大会における「構成」点と、『ピンクの猫』が言うところの「それ」について

丁寧に解体して食べてあげます。

じんです。
御託はいいから早速やっていこう。
まず、現在、ジャグリングの大会において、「構成」という語で呼ばれている、あるいは「構成」という語が用いられている審査基準(評価基準/評価軸)を見ていこう。話はそれから。

記述

JJF チャンピオンシップ
 審査は「技術」「パフォーマンス」「希少性」を基準とする。
 「技術」は「完成度」と「難易度」、「パフォーマンス」は「構成」と「エンターテインメント性」に分けられる。
 「完成度」、「難易度」、「構成」、「エンターテインメント性」、「希少性」の5つの項目を同じ重みづけとして総合的に評価する。

構成
  ルーティンの流れ、ステージの演出、音楽との調和、衣装やキャラクター、使う道具やセット、全体的な芸術性などにより総合的に評価される。ジャグリングに関係のない技術もそれが全体的な演出をひきたてるものであれば、評価の対象となる。
 (https://www.juggling.jp/jjf/2018/jp/JJF2018CS.pdfより)
JSJF
 審査は「難易度」、「操作性」、「構成」、「新奇性」を基準とする。
「操作性」の内訳は『演技遂行度』『操作安定度』『完成度』とする。

【決勝審査について】<点数の内訳>(点)難易度40操作性25構成20新奇性15計100

○構成
ルーティンの流れ、ステージの演出、音との調和、衣装やキャラクター、使う道具やセット、全体的な芸術性なにより(原文ママ)総合的に評価される。ジャグリングに関係のない技術もそれが全体的な演出をひきたてるものであれば、評価の対象となる。
 (http://jsjfexco.wixsite.com/hs-juggling/ctaikaiyoukouより)
関西学生大会(JUUC主催)
 審査は「難易度」「完成度」「演技構成」の三点に基づいて行われる。それぞれ30点満点であり、各審査員が一点刻みで点をつける。

・演技構成 30点
ルーティーンの流れ、音楽との調和、衣装やキャラクター、使う道具やセット、演技全体の魅力及び芸術性などにより総合的に評価される。ジャグリングに関係のない技術もそれが全体的な演出をひきたてるものであれば、評価の対象となる。
 (https://juuc2017.web.fc2.com/juuc/review.htmlより)
関東学生大会
 評価は以下の5つの観点を基準に行います。(第4回学生大会の配点から変更あり)
・完成度(10点)・難易度(10点)・構成(10点)・エンターテイメント性(10点)・新奇性(10点)

構成
ルーティンの流れ、ステージの演出、音楽との調和、衣装やキャラクター、使う道具やセット、演技の芸術性などにより評価される。ジャグリングに関係のない技術もそれが全体的な演出を引き立てるものであれば、評価の対象となる。
 (http://eastjugleague.wixsite.com/home/----yzpubより)
中部学生ジャグリング大会
 採点は下記の4 項目にて構成される。()内は最大点数。審査員によって0.5点刻みで採点(60,40段階評価)される。
・難易度点(30点)・完成度点(30点)・新奇性度点(20点)・演技構成点(20点)

・演技構成点(20点)
ルーティーンの流れ、ステージの演出、音楽との調和、衣装やキャラクター、使う道具やセット、全体的な芸術性などにより総合的に評価される。ジャグリングに関係のない技術もそれが全体的な演出をひきたてるものであれば、評価の対象となる。
 (http://chubujuggling.wixsite.com/2018/ruleより)
九州学生ジャグリング大会
 審査には【技術】【演技】【時間超過による減点】の三つの項目がある.審査員が【技術】【演技】の二つの項目に点数をつける.それぞれ 45 点満点,1 点刻みである.審査補助係が時間を計測し,超過時間に応じて【時間超過による減点】を決定する.

