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『聖杯の神話――アーサー王神話の魔法と謎』訳者解説公開

『聖杯の神話――アーサー王神話の魔法と謎』の刊行にあたって、訳者・斎藤伸治さんによる訳者解説を公開いたします。『千の顔をもつ英雄』や『神話の力』(ビル・モイヤーズとの共著)等の著作で知られるジョーゼフ・キャンベル。彼の神話学は「アーサー王伝説/聖杯伝説の研究」から始まり、その学問全体を理解する上でも重要な意味を持っています。本書はこれまで断片的に語られてきたそれらの講義・講演を編集した一冊です。本解説も合わせて、ぜひご覧ください。

   

訳者解説 キャンベルの比較神話学と「聖杯の神話」について

訳者 斎藤伸治

 本書の著者ジョーゼフ・キャンベル Joseph Campbell(1904-1987)は、20世紀を代表するアメリカの比較神話学者である。キャンベルは、世界の神話の比較ということに対して、幼い頃からずっと特別な関心を抱いていた。彼は生涯にわたってアメリカ先住民の神話や文化に関心をもち続けたが、それは6歳の時に父に連れられてマディソン・スクエア・ガーデンでバッファロー・ビルのワイルド・ウエスト・ショーを見物した時に始まる。その後たびたびニューヨークのアメリカ自然史博物館を訪れ、アメリカ先住民のトーテムポールにすっかり魅了されてしまうのだ。そして間もなくしてキャンベルは、このアメリカ先住民の神話と自身が生まれ育ったローマ・カトリックの神話伝承との間の類似性に気がつくようになる。この発見が、生涯にわたって彼が神話の比較的研究を行っていくきっかけとなったという。彼は、この頃の経験を述懐して、1975年から85年にかけて行われたマイケル・トムズとのインタビューを収録した本(An Open Life: Joseph Campbell in Conversation with Michael Toms. New York, NY: HarperCollins, 1988(邦訳は、馬場悠子訳『ジョーゼフ・キャンベルが言うには、愛ある結婚は冒険である。――ジョーゼフ・キャンベル[対話集]』築地書館、1987)の中で、次のように述べている。「 …… 同じ頃に尼さんたちからはローマ・カトリックの教育を受けていましたから、どちらにも処女懐胎や死と再生が出てくると気づくのに、長くはかかりませんでした。結局非常に若い時期にこの比較ということに興味をもち、11、12歳の頃には比較にも相当詳しくなっていました」(邦訳、166頁)。その後もキャンベルは、家族でヨーロッパへ旅行した際、船上で偶然にインドの著名な宗教家ジッドゥ・クリシュナムルティと出会うなどして次第に東西の神話・宗教の類似性に関心をもつようになり、さらにはコロンビア大学大学院での研究生活の中で、アーサー王伝説とアメリカ先住民の神話との間に類似性を見出すことになっていく。

 神話の比較という場合には、神話同士の類似性を重視し、神話間の相違を副次的なものにすぎないとみなすことも可能だし、逆に相違の方に注目し、類似性は副次的なものとみなすことも可能だが、キャンベルは、神話の類似性・普遍性を重要視する。「私は生涯ずっと神話を調べてきましたが、ぴったり同じ話がいくつもいくつも出てくるのにはいまでも驚かされています。まるでひとつの同じ話を、そっくりそのまま違った媒体に反射させているかのようです」(キャンベル、飛田茂雄訳『神話の力』早川書房、1992年、192頁)。なぜ世界の神話にこうした普遍性がみられるのか――それは、人間の精神が基本的に世界中どこでも同じだからである。

 そうした神話の類似性・普遍性に注目するには、神話を歴史的事実とみなすのではなく、1つのシンボル(象徴)として解釈する必要がでてくる。「たとえば、キリストの処女降誕は歴史的な事実だと主張されていますが、実はこの基本的観念を示す例は世界のほとんどすべての神話の中に出てきます。アメリカ・インディアンの神話には処女降誕の話がふんだんにあります。したがって、この元型的なイメージが、紀元前1世紀に近東で起きたとされる出来事を指しているとは、そもそも考えられません」(キャンベル、鈴木晶・入江良平訳『宇宙意識』人文書院、1991年、26頁)とキャンベルは主張するのだ。この引用の中に出てくる「基本的観念」とは、19世紀ドイツの文化人類学者であったアドルフ・バスティアンが使用した術語である。世界の神話や宗教体系を調査したバスティアンは、同一のテーマやモチーフが何度も繰り返し現れてくることを認め、それを「基本的観念」(Elementargedanken)と呼んだ。同時に、それが実際に現れる時には、必ずその地域地域で環境の適応の仕方や解釈も異なっており、それを彼は「民族的観念」(Völkergedanken)と呼んだのだった。民族的観念が民族学や歴史学の課題となるのに対して、人類に普遍的な基本的観念の方は、心理学の研究対象となる。この心理学的に説明されるべき基本的観念の考え方を受け継いだのが、カール・グスタフ・ユングの「集合的無意識」だった。キャンベルはこのユングにおいて、世界の神話・宗教にみられる普遍的テーマを解読するための鍵を見出したのである。

