川路柳虹著『路傍の花』「曇日 其の他」塵塚

隣(となり)の家(いえ)の穀倉(こめぐら)の裏手(うらて)に
臭(くさ)い塵溜(はきだめ)が蒸(む)されたにほい、
塵塚(はきだめ)のうちにはこもる
いろいろの芥(ごもく)の臭(くさ)み、
梅雨(つゆ)晴(ば)れの夕(ゆふべ)をながれ漂(ただよ)つて
空(そら)はかつかと爛(ただ)れてる。

塵溜(はきだめ)の中(うち)には動く稲(いね)の虫(むし)、浮蛾(うんか)の卵(たまご)、
また土(つち)を食(は)む蚯蚓(みみず)らが頭(かしら)を擡(もた)げ、
徳利(とつくり)壜の欠片(かけら)や紙(かみ)の切(き)れはしが腐(くさ)れ蒸(む)されて
小(ちい)さい蚊(か)は喚(わめ)きながらに飛(と)んでゆく。

そこにも絶(た)えぬ苦しみの世界(せかい)があつて
呻(うめ)くもの死(し)するもの、秒刻(べうこく)に
かぎりも知(し)れぬ生命(せいめい)の苦悶(くもん)を現(げん)し、
闘(たたか)つてゆく悲哀(かなしみ)があるらしく、
をりをりは悪臭(をしゆ)にまじる虫螻(むしけら)が
種々(しゆじゆ)のをたけび、泣声(なきごゑ)もきかれる。

その泣声(なきごゑ)はどこまでも強(つよ)い力(ちから)で
重(おも)い空気(くうき)を顫(ふる)はして、また軈(やが)て、
暗(くら)くなる夕(ゆふべ)の底(そこ)に消(き)え沈(しづ)む。

惨(いたま)しい「運命(うんめい)」はただ悲(かな)しく
いく日(ひ)いく夜(よ)もここにきて手辛(てがら)く襲(おそ)ふ。
塵溜(はきだめ)の重(おも)い悲(かな)しみを訴(うつた)へて
蚊(か)は群(むらが)つてまた喚(わめ)く。

一九〇七、八月

底本:『路傍の花』東雲堂書店
明治四十三年十月三日発行
*旧字は新字に、「ゝ」などの踊り字と俗字は元の字に改めた。また、一部を代用字に改めた。

川路(1888−1959)
詩人・美術評論家。東京美術学校を卒業。『文庫』『詩人』に寄稿し、詩人として出発する。明治40年『詩人』に口語自由詩「塵塚」を含む「新詩四章」を発表して注目を浴びた。
詩集に『路傍の花』(1910)、『曙の声』(1921)などがある。

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