【演技】(45 点満点)
演技の項目では,ルーティンの[1]完成度と[2]構成を評価する.
[1] 完成度
選手が上手にルーティンを行うことができたかを評価する.ドロップやミスのような失敗は減点の対象となる.失敗を取り返す行為が認められた場合,減点されない場合もあり得る.ジャグリングの安定感も評価の対象とする.
[2] 構成
ルーティンの演出を評価する.具体的には主に次の(1)~(3)を評価する.
 (1) 技の順序の工夫,技の多彩さ
 (2) 技と技以外の要素(音楽,衣装など)の調和性
 (3) 技以外の要素同士の調和性

審査員は[1]完成度を重点的に評価した上で,[1][2]を総合的に評価する.加点減点方式を基本に採点を行う.
 (https://kyushu-juggling.jimdo.com/競技ルール/より)
北海道東北学生ジャグリング大会
 審査・採点は難易度・演技構成・完成度を審査項目とする。
 配点は・難易度(30点)・演技構成(35点)・完成度(35点)とする。

・演技構成
ルーティンの流れ、ステージの演出、音楽との調和、衣装やキャラクター、使う道具やセット、演技の芸術性により評価される。観客を盛り上げる演出など、ジャグリングに関係のない技術もそれが全体的な演出を引き立てるものであれば評価の対象とする。
また、本項目は独自の要素があれば加点の対象とする。選択した音楽をどのように受け止め表現するか、自分で生み出した技があるか、自分のキャラクターをいかに演じるかなど、自分の特性(感性、性格、好みなど)を十分に生かした演技を期待している。
 (https://northjuggling.wixsite.com/hokkaido-tohoku-jug/blank-6より)
Nagoya Juggling Summer Cup 2018 通称「サマー☆カップ!」
 学生部門では、第四回中部学生ジャグリング大会様の審査基準を使用させていただいております。
 (https://njsummercup.wixsite.com/njsummercup2018/blank-8より)
ジャグリング新人戦 全日本杯/西日本杯
 採点は3人の審査員が以下の5項目について評価をし3人の点数の合計で順位を決めるものとする。
Stability 安定性・Difficulty 難易度・Conception 構想力・Identity 独自性・Entertain 表現力

構想力
そのルーティンの構成における評価です。主題性、一貫性、芸術性、音楽との調和性などを主観的に意図を持ってそのルーティンが構成、実行されているか。また、それが、客観的に評価できるものか。

独自性
行われている技や、ルーティン構成において個性的であるほど評価されます。この項目においては難易度は全く関係ありません。

表現力
そのルーティン、演者がいかに魅力的であるかの評価です。会場の雰囲気や、観客の満足度、その他演者の衣装や、メイクなどが評価対象例。
 (http://under1juggler.wixsite.com/jugglerrookie/outlineより)※1
 (西日本杯も同様)
魂コン! (関東トス交流会主催)
 (コンタクト部門・コンセプト部門は別途審査基準あり)
審査項目の紹介及び定義
・構成力・難易度・操作性・独創性・多彩性

構成力
音楽との調和,演技空間の支配,観客へのアプローチ,コンセプトをもとに総合的に評価する.
 ・音楽との調和
  音楽と演技の関係性の強さを評価する.
 ・演技空間の支配
  演技空間の大きさ,観客との距離,照明の有無などに応じて演技は多様性を見せる.ゆえに,与えられた演技空間を活かしているかを評価する.
 ・観客へのアプローチ
  観客を楽しませる工夫や配慮がなされているかを評価する.
 ・コンセプト
  演技を作る際,定めたコンセプトをどれだけ表現でき,伝えられているかを評価する.

独創性
独創的な技やシークエンスなどを評価する.独創的な演技構成はこの項目ではなく構成力にて評価する.

多彩性
シンプルな形状ゆえ自由度の高いボールを様々な観点からジャグリングしているかを評価する(ナンバーズ,ロール,ストール,マニピュレーションなど).ナンバーズのみといったジャンルの乏しい演技は評価が低くなり,ジャンルの豊かな演技,また複数のジャンルを組み合わせた技やシークエンスは評価が高くなる.
 (https://kantoutoss.wordpress.com/魂コン/審査基準/より)
シガーボックス大会
【審査項目】
 
1) 加点項目
 ・難易度(30点)・新奇性(10点)・操作安定(30点)・演出(30点)

