東京修学旅行日記:タイ編《Day1》

高山明/Port B『東京修学旅行プロジェクト:タイ編』(2017/11/23)

高山明/Port Bのツアーパフォーマンス『東京修学旅行プロジェクト:タイ編』に参加した。今年(2017年)3月に行われた『東京修学旅行プロジェクト:台湾編』につづく、シリーズ第二弾となる。

”海外から来る修学旅行生が実際に通る(あるいは通るかもしれない)訪問地を、東京(あるいは日本)に住む人々が訪ねることで、「東京」の異なる姿をあらわにする”。あくまで筆者なりの整理だが、このようなコンセプトが『修学旅行プロジェクト』のベースにはある。そして、このプロジェクトは二つの文脈のなかで位置づけることができる。一つは、2013年に初演された高山明/Port B『東京ヘテロトピア』の姉妹編として。もう一つは、高山氏が影響を受けていることを公言する、ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒト(1898-1956)の手法、〈教育劇〉(Lehrstück)の現代版として。
今回のツアーは、東京都墨田区の、貸しスペースとして使われている古民家でスタートした。

はじめにおこなわれたのは、哲学者の國分功一郎氏、SPAC-静岡県舞台芸術センター文芸部の横山義志氏をゲストに迎えたトーク。二人に加えて、高山氏とPort Bリサーチャーの田中沙季氏が参加しトークが行われた。冒頭ではこの不思議な組み合わせのトークがセッティングされるまでの経緯が説明された。最初のきっかけは、高山氏が『中動態の世界 意思と責任の考古学』(國分功一郎著)を読み、中動態と自らの演技論になにか通じるものを感じたことにあったようだ。その後、横山氏が近年「中動態の演技論」という問題を考えていることを高山氏が知る(古代ギリシャ語で”演技する”を意味する単語は中動態をとるらしい)。そこから、高山氏と國分氏とそれぞれつながりのあった横山氏が関係を仲介するかたちで、今回のトークに至ったとのこと。その後、國分氏によって中動態の概要が説明された。現在では能動態と受動態が二項対立で考えられているが、古代ギリシャでは中動態と能動態が二項対立の関係にあり、受動態はあくまで能動態のなかの一分類であった。その当時における能動態と中動態は、ある行為が発生する場の違いによって定義されていた。能動態は、ある行為が行為者の外部で完結する場合に用いられる(投げる、切る…etc.)。中動態は、行為者自身がその行為の場となるような場合に用いられる(恋をする…、謝る…etc.)。
つづいて、横山氏によって「中動態の演技論」の構想が説明された。横山氏のそもそもの関心は、演劇における「リアリズム」の問題にあったという。私たちは演劇といわれた時に、リアリズム演劇を最初にイメージしてしまう。実際、身の回りにもリアリズム演劇的なものが多い(テレビドラマなど)。しかし、演劇という行為自体がそもそもつくりものであるのに、リアリズムという側面が前景化しているのはなぜなのか。こういった問題意識にもとづいて演劇史の再考を行うのが、横山氏の研究のようである。そのなかで、”演技する”という単語が中動態であるという問題と遭遇したようだ。中動態と演技という観点から、憑依することと演技することの関係も語られた。横山氏のトークはそこからさらに時代を遡行し、僭主制とフェスティバルの関係、ならず者たちによる民主主義の発生など、非常に大きな射程を持った内容であった。
その後は、二人のトークを受けて高山氏から問題敵がなされた。特に興味深かったのは、横山氏によって語られた西洋的な演劇の起源と、折口信夫が語った田楽の起源を高山氏が並列させて論じた場面であった。これは筆者の意見であるが、この議論によって、演劇的な枠組みが内包するある種の暴力性がうきたち、演劇に関わるうえでこの暴力性とどう向き合うのかという問題が提起されたように感じた。
トークは中盤から横山氏と高山氏がそれぞれ現在進行形で抱えている問題意識が共鳴しあい、演劇史の専門的な議論も行われた。それ自体も興味深い内容であったが、個人的には、そこから少し離れた文脈で語られた國分氏の議論も魅力的なものであった。國分氏はそのなかで、『中動態の世界』であまり触れらなかった「責任」について語った。responsibilityという言葉に立ち返ると、責任というのは一種の応答(response)のはずであり、法的に問われるような責任というのは、責任の”頽落”したかたちではないか、という問いが発せられた。
トーク全体は、予定時刻を過ぎてもなお止まらないほど白熱していた。

休憩をはさみ、東北タイの呪術や信仰を研究対象とする、人類学者の津村文彦氏によるレクチャーが行われた。津村氏は著書『東北タイにおける精霊と呪術師の人類学』のなかで、タイ特有の精霊的な存在である「ピー」について論じている。そして「ピー」は、この『修学旅行プロジェクト:タイ編』の一つのキーワードにも設定されている。津村氏はタイの大学へ留学した際に、モータム(タイの呪術師)になるための修業を経験しているとのこと。そのような経験や、タイでのフィールドワークを通して触れた、タイにおける「ピー」の微妙な位置づけについて語られていた。

その後、バスで錦糸町近くにあるタイ料理店、タイランドへ移動。移動中のバスでは、パナガイドを通して津村氏やタイの人たちによる「ピー語り」の朗読を聴く、という設定だった。

タイランドでは、店員のタイ人の方から「ピー語り」を聴ける場面などもあった。

初日は座学メインであり、また、良くも悪くも日本人がタイを知るためのツアー、という側面が強かったように思う。これが「演劇」として成立するには、タイの修学旅行生の”身振り”をいかにツアー体験者の身体へインストールできるのかが重要な点になるだろう。二日目は日本で始めた開設されたムエタイジムへの訪問などが予定されている。オーナーのウィラサクレックムエタイジム・ウォンパサー氏は、自身もかつてムエタイ選手であり、20歳の頃、来日したそうである。彼の語りからツアー参加者はタイの人が東京をみるまなざしに触れることができるのだろうか。そのような期待をもちつつ、二日目を迎えたいと思う。

(つづく)