボを見つけるために、オリジナリティーは必要だ。
新しい快楽のツボは、今あるものに快楽を感じる者にとっても、利益となるはずだ。
肉に塩でも旨いが、ゆず胡椒があってもいいだろ。


と、すこし書きすぎた感はあるが、このへんで今回の「アート」の話は切り上げることにする。
最後に「アート」のじん定義を確認して〆る。

 じん定義の「アート」
「いまだ名付けられていない『良さ』領域に、作品という形で暫定的に名前を与え、それにより新しい価値を生み出す作品群」

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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(※1 参考URL:
https://un-chiku.com/emotion/ (2017-10-31) 「エモ」の起源、音楽の歴史の流れはここが詳しい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/エモ  Wiki。音楽ジャンルの「エモ」について
『英語圏白人文化で emotional という語が単に「感情の」だけでなく、「感情的な、クールでない」という意味で、男性の女々しさを非難する語として使われやすいという事情がかつてあった。』ここら辺も注目したい。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1612/11/news013.html (2016-12-11)
https://toyokeizai.net/articles/-/191015 文:荒川和久(2017-10-01)
http://wildriverpeace.hatenablog.jp/entry/2017/08/13/224127 (2017-8-13)

(※2 参考URL:
http://web.archive.org/web/20080121003650/http://www.ongen.net/international/serial/tigerhole/emo/index.php (2008-1-21)

(※3 https://www.weblio.jp/content/nostalgic 実用日本語表現辞典より
 『ノスタルジックと表現される感情や心境の中におおむね共通して見いだされる要素を、敢えて「隔たり」と表現するならば、この隔たりには、過去の記憶にさかのぼる「時間的な隔たり」も含まれれば、異郷から望む遠い故郷や都会から望む自然というような「空間的な隔たり」も含まれる。
自身が体験したわけではない古い時代の風景や、行ったことのない場所の景色、場合によっては廃墟・廃屋のように喪失感のある風情やレトロな佇まいなどに対してもノスタルジックな感情を抱く場合があり得る。』

(※4 三秋縋
   1990年生まれ、岩手県在住の作家。ウェブ上で『げんふうけい』名義の小説も発表し、人気を博している。
http://mwbunko.com/978-4-04-866169-0/ より
   主な著書に、『君の話』(早川書房)、『三日間の幸福』(メディアワークス文庫)など。)

(※5 三秋縋『僕が電話をかけていた場所』あとがき より。
また、『”正しい夏”の正体はそれまでの人生で感じてきた無数の「こうだったらよかったのに」の複合体です』とも述べている。

「正しい夏」概念に関して 別の方の参照ツイート
https://twitter.com/wak/status/1035895254518390784 )

(※6 卯月コウ
  バーチャルライバー(バーチャルYoutuber)。
  いちから株式会社の「にじさんじプロジェクト」で「にじさんじSEEDs」というグループに所属している。ちなみに、にじさんじプロジェクトに所属するバーチャルYoutuber達は自身らを「バーチャルライバー」と名乗っている。
http://nijisanji.ichikara.co.jp/member/
https://wikiwiki.jp/nijisanji/%E5%8D%AF%E6%9C%88%E3%82%B3%E3%82%A6
卯月コウについて 『陰キャオタクが陽キャのフリをしている』
http://izumino.hatenablog.com/entry/2018/10/24/083255 より)

(※7 卯月コウの配信動画
「エモ」についての言及 https://www.youtube.com/watch?v=3Q9Bv6wA1yA&feature=youtu.be&t=32m8s
エモグランプリ https://www.youtube.com/watch?v=LxrmprQ7W8g&feature=youtu.be&t=3177 「正しい青春」の語が出てくる
エモい選手権 https://www.youtube.com/watch?v=r2whCW6ZAkc
「エモ」と陰キャ/陽キャ論 https://youtu.be/i1rFIak8nGE?t=6000 文中で触れた配信 特に1:44:24の箇所)

(※8 三省堂「今年の新語」2016 https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/shingo2016/2016Best10.html
選考委員である日本語学者の飯間浩明のツイート
https://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/805678663463112704
参考URL:
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1612/06/news077.html)

(※9 日経MJ 2017-8-12のツイート
https://twitter.com/nikkeimj/status/896145493553668096
落合陽一 
2016-4-12のツイート
https://twitter.com/ochyai/status/719702333739769856
2017-8-14のツイート https://twitter.com/ochyai/status/897007583382315008
https://twitter.com/ochyai/status/897012803936043008
参考URL:
http://wildriverpeace.hatenablog.jp/entry/2017/08/13/224127 文:荒川和久
https://togetter.com/li/1140137

(※10 ツイートをいくつか挙げる。
https://twitter.com/ochyai/status/828055458426392576
https://twitter.com/wildriverpeace/status/904694301711450112
https://twitter.com/asobodesign/status/1027493082386718720
https://twitter.com/jo8jo_go/status/1027712969382146049

(※11 旺文社 全訳古語辞典 第三版より 抜き出し)

(※12 「エモ」の第四の意味定義が、包括的な否定形の形である、ということは、現代の「エモ」に関する用法の混乱の一つの説明にもなっている。
つまり、各々の人にとって既に名付けられた感情の領域は異なるため、「『これ』じゃないもの」としての「エモ」が指す感情たちは、各々の人で違う。したがって、ある人にとっては「エモ」い感情が、別のある人にとって「エモ」くないということはありえる。ありえるし、その上で、両人が「エモ」について同じ定義をとっているということが矛盾なく成立する。)

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めも
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