●演出(30 点)
「使用曲」「衣装」「構成・演出」それぞれが演技の内容に調和しているか評価。
http://docs.wixstatic.com/ugd/4a97c1_5334b05d58b1477da451809db53b7e42.pdfより
関東シガーボックスコンテスト
 審査基準 技術面/演技面
 技術面(・難易度・安定度・新奇性)
 演技面(・構成・観客意識)
  (配点は部門により異なる)

構成
ルーティン全体を通しての、技およびコンボの順番や魅せ方、音楽との調和性などを評価する。

観客意識
ジャグリング以外の立ち振る舞いなどに対する意識を評価する。
 (http://cigarcon.html.xdomain.jp/より)
AJDC 全日本ディアボロ選手権大会(All Japan Diabolo Competition)
その他、OIDC等も同一の採点規則による

 採点項目
採点は下記の 9 項目にて構成される。
・難易度点・多彩性度点・操作安定度点・新奇性度点・演技構成点・基礎点・同調性度点・実施減点・特別減点
 (配点は各部門で異なる)

演技構成点
演技開始から演技終了までにおいて、楽曲、衣装、技の順序、起承転
結などの調和性を評価する。
 (http://diabolo.jp/PDF/JDA_rule_2016_6.pdfより)
infinity prop
 フリー部門 審査基準
難易度50・操作性20・演技構成30
 (詳細の記述なし)
 (http://waseda-infinity.sakura.ne.jp/event/prop/index.htmlより)
MJF
2018年
各審査員は、以下の4つの要素を考慮しつつ、100点満点で審査を行うものとします。
・技術・完成度・構成演出・エンターテインメント性

構成演出
演技の構成や照明効果など、演技全体としての演出を評価します。
 (http://www.malabaristas.com/mjf2018/より)

2017年
下記の基準を基に5人の審査員が演技の審査を行います。
技術、完成度、(構成・演出)、エンターテインメント性

構成・演出
照明効果や演者の表情・衣装等、演技全体としての演出を評価します。
 (http://www.malabaristas.com/mjf2017/より)
じゃぐなぎ杯 (2018年は開催中止)
 審査員は「技術点」「完成度」「魅了度」の3つの観点から審査をします。
 「技術点」×1.2+「完成度」+「魅了度」を合計したのちに偏差値を集計します。
 2017年のルールでは「技術点」と「観客魅了度」という2項目でしたが、2016年以前の3項目に近い形に戻しました。(2016年時点では「魅了度」ではなく「演出点」という名称でしたが、ほぼ同義のものです。

魅了度
・見ているものを驚かせたり感動させる構成がある。
・観客を自分の舞台に引き付けることができた。演技の内容に盛り上がる工夫がされていた。
・マナー良く演技ができている。
・その他、「技術点」「完成度」では評価しきれない部分で観客を魅了する評価のポイントがあった。
 (http://fine.tok2.com/home/ryuhan/hamajug/ham_event.htmlより)


海外で行われている大会

IJA CS

 (https://www.juggle.org/festival/stage-championships-rules-japanese-old)
Moyo stage 2018

 (http://diabolo.asia/moyostage2018.pdf)

他にもまだまだあるだろう。抜けがあれば教えていただきたい。

以上、それぞれ見てみた上で、『ピンクの猫』の一員である僕からいくつか言うことがある。

1.大会における審査基準とは

まず、「大会の審査基準とは何なのか」というところから始めたい。
これは、某な氏との対談を受けての話でもある。
対談では、最も突き抜けた立場として、
 A《大会とは、ある特定のルールを採用して行われるgame(試合・ゲーム)である。審査基準とは、勝ち/負けの「ルール」である。》
という立場があることを発見した。
例えば、じゃんけんというgameにおいて、そのルールに従って、パーはグーに勝つ。
では、パーはグーよりも”良い”のか? (※1)
否、である。
パーは確かに”勝ち”、そして勝利というものに付随する賞賛は受けるかもしれないが、そのことは、パーが”良い”ことを意味しない。

Aの立場に対応するもう一つの立場Bをここで紹介したい。
 B《大会とは、ある特定の基準を採用して行われるcontest/competition(競技会・コンクール)である。審査基準とは、”良い”/悪いをみる「基準」である。》