 キャンベルの比較神話学は、ユングの分析心理学の影響を大きく受けている。後述するドイツのインド学者ハインリッヒ・ツィンマーの紹介で、彼はボーリンゲン・シリーズという、ユング派の神話、宗教、精神分析学関係の出版プロジェクトに加わっていたし、また、ユングらが中心になって設立されたエラノス会議の論文をまとめた『エラノス年報』の編集にも携わっていた。しかし同時に、自身が「ユング派」とみなされることに対して、キャンベルが戸惑いをみせていたことも事実である。キャンベルは、神話の普遍的特徴(基本的観念)だけでなく、それが様々な環境や歴史的状況においてどのように発現しているか(民族的観念)にも、大きな関心を寄せていたからだ。そして、そうした問題を扱ったのが、1959年から68年にかけて刊行された、キャンベルの代表作の1つ『神の仮面』全4巻だった。

 ただ、キャンベルの比較神話学に対して真の意味で大きな影響を与えたのは、このユングよりも、むしろナチス・ドイツを逃れてアメリカに渡りコロンビア大学で教鞭を執っていたインド学者ハインリヒ・ツィンマーだった。キャンベルはしばしば、このツィンマーのことを「私の最大の導師(グル)」と呼んでいる。例えば、キャンベルはツィンマーの講義を聞いて、「神話は、ただ学者が面白がってもてあそぶものではなく、人生にとって価値あるものだという話を聞いたのはそれが初めてでした」(『神話の力』42頁)と告白している。しかし何よりも強い影響は、神話の比較に対する考え方だったのではないかと思われる。先に引用したマイケル・トムズとのインタビューの中でも、「私の導師と言える人を挙げるとすれば、ツィンマーでしょうね。神話の象徴として一般的に認知されている解釈から自由になって独自の読み取り方をする勇気をくれたのが彼だったのです」(邦訳、172頁)、とキャンベルは述べている。

 ツィンマーはドイツの著名なインド学者だったが、ナチス・ドイツの迫害を逃れて1940年にアメリカに渡り、コロンビア大学でインドの哲学と芸術について講じていた。ユングとも親しく、エラノス会議の重要なメンバーであった。後述のようにツィンマーが1943年に急逝すると、ユングは彼の遺作を編集し序文を付している。その中で彼は、ツィンマーが東洋の魂に対するはかり知れない深い洞察を教えてくれて、そのゆたかな学識ばかりでなく、インド神話の意味と内容についてのすばらしい直感によって彼を啓発してくれたと感謝の意を表している。キャンベルは、インド学の権威で、シンボルの解釈においては天才的だった、このツィンマーの講義を聞いて、瞬く間に魅了されてしまうのである。

 しかしそのツィンマーも、1943年に肺炎がもとで53歳の若さで突然に亡くなってしまう。未亡人となったクリスティアーネからツィンマーのアメリカでの講義録やノートを整理し、編集して出版してくれるように依頼を受けて、キャンベルは、自分の研究をしばらく棚上げにして12年かけてそれをまとめている。キャンベルは、雑然とした大量の講義ノートと多くの断片的な原稿を4巻5冊の本に編集した。後にキャンベルは、この間の様子を表現して、「途方に暮れてしまったり、何を書いたらいいのか全くわからなくなってしまったりした時などは、リラックスしてしばらく目を閉じる。そうするとまるでツィンマーが目の前に現れてきて、私に口述して書き取らせてくれるかのようだった」(Larsen, S. and Larsen, R. A Fire in the Mind: The Life of Joseph Campbell. New York: Doubleday, 1991, p.326)と述べている。

 キャンベルがツィンマーの講義録やノートを編集して生まれた最初の著作が、Myths and Symbols in Indian Art and Civilization. Bollingen Series vi. New York: Pantheon, 1946. (邦訳は、宮元啓一訳『インド・アート―神話と象徴』(アジア文化叢書)せりか書房、1988年)だった。その「第6章 結語」において、ツィンマーが10数年前からずっとお気に入りだったたとえ話であるとして、おおよそ以下のような内容の、あるユダヤ人ラビの物語が引かれている。

