20. 目に見えないもの。

心で会話がしたい。

無邪気さは、敵か。味方か。

こんだけボケ散らかしてる僕だけど、地元の友達といると、むしろ100ツッコミなんだよね。そいつらに、「多分、お前らが面白すぎて、僕がボケる隙もないんだわ」とか舐めたこと言ってみたら、「当たり前だわ」って返ってきた。まあ、芸人志望には敵わんか。

腸に穴が空いてから、僕の食に対する考え方は結構変わったけど、拒食症の友達ができて、またまたとっても色々と気付かされた。なんだろうね、食べることって。結局、僕らは毎日毎日、幸せを探し続けてる。でも、求めてる幸せなんて、手に入ることの方が稀で。三連単くらい。2ヶ月断食してみると、自分がいかに「食べる」ということを通じて強引に幸せを感じようとしてたか、よくわかった。ストレスが溜まってドカ食いしちゃう人とかいるけど、やっぱりそういうことなんだな。でも、それと同時に、「食べる」ということを諦める人生が仮に存在したとしたら、それはそれで茨の道ではあっても、その道の行き着く先は遥か彼方素晴らしい世界かもしれない。つまり、食べることで幸せになれないとなれば、人は新たに幸せになれる手段を探そうとする。それはその人を破壊することもあるし、逆に高尚な世界に誘うことだってあるはず。少なくとも、僕はそう感じた。

自分と同じ悩みを抱えてる人を心の拠り所にするのって、実はとっても危険で、一つはその人を自分と全く同じだと信じ込んでしまって傷つけるかもしれない。でも、それと同時に、こっちが置いてきぼりになってしまう可能性もあって。だから、結局うちはうち。よそはよそ。

自分を客観的に見れてしまうことは、素晴らしくて、辛いこと。たまには、なりふり構わず。

破壊と再生。

いつまでも、子供のままで。

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