例として、
①A 難しいジャグリングを勝ちとするルール
①B 難しいジャグリングを良いとする基準

②A ドロップの多いジャグリングを勝ちとするルール
②B ドロップの多いジャグリングを良いとする基準
を考えてみよう。

「大会」をどのようなものとするかというAとBの立場の違いに、大会が単に勝ち負けのgameではなく、"良さ"のcontestであるということの差が表れる。それは、②Bについて考えると顕著になる。

  ②B ドロップの多いジャグリングを良いとする基準
「②B大会」というcontestにおいては、その基準に従って、ドロップの多いジャグリング演技はドロップの少ないジャグリング演技より良いとされる。
ただ、ここで問題となるのは、その「正当性」(正統性/妥当性)である。

②B大会で、ドロップの多いジャグリング演技がドロップの少ないジャグリング演技よりも「良い」とされるのはなぜか、といえば、そのように基準で定めているからといえる。
しかし、ここで、contestにおける「そのように基準で定めているから良いのだ」という論理は、gameにおける「そのようにルールで定めているから勝ちなのだ」という論理と全く同じものではないか?
つまり、良い/勝ちと定めたから良い/勝つのだ、という循環で完結しているという意味で。

「良い」が、「勝ち」とは違って、「"良い"」のは、②B基準に従って良いとされるものが、②B大会の外でも、"良い"とされるからではないか。
つまり、大会の基準の正統性が、大会の外に求められるということが、その基準の正当性を担保しているのではないか。
Bの立場におけるcontestの基準が、Aの立場におけるgameのルールと異なるのは、ここである。この点において、「良さ」は「勝ち」と異なる。(※2)

あなたの立場から考える「大会」とは、AとBどちらですか?
あなたにとって「大会の審査基準」とは、gameのルールですか?contestの基準ですか?

この問いの答えがひとつの分岐点となる。
以下では、大会の審査基準とは、contestの基準であるというBの立場に立って話を進めるが、ぜひあなたの立場を教えて欲しい。
(※3)


(※1「良い」という語を軽率に多用したくはないが、価値がある/魅力的である/)
(※2 A「ルール」とB「基準」の重要な違いは、「基準」には”良さ”の基準として正当性が問われる。そこをクリアしているからこそ、評価されたものが自明に”良い”とされる。Aの立場からは、大会で勝ったものが勝ち以上に、(gameの外で)自明には”良い”とされないため、”良い”とされるには、新たな裏付け・論理立てが必要である。)
(※3 話が複雑になるため省いたが、ある大会がcontestの基準とgameのルールをともに設定していると考えることもできる。そこでは勝つものと良いものがあり、両者は一致したりしなかったりするが、およそ一致するような設定をすることが多いだろう。)


2.「”良さ”」のイデア

大会で基準として定められている「良さ」の正統性とは何処求められるか、つまり、大会において基準の適用により「良い」とされるものが(基準が適用されない場においても)「”良い”」と言える根拠は何か、という問いの一つの答えは、「”良さ”のイデア」である。

イデア論をここで長々と展開するのは話の流れのテンポと僕の学の無さの点でしたくないのだが、『ピンクの猫』の活動においても重要なところなので少し紙幅を割く。
「イデア」という概念(哲学用語)を定義し説明するのは僕には難しく、「思惟によってのみとらえられる真実在」とか言っても理解困難だろうから、皆さん各自で書に当たるなりググるなりして補って欲しい。
以下に「美のイデア」についての文章を引用する。(※4)
「美」は、「”良さ”」との関係性も問われるが、美は”良さ”に内包されるとして、イコールではないが少なくとも強く関連するものとしてここでは雑に考えたい。

『まず第一に、それは常住にあるもの、生ずることもなく、滅することもなく、増すこともなく、減ずることもなく、次には、一方から見れば美しく、他方から見れば醜いというようなものでもなく、時としては美しく時としては醜いということもなく、またこれと較べれば美しく彼と較べれば醜いというのでもなく、またある者には美しく見え他の者には醜く見えるというように、ここで美しくそこで醜いというようなものでもない。
なおまたこの美は顔とか手とかまたはその他肉体に属するものとして観者に顕れることもなく、また同様に言説もしくは学問的認識の形をとり、あるいはその他の或る者の――たとえば、生物の内に、または地上や天上に、またはその他の物の――内に在るものとしてでもなく、むしろ全然独立自存しつつ永久に独特無二の姿を保てる美そのものとして彼の前に現れるでありましょう、』(※4)