ポーランドの古都クラコー(クラクフ)のゲットーに、ジェケルの息子エイシクが住んでいた。彼は敬虔で信心深い男だったが、ある夜プラハに行くように告げる夢をみる。プラハの王宮に続く大きな橋の下に財宝が埋まっているという。その同じ夢を3回みたところで、彼はついに旅に出る決心をする。プラハに到着し橋を見つけるが、そこには昼も夜も見張りが立っていたため、エイシクはあえてその下を掘り起こすことはしない。一日中あたりをうろうろしていると、とうとう見張りの隊長がそれに気づき、何かなくしたのか、誰か来るのを待っているのかと話しかけてくる。エイシクがプラハに来ることになった夢のことを話すと、隊長は笑って言う。「そんな夢のお告げを信じて、こんなところまでやって来たのか。分別のある人間なら、夢なんか信じないぞ。それに、そんな夢ならおれだってみたよ」。このボヘミアのキリスト教徒だった隊長自身も実は、夢でお告げを聞いていたのだ。「クラコーに行って、ジェケルの息子のエイシクというラビの家を探し出して財宝を探せというんだ。暖炉の後ろの埃だらけの奥の方に隠されているんだとさ。しかし、そもそもクラコーでは住民の半分がエイシクという名前で、残り半分がジェケルという名前なんだぜ」。エイシクは丁寧に礼を言って、クラコーに急いで戻り、暖炉の後ろの奥の方を探して財宝を見つけたのだった …… 。

 この物語を引いた後で、次のようなツィンマーの解説が加えられている。「我々の不幸と努力を終わらせる本当の宝庫は、決して遠いところにはない。…… それは、我々自身の家、つまり我々自身の存在の内奥に埋められているのである。そして、それは暖炉、つまり、生と温かさを与える、我々の存在、我々の心の中の心の構築物の中心の背後に横たわっている ……。しかし、我々の望みを導くことになる内なる声の意味が我々に啓示されうるのは、遠い地域、外国、見知らぬ土地への至誠の旅の後にかぎるという、奇妙で執拗な事実がある。そして、…… 我々の秘密の内なるメッセージを我々に明かす人は、別の信条を持ち、異なった種族に属する異邦人でなければならない ……」(邦訳、294頁)。ツィンマーのお気に入りだったこの「エイシクの物語」は、神話の比較的研究に対しても大きな示唆を与えてくれるだろうし、おそらくキャンベル自身も、そのことを十分に意識していたのではないか。自身が属している伝統のある神話のシンボルを解釈するのに、できるだけ離れた伝統に属している神話と比較することが実は非常に有効なことであり、あまり意識されることのなかった自身の神話のシンボルの本来的な意味について、しばしば深い洞察を与えてくれるということである。実際にキャンベルも、特に他の神話を読むことの重要性を訴えて、次のように発言している。「自分の宗教の神話ではなく、よその神話を読んでください。というのも、自分の宗教はすべて事実を語っていると解釈する傾向がだれにでもありますからね。でも、他の神話を読むとき、神話のメッセージがはじめてわかってくるのです」(『神話の力』35頁))。またキャンベルは、同じ対談の中で、サラ・ローレンス大学において彼の比較神話学の講義を受けた学生が、自身の信仰を(捨てるのではなくむしろ)いっそう強められていくのを何度も観察してきたということを力説している。「私は比較神話学を教え始めたとき、学生たちの宗教的信仰を壊してしまうのではないかと心配していました。が、結果は全然反対でした。学生たちが大して意味を感じていなかった、ただ親から与えられただけで、自分は大した意味を感じていなかった宗教的な伝統が、それを他の伝統と比較してみたとき、つまり同じようなイメージがより内面的なあるいは精神的な解釈を与えられている伝統と比べたときに、突然新しい光のもとではっきり見えてきたのです」(『神話の力』383頁)。世界の様々な神話の比較を通じて、同じようなシンボルやイメージが自身のものとは異質な神話や宗教の伝統にも見出されるだけではなく、むしろ、自身が親しんできた神話や宗教においてこれまであまり気がついていなかったシンボルの本質的な意味が、他のあまりなじみのない神話的・宗教的伝統との比較を通じてより鮮明になってくる――もちろん、ヨーロッパ中世のアーサー王神話、聖杯神話がテーマである本書においても、東洋神話などとの比較が各所においてなされており、そうしたことが実感できるはずである。

