_獄中哀歌_

加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その十三)延びたる爪

いやらしき延びたる爪、
指のさきに何かつきしやうに
いやらしき延びたる爪。

十本の指の爪、
いつの間にかそのさきがおなじやうに
延びたる爪。

爪をとる刃物のなければ
ひそかに壁の下にしのびゆき、
小供等のあそびごとのやうに
煉瓦の赤きおもてにてすりへらす。

あやしき音が壁におこれり―
壁のおもてと爪の先とが独言くごとき
かすかなる不思議の音がおこれり。

それをきけば獄の中のくらき心を
すりへらさるるとおなじ思ひが
煉瓦のおもてに映る。

壁には白き縞が出来たり―
かなしき心を描きし
爪のあとがもやもやと白くうかぶ。

囚人の心が壁のおもてにうつれり、
その爪のあとは煉瓦にしみ入り
壁の記憶となりていつまでも残る。

いやらしき延びたる爪、
順々にすりへらす
かなしき延びたる爪。

底本:『獄中哀歌』南北社
大正三年三月二十三日発行
*旧字は新字に、「ゝ」などの踊り字と俗字は元の字に改めた。また、一部を代用字に改めた。

加藤介春(1885−1946)
早稲田大学英文科卒。在学中、三木露風らと早稲田詩社を結成。自由詩社創立にも参加し、口語自由詩運動の一翼を担う。
詩集に『獄中哀歌』(1914)、『梢を仰ぎて』(1915)、『眼と眼』(1926)。
九州日報編集長として、記者であった夢野久作を厳しく指導した。久作いわく「神経が千切れる程いじめ上げられた」。
詩集『眼と眼』では、萩原朔太郎が「異常な才能をもちながら、人気のこれに伴わない不運な詩人」という序を寄せた。

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