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お隣の国と何故解り逢えないのか?

お隣の国では、大統領選挙真っ最中だが、どちらの候補が勝っても、日韓関係が大改善するという要素はなさそうだ。
違いがあるとすれば、「自分の言い分を全部飲むなら和解してやっても良いよ」と言っているか、「和解してあげるから自分の言い分を全部飲め」と言っているかの違い(ん?どこが違うの?)。

ところで、シンシアリーさんという、日本在住の韓国人歯科医さん(今は著作業を本業にされているのかも)の書かれた本に、「なぜ韓国人は借りたお金を返さないのか」というのがある。

この方は母国に嫌気がさして日本に移住してこられた方だから、母国である韓国や韓国社会に対する厳しい見方については、少し割り引いては考えないといけないのだろうけれども、この本には、恐ろしいことが書かれている。

それは、「韓民族において、法は道徳の延長では無く、上位者が下位者を規制ないしは収奪する道具に過ぎない」というのだ。

このことは2つの結果を導く。上位者は必ずしも法に規制されない。自分は縛られる対象ではないからだ。そして、下位者は、法に規範性を認めない。強制されるから従うだけであって、強制されなければ(或いはバレなければ)従う必要は無いのだ。

このことは、韓半島が何百年もの間、儒教を淵源とする法の押し付けによる支配のもとにあったことと関係があるのだろう。

しかし、もし国と国との関係で、「韓国は、日本の過去の悪行のためにこれまで下位に置かれていた(よって、約束は守らなくて良い)」とか、「現在は経済的にも発展して、既に日本より上位にある(よって、約束は守らなくて良い)」となってしまうなら、未来永劫約束を守って貰えることは無い訳だ。

もしそういう事なら、当分距離を取ってお付き合いさせて貰うしかないのだろうと思う。



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