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 「編者まえがき」でも述べられているように、本書は主として、アーサー王神話、特に聖杯神話に関するジョーゼフ・キャンベルの講義や講演などがもとになっている。編者であるエヴァンス・ランシング・スミス氏は、本書を第Ⅰ部 聖杯物語の基礎と背景(第1章 アーサー王伝説の背景――新石器時代、ケルト、ローマ、ゲルマンの時代、第2章 アイルランドのキリスト教――聖ブレンダンと聖パトリック、第3章 神学、愛、トルバドゥール、ミンネジンガー)、第Ⅱ部 冒険の旅に出る騎士たち(第4章 ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルチヴァール』、第5章 トリスタンとイゾルデ、第6章 円卓の騎士たち)、第Ⅲ部 テーマとモチーフ(第7章 荒地)の三部に分けている。そして補論として、キャンベルが1927年にコロンビア大学に提出した修士論文『「災いの一撃」の研究」』(“A Study of the Dolorous Stroke“)が初公開されている。

 アーサー王伝説というのは、キャンベルの比較神話学全体にとっても特別な意味をもつものだった。まず、彼の学問の道はアーサー王伝説の研究から始まっており、コロンビア大学に提出された修士論文も「災いの一撃」をめぐる問題が扱われている。これは、聖杯伝説の最重要なテーマであり、第Ⅲ部の主題ともなっている「荒地」の起源という問題に関係している。「荒地」とは何か。「荒地」とは、人々が、自分自身のではなく、ただ社会から押しつけられた生活を義務的に送っているような世界である。真実のではない、偽りの、いわば魔法をかけられてしまったような世界である。この魔法を解くことが、パルチヴァールなど聖杯の英雄の課題となっている。キャンベルは生涯を通じて、こうしたヨーロッパ中世の聖杯探求とアーサー王伝説の研究に深く関わってきたのであり、「編者まえがき」でも述べられているように、これらの研究を通して、キャンベルに比較神話学の豊かな世界が開かれていったのである。キャンベルとアーサー王伝説、聖杯伝説との関係に関するさらに詳しいことについては、エヴァンス・ランシング・スミス氏の「編者まえがき」をご覧いただきたい。

 ただここで、特に確認しておきたい重要なことは、キャンベルによれば、アーサー王物語、特に聖杯物語は世界初の「世俗神話」(secular mythology)なのであって、文字通りのものとしてではなく、個人の精神的、霊的な成長と発達の自然な段階を表わすメタファーとして、つまり、ユング心理学でいう個性化(自己実現)の過程の諸段階のシンボルとして解釈すべきだということである。例えば、森というのは無意識の世界を表す。森に侵入するとは、自身の心の中の暗い深淵、理性に支配されない原始的、本能的な領域である無意識の世界に入り込んでいくことを意味することになる。この森に入るためには、「それぞれが自分で選んだ、一筋の小道さえない、最も暗いところ」(『聖杯の探索』)から入っていかなければならない。そこにはきわめて危険な魔物が住む一方で、有益な助言を与えてくれる者も出てくる。聖杯や聖杯のある「聖杯城」についても、この冒険の森の中で何をどう探せばいいのか全くわからないまま、未知の目的に向かって、予感と憧れを抱きつつ、努力を重ねていかなければならない。それは無意識の深奥にあり、それを探そうとする者にはかえって決して見つからないものなのだ。森の中でしばしばパルチヴァールは、心の内なる声を聴こうと手綱をゆるめ、馬に身を任せて進んでいる。そうすることで、彼は聖杯探求に関わる重要な場所、場面に導かれていくのである。

 パルチヴァールは、聖杯を探求して内面の旅を続け、自己実現を達成するが、それが「荒地」を楽園に変えることになり、最終的に世界を救うことになるという英雄なのだ。キャンベルの代表作の1つである『千の顔をもつ英雄』によれば、ギルガメシュであれ、オデュッセウスであれ、仏陀であれ、イエスであれ、古今のすべての英雄の物語は、基本的に同一の構造をもち、「英雄の旅」(the Hero's Journey)と呼ばれる、次のような1つの特徴的な経路をたどるとされる。

英雄は日常世界から危険を冒してまでも、人為の遠くおよばぬ超自然的な領域に赴く。その赴いた領域で超人的な力に遭遇し、決定的な勝利を収める。英雄はかれにしたがう者に恩恵を授ける力をえて、この不思議な冒険から帰還する。

