東京修学旅行日記:タイ編《Day2》

高山明/Port B『東京修学旅行プロジェクト:タイ編』(2017/11/24)

高山明/Port B『東京修学旅行プロジェクト:タイ編』の二日目に参加した。初日は座学を中心とした内容であったが、二日目は一転、体を動かして体験する・学ぶといった側面の強いツアーとなった。

二日目最初の集合地点は、靖国神社、大村益次郎像前。人数がそろい次第、境内にある遊就館へと移動した。ここでの目的は、遊就館に展示された泰緬鉄道の車両である。映画『戦場にかける橋』の題材となったこの鉄道は、第二次世界大戦中に日本が建設した軍用鉄道である。現在は部分的にしか残っていないものの、建設時はタイ―ビルマ(現ミャンマー)間の約415kmをつないでいた。1942年に竣工された鉄道の建設は、翌1943年には終了。猛烈なスピードで建設が進められた。しかしこの、短い期間での大規模の工事は、多くを犠牲をうんだ。もともとは連合国軍の捕虜のみがこの建設に従事させられる予定であった(これ自体も国際法的には問題だったはず)が、それだけでは労働力不足であったため、周辺のアジア諸国からも労働力の調達がおこなわれた。総計で30万人の人々が、建設に従事させられ、劣悪な労働環境によって多くの人が命を落とした。
鉄道を前にした場面でまず、リサーチャーの本柳了氏による泰緬鉄道の説明がなされた。その後は30分ほど館内で自由行動。その後パナガイドをつけて、東京メトロ日比谷線の三ノ輪駅へと向かった。移動中は、本柳氏による泰緬鉄道のレクチャーが再び行われた。

三ノ輪駅到着後は、駅から徒歩10分ほどのウィラサクレックムエタイジムへと向かい、ムエタイのレクチャーを受けた。最初にジムのオーナーであるウィラサクレック・ウォンパサー氏にご自身の来歴について話していただいた。ウォンパサー氏はタイの出身。もともとは本人もムエタイの選手であった。二十歳頃に現役を引退し、その後来日。日本にやって来た理由は、お金を稼いで親を楽にさせたかったからだという。日本に来てからしばらくは、日中は建設現場で働き、夕方からはキックボクシングジムでコーチの仕事をしていたそうである。それだけではお金が足りず、現役は引退していたが、ムエタイの選手としても活動していたとのこと。その後キックボクシングジムから独立、日本で初めてのムエタイジムであるウィラサクレックムエタイジムを設立する。
レクチャーの途中にはチャンピオンも登場した。

その後、小岩のタイ料理店サイフォンに移動。もともとはフィリンピンパブであった場所で、内装はその時のものを多く残しており、独特の雰囲気がある空間であった。ここでは、soi48によるイサーン音楽を中心としたタイ音楽につてのレクチャーを受けた。

冒頭にも記したが、二日目は総じて体を動かす場面が多いツアーとなった。その意味で、初日と並べたときに明確な対比がなされていたように思う。また、ウォンパサー氏によるレクチャーがあったこともとても重要であったように思う。私たちは、タイの人たちのまなざしは想像しようとすることはできる。しかし、ウォンパサー氏が語ることばはその想像力など微弱に思えるくらい強度のあるものだった。この発見は、東京の人として創作する者にとって、大きな発見であると同時に、大きな壁を感じる体験でもあるように思う。当事者でない人がどのように想像力を駆動させるのか、その問いをあらためて感じたツアーであった。

(つづく)