イデア界には、上記引用文で『それ』『この美』『美そのもの』と呼ばれている「美のイデア」があり、現実世界(認識世界)には私たちが五感によって把握する様々な「美しいものたち」がある。
「美しいものたち」が美しいのは、それらが「美のイデア」を分有して/「美のイデア」と類似して/私たちに「美のイデア」を想起させる/ からである。(※5)
というわけだ。

ちなみに『ピンクの猫』がやろうとしていることは、言葉からのアプローチによって、「良さ」と呼ばれている「それ」にたどり着こうとする活動である。『ピンクの猫』が言うところの「それ」とは、言うなれば「”良さ”のイデア」だ。
また、イデア概念を用いずとも、私たちが感覚的に感じる「良さ」が、(一定の抽象度はあるものの)一つの固まりであると考える立場からも、『ピンクの猫』の活動を考えることはできる。つまり、私たち個々人がそれぞれに良いと感じるものには(一定の抽象度のある)共通の「なにか」があり、その共通の「なにか」を、私たち全員が良いと感じると考える立場である。


さて、話を本題に戻して。
イデア論に拠って立つ立場や、良さの一つの固まりを想定する立場(BXとする)(※6)からは、良さの正統性を導くことができる。
したがって、その正統性に加えて、妥当性(大会の基準が良さのイデア/良さの一つの固まりをどれだけ正確に言語化しているか、基準の文言が良さのイデア/良さの一つの固まりからどれだけ離れているか、という点から、妥当であること)についてもクリアすれば、大会の基準に「正当性」を認めることができる。
この妥当性をみるためには具体的にどうするのかという問題があるが、それについては、基準によって良いとされた「良いものたち」が、私たちの感覚に照らしても”良い”かどうかをただただみていくしかない。

以上のBXの立場に対して、イデア論を否定し、また、”良さ”とは一つの固まりではない、と考える立場(BYとする)からは、そもそも「良さの正統性」という概念を考えることができない。(この対立は、感覚的性質の同定可能性の問題にも関連する。)
良さの正統性を観念できない場合、前提としていた『大会の基準の正統性が、大会の外に求められるということが、その基準の正当性を担保しているのではないか。』という仮定は否定され、基準の正当性が再度問われる。基準の正当性をgameとcontestの違いであるとした以上、(「勝ち」と「良さ」の違い/gameのルールとcontestの基準の違いを)説明できなければ、大会は全て勝ち負けのgameになってしまう。
 (BYはAになってしまわないか)


(※4 引用:プラトン「饗宴」211 久保勉訳 岩波書店 )
(※5 参考:同上、
      プラトン「パイドン」73C-75D,76E,100C-E,訳者注(64) 岩田靖夫訳 岩波書店)
(※6 別に一つの固まりでなくてもよい、例えば、「難易度」「新しさ」「美」とか、いくつかの項目に分かれてもいいけど、それぞれを私たち”全員が”良いものだとして共有するというのがX。それに対して、私たち”全員が”共有するところの”良さ”の総体=『それ』なんてものはない、とするのがY。)


3.大会と「政治」

良さの正統性を観念できない場合(BY)においても、良さの基準の妥当性によって基準の正当性を言うことはできるだろうか。
良さの正統性を観念できない場合の妥当性とは、私たち個々人それぞれの感覚と照らして基準がどうであるかをみるということであるが、私たちはそれぞれ「良い」と感じるものが異なる(それが正統性を観念できないということだ)ため、ある一つの基準は、ある者にとっては正しく(自らの感覚に合致しているという意味)またある者にとっては正しくない、ということになる。