キャンベル、平田武靖・浅輪幸夫監訳『千の顔をもつ英雄』上、人文書院、1984年、45頁

 「英雄の旅」は、人類には1つの普遍的な神話があるとするキャンベルの確固たる信念の中核を成すものである。英雄は、冒険への召命を受けて日常世界に別れを告げ、勇気をもって孤独な「夜の海の旅」に踏み出し、様々な試練を乗り越え、あるいは超自然的なるものから予想外の支援を受けて、最終的に勝利を収め、究極の恵みを携えて再びもとの日常世界に帰ってくる。聖杯の英雄パルチヴァールもまた、この「英雄の旅」をたどるのである。パルチヴァールが冒険への召命を受けたのは、彼が16歳になり、光り輝く甲冑を身にまとった3人の騎士(彼の考えでは、天使)と出会った時である。彼は、母親のもとから離れ、日常世界に別れを告げる。ここから彼の「英雄の旅」が始まるのだ。パルチヴァールはその後、聖杯探求の冒険を経て数々の試練を重ねながら、最終的には「聖杯王」(「漁夫王」、「不具王」)を癒し、「荒地」を楽園に変えて、人々に恩恵をもたらすことになる。

 このように、英雄は必ず、もとの日常世界に帰還して、仲間たちに恩恵をもたらすというところが重要である。例えば、インドのヨーガ行者は、自身と光明を一体化させると、二度とそこから戻ることはないが、イエスや仏陀など、真の英雄は人々を救うために日常世界に必ず帰還する。ヨーガ行者の1人だった仏陀も悟りを得た後、自身の悟ったことを人々に説くのを躊躇するが、そこへ梵天(ブラフマー)が現れ、梵天の勧めで人々のために説くことを決心したとされている(梵天勧請)。これは、英雄は必ず帰還しなければならないということを強調した物語と言えないか。プラトンの描く「洞窟の比喩」(『国家』第7巻)もみてみよう(藤沢令夫訳「国家」『プラトン全集』第11巻、岩波書店、1976年)。正に「英雄の旅」のパターンそのままと言っていいこの非常に有名な比喩は、聖杯探求の物語との関連においても参考になるところがあるように思われる。

 地下の奥深い暗闇の洞窟。上方に向かう長い登り道を経て、それは太陽の輝く外に入口を開いている。洞窟の奥底の壁に向かって、人々は、子供の時から手足も首も固く縛りつけられて動くことができず、ただ前方のみを見ることができるような状況。これらの人々のはるか背後の高いところに火が燃えていて、彼らを後ろから照らしている。火と人々の間には、洞窟を横に走る道があり、その道に沿って低い壁が作られている。そして、あらゆる種類の道具や、石や木やその他いろいろな材料で作った人間および他の動物の像が、この低い壁の上に差し上げられて運ばれていく。人々が前の壁面には、その影の動きが火の光によって映し出されることになる。人々は、子供の時から壁面に映る影しか見たことがないので、これらの影を真実のものだと信じこんでいる――これが我々の日常世界というわけである。真実のではなく、偽りの、魔法をかけられた世界。ある日、人々のうちの誰か一人が縛めを解かれ、背後に向きを変えて、洞窟内の登り道を力づくで引っぱって行かれたとしよう。冒険への召命である。強い光に目がくらみ、それは大変な試練。もちろん当初はぎらぎらとした輝きで何一つ見えないが、次第に目も慣れてきて太陽の輝きを受けているもの、つまり影ではなく事物そのものを直接見ることができるようになる。そしてついには、太陽それ自体を観察できるようになり、この太陽こそが四季と年々の移り行きをもたらすもの、目に見える世界の一切を管轄するものであり、また洞窟内で自分たちが見てきたものすべてに対して、ある意味でその根拠、原因となっていたものだったということに思い至るのだ。こうした比喩を一通り語り終えたところで、最後にソクラテスは、洞窟の外に出て真実在界に出た者が、そのままそこにとどまって至福の生を送ることは許されない、ということを強調するのである。
すべての英雄神話では、我々の住む日常世界は、「「父の御国」は地上に広がっているが、人々はそれを見ない」(グノーシス派の『トマスによる福音書』のイエス)ような状況だったり、あるいは「マーヤー(幻影)の世界」(仏陀)だったり、「事物そのものではなく、洞窟の壁に映ったその影」(プラトン、ソクラテス)だったり、あるいは「荒地」(『パルチヴァール』などの聖杯物語)といったイメージに象徴されるものだったり、それらはすべて、本来の姿とは異なる生き方、いわば魔法をかけられたような状態だと考えられているのである。そして自身の仲間たちのために、その魔法を解き、本来の生き方を回復させることが、真の英雄に課せられた任務なのであり、聖杯物語では、それが聖杯の探求という形で象徴されているわけなのだ。

