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『バナナ・ビーチ・軍事基地』日本語版への挨拶、訳者解題冒頭公開

政治学者シンシア・エンローの主著『バナナ・ビーチ・軍事基地』邦訳刊行にあたって、著者からメッセージが届きました。本書の内容がわかる訳者解題の冒頭とあわせて公開いたします。同時期に発売された『〈家父長制〉は無敵じゃない』(岩波書店)と一緒にぜひお手に取ってみてください。

ご挨拶

 『バナナ・ビーチ・軍事基地』日本語版の読者の皆さんへ

 この最新版の翻訳について、望戸愛果にとても感謝しています。ここ二〇年間続いてきた、創造力に富んだ女性たちのトランスナショナルな組織化を最新版で可視化しようと決めたので、初版より少々長めだと思います。

 常に発展している家父長制のローカルな、ナショナルな、そしてインターナショナルな諸形態に異議を唱えている女性たちについて学んできたもののうち大変多くのものを、私は日本のフェミニストたちから得てきました。彼女ら彼らの(そう、あなた方の!)研究、あなた方の好奇心、あなた方の協力関係の構築、あなた方の戦略立案、そしてあなた方の市民としてのアクティヴィズムから、私は二つのきわめて重大な教訓を得たのです。第一に、性差別と女嫌いは、最も親密な場所と最も大きな舞台、その両方で異議を申し立てられなければならないということ。第二に、貫き通すこと、私たちのフェミニスト的好奇心とフェミニスト的かかわりを一つの世代から次の世代へと伝え続けること、今行動すること、そして未来のために築くことを私に教えてくれたのも、彼女ら彼ら(そう、あなた方!)なのです。

感謝を込めて
シンシア・エンロー © Cynthia Enloe
(翻訳:望戸愛果)

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訳者解題

 本書『バナナ・ビーチ・軍事基地――国際政治をジェンダーで読み解く』は、Cynthia Enloe, Bananas, Beaches and Bases: Making Feminist Sense of International Politics, Second Edition, University California Press, 2014の全訳である。著者である政治学者のシンシア・エンローは、一九八〇年代から国際政治や軍隊のジェンダー分析に取り組んできたパイオニアとして知られており、現在アメリカ合衆国マサチューセッツ州のクラーク大学で研究教授を務めている。

 『バナナ・ビーチ・軍事基地』は、イギリスではパンドラ・プレスより一九八九年に、そしてアメリカではカリフォルニア大学出版局より一九九〇年に、それぞれ初版が出版されている。二〇一四年に新たに出版された第二版は、現時点における最新版であり、本書はこれの全訳である。本書は、国際政治のジェンダー分析の新古典と言える。すなわち、単なる古典と化すことなく、過去二五年以上にわたって常に最新の国際政治分析の知見を提供し続けていることに、本書の高い価値がある。事実、第二版ではページ数が初版と比して約二倍に増加しており、内容自体も大幅に(エンロー自身の言葉によれば全体の約八割が)刷新されている。

 そして内容の刷新は、これからも確実に続くだろう。なぜなら、本書は「始まりにすぎない」。「読者自身が本書のページの余白に書き込むもの」が、ここに「隙間なく印刷されているように見える」活字と一緒になって、「異なる世界」を生み出していく(本書第一章「ジェンダーが世界を動かす」参照)。本書が長く、熱心に読み継がれていくこと自体が、国際政治の刷新を意味する。

 日本語に翻訳されているエンローの著書・講演録としては『戦争の翌朝――ポスト冷戦時代をジェンダーで読む』(池田悦子訳、緑風出版、一九九九年)『フェミニズムで探る軍事化と国際政治』(秋林こずえ訳、御茶の水書房、二〇〇四年)『策略――女性を軍事化する国際政治』(上野千鶴子監訳、佐藤文香訳、岩波書店、二〇〇六年)があり、訳者自身もエンローの議論を総覧した学説史的論文を著したことがある(望戸愛果「シンシア・エンローにおける「軍隊と女性」をめぐる分析視角――初期エスニシティ研究を起点とした統一像」『年報社会学論集』二〇〇六年)。エンローの詳しい経歴や研究は、これらのなかで紹介されているので参照されたい。

 本書『バナナ・ビーチ・軍事基地』の意義は、以下の三点に集約される。

 第一に、本書が国際政治・社会学に携わる研究者や学生に対して与えた大きな影響について述べたい。一九九〇年代以降、ジェンダー視角からの軍隊研究・紛争研究・国際関係論といった広範な分野で、エンローの議論は欠くことのできないパイオニア的業績として位置づけられてきた。「軍事化」や「フェミニスト的好奇心」といった独自の用語が、本書ではしばしば用いられる。これらの用語は、女性を国際政治や軍事制度に左右される「被害者」として描き出すのではなく、自ら戦略を立てる「アクター」として可視化するためにエンローが創出したものであり、現在では国際政治のジェンダー分析に欠くことのできない分析視角として各分野の研究者から高い評価を受けている。そして、エンローが真に描き出すに値すると考える「国際政治に携わる女性」とは、ヒラリー・クリントンのような著名な女性政治家に限らない。むしろ「外交官の妻」と彼女の家を掃除する「家事労働者」のように、従来の研究では注目されてこなかった女性たちである。

