_獄中哀歌_

加藤介春著『獄中哀歌』「赤き日」小供の頃

小供の頃は葬式のあるごとに
その家にあつまりゆき
うつくしき弔旗をもたせてもらひぬ。

小供の頃はなるべく長い弔旗を
あらそひてもち、その葬列の
先頭にあゆむをほこりとしたり。

青い竿にまきつける弔旗の
ぢつと心に垂れしも知らず。

かなしき鐘の音も
知らざる人のやうに
心の中を通らず。

人々のすすり泣くをみて
ただあやしげなる顔とおもひぬ。

小供の頃は葬列の長い行列を
楽隊めきしものにおもひて
ふとふざけたき事もありたり。

底本:『獄中哀歌』南北社
大正三年三月二十三日発行
*旧字は新字に、「ゝ」などの踊り字と俗字は元の字に改めた。また、一部を代用字に改めた。

加藤介春(1885−1946)
早稲田大学英文科卒。在学中、三木露風らと早稲田詩社を結成。自由詩社創立にも参加し、口語自由詩運動の一翼を担う。
詩集に『獄中哀歌』(1914)、『梢を仰ぎて』(1915)、『眼と眼』(1926)。
九州日報編集長として、記者であった夢野久作を厳しく指導した。久作いわく「神経が千切れる程いじめ上げられた」。
詩集『眼と眼』では、萩原朔太郎が「異常な才能をもちながら、人気のこれに伴わない不運な詩人」という序を寄せた。

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