 では、そもそも聖杯とは何だろうか。聖杯は非常に謎めいた物体であり、様々な聖杯物語において、聖杯は極めて曖昧な形でしか言及されていない。聖杯が最初に登場するのは、クレティアン・ド・トロワによる未完の『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』。そこでは、聖杯は器、一種のお椀のようなものである。それが後になって、ロベール・ド・ボロンにより、キリスト教的な起源と意義が明確にされていき、『聖杯の探索』などでも、聖杯は「最後の晩餐」で使われた聖餐杯(それはまた、十字架から降ろした際にイエスの脇腹から流れ出た血を受けた杯でもあった)と同一視されている。ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルチヴァール』では、聖杯は「石」として描かれている。ルシファーが神に反抗して天上で戦争が起こった時に、どちらにも味方しなかった中立的な天使たちが天から運んだとされる石。ヴォルフラムの考えでは、それはイスラム教におけるカアバ神殿の黒石と関係している。本書においてキャンベルは、聖杯のイメージをさらに古代インドの仏陀の石鉢にもつなげている。仏陀が悟りを開いた時に、世界の東西南北を守る四天王がそれぞれ供物を入れるための鉢を差し上げようとしてやってくるが、それら4つの鉢を神通力によって1つに纏めたものだ。こうした聖杯のイメージは、すべて食物と関係する。クレティアンの物語では、聖杯は聖餅(ホスチア)を運ぶものであり、その聖餅が漁夫王の父(老王)の生命を支え、力づけているとされていた。また『聖杯の探索』では、聖杯が食卓の前を通ると、食卓はたちどころにどの席もめいめいの望む食物で満たされていたとある。『パルチヴァール』においてヴォルフラムも、「誰でも聖杯の前に手を伸ばすと、そこには一切のものがあったのです」と書いている(本書、86頁)。ヴォルフラムのいう聖杯は石であったにもかかわらず、である。また本書中に言及はないが、『パルチヴァール』には、「聖杯とは何か」というパルチヴァールの質問に答えて、隠者トリフィリツェントが次のように答える場面が出てくる。この聖杯の力によって、フェニックスが燃えた自身の灰の中から蘇ることができる。こうしてフェニックスは羽が生え替わり、明るく輝いて、以前のように美しくなるのだ。人間もこの石を見ることで、どんなに病み衰えていようとも、その後一週間は死なずに生きながらえることができる。その皮膚はけっして生気を失うことはない。また聖杯は、大地の生むいかなる食べ物、飲み物も与えることができる、と。つまり聖杯は、あらゆる生命を支え、そして養っていく力の源泉と言えるだろう。アーサー王伝説の直接の起源と考えられているケルト神話には、海神マナナンの豊穣の大釜がある。キャンベル自身は、聖杯の原型にこの海神マナナンの大釜があったのではないかと考え、本書では次のように説明している。「マナナンと言えば、特に海の底にある宮殿が有名です。それは、ガラスでできた回転する城で、彼のもとを訪れるすべての人はそこで尽きることのない食事を与えられ、屠殺された翌日には生き返り、再び食べることができるという不死身の豚の肉でもてなされます。またそれと一緒に、不老不死のエール酒が出され、それを飲む者は誰でも、病気や老い、死から守られるのです。豊穣の大釜、無尽蔵の豚肉、そして不老不死のエール酒は、後のキリスト教の文脈では、聖盃、キリストの体と血へと姿を変えています」(本書、223頁)。

 こうした聖杯のイメージは、先述のプラトン、ソクラテスが語る「洞窟の比喩」の中の太陽(「善のイデア」の比喩)とも重なるものがある。太陽が万物の根拠、原因と語られていたように、聖杯もあらゆる生命を生み出し、それを養い支える、生命の究極的源泉といったイメージなのだ。キャンベルは、ビル・モイヤーズとの対談『神話の力』において、聖杯の源流である、無意識という海の底にあるマナナンの豊穣の大釜に関して、次のようなイメージを語っている。「生命エネルギーが我々にもたらされるのは、無意識の深みからであり、あらゆる生命がこの泡立つ泉から生み出されてくる」(『神話の力』380頁))。あらゆる生命を生み出し、それを養い支える、生命の究極的源泉といったこの聖杯のイメージは、あるいはさらにずっと古く、太古の昔、人類の神話や宗教の始まりにまでさかのぼれるものかもしれない。