そこにおいて基準が「妥当である」と言えるためには、私たちの「多く」(分かりやすく過半数としてもいい)が基準を正しいとする、という民主主義的な妥当性くらいしか考えられず、それは「政治」である。
(「一つのものごとを、皆がそれぞれ「自分の利益のために」って動かすもの」という意味で「政治」の語を使用している。※7
ここでは、ある大会の基準という一つのものごとを、皆がそれぞれ「自分の感覚に合致するように」と設定しようとする。)
政治的妥当性を、基準の正当性の根拠として用いて良いかについては、大いに疑問がある。正しさテストに政治フェーズ(そこではコスト概念がどうしても出てくる)が持ち込まれると混乱を極めるからだ。
 (詳しくは後述する)

あるいは、違ったアプローチで考えてみよう。
良さの正統性を観念できない場合(BY。私たちはそれぞれ「良い」と感じるものが異なる)のあり方としては、連帯と分断がある。(これも政治的といえばそうだが)
これは、良いと感じるものが同じまたは近しい者と連帯し、良いと感じるものが異なるまたは遠い者と分断することによって、「私たち」の語が指し示す範囲を狭め、連帯し分断したそれぞれの「私たち」の内の全員の感覚に合致する良さの基準を立てることである。小規模な集まりにして良さの正統性を作り出す方法と言える。
この方法によれば、良さの固まりは一つではないにしても、いくつかの固まりにはまとまるかもしれない。
この方法によれば、基準の正当性についての正しさテストに、政治が持ち込まれずに済む。

ただ、この方法によってBYはAと異なるということを説明できているかは疑問である。gameの勝ちとcontestの良さが違うのは、その外においても基準の正当性が認められるからであったのだが、gameのルールがそのgame外では正当性を認められないことと、ここでの大会の基準が連帯した集まりである「私たち」の外では正当性を認められないことの同一性についてはどう説明するのか。
また、BYはBXと異なるということに関しても疑問符はつく。つまり、各連帯集団内で正統性が認められるいくつかの良さの固まりが、より上位の、抽象度の高い、一つの良さの固まりに内包されないといえるのはなぜか。


(※7 政治の意味→https://note.mu/jin00_seiron/n/nf985a6478c31
  cf. https://twitter.com/nagotsuki193/status/978427276206329857)


4.大会における「構成」点と、言葉

さて、一番最初に、いくつもの大会について「構成」に関する基準の文言をみてみた。なぜ「構成」に関する基準をみたかというと、ジャグリングの大会において、「構成」に関する基準が最もその内に広い意味合いを含んでおり(悪く言えば曖昧である)、また文言も多様であるからだ。
ジャグリングの大会の審査基準には、およそ、①難易度(技術難度)、②完成度(安定性/操作安定性/操作性)、③新奇性(希少性)が含まれていることが多い。簡単に言えば、①は「むずかしい」、②は「ミスがない」(台本/楽譜/予定されたものに比較して綻びや不一致がない)、③は「あたらしい」(目新しい/珍しいも含む場合がある)、となる。
③については「独自性/独創性」との区別がされてない可能性があり、newではなくoriginalを評価している基準かもしれない。(※8)
そして、④となるのが「構成」である。
が、お気づきの方も多いと思うが、①~③と異なって、「構成」とは、審査対象である。①むずかしいものを良いとする、②ミスがないものを良いとする、③あたらしいものを良いとする、とは言えても、構成については、「構成」をみます、としか言っておらず、構成が「どのようであれば」良いのか、ということは、様々に考えられる。
「構成」が良い、とはどういうことなのか。良い「構成」とはなにか。それについてはそれぞれの大会の文言の内容を詳細に見ていく必要があり、大まかに④として分類するわけにはいかない。

内容を詳細に見る前に。
初めに挙げた各大会がA,Bのどちらの立場によるものか(そしてA,BX,BYのどの立場からのものか)は不明である。
もし、これらの大会がすべてAの立場から、勝ち負けのルールとして基準を立てたのであれば、これらの文言を精査することは『ピンクの猫』にとって徒労に終わる。
もし、これらの大会がBの立場から、”良さ”の基準として基準を立てたのであれば、これらの文言を精査することは、『ピンクの猫』の活動目的に大いに貢献することだろう。

