2019/06/16 日記とか

日記

2019/06/16(日)の日記として、「知的財産権とマジックに関する研究会」に行ってきたこととかを書く。
ボルタンスキー展
http://www.nact.jp/exhibition_special/2019/boltanski2019/にも行ってきて、こちらもとても良かったのだが、それについては省略。

ジャグリングの隣接領域として、マジック/手品というものがあるのは前々から理解していて、また、手品の種明かしに関する様々な意見をTwitter等でよく見かけるようになって「手品の種明かしと美的鑑賞」に関心を持つようになったのもあって、せっかくなので参加した。

イベント自体の内容の詳細には深く触れないが、著作権法、特許法、契約、といった法的観点からの手品の保護というのをテーマに、三人のお話と質疑応答があった。参加者の年齢層高いなと思った。
最も収穫だったのはその配布資料の多さで、特にGenii収録のサラ・クラッソンSara Crassonの論文「Intellectual Property Laws and Magic」の訳文が手に入ったのは良かった(原文にも当たりたいが)。彼女が手品と知的財産権のテーマでやっている第一人者っぽい。他の論文として、これとか。

知的財産法にいう「バランス」

知的財産法の話を少しすると、
かつてから「所有」という概念によって保護されてきた財産(お金とか土地とか家とかお気に入りのアクセサリーとかいった目に見える、形のある物)とは違って、目に見えない、形のないもの(情報)も知的財産として保護しようという趣旨から、「所有」する者の財産と同様に「発明」や「著作」(創作)する者の知的財産が保護される。
特許法は新規で進歩性のある「発明」を保護し、著作権法は創作性ある「著作物」を保護する。
これらが保護されるべきなのは、これらが価値ある情報であるからであり、発明者や著作者といった価値ある情報を生み出した者自身が、その情報による利益を受け取ることができないのであれば、彼らは発明や創作をやめてしまうかもしれないからである。
発明による科学の発展や創作による芸術の発展は社会/国家にとっても重要だと考えられるから、発明や著作にインセンティブを与えてやるべきなのだ。
そういうわけで法律は、模倣行為によって発明者や著作者が傷つけられることから保護している。

一方で、よく言われるのが、模倣は、後進者が学び新しい作品を作り出すために不可欠ではないか、ということだ。大抵の創作は先人の発想や創作を真似て、そこから学び、インスピレーションを受けて起こるものであり、先人のものを改良したり、何か付け加えたりすることも文化の発展と言える。
過去のアイデアや創作物が全く利用できないとなれば、後進者は新しい創作にあたって重要な素材源にアクセスできないことになり、これは発展を奨励する者にとって本意ではない。
つまり、先人(発明者や著作者)の生んだ価値ある情報の保護と、その価値ある情報を後進者が利用することのバランスを考えなくてはならない。

この、バランスを考えなければならない、ということに関して、どのレイヤーで考えられているか、というのが混乱している様をしばしば見る。
cf. https://note.mu/ot2j_s/n/ndeb53026761e

つまり、倫理的議論(マナーとかモラルとかの話)がされているのか、法的議論(権利とかの話)がされているのか、というのが不明確なことがある。

ついでにここで述べておくが、手品の種明かしにまつわる議論が意味あるものに進んでいないように見えるのは、倫理的議論なのか法的議論なのか、
倫理的議論であればさらに、手品の美的価値(手品美的鑑賞という全体の利益)が問題となるのか、法的保護には至らないまでもオリジネイターの利益が問題となるのか、というのが不明確になっていることが理由のように思う。
また、その過程で、手品と手品の種との関係が明らかにされていないことも問題であると思う。(表現とアイデアの関係にもつながる)

著作権法で攻めるという選択

手品では特許の事例は多くある(特許検索で分類(FI)をA63J21/00で検索すると出てくる)が、著作権による保護の事例はあまりなく、また、どちらもパフォーマンスの模倣(模倣演技)に対しては有効でないだろうとのことだった。
特に松下氏が著作権法で攻めるという方向性での話をしていなかったのは疑問だった。(時間制限の問題でされなかったのかもしれないし、僕の問題意識と主題設定がずれていたのかもしれないが)

ジャグリングでは手品の種に当たる部分が存在しないゆえに、特許でなく著作権で攻めるしかないみたいなところはあるが、手品と手品の種との関係の分析が充分なされていないのと同様に、ジャグリングとジャグリングの「技」との関係も分析されていない。
ジャグリングにおいて、法的保護を求めるような政治的動きは今のところ見られないが、そのようなことを考えるなら、「技」という概念を分解してどう位置づければ法的保護に値すると言えるか、言えないとして、どのような政治的立場をとるのかというのが明確になるような分析をすると良いのではないか(他人事みたいに書くけど)。

検討 追記
手品https://twitter.com/jin00_Seiron/status/1136468194678386688?s=19
ジャグリング

政治的立場

どの方向で政治的共同歩調をとるのか、ということの分岐点/対立点として、誰の何の利益の問題なのか、対抗するのは何の利益なのかというのが具体的に明らかにされることが必要だと感じた。
質疑応答での「アマチュアには関係ないと思われる(から共同声明とかが効く範囲は疑問)」「すべての関係者が構成員となる組織を」と言った言葉が思い出される。

最後、「このようなイベントから、緩やかなつながりを」という言葉があったように、今回の(おそらく試験的な)イベントが、様々な利益を張る様々な問題意識を持つ者の共通の議論基盤の一歩になることが望まれている。

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