 人類に神話的思考が出現するのはいつ頃か。およそ10万年から5万年前の間の時期に「大躍進」と呼ばれるようなものが起こったとされているが、この時期に化石資料や考古学的資料が突然根本的に変化する。月の満ち欠けなどの自然現象を記録し始めるなど、人類は周囲の世界で起きていることに注目し始め、畏怖の念をもって世界を眺め始めるのだ。様々な図形的記号、洞窟壁画や彫像、音楽や儀式など、神話的な想像力が充分に発揮された素晴らしい芸術作品などが一度に現れ始め、正に世界の驚異を認める精神が台頭し始めたといった印象なのである。人類に神話的思考が生まれたのは、この後期旧石器時代だと考えられる。この後期旧石器時代に至るまで、人間はほぼ200万年もの間ずっと動物を殺して、その肉を食べて生きてきたわけである。しかしこのあたりから、周囲の動物たち、そして世界全体に対するまなざしが明らかに変化し、それまで自分たちがごく普通にやってきたことが説明を要する謎として立ち現れてくる。生きるということは、つい先ほどまで生きていたはずの他の生命――動物だけでなく植物もまた――を殺して食べるということを必然的に含意する。これは自然界における最大の謎であり、これこそが、神話がまず扱わなければならなかった偉大な神秘だったのである。キャンベルによれば、この後期旧石器時代の狩猟文化の基礎を成す神話的テーマは、殺された動物は自ら進んで犠牲になったのであり、殺された動物は神、あるいは神の使者なのだというものだ。人類が農耕文化の時代に入っても、それは基本的に変わらない。そこでは、自分たちの食物となる植物は犠牲にされた神などの、切り刻まれて埋められた体から生えたものだという考えがみられるのである。我々の「生命のすべては神秘なる生によって支えられている。そして、人間の食べ物は、植物であろうと動物であろうと、あなた自身の生命の実質になるために進んで自身を捧げようとする生命が与えてくれたもの」(キャンベル、飛田茂雄訳『時を超える神話』角川書店、1996年、39頁)なのである。イエスは「最後の晩餐」で、パンと葡萄酒を「これは私の体、これは私の血」と言って、弟子たちに分け与えた。これがローマ・カトリック教会の儀式「聖体拝領」の由来だが、ここにも自ら犠牲になることで、その死骸から精神の糧が生じてくるというイメージがある、とキャンベルは述べている。

 人類が神話的思考を始めてからずっと抱いてきたそのような生命そのものの神秘に対するイメージが、12、13世紀のヨーロッパ中世に生まれたアーサー王物語というキリスト教的な騎士道物語において、聖杯という形に昇華されたのではないか。そして、聖杯の英雄とは、聖杯に象徴されるそうした生命の奥義を見出して、それを世界にもたらし、生命をよみがえらせ、向上させる何かをもたらすものなのではないか、と思われるのである。

* * *

 聖杯の物語には最初に書かれたクレティアン・ド・トロワの『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』、そしてトマス・マロリーの『アーサー王の死』のもとにもなった『聖杯の探索』などいくつかあるが、キャンベルが特に評価していたのは、本書の第4章で詳細に扱われている、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルチヴァール』だった。彼はこの作品をダンテの『神曲』さえも凌ぐヨーロッパ中世最大の作品であるとし、特に作者がイスラム教とキリスト教の騎士を対等に描いていることを賞賛している。パルチヴァールがイスラム教徒の異母兄フェイレフィースと戦う場面において、ヴォルフラムは、「2人はそこで戦っていたが、彼らは1つである。ガハムレトの息子である彼らは1つであり、それぞれが勇気と忠誠心から相手と自分とを傷つけているのである」(本書、120頁)と述べている。キリスト教とイスラム教はヘブライ世界から生まれた子供であり、全く1つのものなのだ。またヴォルフラムは、「聖杯城」にはイスラム教徒のフェイレフィースも入ることができたとする。つまり、宗派の違いなどを超えて、精神の高潔さだけが問題となっているということである。結局は、聖杯を運ぶ美しい乙女レパンセ・デ・ショイエと結婚するために、フェイレフィースはキリスト教の洗礼を受けることになるのだが、その時、聖杯――この聖杯は石であり、イスラム教のカアバ神殿の黒石が暗示されている――に次のような銘刻が現われたとされる。「いかなる聖杯の騎士が、神の手により異民族の支配者と定められることになった場合でも、その騎士は他人に自分の名前や種族を尋ねさせるたりすることはせずに、その国の人々の権利の実現に力を貸してあげなければならない」(本書、124頁)。これは、「聖杯の儀式に必要な問いかけと同じ精神的基盤から生まれた、思いやりの文書」であるとして、キャンベルは賞賛するのである。

 キャンベルがヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルチヴァール』を特に評価する大きな理由が、この他宗教に対する寛容性にあるとみて、間違いないだろう。キャンベルはずっと一貫して、ますますグローバル化が進むこの現代世界に対する重要なメッセージを発してきたからである。例えばキャンベルは、初期の代表作で最初の単著となる『千の顔をもつ英雄』(原著は1949年)の序文において、次のような希望を語っている。

わたしの願いは比較論的説明が、現代世界において統合をめざして活動している諸力の、おそらくはいまだ完全に絶望的ではない大義にせめて寄与できればというところにある。ここでいう統合とは現に実在する教会や政治の支配圏の名目においてはついぞ試みられる機会をもたず、人間の相互理解の意味においてはじめて試みられる態のものである。

『千の顔をもつ英雄』上、9頁

 かつてはこの世界には多くの境界線が存在し、人々はそれぞれの境界線の内部で神話を作り上げ、そしてそれに従って生きてきた。しかし、現代世界には「もはや境界線は存在しない」ということをキャンベルは強調する。そして、境界線がなくなったがために人間同士、そして異なる神話・宗教間で恐ろしい衝突が繰り返されている、と(キャンベル、飛田茂雄・古川奈々子・武舎るみ訳『生きるよすがとしての神話』角川書店、1996年、269頁)。だが、自分たちの神話や宗教だけを絶対視し、自分たちのみが真理を手にしているといったような排他主義的な考え方は、グローバル化が進んだこの現代社会ではもはや通用しないのである。

 キャンベルによれば、そうした排他主義的な考え方の原因となっているのが、神話のシンボルを字義通りに解釈し、歴史的な事実と結びつけて解釈するという、神話の誤った読み方ということになる。神話のシンボルとは、本来語り得ないものについて語ろうとしているのであり、いわば透明化して、アドルフ・バスティアンのいう「基本的観念」に向かって開かれるように解釈されなければならない。これがキャンベルの考える正しい神話の読み方なのだ。そしてさらに、「エイシクの物語」のところでも述べたように、自身の神話・宗教の伝統に属するシンボルのもつ正しいメッセージを受け取ることができるようになるためにも、他者の神話や信仰に対して積極的に注意を向け、耳を傾けることは、実は大変重要なことなのだ。それがつまり、キャンベルが、その比較神話学という学問を通して、一貫して勧めてきたことだったように思われるのである。


※ 本解説は本書には含まれておりません。 ※

ジョーゼフ・キャンベル 著/斎藤伸治 訳
四六判上製368頁 本体3,800円+税 ISBN978-4-409-14069-7

内容説明
世界各地の神話物語の比較を通じて、神話の類似性・普遍性に着目し、人間の精神性を追究したキャンベル。本書は中世ヨーロッパにおけるアーサー王伝説・聖杯伝説をテーマに、聖杯の起源と意味、円卓の騎士たちの冒険の分析、東洋神話との比較を通じて、神話のシンボルの本質に迫る。キャンベルが築いた豊かな比較神話学の世界はここから始まる。

キャンベルが一九二七年三月一五日にコロンビア大学の英語・比較文学科に提出した、修士論文『「災いの一撃」の研究(“A Study of the Dolorous Stroke”)』を「補論『「災いの一撃」の研究』」として掲載。

ジョーゼフ・キャンベル
Joseph Campbell/1904年-1987年。アメリカ生まれの神話学者。比較神話学や比較宗教学で知られる。1934年よりサラ・ローレンス大学教授を務めた。著書に『千の顔をもつ英雄』上下(平田武靖・浅輪幸夫監訳、伊藤治雄・春日恒男・高橋進訳、人文書院)、『宇宙意識 神話的アプローチ』(鈴木晶・入江良平訳、人文書院)、ビル・モイヤーズとの共著『神話の力』(飛田茂雄訳、ハヤカワ文庫)、『ジョーゼフ・キャンベルの神話と女神』(倉田真木訳、原書房)など。

斎藤伸治(さいとう・しんじ)
1962年3月生まれ。山形県南陽市出身。現在、岩手大学人文社会科学部教授。専門は言語学、言語論、文字論。主な著訳書として、ロイ・ハリス / タルボット・J・テイラー『言語論のランドマーク――ソクラテスからソシュールまで』(大修館書店、1997年、滝沢直宏氏との共訳)、フロリアン・クルマス『文字の言語学――現代文字論入門』(大修館書店、2014年)、『21世紀の言語学――言語研究の新たな飛躍へ』(ひつじ書房、2018年、今井隆氏との共編著)などがある。


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