全国大会から地方大会、道具別大会、部内大会まで雑多に載せたが、これら大会の基準について全体的に言えることとしては、最近になってできた大会の方がより詳しく内容を定めている傾向にある(というか、JJFの基準をそのまま用いていない)。

では、日本で最も権威ある大会であると思われる(その基準の正当性はさておき)ところのJJFを見てみよう。JJF2018東京も終わってタイムリーですし。

構成
  ルーティンの流れ、ステージの演出、音楽との調和、衣装やキャラクター、使う道具やセット、全体的な芸術性などにより総合的に評価される。ジャグリングに関係のない技術もそれが全体的な演出をひきたてるものであれば、評価の対象となる。
 (https://www.juggling.jp/jjf/2018/jp/JJF2018CS.pdfより)

ふむ。
「構成」の内容には、ルーティンの流れ、ステージの演出、衣装やキャラクター、使う道具やセット、が含まれているのが分かった。
ただ、先ほど、「構成」をみます、では内容がないと述べたように、それらが「どのようであれば」良いのか、が書かれていなければ、それは審査基準(評価軸)ではなく審査項目(着目点)に過ぎない。
もちろん、基準を設定せずに項目だけ定め、項目において何を良いとするかは各審査員の内心・審美眼に任せるという手もある。実際、そのような大会も少なくない。(※9)
重要な語としては、「音楽との調和」、「全体的な芸術性」だろう。端的で抽象的な語ではあるが、非常に重要な語である。

と、このように見ていくことは『ピンクの猫』の活動の重要な一部ではあるが、続きはまた今後やっていくこととして、このへんでいい加減終わりたい。
とにかく、言葉をやっていくということが『ピンクの猫』の使命である。

今まで、言葉をやってきた人達がいて、これら大会の基準の文言がある。そして、今も言葉をやっている人達がいて、でも、『ピンクの猫』からすれば、まだ足りない。
(『ピンクの猫』を含め)これからも言葉をやっていく人達がいる。

やっていくぞ。


(※8 オリジナルoriginalは、オリジナルであるがゆえに、常に「've never seen before」となるため、newとの切り分けが難しい。要するに差延をみるしかないという話でもある。
cf. イデアの単一性:「美そのもの」であるところの美のイデアは二つとない。しかし、「美しいものたち」はいくつもある。originalityはイデアの単一性を想起させるのか)
(※9 この基準の空白に、大会がAでなくBの立場をとっているとの根拠を見出すこともできる。基準/ルールがなければ審判はgameでの勝ち負けは付けられないが、contestでの良し悪しは、審査員をおいて評価項目をおいておけば付けられる。
 もっとも、”良さ”基準が各審査員の内心によるため、その基準の正当性は、各審査員が担保しなければならない。(そこでの正統性/妥当性とは?BXの立場からは容認しうるか。))


※自分用参考メモ
https://twitter.com/jin00_Seiron/status/976304998467317760
https://twitter.com/jin00_Seiron/status/1043166691285393408
http://d.hatena.ne.jp/llllki/touch/searchdiary?word=%2A%5BJJF%BF%B3%BA%BA%B4%F0%BD%E0%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6%5D

(一度ここで筆を置く。未完。)


5.「正しさ」フェーズと「政治」フェーズ

・基準の正しさテストをするフェーズの後に、基準の適用(運用)のコストがまつわる「政治」フェーズが来ること
(『ピンクの猫』にとっては知ったこっちゃねえ話だが、実際は問題となる)

審査員いない問題
https://twitter.com/puzzle_101/status/1043769724604047365
https://twitter.com/llllki/status/1043725975979057152


6.大会というシステムでは評価されないもの

事前に基準を立ててそれに従って評価するというシステムにおいて評価されないもの(これも”良さ”を有するとみる)として、
・「アート」(じん定義)
https://twitter.com/jin00_Seiron/status/1029779394112368640
https://twitter.com/jin00_Seiron/status/1036917186973982726
・「新しいルールを作り出すこと」(ジャグラーのトライブ性から)
https://note.mu/jin00_seiron/n/n16bd89a50f2a
https://twitter.com/jin00_Seiron/status/986278898005565440


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