 第二は、「国際問題」や「国際運動」に関心がある読者、あるいはそうした問題および運動にすでに携わっている読者に対して、本書が及ぼす政治・社会的な影響である。本書は、現代における注目すべき女性の国際運動(例えば、武器貿易条約の採択に向けた二一世紀の女性の国際運動)と、歴史的に重要な国際運動における女性の存在(例えば、大西洋を横断する反奴隷制運動に参加した一九世紀の女性たち)の双方を取り上げ、その成果と課題をジェンダー視角から具体的に描き出すことによって、読者自身に再考を促す。国際問題についてもっと教養を身につけて、「世界で何が起きているのか」についてもっと多くのことを学ぶように女性たちに求める(男性のあるいは女性の)活動家たちを、エンローは批判する。「知識を身につける」ように女性を説得しようとしている人々は、女性としての自分自身の経験に基づいて、国際政治を再解釈するように女性に勧めてはいない。国際的な運動に参加するように女性に求めておきながら、彼女たちが問題とその原因を定義することは許されないというならば、それは「空理空論の空想的社会改良」に終わるだろうと、エンローは警告する。

 第三は、「国際問題」や「国際運動」に関心がない、そしてそうした問題や運動にかかわったこともないと考えている読者に対して、本書が持つ意義である。チキータバナナを食べることや、リーバイスのジーンズをはくことによって、人々がいかにして国際政治システムの形成に参加しているのかを、本書はジェンダー視角から可視化する。国際政治に関する多くの書籍は、「そのすべてが非常に複雑で、私が存在することを知らないし、私の存在を気にもかけない人々によって決定されている」という感覚を読者にもたらすと、エンローは批判する。「私たちは単に作用を受けるわけではない。私たちはアクターなのだ」と反論した上で、エンローは読者に対して訴えかける。本書における国際政治を調べるための動機は、「単に国際政治によって作用を受けるのではなく、国際政治のなかに自分自身を見る」ことであり、したがって「本書の記述や説明を、女性性と男性性の国際化されたポリティクスをめぐる自分自身の経験に照らし合わせて分析しながら、読者自身が本書のページの余白に書き込む」ことが真に重要なプロセスであると。今日、「国際政治とジェンダー」を主題に据えた書籍は数多くあるが、こうした手法――従来のジェンダー視角を欠いた研究において見落とされてきたもの(とりわけ、周縁化された「女性の経験」)を国際政治史上に具体的に書き込んでいく手法――は、エンローが切り拓いてきたと言える。

 このように本書は、国際政治のジェンダー分析において最も信頼できる文献として、世界中の数多くの読者、学生、研究者に求められるものとなっている。本書を読むときには、ぜひ「この本の巻末の注釈が始まるところにしおりをはさんで、定期的にそこへページをめくって欲しい」とエンローは冒頭で語る。注釈は「学術書の単なる専門的装飾」などではなく、むしろ「好奇心が強い読者たちが自分たち自身で調べるのを助ける」役割を果たす大切な「パンのかけら」である(本書「第二版への序文」参照)。

訳者追記:シンシア・エンロー『〈家父長制〉は無敵じゃない』(佐藤文香監訳)も岩波書店より刊行された。『バナナ・ビーチ・軍事基地』と併せて参照されたい。

© Aika MOKO

※ 続きは本書でご覧ください ※

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シンシア・エンロー著 望戸愛果訳

四六判上製484頁 本体5,800円+税 ISBN978-4-409-241349

女性たちがグローバルな搾取と向き合うために

性産業、食品加工工業、軍事基地、観光産業、家事労働、外交の場まで----世界の不平等が凝縮された場所から、国境を越えて女性が連帯し、平等で平和な社会を実現するには。 

背景の異なる様々な女性の声に耳をすませた鮮やかな政治学的分析。

 グローバルな資本主義市場、パワーゲームが支配する国際情勢の中で、女性は自らを取り戻すためにどうあるべきか。ナショナリズムの陰で女性たちは家父長制にとりこまれることなくどう戦略をたてるべきか? 消費者である富裕層の女性と生産者である貧困層の女性はどう連帯できるのか? 私たちは何に気づくべきだろうか?

 フェミニズムの分析フレームから好奇心と関心をもって世の中を眺める方法を示しつつ女性たちの置かれている状況を鋭く暴く。

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シンシア・エンロー

1938年、ニューヨーク生まれ。1967年、カリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得。現在、クラーク大学国際開発・コミュニティ・環境学部研究教授。専門は政治学、女性学、ジェンダー研究。日本語に訳されている著書・講演録に『<家父長制>は無敵じゃない』(佐藤文香監訳、岩波書店、2020年)、『策略――女性を軍事化する国際政治』(上野千鶴子監訳、佐藤文香訳、岩波書店、2006年)、『フェミニズムで探る軍事化と国際政治』(秋林こずえ訳、御茶の水書房、2004年)、『戦争の翌朝――ポスト冷戦時代をジェンダーで読む』(池田悦子訳、緑風出版、1999年)。その他の著書に、Seriously!: Investigating Crashes and Crises as If Women Mattered (University of California Press, 2013)など。

望戸愛果(もうこ・あいか)

一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。現在、立教大学アメリカ研究所特任研究員。専門は、国際社会学、歴史社会学、ジェンダー研究。著書に『「戦争体験」とジェンダー――アメリカ在郷軍人会の第一次世界大戦戦場巡礼を読み解く』(単著、明石書店、2017年)、『ナショナリズムとトランスナショナリズム――変容する公共圏』(共著、法政大学出版局、2009年)。論文に「退役軍人としての女性――第一次世界大戦後アメリカにおける女性海外従軍連盟の組織化過程」『戦争社会学研究』第3巻(2019年)、「退役軍人巡礼事業における「戦争の平凡化」の過程――アメリカ在郷軍人会による西部戦線巡礼と「聖地」創出」『社会学評論』第63巻第4号(2013年)など。

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