_獄中哀歌_

加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その二)盲目囚人

何の悪事をなせしか知らねども
二畳敷ばかりの室(へや)の
くらい蓆の上に
けふも座して手探りに網をすく。

ここをわが家とおもひ馴れ、
強ゐられし仕事に馴れし悲しさ。

何も見えぬ悲しさに、
盲(めし)ひし眼の縁を
見開かんとあせりうごかす。

八月の暑さに屋根裏の
蜜蜂の巣のけだるきうなり、
ねぶたさをみちびく声。

山櫨の葉のつかれて下りし
ちからなき緑のかげの弛(だる)さ。

白きぬけがらのやうな網の
長さを手にてはかりながら
ひとりうなづく暗い顔。

盲ひし囚徒は蒸し暑い監房の
うす暗きかたすみにぢつと座(すは)りて。

底本:『獄中哀歌』南北社
大正三年三月二十三日発行
*旧字は新字に、「ゝ」などの踊り字と俗字は元の字に改めた。また、一部を代用字に改めた。

加藤介春(1885−1946)
早稲田大学英文科卒。在学中、三木露風らと早稲田詩社を結成。自由詩社創立にも参加し、口語自由詩運動の一翼を担う。
詩集に『獄中哀歌』(1914)、『梢を仰ぎて』(1915)、『眼と眼』(1926)。
九州日報編集長として、記者であった夢野久作を厳しく指導した。久作いわく「神経が千切れる程いじめ上げられた」。
詩集『眼と眼』では、萩原朔太郎が「異常な才能をもちながら、人気のこれに伴わない不運な詩人」という序を寄せた。

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