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キリストは日本で死んだ?

青森県に新郷村というところがあって、ここにはキリストの墓があります。トンデモ本として有名な『竹内文書』で知られる竹内巨麿がここで「キリストの墓を発見」したと主張したのが起源です。磔刑になったキリストは実はキリストの弟、イスキリで、本物のキリストは日本に逃れ、青森で天寿をまっとうしたとの説が唱えられました。バカげた話かもしれませんが、中国にも太平天国の洪秀全の例があることだし、こういう話が生まれ、(少なくとも一部の人によって本気で)信じられる下地が当時の日本にあったということでしょう。

高校生のころに山根キクの『キリストは日本で死んでいる』を読んで以来、ずっと行きたくて、ようやく1994年、同好の士でもある妻といっしょに念願かなってはじめて見にいきました。怖いものみたさってやつでしょうか。

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お土産は「キリストせんべい」と名酒「キリストの里」など盛りだくさんでした。なお、その約10年後の2003年にも再度キリストの墓を訪問しました。今度は途中で竹内巨麿ゆかりの皇祖皇太神宮天津教本庁(皇祖皇太神宮)に立ち寄ったんですが、残念ながら『竹内文書』は見られませんでした。

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で、上が十來塚で、キリストの墓、下が十代塚で弟イスキリの墓です。少しきれいになっています。

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こちらは、キリストの里・伝承館にあった展示物。ちょっと怖いです。ちなみにタイトル画像がその伝承館です。1994年にいったときは、こんな立派な建物ではありませんでした。

それからさらに8年ぐらいたった2011年、今度はエルサレム旧市街の聖墳墓教会も訪問しました。同教会はキリストの墓とされる場所に建っており、キリストが磔になったとされるゴルゴタの丘はこの場所にあったとされています。世界中から集まった善男善女が参拝しており、あまり善男善女とはいいがたいわたしも行列に並びました。ちなみに、このときは、アラブの春の余波がイスラエルにも及んだのを調査するのが本来の目的でした。エルサレムに行ったのはけっして観光ではありません。

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なお、エルサレムのどっかの教会で、妻がキリストを見たといって騒いでいたので、そんなバカなといっていたら、ほんとにいました。写真とりたかったんですが、何かお金とか請求されそうで、とれませんでした。今、考えると痛恨の極みです。

(保坂修司)

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