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クウェートとウクライナ

 ロシアによるウクライナ侵攻が世界中のメディアで大きく取り上げられています。第一報を聞いて、個人的にまず思い出したのは、自分自身のクウェートでの経験でした。1990年5月ぐらいから、クウェートではイラクがクウェートに侵攻するのではないかとの噂が流れるようになっていました。バグダードで開催されたアラブ・サミットで、イラクのサッダーム・フセイン大統領(当時)がクウェートのジャービル首長(当時)に灰皿をぶん投げたなどといった話がまことしやかに外交団のあいだで語られていました。
 このころはまだ笑い話のような感じだったんですが、7月なかばに突然、イラクはクウェートとUAEがOPECの生産割当を破って石油を増産し、石油価格を意図的に下げていると非難したのです。実際、当時、油価は1バレル=15ドルを割り込んでいました。1988年にイラン・イラク戦争が終結し、イラクは戦後復興のためにも、莫大な資金を必要としており、石油収入に財政の大半を依存するイラクとしては油価の低落はきわめて深刻だったわけです。
 とくにクウェートに関しては、単に割当を無視しているだけでなく、イラクとクウェートの国境にまたがるルメイラ油田からクウェートが石油を盗掘しているとイラクが主張したのです(同油田は地下ではつながっています)。このあたりからイラクは本気かもしれないと、みんな焦りはじめます。もともと、イラクは、クウェート全体がイラク領だと主張していましたし、1961年のクウェートの独立のときには、実際クウェート国境に軍を展開させ、一触即発の状況になっていたので、イラクの主張は単なる脅しとは思えなかったわけです。
 結局、イラクは8月2日未明からクウェートに侵攻、瞬く間にクウェート全土を占領してしまいます。このとき、イラクが使った口実が、クウェートで革命が起き、首長制が打倒されたというものでした。どっかで聞いたような話ですよね。イラク軍は、クウェートを侵略したのではない。腐敗堕落した首長体制を打倒した革命政府を支援するために、その要請に応じて、クウェートに進駐したというわけです。もちろん、そんなことを信じる人は誰もいないわけで、これもまたどこかで聞いたような感じです。
 さて、イラクのクウェート侵攻と現在進行形のロシアのウクライナ侵攻で国際社会の対応を比較してみると、歴史が大きく動いてきたことを痛感させられるでしょう。イラクのクウェート侵攻が発生した1990年はまさに冷戦の終わりを象徴するものといえます。当時のイラクはバァス党という社会主義政党の一党独裁で、当然、社会主義の総本山であるソ連と強い結びつきをもっていましたが、その肝心のソ連が青息吐息のありさまでした。
 湾岸危機後に国連安保理はイラクを非難する決議を矢継ぎ早に採択していきましたが、ソ連はいずれも賛成に回っています。たとえば、最初の決議660はイラクの侵攻を非難し、即時無条件撤退を要求したものですが、ソ連は賛成しています。また、事実上の最後通牒であり、国連加盟国に対し武力行使を容認する決議678にもソ連は賛成しています(なお、決議678には中国は棄権)。
 ソ連が社会主義のイラクを非難し、君主制のクウェートを支持するというのはまさに歴史の転換点といえるかもしれません。ちなみに、一連の国連安保理決議で一貫してイラク寄りの姿勢を示したのが当時安保理非常任理事国であったイエメンで、このことは、クウェートの同盟国である湾岸協力会議(GCC)加盟国を激怒させ、イエメンはGCC諸国から総スカンを食います。
 湾岸戦争の少しまえ、イエメンは南北統一され、サッダームのイラクから多額の援助を受けました。目の前の大金に目がくらんだのかわかりませんが、イエメンがイラクを支持した結果、湾岸の豊かな産油国からの支援が断たれ、出稼ぎ労働者の多くも帰国を余儀なくされました。その結果、イエメン経済は大打撃を受けたわけです。
 さて、それを踏まえて、今回のロシアのウクライナ侵攻に対する中東諸国の動きをみてみると、クウェートが突出して、ウクライナ寄りの立場を示しているのがわかります(下表参照)。安保理決議では決議案の共同スポンサーとなり(アラブ諸国ではクウェートだけ)、その後の米国の声明でも共同署名者になっています(中東で唯一)。また、国連総会決議でも、賛成しただけでなく、共同スポンサーになっています。これは、クウェートが単に非NATO主要同盟国であることだけが理由ではないでしょう。他の中東諸国は、クウェートと同じ非NATO主要同盟国を含め、一般的にロシアには及び腰で、安保理非常任理事国であるUAEがロシア非難決議で棄権に回ったのはその一例でしょう。

中東研究センター作成

 やはり、隣国から侵攻を受けたという湾岸危機の記憶がいぜんとして生々しいと考えられます。とはいえ、もちろんクウェートも、面と向かってロシアと対立するのはむずかしく、ロシアのウクライナ侵攻直後に、クウェート外務省は声明を出しているのですが、まずウクライナの独立と主権の尊重が重要である点が強調され、ロシアを名指しで非難することについてはかなり抑えたトーンになっています。また、クウェートが対ロシア制裁を直接実施しているわけではないようです(きちんと調べたわけではありませんが、中東諸国でロシア制裁を発表しているところはほとんどないと思います)。
 ロシア・ウクライナ間の調停を行っているトルコは、ロシアを非難しながらも、一方的な制裁は停戦の妨げになりかねないとして、制裁には参加していません。少なくとも今回のウクライナ紛争ではトルコのプレゼンスが飛躍的に拡大しましたので、「戦後」のヨーロッパにおけるトルコの立ち位置が変わっていく可能性もあるでしょう。
 同様に調停に動いしているイスラエルはトルコと比較すると、さらにロシアよりで、とくに、イスラエルはウクライナに対しロシアへの降伏を忠告したとされており、ウクライナからはイスラエルに対する苛立ちが聞こえてきます。ウクライナのゼレンスキー大統領はユダヤ系なんですが、テルアビブの町中ではヘブル語と混じって、ロシアからの移民が多いので、ロシア語の看板が目立ち、そうとう気を使わないとならないんだろうなあと想像されます。
 一方、べたべたにロシアよりなのがシリアです。シリアのバッシャール・アサド大統領の政権はロシアが後ろ盾になっており、ロシアの軍事力のおかげで、内戦で優位に立つことができたわけです。したがって、国連総会のロシア非難決議で中東で唯一、反対しただけでなく、ウクライナからの「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」の独立についても中東では唯一、承認しています。

                 保坂修司


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